2015年4月26日日曜日

ロンドン リージェントサーカス(Regent Circus)

南側のリージェントストリートから見たオックスフォードサーカス

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)では、ドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を2週間後に控えたレディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。
レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、夜間、ミルヴァートンの屋敷に無事侵入したホームズとワトスンであったが、予期せぬ事態が彼らを待っていた。ミルヴァートンの部屋には別の来客、黒いヴェールを架けた貴婦人が既に居たのである。彼女は昔ミルヴァートンによって人生を破滅させられており、その復讐のためにやって来たのだった。彼女が取り出したレボルバーからミルヴァートンに向け、連続して発射される銃弾。屋敷内に響き渡る銃声。床に倒れ伏すミルヴァートンを尻目にして姿を消す謎の貴婦人。その混乱に乗じて、ホームズとワトスンはレディー・エヴァ・ブラックウェルの手紙を無事に処分すると、なんとか追跡者を振り切って、ベーカーストリート221Bに戻って来た。
翌日、ホームズの元を訪れたスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)から、ミルヴァートンの屋敷での惨劇に関する捜査への助力を依頼されるが、ホームズは「被害者(=ミルヴァートン)よりも犯人達に共感するから、この事件は扱わない。」と言って、断ってしまうのであった。

地下鉄オックスフォードサーカス駅を示す電光掲示板(その1)
地下鉄オックスフォードサーカス駅を示す電光掲示板(その2)

私達が目撃したミルヴァートンの屋敷での惨劇について、ホームズは私には一言も話さなかったが、私が観察したところ、午前中ずーっと彼は考え込んでいる様子だった。そして、ホームズのうつろな目とぼんやりした態度から、彼が何かを思い出そうと努力しているような印象を私は受けた。私達が昼食をとっている途中、ホームズは突然立ち上がったのだ。「ワトスン、なんとことだ。判ったぞ!」と、彼は叫んだ。「帽子をとって、僕と一緒に来てくれ!」彼は全速力でベーカーストリートを下り、オックスフォードストリートに沿って、リージェントサーカスへ達するところまでやって来た。左側には、当時の有名人や美女の写真が飾られた店のショーウィンドがあった。ホームズの視線がショーウィンドに飾られた写真の一つに釘付けとなった。彼の視線をたどると、高貴な頭に高いダイヤモンドのティアラをつけて、宮中礼服に身を包み、威厳があり、堂々としている女性の写真がそこにあった。繊細にカーブした鼻、際立った眉、真っ直ぐな口元、そして、その下にある強く小さな顎。その後、彼女の夫だった偉大な貴族で、かつ政治家でもあった人物の高貴な称号を見て、私は息を飲んだ。私はホームズと目を合わせた。そして、ホームズは唇に指をあてると、私達は店のショーウィンドから立ち去ったのであった。

オックスフォードサーカスの北西の角に建つ建物—
ミルヴァートンを射殺した貴婦人の写真を飾っていた店はここにあったと思われる

Holmes had not said one word to me about the tragedy which we had witnessed, but I observed all the morning that he was in his most thoughtful mood, and he gave me the impression, from his vacant eyes and his abstracted manner, of a man who is striving to recall something to his memory. We were in the middle of our lunch when he suddenly sprang to his feet. 'By Jove, Watson; I've got it!' he cried. 'Take your hat! Come with me!' He hurried at his top speed down Baker Street and along Oxford Street, until we had almost reached Regent Circus. Here on the left hand there stands a shop window filled with photographs of the celebrities and beauties of the day. Holmes's eyes fixed themselves upon one of them, and following his gaze I saw the picture of a regal and stately lady in court dress, with a high diamond tiara upon her noble head. I looked at that delicately-curved nose, at the marked eyebrows, at the straight mouth, and the strong little chin beneath it. Then I caught my breath as I read the time-honoured title of the great nobleman and statesman who wife she had been. My eyes met these of Holmes, and he put his finger to his lips as we turned away from the window.

バスの向こう側辺りに、
写真を飾っていたショーウィンドがあったものと思われる

ミルヴァートンを射殺した貴婦人の写真をホームズとワトスンが見た店があるリージェントサーカス(Regent Circus)は架空の住所で、実際に存在していない。
おそらく、東西に走るオックスフォードストリート(Oxford Streetートッテナムコードロード(Tottenham Court Road)とマーブルアーチ(Marble Arch)を結ぶ通り)と南北に走るリージェントストリート(Regent Streetーパル・マル通り(Pall Mall)とリージェンツパーク(Regents Park)を結ぶ通り)が交差する場所を指しているものと思われる。現在、その場所はオックスフォードサーカス(Oxford Circus)と呼ばれており、原作では、リージェントストリートからとった「リージェント」とオックスフォードサーカスからとった「サーカス」を組み合わせているものと思われる。
そういう訳で、オックスフォードサーカスの近くに、その店があったものと推測できる。ホームズとワトスンはベーカーストリート221Bから南へ下って来た後、オックスフォードストリートを東方面へ進み、オックスフォードサーカス(原作では、リージェントサーカス)に至る手前の左手にその店は位置していたことになるので、その店の正確な場所は、オックスフォードサーカスの北西の角の近くという訳である。現在、オックスフォードサーカスの北西の角にある建物には、スウェーデンのファッションブランド「エイチ・アンド・エム(H&M)」が入居している。

オックスフォードサーカスの北西の角には、
現在、「H&M」が入居している

オックスフォードサーカス交差点の下には、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)があり、セントラルライン(Central Line)、ベーカールーライン(Bakerloo Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)が通っている。

2015年4月25日土曜日

ロンドン ハムステッドヒース(Hampstead Heath)

ハムステッドヒース入口に立つ標識

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)において、シャーロック・ホームズは、レディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。彼女は2週間後にドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を控えていた。残念ながら、彼女には、ミルヴァートンによる恐喝に対処できるだけの金銭的な余裕はない上、彼女が昔出した手紙が表に出てスキャンダルになった場合、2週間後に予定されている結婚が破談になることは間違いなかった。

ウィローロード(Willow Road)とイーストヒースロード(East Heath Road)に
挟まれたハムステッドヒース手前の緑地帯

レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、ホームズとジョン・ワトスンはミルヴァートンの屋敷に夜間侵入して、彼女の手紙を盗み出す計画を立てたのであった。事前にホームズが職人に変装し、メイドを口説いて入手した情報に基づき、ミルヴァートンの屋敷に無事侵入したホームズとワトスンであったが、予期せぬ事態が彼らを待っていた。ミルヴァートンの部屋には別の来客、黒いヴェールを架けた貴婦人が既に居たのである。彼女は昔ミルヴァートンによって人生を破滅させられており、その復讐のためにやって来たのだった。彼女が取り出したレボルバーからミルヴァートンに向け、連続して発射される銃弾。屋敷内に響き渡る銃声。床に倒れ伏すミルヴァートンを尻目にして姿を消す謎の貴婦人。その混乱の最中、ホームズとワトスンはレディー・エヴァ・ブラックウェルの手紙を暖炉の火の中へくべて、無事処分したのであった。

サウスエンドロード(South End Road)沿いのハムステッドヒース
この向こうにハムステッドヒース第一池(Hampstead No. 1 Pond)がある

警報がこれ程早く屋敷内に伝わるとは信じられなかった。振り返って見てみると、大きな屋敷内が煌々と灯りで照らされていた。表扉が開き、何人かが私設車道を駆け下りて行った。屋敷前の庭全体が人で一杯になっていて、私達がベランダから姿を現すと、誰かが「侵入者を見つけたぞ!」と言う声をあげ、私達の後を追いかけて来た。ホームズは敷地内を熟知しているようで、小さな樹々の植え込みの間を素早く縫うように駆け抜けた。私はホームズのすぐ後を追いかけ、そして、最初の追跡者が私達の後を息を切らしながらついて来た。私達の行く手を遮る壁は6フィートの高さがあったが、ホームズは壁の上に跳び上がり、乗り越えて行った。私もホームズと同じように壁の上に跳び上った際、私達を追跡していた男の手が私の足首をつかむのを感じた。しかし、私はその男を蹴り飛ばして振りほどくと、草の生えた笠石をよじ登るようにして越えた。私は下の茂みの中にうつ伏せに落下したが、直ぐにホームズが私を助け起こしてくれた。そして、私達は一緒に広大なハムステッドヒースを横切るように駆け抜けたのだ。遂にホームズが立ち止まって耳を澄ませるまでに、私達はゆうに2マイル(約3.2キロ)走ったようだ。私達の背後は静寂に包まれており、物音一つしなかった。私達は追跡者を完全に振り切って、危機を脱したのである。

ハムステッドヒースレーン(Hampstead Lane)から
ケンウッドハウスに至るノースウッド(North Wood)の森

I could not have believed that an alarm could have spread so swirly. Looking back, the huge house was one blaze of light. The front door was open, and figures were rushing down the drive. The whole garden was alive with people, and one fellow raised a view-halloa as we emerged from the veranda and followed hard at our heels. Holmes seemed to know the ground perfectly, and he threaded his way swiftly among a plantation of small trees, I close at his heels, and our foremost pursuer panting behind us. It was a six-foot wall which barred our path, but he sprang to the top and over. As I did the same I felt the hand of the man behind me grab at my ankle; but I kicked myself free and scrambled over a glass-strewn coping. I fell upon my face among some bushes; but Holmes had me on my feet in an instant, and together we dashed away across the huge expanse of Hampstead Heath. We had run two miles, I suppose, before Holmes at last halted and listened intently. All was absolute silence behind us. We had shaken off our pursuers and were safe.

ケンウッドハウス横にある小トンネル
奥に見えるのが、ハムステッドヒース
ハムステッドヒース側から見たケンウッドハウス横の小トンネル

ホームズとワトスンが駆け抜けたハムステッドヒース(Hampstead Heath)は、ハムステッド(Hampstead)の北側に広がる丘陵で、ヒース(Heath)と呼ばれる低木が一面に生い茂っていることから、その様に呼ばれている。丘陵のあちこちに18世紀のコテージ、ヴィクトリア朝様式の家や池が点在している。ハムステッドヒースの大部分はロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内にあるが、1989年以降、管理はコーポレーション・オブ・ロンドン(Corporation of London)によって行われている。
ハムステッドヒースの歴史は10世紀後半まで遡るが、当時は「Hempstede」と呼ばれていた。11世紀後半から12世紀前半にかけて、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)が所有していたが、貴族等個人の所有を経て、19世紀から20世紀にかけて、ロンドン市当局が購入を徐々に進め、現在に至っている。

ケンウッドハウス側から見たハムステッドヒース
夏場には、ここで野外コンサートが開催される

ハムステッドヒースの北端には、ケンウッドハウス(Kenwood House)が建っている。現在は、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)が管理する美術館となっているが、以前は貴族の館であった。

ケンウッドハウスの正面玄関と両脇にあるウィング

ケンウッドハウスの歴史は17世紀前半まで遡る。
英国で著名な判事であった初代マンスフィールド伯爵ウィリアム・マレー(William Murray, 1st Earl of Mansfield:1705年ー1793年)は、仕事の拠点をスコットランドからロンドンに移したため、1754年にケンウッドハウスと周辺の土地を購入し、彼と同じスコットランド出身の建築家ロバート・アダム(Robert Adam:1728年ー1792年)にケンウッドハウスの改修を依頼した。ロバート・アダムは、1764年から1779年までの16年の歳月をかけて、ケンウッドハウスの外観および内装の改修を終えた。北側に面している正面玄関は巨大なイオニア式石柱を備えた柱廊となり、南側に面している裏面は、既に存在していた西側の温室とバランスをとるため、東側に図書室を増築した上、真っ白なファサードを備えた、まさに「白亜の館」となっている。
その後、1793年から1796年にかけて、ジョージ・ソンダース(George Saunders)が正面玄関の両脇に2つのウィングを増築している。

「白亜の館」と呼ばれるケンウッドハウスの裏面

20世紀に入って、新たに法制化された相続税の関係で、マンスフィールド伯爵家による維持が困難となり、ケンウッドハウスの売却を決定。そして、1925年にギネスビール社会長の初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネス(Edward Cecil Guinness, 1st Earl of Iveagh:1847年ー1927年)が購入した。その2年後の1927年、彼が死去した際、ケンウッドハウスは、彼が購入後に展示していた絵画コレクションと一緒に、国に遺贈されて、現在に至っている。

ケンウッドハウス内の図書室の天井装飾

現在、ケンウッドハウス内に展示されている絵画コレクションの中でも、
(1)オランダ人画家レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz Van Rijn:1606年ー1669年)晩年の「自画像(Portrait of the Artist)」
(2)オランダ人画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer:1632年ー1675年)の「ギターを弾く女(The Guitar Player)」
(3)英国人画家トマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)の「ハウ伯爵夫人メアリーの肖像(Mary, Countess of Howe)」
の3作品が特に有名である。

2015年4月19日日曜日

シャーロック・ホームズ / 死者の遺言書(Sherlock Holmes / The Will of the Dead)


シャーロック・ホームズ / 死者の遺言書
(Sherlock Holmes / The Will of the Dead)
(著者)   George Mann 2013年
(出版) Titan Books  2013年

1889年10月後半のある夜、ベーカーストリート221Bに住むシャーロック・ホームズの元をピーター・モーハム(Peter Maugham)が相談に訪れる。ピーターの説明によると、2日前の夜中、彼の伯父であるセオバルド・モーハム卿(Sir Theobald Maugham)が自宅の階段から転落して、死亡したというのだ。モーハム卿の屋敷には、3人の甥ジョーゼフ(Joseph)、オズワルド(Oswald)とピーター、そして、姪アナベル(Annabel - ジョーゼフの妹)が同居していた。モーハム卿は、自分が死亡した場合、遺産を4人で均等に分配するよう定めた遺言書を作成していたのだが、彼の死後、彼の顧問弁護士であるトビアス・エドワード(Tobias Edward)がモーハム卿の部屋を探したにもかかわらず、肝心の遺言書が見当たらなかった。生憎と、モーハム卿の希望で、顧問弁護士のエドワードは、遺言書の写しを保管していなかったのである。このままの状況では、モーハム卿の遺言書は存在していないことになり、その場合、モーハム卿の血縁者の中で最年長であるジョーゼフがモーハム卿の遺産を一人で全て相続することになるのだ。
話の内容に興味を覚えたホームズは、ジョン・ワトスンを伴って、スコットランドヤードのバインブリッジ警部(Inspector Bainbridge)を訪ねて、事情を説明し、遺体安置所に保管されているモーハム卿の遺体を調べたところ、事故による転落ではなく、人為的な力が加わった転落である可能性が高まった。つまり、モーハム卿の転落死は他殺であ様相が強まったのである。
時をほぼ同じくして、ハンス・ゲルベル(Hans Gerber)と名乗る人物からの手紙がジョーゼフ、オズワルド、ピーターとアナベルの元に次々に届く。ハンス・ゲルベルの母親はモーハム卿の妹で、一族の意に沿わない相手(ドイツ人)と結婚したため、モーハム卿が彼女を勘当、つまり、遺産相続の対象者から除外してしまったのである。仮にハンス・ゲルベルが本人の言う通りだった場合、彼がモーハム家一族の最年長者となり、モーハム卿の遺産全てを一人で相続できる権利を有することになる。
モーハム卿の葬儀に参列したワトスンは、モーハム卿の埋葬時、参列者を見守る人々の中にハンス・ゲルベルらしき人物を見かけて、後を追うが、途中で彼を見失ってしまう。
本来であれば、モーハム卿の遺産の正当な相続人であるジョーゼフ、オズワルド、ピーターとアナベルの4人をハンス・ゲルベルの影が覆いつつある中、ピーターが自宅で何者かに殺害される。犯行現場に残されていたタバコ等の遺留品から、ハンス・ゲルベルが殺害犯として疑われるのであった。果たして、モーハム卿が作成した遺言書はどこに消えたのか?ピーターを殺害したのは、一体誰なのか?そして、ハンス・ゲルベルは、本当に本人の言う通りの人物なのか?
ロンドン市内では、もう一つの事件が進行していた。夜毎、金属の装甲をまとった自動機械人間の集団が市内に出没して、宝飾品や貴金属等の強奪を繰り返していたのである。果たして、ホームズの打つ手は如何に?


読後の私的評価(満点=5.0)

1)事件や背景の設定について ☆☆☆(3.0)
「四つの署名」事件(1888年9月発生)を経て、ワトスンがメアリー・モースタンと結婚した後で、1889年9月に発生した「技師の親指」事件/「背の曲がった男」事件と1890年3月に発生した「ウィステリア荘」事件の間に当事件が起きた設定となっている。事件の規模自体は、ドイル原作の短編で取り扱われている事件と同じ位で、わざわざ長編にするまでの内容ではないように思える。

2)物語の展開について ☆☆☆(3.0)
物語の展開自体はとてもスムーズで悪くない。ただ、本来であれば、中編程度で取り扱う事件に、別の事件(金品強奪)を絡ませることにより、長編に膨らませている。しかしながら、最終的には、2つの事件の間に特につながりはなく、途中まで関連性を期待して読み進めた分、やや肩すかしというか、物足りない感じが残る。

3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆☆半(2.5)
ホームズは、モーハム卿の殺害事件と彼の遺言書紛失事件を解決するために、つまり、犯人をあぶり出すために、やや禁じ手に近い手法を採っている。これが、ピーター・モーハムの殺害を引き起こす元となっていて、最終的には、ピーターにも責められる要因があったことが判明するものの、捜査手法としては適切ではなかったと思う。

4)総合 ☆☆☆(3.0)
ストーリー自体は非常に読みやすいが、長編として取り扱うには、事件がやや平凡で、当事件一つで中編でまとめた方が良かったのではないかと感じる。別の事件(金品強奪)を絡ませるのであれば、きちんと関連付けた話にしてもらえれば、もっと楽しめたかと思う。

2015年4月18日土曜日

ロンドン チャーチロウ(Church Row)

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドから東方面に見たチャーチロウ
通りの突き当たりがヒースストリートで、左に曲がると、地下鉄ハムステッド駅がある

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)において、シャーロック・ホームズは、レディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。彼女は2週間後にドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を控えていた。残念ながら、彼女には、ミルヴァートンによる恐喝に対処できるだけの金銭的な余裕はない上、彼女が昔出した手紙が表に出てスキャンダルになった場合、2週間後に予定されている結婚が破談になることは間違いなかった。
レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、ホームズとジョン・ワトスンはミルヴァートンの屋敷に夜間侵入して、彼女の手紙を盗み出す計画を立てたのであった。そのため、ホームズは職人に変装して、ミルヴァートンの屋敷のメイドを口説き、屋敷に侵入するのに必要な情報を入手した。


「よし、ワトスン、そうしよう。僕達二人は長い間この同じ部屋に一緒に住んできた訳だし、同じ牢屋に一緒に住むことになるのも面白いかもしれない。ワトスン、君にだけは打ち明けるが、僕は非常に有能な犯罪者になっていたかもしれないと、ずーっと思ってきた。今回は、その才能を示す一生一代の機会だ。これを見てくれ!」と言って、ホームズは引き出しから小綺麗な革のケースを取り出すと、それを開いて、光り輝く道具の数々を私に披露した。「これは一級品の最新侵入キットだ。まず、ニッケルでメッキした組み立て鉄梃(かなてこ)、ダイヤモンドが先に付いたガラス切り、そして、万能鍵。どれもが、文明の進歩に呼応して、近代的な改良が加えられたものばかりだ。これが灯りを外に通さない手提げランプだ。どれも整備が出来ている。ワトスン、君が音がしない靴を持っているかい?」
「ゴム底のテニス靴なら持っているよ。」
「素晴らしい!それでは、マスクは?」
「黒い絹から2つ作ることができるが...」
「君もこの件にかなり乗り気になっているようだな。よし、そのマスクを準備してくれ。それでは、出かける前に、なにか夕食をとろう。今午後9時半だ。11時にチャーチロウまで馬車で行こう。そこからアップルドアタワーズまで歩いて15分だ。12時前には仕事に取り掛れるだろう。ミルヴァートンは眠りが深く、10時半きっかりに寝室へ下がる。運が良ければ、レディー・エヴァの手紙をポケットに入れて、午前2時までにここに戻って来られるさ。」

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの正面

'Well, well, my dear fellow, be it so. We have shared the same room for some years, and it would be amusing if we ended by sharing the same cell. You know, Watson, I don't mind confessing to you that I have always had an idea that I would have made a highly efficient criminal, this is the chance of my lifetime in that direction. See here!' He took a neat little leather case out of a drawer, and opening it he exhibited a number of shining instruments. 'This is a first-class, up-to-date burgling kit, with nickel-plated jimmy, diamond-tipped glass-cutter, adaptable keys, and every modern improvement which the march of civilization demands. Here, too, is my dark lantern. Everything is in order. Have you a pair of silent shoes?'
'I have rubber-soled tennis shoes.'
'Excellent. And a mask?'
'I can make a couple out of black silk.'
'I can see that you have a strong natural turn for this sort of thing. Very good; do you make the masks. We shall have some cold supper before we start. It is now nine-thirty. At eleven we shall drive as far as Church Row. It is a quarter of an hour's walk from there to Appledore Towers. We shall beat work before midnight. Milverton is a heavy sleeper and retires punctually at ten-thirty. With any luck we should be back here by two, with the Lady Eva's letters in my pocket!'

教会前のチャーチロウの南側住宅棟
教会前のチャーチロウの北側住宅棟

地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Stationージュビリーライン(Jubilee Line)やメトロポリタンライン(Metropolitan Line)が停車)から地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Stationーノーザンライン(Northern Line)が停車)へ向かって坂道を上って行くと、通りはカレッジクレセント通り(College Crescent)、フィッツジョンズアヴェニュー(Fitzjohn's Avenue)、そして、ヒースストリート(Heath Street)へと名前を変えていく。地下鉄ハムステッド駅の少し手前の道を左手に入ると、そこがチャーチロウ(Church Row)である。

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの側面
パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの裏面

チャーチロウの両側には、ジョージ王朝様式のテラスハウスが並んでいる。ジョージ王朝とは、英国王室ハノーヴァー朝のジョージ1世(George I)からジョージ4世(George IV)が在位した1714年から1830年までの時代を指す。地下鉄ハムステッド駅へと至るヒースストリートは車の往来が多いが、一歩チャーチロウに入ると、抜け道として使用するような通りではないこと、また、途中、車が通過するにはギリギリの幅の箇所があること等から、車の往来は少なく、ヒースストリートの喧騒が嘘のように感じられる位、閑静な場所である。

教会の反対側にある墓地入口
教会の反対側にある墓地内は、静謐な場所となっている

通りの途中、ヒースストリート側からみて左側に、パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッド(Parish Church of St. John-at-Hampstead)という教会が建っている。伝承によると、10世紀後半には既に教会があったようではあるが、教会が正式な記録上に出てくるのは14世紀前半である。現在の教会の尖塔は18世紀後半に建てられた模様。英国の風景画家ジョン・コンスタブル(John Constable:1776年ー1837年)は、妻マリアと一緒に、この教会前の墓地に埋葬されている。教会前の墓地、また、チャーチロウを間にして教会の反対側にある墓地は、日中でもひっそりしている。週末や休日等は、ハムステッドを訪れる観光客が墓地の散策をしていたりする。

ジョン・コンスタブルと妻マリアが埋葬されている墓

 チャーチローは、ヒースストリートとほぼ並行して走るフログナル通り(Frognal)に突き当たったところで終わる。ヒースストリート側から言うと、住宅街、教会と墓地、そして、また住宅街という構成になっている。

教会と墓地を抜けたところにある住宅街

2015年4月12日日曜日

ロンドン アップルドアタワーズ/ハムステッド(Appledore Towers/Hampstead)

東側から見たハムステッドハイストリート(Hampstead High Street)―
この坂を上って行くと、右手に地下鉄ハムステッド駅がある

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)では、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンが夕方の散策からベーカーストリート221Bに戻って来るところから、話が始まる。

ハムステッドハイストリート側からみた
ダウンシャーヒル通り(Downshire Hill)―
この通りの突き当たりにハムステッドヒースがある

ホームズと私は夕方の散策に出かけ、ベーカーストリート221Bに戻って来たのは、寒く凍りつくような冬の午後6時頃だった。部屋に入ったホームズがランプを点けると、テーブルの上の名刺がランプの灯りに照らし出された。ホームズはテーブルの上の名刺をちらりと見て、それから不快気な声を上げると、それを床に投げ捨てた。私はその名刺を拾い上げると、次のように書かれていた。

チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン
仲介業
アップルドアタワーズ ハムステッド

「彼は何者なんだい?」と、私は尋ねた。
「ロンドン一の悪党さ!」と、ホームズは座って暖炉の前に足を伸ばしながら答えた。
「名刺の裏に何か書いてあるかい?」
私は名刺を裏返した。
「『午後6時半にまた来る。ーC.A.M.』と書いてある。」と、私は答えた。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その1)

We had been out for one of our evening rambles , Holmes and I, and had returned about six o'clock on a cold, frosty winter's evening. As Holmes turned up the lamp the light fell upon a card on the table. He glanced at it, and then, with an ejaculation of disgust, threw it on the floor. I picked it up and read:

Charles Augustus Milverton
Agent                 Appledore Towers
                         Hampstead

'Who is he?' I asked.
'The worst man in London,' Holmes answered, as he sat down and stretched his legs before the fire. 'Is anything on the back of the card?'
I turned it over.
'Will call at 6.30 - C.A.M.,' I read.

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その2)

チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)の屋敷があるハムステッド(Hampstead)はロンドン北部の閑静な高級住宅地で、地下鉄ノーザンライン(Northern Line)が通るハムズテッド駅(Hampstead Tube Station)を中心として、何本もの通りが起伏を描いて広がるとともに、それらの通り沿いには18世紀のタウンハウスが整然と並んでいる。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その3)

ミルヴァートンの屋敷アップルドアタワーズ(Appledore Towers)は架空の建物で、ハムステッド内には存在していない。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その4)

ただし、物語の後半で、(1)ホームズとワトスンがレディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)の手紙を取り戻すべく、ミルヴァートンの屋敷へ侵入するために、地下鉄ハムステッド駅の南側にあるチャーチロウ(Church Row)から彼の屋敷まで15分歩いていること、そして、(2)ホームズとワトスンにとって全く予期せぬ出来事が発生したものの、彼らはレディー・エヴァ・ブラックウェルの手紙を処分した後、ハムステッドヒース(Hampstead Heath)を横切って逃去ったことを考慮すると、チャーチロウと地下鉄ハムステッド駅の北東方向に広がるハムステッドヒースに挟まれた地域内、更に言えば、ハムステッドヒース近辺の住宅地外れに、ミルヴァートンの屋敷はあったと思われる。実際、この一帯はハムステッドの中でもより高級な住宅地であり、辺りを散策すると、(原作通りに、家の前に私設車道はないものの、)ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅がいくつか点在している。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その5)―
家の前に私設車道はないが、広い庭があり、
今までの中では一番それらしい

この一帯には、以下の有名な建物がある。

「キーツハウス」の全景(その1)
春が遂に到来したキーツハウス前の庭
「キーツハウス」の全景(その2)

1つ目は、キーツグローブ(Keats Grove)にある「キーツハウス(Keats House)」。
英国ロマン派の詩人ジョン・キーツ(John Keats:1795年ー1821年)が、1818年から約2年間、この白い屋敷の一室に住み、様々な先品を書き上げている。この地を去って2年後、ジョン・キーツは旅先であるイタリアのローマで息を引き取っているが、この建物が博物館として彼の足跡を大事に守っている。

「2 ウィローロード」の全景(その1)―
博物館になっているのは、真ん中の住宅で、左右の住宅は個人所有
「2 ウィローロード」の全景(その2)

2つ目は、ウィローロード(Willow Road)沿いにある「2 ウィローロード(2 Willow Road)」。
この近代的なモダン住宅は、ハンガリー生まれの建築家エルノ・ゴールドフィンガー(Erno Goldfinger:1902年ー1987年→1930年代に英国に移住)が家族のために設計した、とのこと。1939年の完成以降、1987年に亡くなるまでの約半世紀、彼はここで家族と共に過ごしたそうである。「2 ウィローロード」は、設計者の名前に因んで、「ゴールドフィンガーハウス(Goldfinger House)」とも呼ばれている。
「2 ウィローロード」は、1994年にナショナルトラスト(National Trust)によって初めての現代建築物(住宅)として取得され、保護されている。

ブルームズベリースクエアガーデンズ内に設置されていた
007をテーマにしたブックベンチの正面
ブルームズベリースクエアガーデンズ内に設置されていた
007をテーマにしたブックベンチの裏面

ちなみに、エルノ・ゴールドフィンガーは、007シリーズの原作者イアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年)と交友関係にあり、イアン・フレミング作「ゴールドフィンガー(Goldfinger:1959年)」はエルノ・ゴールドフィンガーをモデルにしたのではないかと言われている。

2015年4月11日土曜日

ロンドン ハーリーストリート(Harley Street)

ハーリーストリート60番地を示す
非常に凝った外壁の装飾

サー・アーサー・コナン・ドイル作「入院患者(The Resident Patient)」では、10月の蒸し暑い雨の晩、フリートストリート(Fleet Street)やストランド通り(Strand)の散策に出かけたシャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは午後10時過ぎにベーカーストリート221Bに戻って来た。部屋で待っていたのはパーシー・トレヴェリアン博士(Dr Percy Trevelyan)で、彼は裕福なブレシントン氏(Mr Blessington)の出資を受けて、ブレシントン氏の家があるブルックストリート403番地(403 Brook Street)で医院を開業していた。彼の医院で非常に奇妙な出来事が連続して発生したので、ホームズに相談するために、ベーカーストリート221Bを訪ねて来たのである。トレヴェリアン博士の話を聞いたホームズは、早速、ワトスンと彼と一緒に、ブルックストリート403番地へ向かった。

ハーリーストリート沿いの建物(その1)

その建物外壁のアップ写真

ブルックストリート403番地に着いたホームズはブレシントン氏に対して、2日連続でトレヴェリアン博士の医院へやって来た謎めいた2人の男(ロシアの貴族だという弱々しい老人と彼を連れて来たハンサムな息子)が誰で、何故の目的があって、ブレシントン氏の部屋に侵入したのかを問い質した。しかし、ブレシントン氏はホームズに部屋に置いてある金庫を指して、彼らの侵入が盗難目的であったことを仄めかせるものの、それ以上のことには言及しようとしなかった。

建物前のレールには植栽が架けられている

ホームズは疑わしそうにブレシントン氏を見て、首を振った。
「あなたが私を騙そうとするならば、私は助言をすることはできません。」と、ホームズは言った。
「しかし、私はあなたに全てをお話したつもりです。」
ホームズは嫌悪感を示すと、背を向けた。「トレヴェリアン先生、おやすみなさい。」と、ホームズは言った。
「私には何の助言もないのですか?」と、ブレシントン氏は取り乱した声で叫んだ。
「あなたへの私の助言は、本当のことを話しなさい、ということですよ。」
1分後には、私達は通りに出て、ベーカーストリートの家へ向かって歩き始めた。オックスフォードストリートを横切り、ハーリーストリートを中程まで進むまで、ホームズは一言も発しなかった。
「ワトスン、こんな馬鹿げた騒ぎに君を引っ張り込んですまない。」と、ホームズは遂に口を開いた。「これは、根本的には、面白い事件でもあるんだ。」
「私にはほとんど訳が判らない。」と、私は白状した。
「2人の男がこの事件に関与していることは明らかだ。多分、それ以上だと思うが、少なくとも二人だ。何らかの理由で、彼らはこのブレシントン氏という男に対して危害を加えようと計画している。1番目の場合も、そして、2番目の場合も、共犯者が巧妙な策略で邪魔が入らないように、トレヴェリアン博士を引きつけている間に、若い方の男がブレシントンの部屋へ侵入したことは間違いないと思う。」

ハーリーストリート沿いの建物(その2)

Holmes looked at Blessington in his questioning way and shook his head.
'I cannot possibly advise you if you try to deceive me,' said he.
'But I have told you everything.'
Holmes turned on his heel with a gesture of disgust. 'Good-night, Dr Trevelyan,' said he.
'And no advice for me?' cried Blessington, in a breaking voice.
'My advice to you, sir, is to speak the truth.'
A minute later we were in the street and walking for home. We had crossed Oxford Street and were halfway down Harley Street before I could get a word from my companion.
'Sorry to bring you out on such a fool's errand, Watson, ' he said at last. 'It is an interesting case, too, at the bottom of it.'
'I can make little of it,' I confessed.
'Well, it is quite evident that there are two men - more, perhaps, but at least two - who are determined for some reason to get at this fellow Blessington. I have no doubt in my mind that both on the first and on the second occasion that young man penetrated to Blessington's room, while his confederate, by an ingenious device, kept the doctor from interfering.'

デザインに凝った玄関(その1)

デザインに凝った玄関(その2)

ハーリーストリート(Harley Street)の期限は、1715年に第2代オックス伯爵エドワード・ハーリー(Edward Harley, 2nd Earl of Oxford:1689年ー1741年)が現在のジョン・ルイス(John Lewisーデパート)の裏手に該るキャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square)とその一帯を開発した時に遡る。ハーリーストリートの南側はキャヴェンディッシュスクエアから始まり、北側は地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を走るマリルボーンロード(Marylebone Road)まで至る約800mの通りで、この一帯を開発した彼の名前にちなんで呼ばれている。
元々、この一帯はニューキャッスル公爵(Duke of Newcastle)家が所有する土地であったが、この一帯を相続した第2代ニューキャッスル公爵の娘であるヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ・ハーリー(Henrietta Cavendish Harely)が前述の第2代オックス伯爵エドワード・ハーリーと結婚したことに伴い、オックスフォード伯爵家の所有となり、その後、相続や結婚により、ポートランド公爵(Duke of Portland→ハーリーストリートがマリルボーンロードと交差する辺りをグレートポートランド(Great Portland)と呼んでいるが、それはここから名付けられている)家へと渡り、現在はドゥ・ウォルデン(de Walden)家が所有管理している。

フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale:1820年―1910年)が
クリミア戦争従軍前に働いていた
Institute for the Care of Sick Gentlemen の壁には石碑が刻まれている
(彼女がここに勤務していたのは、1853年8月から1854年10月まで)

19世紀以降、ハーリーストリート沿い及びその周辺に医院、病院や医療機関等が集まるようになり、その数は1860年には20ヶ所、1900年には80ヶ所、そして、1914年には200ヶ所と劇的に増えている。ホームズとワトスンが活躍した頃、その増加率が一番顕著である。
元々、医者は大きな駅の近くに医院を開業する傾向があり、最初はパディントン駅(Paddington Station)、キングスクロス駅(King's Cross Station)、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)やユーストン駅(Euston Station)近辺が主流だったが、その後、マリルボーン駅に比較的近いハーリーストリートが人気となったものと思われる。
今は、ハーリーストリート沿い及びその周辺には、フラットがかなり増えているが、相変わらず、医療関係が入居している建物が非常に多い。

ハーリーストリート沿いの建物(その3)

ハーリーストリート全景

他のホームズ作品では、「悪魔の足(The Devil's Foot)」にも、ハーリーストリートが登場する。1897年の春、度重なる激務により、鉄の身体をしたホームズも体調を崩し始めていた。同じ年の3月、ハーリーストリートのムーア・エイガー博士(Dr Moore Agar)に転地療養を勧められたホームズは、ワトスンと一緒にロンドンを出て、コンウォール半島の最先端にあるポルデュー湾近くの家にやって来た。彼らはここで背筋も凍るトレゲニス家の殺人事件に遭遇するのであった。