英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2024年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである 横溝正史作「悪魔の手毬唄」の表紙 (Cover design by Anna Morrison) |
「悪魔の手毬唄(The Little Sparrow Murders)」は、日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの一つである。
「悪魔の手毬唄」は、1957年(昭和32年)8月号から1959年(昭和34年)1月号にかけて、雑誌「宝石」に連載された。
「悪魔の手毬唄」の場合、山間部に孤立した集落である鬼首村(Onikobe)を舞台にして、村に伝承する手毬唄の歌詞になぞらえて連続する童謡殺人事件が描かれている。これは、「獄門島(Death on Gokumon Island → 2024年3月4日 / 3月6日 / 3月8日 / 3月10日付ブログで紹介済)」における俳句に見立てた連続殺人と同一系譜にあると言える。
英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2024年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである S・S・ヴァン・ダイン作「僧正殺人事件」の表紙 (Cover design by Jo Walker) |
米国の推理作家である S・S・ヴァン・ダイン(S. S. Van Dine - 本名:美術評論家のウィラード・ハンティントン・ライト(Willard Huntington Wright:1888年ー1939年))が1929年に発表した長編推理小説で、素人探偵であるファイロ・ヴァンス(Philo Vance)シリーズ12長編のうち、第4作目に該る「僧正殺人事件(The Bishop Murder Case → 2024年2月7日 / 2月11日 / 2月15日 / 2月19日付ブログで紹介済)」は、マザーグース(Mother Goose)に基づく童謡連続殺人事件をテーマにしており、横溝正史は、同じような作品を執筆したいと考えていたが、二番煎じと批判される可能性があったので、諦めかけていた。
そんな最中、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」を発表して、S・S・ヴァン・ダイン作「僧正殺人事件」と同じようなことをやったので、横溝正史は、「自分も挑戦してみよう。」と思い立った、とのこと。
それが「獄門島」で、1947年1月から1948年10月にかけて、雑誌「宝石」に連載された。
「獄門島」の場合、俳句を用いた見立て殺人事件を描いているが、これは、「僧正殺人事件」や「そして誰もいなくなった」のように、俳句に代わる童謡が日本において見つからなかったからである。
英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2022年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである 横溝正史作「獄門島」の表紙 (Cover design by Anna Morrison) |
「獄門島」が「僧正殺人事件」や「そして誰もいなくなった」のような童謡連続殺人をテーマにした作品ではなかったため、満足できなかった横溝正史は、実在の伝承や童謡に基づく作品を創作しようとしたが、うまく合致するものが見つからず、四苦八苦していた。
うまく合致する実在の伝承や童謡が見つからなかったため、新たに創作する方向へと舵を切った横溝正史は、ある日、台所で漏斗に偶然目を止める。暫く漏斗を眺めているうちに、本作品における第1の殺人に使用される「桝で量って、漏斗で飲んで」と言う手毬唄の句が自然に頭に浮かんできた。
物語の肝となる大きなトリックは既にあったため、手毬唄が出来上がると直ぐに、横溝正史は、物語の肝となるトリックを中心にして、猛烈な勢いで物語を組み立てた。手毬唄が出来てから、物語全体の構成が出来上がるまでの期間として、1週間しか要しなかった、とのこと。
「悪魔の手毬唄」の場合、物語の舞台として、鬼首村が使用されているが、これは架空の村である。物語上、鬼首村は、兵庫県との県境にある岡山県内に所在すると言う設定になっている。
作者の横溝正史は、鬼首村のモデルとして、1945年5月から約3年間疎開していた「岡山県吉備郡岡田村(現在の倉敷市真備町岡田)」を挙げている。
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