2024年7月27日土曜日

横溝正史作「悪魔の手毬唄」(The Little Sparrow Murders by Seishi Yokomizo)- その3

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「悪魔の手毬唄」に付されている
鬼首村の地図

鬼首村(Onikobe)出身で、「グラマーガール」と呼ばれる国民的人気歌手である大空ゆかり(Yukari Ozora)こと、別所千恵子(Chieko Bessho - 22歳)が、何故、「詐欺師で、人殺しの娘」と呼ばれているのか、疑問に思う金田一耕助(Kosuke Kindaichi)は、岡山県警(Okayama prefectural police headquarters)の磯川警部(Inspector Isokawa)から、23年前の1932年(昭和7年)に、鬼首村で起きて、未だに未解決のままとなっている殺人事件のことを聞かされる。

「別所家(屋号:錠前屋)」の関係者の系図
<筆者作成>


当時、鬼首村では、仁礼家(The Nire Family - 屋号:秤屋)と由良家(The Yura Family - 屋号:枡屋)が、2大勢力として、台頭していた。

元々は、広大な田畑を所有する由良家の方が、仁礼家よりも優勢だった。ところが、仁礼家の先代の当主である仁礼仁平(Jinpei Nire)が、葡萄栽培、そして、葡萄酒醸造を始めたところ、鬼首村における一大産業となる程、大成功を収めた。その結果、鬼首村での立場は、逆転したのである。


「由良家(屋号:枡屋)」の関係者の系図
<筆者作成>


由良家の先代の当主である由良卯太郎(Utaro Yura)は、仁礼家が優勢となったことに危機感を抱いた。

そんな時、恩田幾三(Ikuzo Onda)と言うセールスマンが、由良卯太郎のところに、輸出用のクリスマスモール作りの話を持ちかけてくる。仁礼家への対抗心を燃やす由良卯太郎は、恩田幾三の話に飛び付いた結果、鬼首村では、副業として、クリスマスモール作りが始まったのである。

恩田幾三は、由良卯太郎だけではなく、鬼首村の村人達に対して、クリスマスモール用の製造機械を売り付けた後、月に数回、鬼首村を訪れ、村人達からクリスマスモールを受け取ると、その対価として、代金を支払った。

由良卯太郎の思惑通り、クリスマスモール作りにより、鬼首村の村人達の懐は、潤い始め、由良家による仁礼家への逆襲が始まったかに見えた。


「仁礼家(屋号:秤屋)」の関係者の系図
<筆者作成>


そんな最中、「亀の湯」の次男である青池源治郎(Genjiro Aoike)が、妻のリカ(Rika Aoike)と息子の歌名雄(Kanao Aoike)を連れ、鬼首村へと戻って来て、「亀の湯」の主人となった。

青池源治郎は、小学校を卒業した後、鬼首村を出ると、神戸市において、「青柳史郎(Shiro Aoyagi)」と言う芸名で活弁士として活躍し、人気を博していたが、トーキー映画の登場により、仕事の場を失いつつあった。そのため、青池源治郎は、活弁士の仕事に見切りを付けると、妻子を連れて、鬼首村へと帰って来たのである。


「亀の湯」の関係者の系図
<筆者作成>


「亀の湯」の新しい主人に就いた青池源治郎は、セールスマンの恩田幾三を詐欺師と見破ると、事件当日に該る1932年(昭和7年)11月25日、鬼首村への訪問時、恩田幾三が滞在している多々羅放庵(Hoan Tatara - 庄屋の末裔)の離れへと、単身乗り込んで行った。


夫の帰りが遅いため、心配になった妻の青池リカが、多々羅放庵の離れへ、様子を見に行ったところ、そこで青池源治郎の撲殺死体を発見することになる。

ただ、死体は、燃えさかる囲炉裏の中に、俯せに倒れ込んでおり、顔が焼かれていたため、判別がつかなくなっていた。活弁士と言う仕事を良く思っていなかった青池源治郎の父親(=「亀の湯」の先代の主人)は、外聞を非常に気にして、活弁士時代の息子の写真を全て焼き捨ててしまっていて、現存する写真がなかったことも、災いした。

しかしながら、妻の青池リカと、恩田幾三に離れを貸していた多々羅放庵の2人は、撲殺死体の着衣から、「死体は、青池源治郎だ。」と証言する。


その結果、恩田幾三が、自分のことを詐欺師だと見破った青池源治郎を撲殺した後、多々羅放庵の離れから逃げ去ったものと、当時の警察は判断の上、捜査を進めた。

ただ、事件から23年を経過した1955年(昭和30年)の7月下旬に至るも、恩田幾三の行方は、杳として知れなかった。


なお、恩田幾三が行方不明になったことに伴い、鬼首村におけるクリスマスモール作りは、完全に破綻してしまった。これは、1929年に発生した世界大恐慌による煽りを受けたことも影響していた。

鬼首村の村人達は、クリスマスモール用の製造機械を購入した時の借金が多額に残った上に、クリスマスモールの販売先も失い、大損害を蒙った。彼らから吊るし上げを食らった由良卯太郎の面目は、大きく失墜する羽目となった。

その結果、悲嘆に暮れた由良卯太郎は、事件の3年後に、世を去ったのである。


23年前の殺人事件の話を終えた磯川警部は、金田一耕助に対して、更に話を続けた。


当時の警察は、「恩田幾三が、青池源治郎を撲殺した後、逃亡した。」と判断したが、若手で、捜査に参加していた磯川警部自身は、当時から、「加害者と被害者は、全く逆で、青池源治郎が、恩田幾三を撲殺した後、逃亡したのではないか?それ故に、加害者の行方が掴めないのではないか?」と考えていた、と。

若手の磯川警部は、当時、自分の考えを何度も提言したものの、残念ながら、一度も取り入れられなかったのである。

                                            

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