2015年12月27日日曜日

ロンドン アドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)

トラファルガースクエア側から見たアドミラルティーアーチ全景

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)へ向かう
地下道の壁に描かれたアドミラルティーアーチ

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、アーサー・ヘイスティングス大尉とミス・フェリシティー・レモンの二人が不在となるクリスマスを一人で楽しもうと、ポワロはロンドン市内のチョコレート店へやって来た。自分用のチョコレートを購入して帰宅しようとしたポワロは、店の前で突然謎の男二人によって車内へ押し込められ、連れ去られてしまう。その車が向かった先は英国外務省で、外務次官のジェスモンド氏(Mr Jesmond)の指示によるものであった。その際、ポワロを乗せた車が通過したのが、アドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)である。

夕陽を背にしたアドミラルティーアーチ

アドミラルティーアーチは、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)の南西側に位置しており、英国王エドワード7世(Edward Ⅶ:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)が母親であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)を讃えて建設した門で、英国の建築家サー・アストン・ウェッブ(Sir Aston Webb:1849年ー1930年)が設計を担当した。アドミラルティーアーチが完成したのは1912年で、残念ながら、自分の存命中にエドワード7世が完成したアーチを観ることは叶わなかったのである。

アドミラルティーアーチ中央上部のアップ

トラファルガースクエア側に面したアドミラルティーアーチの中央上部には、ラテン語で次のように書かれている。
: ANNO : DECIMO : EDWARADI : SEPTIMI : REGIS :
: VICTORIAE : REGINAE : CIVES : GRATISSIMI : MDCCCX
(In the tenth year of King Edward Ⅶ, to Queen Victoria, from most grateful citizens, 1910)
日本語で言うと、「エドワード7世の在位10年目に、親愛なる市民よりヴィクトリア女王へ送るー1910年」という意味になる。

ザ・マルからアドミラルティーアーチ(右側)を望む

トラファルガースクエアとバッキングガム宮殿(Buckingham Palace)を繫ぐ通りであるザ・マル(The Mall)の正面玄関に該るアドミラルティーアーチの中央にある通用門は通常閉じられており、英国王/女王専用ともっている。よって、現在、中央の通用門を使用できるのは、エリザベス2世のみである。一般人は、左右にある通用門を使用することになる。

夕方のラッシュアワーのため、
トラファルガースクエアへと向かう
アドミラルティーアーチの通用門が混雑している

アドミラルティーとは、日本語で「海軍提督」を意味し、門の一部が隣に位置している国防省(Ministry of Defence)の建物と繋がっている。よって、アドミラルティーアーチは一般公開されていないため、内部を見学することはできない。

以前より英国政府が使用しており、2000年からは内閣府が所在していたが、緊縮財政の一環として、2011年に内閣府も退去し、75百万ポンドの価格で買い手を募った。2012年10月にスペイン人の不動産開発業者ラファエル・セラーノ・クウェヴェード(Rafael Serrano Quevedo:1966年ー)が英国政府から25年間の借用権を購入した。2013年8月にシティー・オブ・ウェストミンスター区の議会(City of Westminster Council)が建設許可を出したので、数年後に、アドミラルティーアーチは100室を超えるホテルへと大改装される予定である。

ザ・マル中央(横断歩道の途中)から見たアドミラルティーアーチ

2015年12月26日土曜日

ロンドン エンデルストリート(Endell Street)

ハイホルボーン通り側から見たエンデルストリート

サー・アーサー・コナン・ドイル作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」では、クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースン(Peterson)が、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)とグッジストリート(Goodge Street)の角で発生した喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元に届けて来た。ホームズに言われて、ピータースンは拾ったガチョウを持って帰ったが、その餌袋の中から、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、懸賞金がかかっている「青いガーネット」が出てきたのだ。

エンデルストリートの北側はロンドン・カムデン区に属している
エンデルストリートの南側は
シティー・オブ・ウェストミンスター区に属している

ホームズは早速新聞に広告を載せて、ガチョウの落とし主を探したところ、ヘンリー・ベイカー氏(Mr Henry Baker)が名乗り出て来た。ベーカー氏によると、大英博物館(British Museum)の近くにあるパブ「アルファイン(Alpha Inn)」の主人ウィンディゲート(Windigate)がガチョウクラブを始め、毎週数ペンスずつ積み立てていくと、各人クリスマスにガチョウを一羽ずつ受け取れる仕組みだと言う。

右側の通りがエンデルストリートで、
左側の通りが直角に交差するシェルトンストリート(Shelton Street)

ジョン・ワトスンを連れて、アルファインに赴いたホームズは、そこで主人のウィンディゲートから、「問題のガチョウは、コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market)にあるブレッキンリッジ(Breckinridge)の店から仕入れた」ことを聞きつける。
そこで、二人はブレッキンリッジの店へと向かった。

シェルトンストリートからエンデルストリート(北側)を望む

私達はホルボーンを横切り、エンデルストリートを下り、スラム街をジグザグに抜けて、コヴェントガーデンマーケットへと向かった。最も大きな店の一軒がブレッキンリッジという看板を掲げており、そこでは、きちんと整えた頬髭を生やして、鋭い顔つきをした馬面の経営者が店仕舞いをする少年を手伝っていた。
「こんばんは。コニャは冷え込むね。」と、ホームズは声をかけた。
経営者は頷いて、いぶかるような視線をホームズに向けた。
「ガチョウは全部売れ切れたようだね。」と、ホームズは空の大理石の台を指差して続けた。

シェルトンストリートからエンデルストリート(南側)を望む

We passed across Holborn, down Endell Street, and so through a zigzag of slums to Covent Garden Market. One of the largest stalls bore the name of Breckinridge upon it, and the proprietor, a horse-looking man, with a sharp face and trim-side-whiskers, was helping a boy to put up the shutters.
'Good-evening. It's a cold night,' said Holmes.
The salesman nodded and shot a questioning glance at my companion.
'Sold out of geese, I see,' continued Holmes, pointing at the bare slabs of marble.

左手のビルには、貸しオフィスやホテル等が入居している

エンデルストリート(Endell Street)は、北側が地下鉄ホルボーン駅(Holborn Tube Station)から地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)へ向かって南西へ延びるハイホルボーン通り(High Holborn)から始まり、南側はロイヤルオペラハウス(Royal Opera House)の近くを東西に延びるロングエイカー通り(Long Acre)で終わる通りである。その後、ボウストリート(Bow Street)へと名前を変えて、ロイヤルオペラハウスの前を通っている。
エンデルストリートの北側は、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内に、そして、南側はshティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内に属している。

エンデルストリートは、左右に延びるロングエイカー通りに交差して、
ボウストリートに名前を変える

エンデルストリートの一部は17世紀前半に既にできていたが、当初は、ベルトンストリート(Belton Street)として知られていた。1846年に通りの幅が拡げられ、かつ、ハイホルボーン通り方面へ通りが延びた際、当時の教区牧師であるジェイムズ・エンデル・タイラー(James Endell Tyler)に因んで、エンデルストリートと呼ばれるようになったと言われている。

ロングエイカー通り側から見たエンデルストリート

現在、エンデルストリートの一本西側にあるニールストリート(Neal Street)が賑わっていて、エンデルストリートはやや裏通りに近く、人通りはそれ程ではないが、タクシーの抜け道(の一部)となっているため、車の往来は割合とあり、また、レストランやショップ等もある程度軒を連ねている。

2015年12月20日日曜日

ロンドン セントマーティンズレーン(St. Martin's Lane)

イングリッシュナショナルオペラやイングリッシュナショナルバレエが本拠地とする
コロッセウム劇場の尖塔

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。


英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、アーサー・ヘイスティングス大尉とミス・フェリシティー・レモンの二人が不在となるクリスマスを一人で楽しもうと、ポワロはロンドン市内のチョコレート店へやって来た。自分用のチョコレートを購入して帰宅しようとしたポワロは、店の前で突然謎の男二人によって車内へ押し込められ、連れ去られてしまうのであった。

セントマーティンズレーンの北側から
コロッセウム劇場を見たところ
セントマーティンズレーンの南側から
コロッセウム劇場を望む

ポワロが謎の男二人に連れ去られた場面は、セントマーティンズレーン(St. Martin's Lane)で撮影されている。
セントマーティンズレーンは、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、南側はナショナルギャラリー(National Gallery)近くのウィリアム4世ストリート(William IV Street)から始まって、北側は地下鉄レスタースクエア駅(Leicester Square Tube Station)と地下鉄コヴェントガーデン駅(Covent Garden Tube Station)を結ぶロングエイカー通り(Long Acre)で終わる通りである。

セントマーティンズレーンを行き交う人々の流れ
セントマーティンズレーンと
ウィリアム4世ストリートが交差する角に建つ
パブ「ザ・チャンドス(The Chados)」
画面右手前がパブ「ザ・チャンドス」で、
画面左手奥がコロッセウム劇場

セントマーティンズレーンの両側には、劇場が数多く集中している。
通りの西側には、ヨーク公爵劇場(Duke of York's Theatre)やノエルコワード劇場(Noel Coward Theatre)が、通りの東側には、イングリッシュナショナルオペラ(English National Opera)やイングリッシュナショナルバレエ(English National Ballet)が本拠地とするコロッセウム劇場(Coliseum Theatre)が建っていて、観劇客や観光客等で賑わっている。

セントマーティンズレーン沿いに建つ
ヨーク公爵劇場
女優ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)主演の
舞台「Photograph 51」が上演されていたノエルコワード劇場

トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から地下鉄トッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)へ向かって北へ延びるチャリングクロスロード(Charing Cross Road)の途中から東へ延びるセントマーティンズコート通り(St. Martin's Courtー車道ではなく、歩行者専用の通り)がセントマーティンズレーンに突き当たった辺りで、ポワロは謎の男二人によって車内へ押し込められている。画面の右側には、ノエルコワード劇場の一部が映り込んでいる。

2015年12月19日土曜日

ロンドン アルファイン(Alpha Inn)

「アルファイン」のモデルになったと一般に言われているパブ「ミュージアム・タバーン」

サー・アーサー・コナン・ドイル作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」では、クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースン(Peterson)が、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)とグッジストリート(Goodge Street)の角で発生した喧嘩の現場(→2014年12月27日付「ロンドン トッテナムコートロード/グッジストリート」を御参照)に残された帽子とガチョウを、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元に届けて来た。ホームズに言われて、ピータースンは拾ったガチョウを持って帰ったが、その餌袋の中から、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、懸賞金がかかっている「青いガーネット」が出てきたのだ。ホームズは早速新聞に広告を載せて、ガチョウの落とし主を捜したところ、ヘンリー・ベイカー氏(Mr Henry Baker)が名乗り出て来たのである。


「ところで、あのガチョウをどこで手に入れたのかを私に教えていただけないですか?私はちょっとした鳥の愛好家でして、あれよりよく育ったガチョウを見たことがほとんどなかったので...」
「もちろん、かまいませんよ。」と、ベイカー氏は立ち上がって、新しく受け取ったガチョウを脇の下に抱えて言った。「大英博物館の近くにあるアルファインへ、仲間達とよく飲みに行くんです。私達は昼間大英博物館で過ごしています。アルファインのウィンディゲートという気のいい主人が今年ガチョウクラブを始めました。それは、毎週数ペンスずつ積み立てていくと、各人クリスマスにガチョウを一羽ずつ受け取れるという仕組みです。私はきちんとお金を積み立てて、後はあなたも御存知の通りです。本当に有り難うございました。ベレー帽は、私の年齢にも、私の真面目な性格にも会わなかったようです。」今日に大げさな態度で、ベイカー氏は私達に向かい、真面目くさって御辞儀をすると、大股で歩き去ったのである。

グレートラッセルストリート越しに
「ミュージアム・タバーン」を望む

'By the way, would it bore you to tell me where you got the other one from? I am somewhat of a fowl fancier, and I have seldom seen a better grown goose.'
'Certainly, sir,' said Baker, who had risen and tucked his newly gained property under his arm. 'There are a few of us who frequent the Alpha Inn, near the Museum - we are to be found in the Museum itself during the day, you understand. This year our god host, Windigate by name, instituted a goose club, by which on consideration of some few pence every week, we were each to receive a bird at Christmas. My pence were duly paid, and the rest is familiar to you. I am much indebted to you, sir, for a Scotch bonnet is fitted neither to my years for my gravity.' With comical pomposity of manner he bowed solemnly to both of us and strode off upon his way.

グレートラッセルストリートと
ミュージアムストリートが交差する角から
見上げた「ミュージアム・タバーン」

その夜は身を刺す程の寒さだったので、私達はアルスター外套を羽織り、首巻きをした。外に出ると、雲一つない空に星々が冷たく輝き、通行人が吐く息が拳銃が発する煙のようだった。私達が歩き出すと、カツカツと大きな足音がした。私達は医者が集まっている地区であるウィンポールストリートとハーレーストリートを、更にウィグモアストリートを抜けて、オックスフォードストリートに至った。15分程すると、私達はブルームズベリー地区のアルファインに着いた。そこは、ホルボーンへと下るある通りの角にある小さなパブ(酒場)だった。ホームズはパブの扉を押し開けて、赤ら顔で白いエプロンをつけた主人にビールを二杯注文したのである。

「ミュージアム・タバーン」は大英博物館への観光客等で賑わっている

It was a bitter night, so we drew on our ulsters and wrapped cravats bout our throats. Outside, the stars were shining coldly in a cloudless sky, and the breath of the passers-by blew out into smoke like so many pistil shots. Our footfalls rang out crisply and loudly as we swung through the doctors' quarter, Wimpole Street and Harley Street, and so through Wigmore Street into Oxford Street. In a quarter of an hour we were in Bloomsbury at the Alpha Inn, which is a small public-house at the corner of one of the streets which runs down into Holborn. Holmes pushed open the door of the private bar and ordered two glasses of beer from the ruddy-faced, white-aproned landlord.

ミュージアム・ストリート越しに見た「ミュージアム・タバーン」

ホームズとジョン・ワトスンが訪れたブルームズベリー地区(Bloomsbury)にあるアルファイン(Alpha Inn)というパブは架空の酒場で、残念ながら、実在していない。ただし、大英博物館(British Museum)の正面入口近くにある「ミュージアム・タバーン(Museum Tavern)」というパブがアルファインのモデルだったのではないかと一般に言われている。
「ミュージアム・タバーン」は、大英博物館の前を通るグレートラッセルストリート(Great Russell Street)と、ハイホルボーン通り(High Holborn)から北上してくるミュージアムストリート(Museum Street)が交差した角に建つパブである。具体的な住所は、「49 Great Russell Street, Bloomsbury, London WC1B 3BA」となっている。

ミュージアムストリートの南側から
「ミュージアム・タバーン」を望む

「ミュージアム・タバーン」は、18世紀初期からここで既に営業していて、大英博物館がオープンするまでは「The Dog & Duck」と呼ばれていたが、1759年に大英博物館がオープンしたのに伴い、現在の名前に変更された。
ホームズシリーズの作者であるコナン・ドイルもこのパブの常連であったことが知られており、そのことから、彼がこの「ミュージアム・タバーン」をアルファインのモデルにしたものと考えられている。実際、コナン・ドイルの原作上、アルファインの場所に言及した部分があるが、「ミュージアム・タバーン」の位置は彼の原作にうまくマッチしている。

2015年11月29日日曜日

ロンドン プリンシズゲートミューズ(Princes Gate Mews)

プリンシズゲートミューズ ― TV版のポワロシリーズでは、
手前にある茶色の建物がデイヴィッドソン夫妻の住宅として撮影に使用された

アガサ・クリスティー作「戦勝記念舞踏会事件(The Affair at the Victory Ball)」(1951年ー「負け犬他(The Under Dog and Other Stories)」に収録)では、コロッソスホールにおいて開催されていた戦勝記念の仮装舞踏会で惨劇が起きる。仮装舞踏会に来ていた6人組の一人、若きクロンショー子爵(Viscount Cronshaw)が心臓をナイフで刺されて殺されているのが発見されたのである。彼はイタリアの即興喜劇(commedia dell'arte)の道化役(Harlequin)の仮装をしていたのだが、彼の死体が発見された時、死後硬直が既にかなり進んでいた。


また、クロンショー子爵のフィアンセと噂されている女優のココ・コートニー(Miss "Coco" Courtenay)がチェルシー地区(Chelsea)にある彼女のフラットで死亡しているのを翌朝発見された。コカインの過剰摂取による薬物中毒が原因であった。ココ・コートニーも前日仮装舞踏会に出席していた6人組の一人であったが、舞踏会出席者によると、当夜、クロンショー子爵と彼女は何故か喧嘩していたと言う。そのため、彼女は舞踏会を途中退席し、6人組の一人、夫妻で出席していた舞台俳優のクリストファー・デイヴィッドソン(Mr Christopher Davidson)に頼んで、自分のフラットへ連れ帰ってもらっていたのだ。検死解剖の結果、彼女は常習的な薬物中毒者であることも判明した。
動機、アリバイや2つの事件の関連性等、全てが謎めいており、自分の手に余ると考えたスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Jaap)はエルキュール・ポワロに捜査協力を求めるのであった。

プリンシズゲートミューズの入口から見た南側の枝道

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「戦勝記念舞踏会事件」(1991年)の回では、同じ仮面舞踏会に出席していたポワロとヘイスティングス大尉は、スコットランドヤードのジャップ主任警部に協力すべく、クロンショー子爵やココ・コートニーと一緒に仮面舞踏会に出席していた俳優のクリストファー・デイヴィッドソンと夫人(Mrs Davidson)が住む自宅を訪ねて、詳しい事情をヒアリングする。TV版では、デイヴィッドソン夫妻が住む家として撮影に使用されたのが、プリンシズゲートミューズ(Princes Gate Mews)にある住宅である。

プリンシズゲートミューズの入口から見た真ん中の枝道

プリンシズゲートミューズは、王立ケンジントン&チェルシー区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のブロンプトン地区(Brompton)内に位置しており、(1)地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)からハイドパーク(Hyde Park)の南側を西へ延びるナイツブリッジ通り(Knightsbridge)/ケンジントンロード(Kensington Road)と(2)ハロッズ(Harrods)デパートの前を通って南西へ延びるブロンプトンロード(Brompton Road)に挟まれた一帯内に所在している。

プリンシズゲートミューズの入口から見た北側の枝道

ケンジントンロードからブロンプトンロード方面へ向かって、エキシビジョンロード(Exhibition Road)が南北に走っており、この通りによって、西側に北から順番にロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall)、インペリアルカレッジ(Imperial College)、科学博物館(Science Museum)と自然史博物館(Natural History Museum)が、そして、東側にインペリアルカレッジとヴィクトリア&アルバート博物館(Vistoria and Albert Museum)が分けられている。
ヴィクトリア&アルバート博物館の北側で、エキシビジョンロードの東側にあるインペリアルカレッジの南側にプリンシズゲートミューズは存在しており、両方に挟まれたところにある。

エキシビジョンロード沿い(西側)に建つインペリアルカレッジの新校舎

エキシビジョンロードからプリンシズゲートミューズへ入ると、通りは内側で三方向に分かれている。このうち、一番北側にある通りにある住宅の一つが、デイヴィッドソン夫妻の自宅として、TV版に登場する。
エキシビジョンロード自体は、観光客や学生等でいつも賑わっているが、一歩プリンシズゲートミューズ内に入ると、博物館や大学等がすぐ近くにあるとは思えない程、周りの喧騒からは隔絶されている。

TV版のポワロシリーズでは、
手前の茶色の建物に住むデイヴィッドソン夫妻を
ポワロとヘイスティングス大尉が訪ねた

ちなみに、同じ「戦勝記念舞踏会事件」の回において、クロンショー子爵の叔父ユースタス・ベルテン(Eustace Beltaine)の自宅として撮影された住宅があるエニスモアガーデンズ(Ennismore Gardens)は、プリンシズゲートミューズの北東側に位置している。

2015年11月28日土曜日

オックスフォード ボードリアン図書館(Bodleian Library)

ボードリアン図書館の内庭から見上げた尖塔(その1)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人の学生(The Three Students)」において、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの二人は、ある調査の関係で、有名な大学の街の一つで数週間を過ごしていた。

ボードリアン図書館の内庭(その1)

当時、私達は図書館の近くにある家具付きの下宿に滞在していた。その図書館で、シャーロック・ホームズは、英国の古い勅許状について、とても骨の折れる調査を進めていたのである。その調査は非常に著しい成果を収めたので、このことについて、私はいずれ物語を書くことになるかもしれない。ある晩、私達の知人で、セントルカ大学寮の個別指導教員兼講師であるヒルトン・ソームズ氏が私達の下宿にやって来た。ソームズ氏は、神経質で激しやすい気性をした長身で痩せた人物だった。彼が落ち着きのない人物だと、私は普段から知っていたが、他ならぬこの時、彼は動揺を全く抑えきれない様子で、何か非常に大変なことが起きたことは一目瞭然であった。

ボードリアン図書館の内庭から見上げた尖塔(その2)

We were residing at the time in furnished lodgings close to a library where Sherlock Holmes was pursing some laborious researches in early English charters - researches which led to results so striking that they may be the subject of one of my future narratives. Here it was that one evening we received a visit from an acquaintance, Mr Hilton Soames, tutor and lecturer at the College of St Luke's. Mr Soames was a tall, spare man, of a nervous and excitable temperament. I had always known him to be restless in his manner, but on this particular occasion he was in such a state of uncontrollable agitation that it was clear something very unusual had occurred.

ボードリアン図書館の内庭(その2)

コナン・ドイルの原作上、ホームズとワトスンが滞在していた大学の街がどこなのかについては、明確になっていないが、これをオックスフォード市(Oxford)だと考えると、彼らの下宿の近くにあった図書館とは、ボードリアン図書館(Bodleian Library)だと推測される。なお、ボードリアン図書館は、先週紹介したオックスフォード大学(University of Oxford)の図書館である。

ラドクリフカメラ越しに見た
University Church of St. Mary the Virgin

ボードリアン図書館よりも前に、オックスフォードには14世紀に図書館が創設され、イングランド王国の国王ヘンリー4世(Henry Ⅳ:1367年ー1413年 在位期間:1399年ー1413年)の四男グロスター公爵ランカスターのハムフレー(Humphrey of Lancaster, Duke of Gloucester:1390年ー1447年)が15世紀前半に多くの蔵書を寄付した。16世紀後半になると、図書館が顧みられなくなったため、女王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年ー1603年)時代に外交官を務め、学者でもあったサー・トーマス・ボードリー(Sir Thomas Bodley:1545年ー1613年)がオックスフォード大学の総長(Vice-Chancellor)に働きかけて、図書館を復興させ、1602年11月8日に再オープンした。これが、現在のボードリアン図書館である。
更に、1610年、サー・トーマス・ボードリーは、ボードリアン図書館を英国の法定納本図書館に指定した。この納本制度に基づいて、英国内で流通する出版物がボードリアン図書館に納められることになり、蔵書数が一気に増加して、それに伴い、図書館のスペースも拡大された。

ラドクリフカメラの全景

その後も、ボードリアン図書館は拡大を続け、隣接して建つラドクリフカメラ(Radcliffe Camera)には、ボードリアン図書館に繋がる地下通路が建設された。
ラドクリフカメラは、元々、新図書館の建設を計画していた医師ジョン・ラドクリフ(John Radcliffe:1652年ー1714年)の遺言に基づき、英国の建築家ジェイムズ・ギブス(James Gibbs:1682年ー1754年)が
設計し、1737年から1748年にかけて建設が行われ、1749年4月にオックスフォード大学のラドクリフ科学図書館としてオープンした。建物の名前は、医師ジョン・ラドクリフの「ラドクリフ」と建物の特徴である「丸天井の部屋」を意味するラテン語の「カメラ」が組み合わされている。
ボードリアン図書館と地下通路で接続されて以降、自然科学の蔵書は別の建物へ移されて、ラドクリフカメラは同図書館の附属閲覧室となった。

ラドクリフカメラ越しに見たコドリントン図書館
(Codrington Library)

ボードリアン図書館は更に拡大を続け、1940年には通りの反対側に、英国の建築家サー・ジャイルズ・ギルバート・スコット(Sir Giles Gilbert Scott:1880年ー1960年)設計の新ボードリアン図書館( New Bodleian Library)が完成して、英国内では大英図書館(British Library)に続く第二の蔵書規模を誇る図書館となっている。一方で、多額の寄付を受けて、所蔵資料のデジタル化も進められている。