2020年4月26日日曜日

法月綸太郎作「法月綸太郎の消息」(The News of Norizuki Rintaro by Rintaro Norizuki)–その3

堤豊秋の未発表原稿の余白に書き込まれた
足が生えた魚の絵と
「星が月になる?」という奇妙なメッセージ

話を進めるライターくずれの何でも屋で、自称よろずジャーナリストの飯田才蔵(いいだ さいぞう)は、法月綸太郎に対して、堤豊秋(つつみ とよあき)の未発表原稿コピーの最後のページに示された参考文献リストの余白にある書き込みを見せる。その余白には、足が生えた魚の絵と「星が月になる?」という奇妙な書き込みがあった。これらの書き込みに興味を覚えた法月綸太郎は、飯田才蔵から堤豊秋の未発表原稿コピーを一旦預かると、中野坂下のファミレスを後にした。

何の進展もないまま、1ヶ月が過ぎた頃、法月綸太郎は、九段社(出版社)の阿久津宣子(あくつ のぶこ)から、ヤングアダルトのファンタジーを訳している翻訳家の浅山志帆(あさやま しほ)監修の下、最近新訳が相次いで、再評価の気運が高まっている「G・K・チェスタトン」のムック本への原稿執筆を依頼された。阿久津宣子によると、法月綸太郎を指名したのは、浅山志帆自身とのこと。以前、九段社の月刊誌「小説アレフ」の座談会において、誤った発言をしてしまい、別の雑誌のコラムで、浅山志帆から事実誤認の指摘を受けて、真っ青になった法月綸太郎は、浅山志帆から名誉挽回の機会を与えられたと考え、阿久津宣子からの依頼を快諾する。

そして、ムック本「逆説の達人 チェスタトンの名言」への原稿を執筆するために、G・K・チェスタトン作短編集「詩人と狂人たちーガブリエル・ゲイルの生涯の逸話」(1929年)の第3話「鱶(ふか)の影」を読み始めた法月綸太郎は、驚きを禁じ得なかった。「鱶の影」は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作シャーロック・ホームズシリーズのうち、短編の「白面の兵士(The Blanched Soldier)」と「ライオンのたてがみ(The Lion’s Mane)」の両作品との類似点が多いと言うよりも、両作品を継ぎ足したような物語になっていたのである。

念の為、法月綸太郎がウェブのデータベースにアクセスして、書誌データを確認してみると、予想に反する事実が判明した。G・K・チェスタトンが「鱶の影」を発表したのは、「ナッシュ誌」の1921年12月号である一方、コナン・ドイルが「白面の兵士」と「ライオンのたてがみ」を発表したのは、「ストランド誌」の1926年11月号と同年12月号であり、G・K・チェスタトンの作品の方が、コナン・ドイルの作品より5年も早かったのである。
類似点が多いG・K・チェスタトン作「鱶の影」とコナン・ドイル作「白面の兵士」/「ライオンのたてがみ」の背景には、一体何があったのだろうか?

法月綸太郎は、シャーロック・ホームズシリーズの中でも異色の2作品である「白面の兵士」と「ライオンのたてがみ」が持つ謎に、ブラウン神父シリーズの作者であるG・K・チェスタトンと「脱出王」と呼ばれた米国の奇術師で、当時最強のサイキックハンターと目されたハリー・フーディーニが関与していたのではないか、と推理するのであった。
果たして、その内容とは?

2020年4月25日土曜日

ロンドン デットフォード水域(Deptford Reach)–その2

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見たデットフォード方面(その1)

16世紀以降、デットフォード(Deptford)は、王立造船所 / 修理ドック(Deptford Dockyard / 1st Royal Navy Dockyard)が置かれた場所として大きく発展したが、

(1)デットフォードで造られた大型の船がテムズ河(River Thames)を航行することが困難であったこと
(2)デットフォードに対抗する造船所 / 修理ドックが英国南岸のプリマス(Plymouth)やポーツマス(Portsmouth)等に建設されたこと
(3)1815年に対ナポレオン戦争(Napoleonic Wars)が終わり、戦艦を造船したり、修理する必要性が少なくなったこと

等から、19世紀に入り、デットフォードにおける造船業が次第に衰退し、1869年に王立造船所 / 修理ドックが閉鎖されてしまう。
サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Cona Doyle:1859年-1930年)がシャーロック・ホームズシリーズ長編第2作目の「四つの署名(The Sign of the Four)」を発表したのは、1890年であるが、「四つの署名」事件が発生したのは、1888年なので、デットフォードの造船業が衰退して、王立造船所 / 修理ドックが閉鎖した後である。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その2)

その後、王立造船所 / 修理ドックの跡地は、1871年からシティー・オブ・ロンドン自治体(City of London Corporation)によって市場として使用されたが、第一次世界大戦(1914年ー1918年)の勃発に伴い、英国政府の戦争局(War Office)の管理下に移り、第二次世界大戦(1939年ー1945年)まで英国陸軍の兵站場所 / 補給廠/ 物資集積所として使用された。
第二次世界大戦後、1984年まで跡地は未使用のままに置かれたが、何度か所有者が変わり、現在、跡地に約3、500件の住宅を建設する計画が進められている。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その3)

1869年に王立造船所 / 修理ドックが閉鎖した後、他にもあった造船所 / 修理ドックも次々と閉鎖の憂き目に会い、最後に残った造船所 / 修理ドックは2000年に閉鎖され、高い失業率を抱えたデットフォードとしては、衰退の危機を迎えている。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その4)

ロンドンの南東部に位置する特別区のロンドン・ルイシャム区(London Borough of Lewisham)としては、私企業呼び込んで、デットフォードのテムズ河沿い地域や町の中心部を再開発しようとしているが、かなり苦戦しているようである。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その5)

デットフォードは、元々、ケント州(Kent)の一部であったが、1965年にロンドン特別区の一つであるロンドン・ルイシャム区内に編入されている。

2020年4月19日日曜日

エルキュール・ポワロシリーズのペーパーバック表紙コレクション–その2


<1列目>
(21)長編「杉の柩(Sad Cypress)」(1940年)
(22)長編「愛国殺人(One, Two, Buckle My Shoe)」(1941年)
(23)長編「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」(1941年)
(24)長編「五匹の子豚(Five Little Pigs)」(1943年)

<2列目>
(25)長編「ホロー荘の殺人(The Hollow)」(1946年)
(26)短編集「ヘラクレスの冒険(The Labours of Hercules)」(1947年)
(27)長編「満潮に乗って(Taken at the Flood)」(1948年)
(28)長編「マギンティ夫人は死んだ(Mrs McGinty’s Dead)」(1952年)

<3列目>
(29)長編「葬儀を終えて(After the Funeral)」(1953年)
(30)長編「ヒッコリーロードの殺人(Hickory Dickory Dock)」(1955年)
(31)長編「死者のあやまち(Dead Man’s Folly)」(1956年)
(32)長編「鳩のなかの猫(Cat Among the Pigeons)」(1959年)

<4列目>
(33)短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of the Christmas Pudding)」(1960年)
(34)長編「複数の時計(The Clocks)」(1963年)
(35)長編「第三の女(Third Girl)」(1966年)
(36)長編「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party)」(1969年)

<5列目>
(37)長編「象は忘れない(Elephants Can Remember)」(1972年)
(38)短編集「ポワロ初期の事件簿(Poirot’s Early Cases)」(1974年)
    1923年から1935年にかけて発表された短編18作を収録
(39)長編「カーテン(Curtain: Poirot’s Last Case)」(1975年)


2020年4月18日土曜日

エルキュール・ポワロシリーズのペーパーバック表紙コレクション–その1


今日から2回にわたって、英国の HarperCollinsPublishers 社から出版されているアガサ・クリスティー作エルキュール・ポワロシリーズのペーパーバック表紙コレクションを紹介する。
個人的には、どれも非常に雰囲気があって、素敵な表紙である。

<1列目>
(1)長編「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affair at Styles)」(1920年)
(2)長編「ゴルフ場殺人事件(The Murder on the Links)」(1923年)
(3)短編集「ポワロ登場(Poirot Investigates)」(1924年)
(4)長編「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd)」(1926年)

<2列目>
(5)長編「ビッグ4(The Big Four)」(1927年)
(6)長編「青列車の秘密(The Mystery of the Blue Train)」(1928年)
(7)戯曲「ブラック・コーヒー(Black Coffee)」(1930年)
(8)長編「エンドハウスの怪事件(Peril at End House)」(1932年)

<3列目>
(9)長編「エッジウェア卿の死(Lord Edgware Dies)」(1933年)
(10)長編「オリエント急行の殺人(Murder on the Orient Express)」(1934年)
(11)長編「三幕の悲劇(Three Act Tragedy)」(1935年)
(12)長編「雲をつかむ死(Death in the Clouds)」(1935年)

<4列目>
(13)長編「ABC 殺人事件(The ABC Murders)」(1935年)
(14)長編「メソポタミアの殺人(Murder in Mesopotamia)」(1936年)
(15)長編「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)
(16)短編集「厩舎街の殺人(Murder in the Mews)」(1937年)

<5列目>
(17)長編「もの言えぬ証人(Dumb Witness)」(1937年)
(18)長編「ナイルに死す(Death on the Nile)」(1937年)
(19)長編「死との約束(Appointment with Death)」(1938年)
(20)長編「ポワロのクリスマス(Hercule Poirot’s Christmas)」(1938年)


2020年4月12日日曜日

法月綸太郎作「法月綸太郎の消息」(The News of Norizuki Rintaro by Rintaro Norizuki)–その2

2019年に講談社から刊行されたハードカバー版
「法月綸太郎の消息」のうち、「白面のたてがみ」の表紙
     装幀: 坂野公一氏(welle design)
装画 / 装画: yoco 氏

法月綸太郎作「法月綸太郎の消息(The News of Norizuki Rintaro)」(2019年)に収録されている「白面のたてがみ」は、著者である法月綸太郎(1964年ー)氏が当短編集用に書き下ろした作品である。

秋分の日の振替休日の昼食時、このところ仕事で家に閉じこもりがちだった法月綸太郎のところに、ライターくずれの何でも屋で、自称よろずジャーナリストの飯田才蔵(いいだ さいぞう)から電話があり、彼が根城にしている中野坂下のファミレスへと呼び出される。飯田才蔵は、キナ臭い揉め事を嗅ぎつける才能の持ち主で、自分の手に負えないネタに遭遇すると、以前事件で知り合った法月綸太郎の好奇心に訴えて、いつも助力を請うのであった。用件を問う法月綸太郎に対して、飯田才蔵は「シャーロック・ホームズ関連の曰く付きのお宝が手に入った。」と言う。

車で30分程のところにあるファミレスに着いて、店内に目を走らせた法月綸太郎は、いつもと同じテーブル席に座っている飯田才蔵の姿を見つける。ヘルシーかつ丼を注文した後、先を急かす法月綸太郎に対して、飯田才蔵は「堤豊秋(つつみ とよあき)の未発表原稿を手に入れた。」と告げるのであった。
堤豊秋(「犯罪ホロスコープⅡ 三人の女神の問題」(2012年)の「錯乱のクライシス」と「引き裂かれた双魚」に登場)は、オカルト研究家として名を馳せていた人物で、バブル期から2000年代にかけて、カルト的な人気を得ていたが、彼の経歴には謎が多く、政官界への影響力が取り沙汰される一方で、黒い交友関係の噂が絶えなかった。
法月綸太郎と飯田才蔵の二人は、堤豊秋が怪しげな輪廻転生思想を吹き込んでいた総合美容グループの女性会長のことを心配した彼女の甥から相談を受けて、堤亀戸のセミナーハウスに乗り込んだところ、セッション終了後、堤豊秋が講師控え室で脳梗塞で倒れ、緊急搬送されるも、そのまま意識を回復することなく、翌日の午前中に息を引き取るということも起きていた。
飯田才蔵によると、堤豊秋の七回忌の集まりで知り合った関係者を通じて、彼の遺族が引き取った原稿の一部を見せてもらい、その中から問題の未発表原稿を見つけた、とのこと。亡くなる2年位前に、ホームズ愛好家の団体から講演依頼があり、そのために、堤豊秋が原稿を準備したものの、本人の体調不良により、講演が取り止めとなり、そのまま未発表となったらしい。

先を急ぐ法月綸太郎に対して、飯田才蔵は「堤豊秋の未発表原稿は、『サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作ホームズシリーズ(全60編ー長編4作+短編56作)のうち、ジョン・H・ワトスンが語り手を務めず、ホームズの一人称で書かれた2作品である「白面の兵士(The Blanched Soldier)」(「ストランド」誌1926年11月号に掲載)と「ライオンのたてがみ(The Lion’s Mane)」(「ストランド」誌1926年12月号に掲載)について、どうしてこの2作品がホームズの一人称で書かれたのか?』という問題を取り扱っている。」と話すのであった。
両方とも、コナン・ドイル晩年の作品で、ホームズシリーズの第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿(The Case-Book of Sherlock Holmes)」(1927年)に収録されている。

堤豊秋は、晩年のコナン・ドイルが心霊主義に心酔していたこと、また、両作品とも、いずれも犯罪を扱ったものではなく、一種の症例報告に他ならないことに注目し、「コナン・両作品について、ドイルがホームズの一人称で書いたのは、コナン・ドイル自身が、ホームズの肉声、より正確に言うと、コナン・ドイルの医学生時代の恩師だったジョーゼフ・ベル博士の霊との交信に成功して、ジョーゼフ・ベル博士の霊から両作品の元となるエピソードを聞いたのではないか?」と主張していたのである。

2020年4月11日土曜日

ロンドン デットフォード水域(Deptford Reach)–その1

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見たデットフォード方面(その1)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)において、独自の捜査により、バーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)を殺害した犯人達の居場所を見つけ出したシャーロック・ホームズは、ベーカーストリート221Bへスコットランドヤードのアセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones)を呼び出す。ホームズは、呼び出したアセルニー・ジョーンズ警部に対して、バーソロミュー・ショルトの殺害犯人達を捕えるべく、午後7時にウェストミンスター船着き場(Westminster Stairs / Wharf→2018年3月31日 / 4月7日付ブログで紹介済)に巡視艇を手配するよう、依頼するのであった。

カナリーワーフ側からシティー・オブ・ロンドン方面を望む

巡視艇がウェストミンスター船着き場を離れると、ホームズはアセルニー・ジョーンズ警部に対して、巡視艇をロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)方面へと向かわせ、テムズ河(River Thames)の南岸にあるジェイコブソン修理ドック(Jacobson’s Yard)の反対側に船を停泊するよう、指示した。ホームズによると、バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達は、オーロラ号をジェイコブソン修理ドック内に隠している、とのことだった。
ホームズ達を乗せた巡視艇が、ロンドン塔近くのハシケの列に隠れて、ジェイコブソン修理ドックの様子を見張っていると、捜していたオーロラ号が修理ドックの入口を抜けて、物凄い速度でテムズ河の下流へと向かった。そうして、巡視艇によるオーロラ号の追跡が始まったのである。

ホームズ、ワトスンやジョーンズ警部達を乗せた巡視艇は、
バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達を乗せたオーロラ号を追って、
画面奥の方から、テムズ側を下って来た。

「石炭をくべろ!おい、もっとくべるんだ!」と、巡視艇の機関室を覗き込みながら、ホームズが叫んだ。彼の必死で鷲のような顔を、石炭の炎が発する凄まじい光が下から照らしていた。「ありったけの蒸気を出すんだ!」
「少し差が縮まったようだ。」と、オーロラ号に目をやって、ジョーンズ警部は言った。
「間違いない。」と、私も言った。「もう少しで、オーロラ号に追い付くぞ。」
しかし、その瞬間、運が悪いことに、三艘のはしけを引いたタグボートが、私達の間に入り込んできた。舵を激しく下手に切って、巡視艇はなんとか衝突を回避したが、タグボートを回り込んで、元の航路に戻った時には、オーロラ号は既に200ヤードを稼いでいた。しかし、オーロラ号は、視界の中にまだ捉えることができた。そして、暗くて、ぼんやりとした夕暮れは、くっきりと星が光る夜空へと変わりつつあった。私達が乗った巡視艇のボイラーは、極限でフル回転で、脆い外殻は巡視艇を推進させる凄まじいエネルギーで振動して、軋んだ。巡視艇は、淀みを突っ切ると、西インドドックを過ぎ、長いデットフォード水域を下り、そして、ドッグ島を回り込んで、また、テムズ河を北上した。私達の前にあった不鮮明なものは、今や、優美なオーロラ号の姿へとハッキリと変わったのである。

テムズ河は、西インドドック(画面右奥)に突き当たると、
南側(画面左奥)へと向かって、大きく蛇行している。

‘Pile it on, men, pile it on!’ cried Holmes, looking down into the engine-room, while the fierce glow from below beat upon his eager, aquiline face. ‘Get every pound of steam you can!’
‘I think we gain a little,’ said Jones, with his eyes on the Aurora.
‘I am sure of it,’ said I. ‘We shall be up with her in a very few minutes.’
At that moment, however, as our evil fate would have it, a tug with three barges in tow blundered in between us. It was only by putting our helm hard down that we avoided a collision and before we would round them and recover our way the Aurora had gained a good two hundred yards. She was still, however, well in view, and the murky, uncertain twilight was setting into a clear starlit night. Our boilers were strained to their utmost, and the frail shell vibrated and creaked with the fierce energy which was driving us along. We had shot through the Pool, past the West India Docks, down the long Deptford Reach, and up again after rounding the Isle of Dogs, The dull blur in front of us resolved itself now clearly enough into the dainty Aurora.

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見た
デットフォード方面(その2)

ホームズ、ワトスンとスコットランドヤードのジョーンズ警部達が乗った巡視艇が、バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達が乗ったオーロラ号を追跡して、西インドドック(West India Docks→2020年3月28日 / 4月4日付ブログで紹介済)を通り過ぎた後に下ったデットフォード水域(Deptford Reach)の名前の由来となるデットフォード(Deptford)は、ロンドンの南東部に位置する特別区のロンドン・ルイシャム区(London Borough of Lewisham)内に所在する町である。

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見た
デットフォード方面(その3)

デットフォードという町の名は、「deep(深い)」と「ford(浅瀬)」が合わさった上で転化して、「Deptford」となったようで、イングランドの詩人であるジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer:1343年頃ー1400年)作「カンタベリー物語(Canterbury Tales)」でも記されているが、ロンドン市内からカンタベリー(Canterbury)までの巡礼路上に該り、発展してきた。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の構内にある
ポートレートギャラリー(Portrait Gallery)をテーマにした壁画(その1)–
画面の一番右側が、ヘンリー8世

また、デットフォードは、テムズ河(River Thames)沿いに所在しているため、漁村としても発展したが、テューダー朝第2代のイングランド国王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)が当地に最初の王立造船所 / 修理ドック(Deptford Dockyard / 1st Royal Navy Dockyard)を建設したことにより、デットフォードが英国内で果たす役割は、非常に重要となった。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の構内にある
ポートレートギャラリー(Portrait Gallery)をテーマにした壁画(その2)–
画面の右側が、エリザベス1世

テューダー朝第5代にして最後の君主となったエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年ー1603年)が、フランシス・ドレイク(Francis Drake:1543年頃ー1596年)にナイトの爵位を授けるため、1581年4月にデットフォードにある王立造船所 / 修理ドックを訪れている。なお、フランシス・ドレイクは航海者や海賊として知られているが、1588年に英仏海峡で行われたアルマダ海戦(Battle of Armada)において、彼はイングランド艦隊の司令官として、スペインの無敵艦隊を撃破した功績により、英国内では英雄視されている。

2020年4月5日日曜日

法月綸太郎作「法月綸太郎の消息」(The News of Norizuki Rintaro by Rintaro Norizuki)–その1

2019年に講談社から刊行されたハードカバー版
「法月綸太郎の消息」の表紙
     装幀: 坂野公一氏(welle design)
装画 / 装画: yoco 氏

「法月綸太郎の消息(The News of Norizuki Rintaro)」は、推理作家で、アマチュア名探偵を務める法月綸太郎(のりづき りんたろう)シリーズの短編集で、2019年に講談社からハードカバー版で刊行された。
「法月綸太郎の消息」には、以下の4編が収録されている。
(1)「白面のたてがみ」(書き下ろし)ーシャーロック・ホームズ関連
(2)「あべこべの遺書」(講談社新本格30周年アンソロジー「7人の名探偵」ー2017年)
(3)「殺さぬ先の自白」(講談社「メフィスト」 2018 VOL. 3 / 2019 VOL. 1)
(4)「カーテンコール」(講談社「メフィスト」 2018 VOL. 1 / 2018 VOL. 2)ーエルキュール・ポワロ関連

法月綸太郎は、新本格派ミステリー作家の代表的な一人である日本の推理作家 / 評論家で、探偵役と同姓同名の法月綸太郎(1964年ー)氏が生み出したシリーズキャラクターで、著者と同じ推理作家を職業としている。父親は、警視庁捜査一課の法月警視で、父親からの非公式の依頼を受けて、捜査協力をすることが多く、警視庁内でも暗黙の了解事項となっている。

米国の推理作家であるエラリー・クイーン(Ellery Queenー従兄弟同士であるフレデリック・ダネイ(Frederic Dannay:1905年ー1982年)とマンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee:1905年ー1971年)の合作)は、著者と同姓同名で、著者と同じ推理作家を職業とするエラリー・クイーン(Ellery Queen)をシリーズキャラクターのアマチュア名探偵として設定している。エラリー・クイーンは、ニューヨーク市警に勤める父リチャード・クイーン(Richard Queen)警視を助けて、数々の難事件を解決していく。

法月綸太郎シリーズは、エラリー・クイーンシリーズをベースにして、日本に置き換えていると言える。

著者の法月綸太郎氏は、1964年島根県松江市出身で、京都大学法学部卒業、京都市在住。京大在学中は、京大推理小説研究会に所属。
法月綸太郎氏は、1988年に「密閉教室」でデビューした後、1989年に著者と同姓同名の法月綸太郎と父親の法月警視が登場するシリーズ第1作「雪密室」を刊行。以降、法月綸太郎は、以下の作品において、推理作家かつアマチュア名探偵を務めている。

<長編>
(1)「雪密室」(講談社ー1989年)
(2)「誰彼(たそがれ)」(講談社ー1989年)
(3)「頼子のために」(講談社ー1990年)
(4)「一の悲劇」(祥伝社ー1991年)
(5)「ふたたび赤い悪夢」(講談社ー1992年)
(6)「二の悲劇」(祥伝社ー1994年)
(7)「生首に聞いてみろ」(角川書店ー2004年)
(8)「キングを探せ」(講談社ー2011年)

<短編集>
(1)「法月綸太郎の冒険」(講談社ー1992年)
(2)「法月綸太郎の新冒険」(講談社ー1999年)
(3)「法月綸太郎の功績」(講談社ー2002年)
(4)「犯罪ホロスコープ I 六人の女王の問題」(祥伝社ー2008年)
(5)「犯罪ホロスコープ Ⅱ 三人の女神の問題」(祥伝社ー2012年)

<番外編>
(1)「リレー小説 吹雪の山荘」(東京創元社ー2008年)

よって、2019年に刊行された「法月綸太郎の消息」は、1989年に刊行された「雪密室」から始まった法月綸太郎シリーズの30周年を記念する一冊となっている。


2020年4月4日土曜日

ロンドン 西インドドック(West India Docks)–その2

シティー・オブ・ロンドンに対抗する金融センターとして、
カナリーワーフ(Canary Wharf)が再開発された西インドドック(その1)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)において、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスンとスコットランドヤードのアセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones)達が乗った巡視艇が、アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷に住むバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)を殺害した犯人達が乗ったオーロラ号を追跡して通り過ぎた西インドドック(West India Docks)は、ロンドンの経済活動の中心地シティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の東隣りの特別区の一つであるロンドン・タワー・ハムレッツ区(London Borough of Tower Hamlets)内に所在し、テムズ河(River Thames)に西側、南側と東側を囲まれた半島のようなドッグ島(Isle of Dogs)内に三つある造船所 / 修理ドックの一つである。  

シティー・オブ・ロンドンに対抗する金融センターとして、
カナリーワーフ(Canary Wharf)が再開発された西インドドック(その2)
南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域にある群島である西インド諸島(West Indies)の富裕な商人で、船主でもあるロバート・ミリガン(Robert Milligan:1746年ー1809年)がジャマイカの砂糖農園からロンドンに戻ったところ、テムズ河沿いの船着き場での盗難や遅延等に激怒し、西インド農園 / 商人ロンドン協会(London Society of West India Planters and Merchants)の会長であるジョージ・ヒバート(George Hibert)等の有力者に働きかけ、造船所 / 修理ドックの建設を英国議会に願い出た。ロバート・ミリガンは、西インドドック会社(West India Dock Company)を設立し、副会長、そして、会長として、造船所 / 修理ドックの建設計画を推進した。
1799年に英国議会の承認が得られると、1800年に建設工事が始まった。西インドドックの建設は、二段階に分けて行われ、北ドック(North Dock)と中央ドック(Middle Dock)の二つは1802年に完成し、同年8月27日、正式にオープンした。そして、残りの南ドック(South Dock)は1860年代に建設された。「四つの署名」事件が発生したのは、1888年なので、西インドドックは、既に三つとも完成して、20年程が経過したころである。

シティー・オブ・ロンドンに対抗する金融センターとして、
カナリーワーフ(Canary Wharf)が再開発された
西インドドック(その3)

1829年にシティー・オブ・ロンドン自治体(City of London Corporation)が西インドドック会社から、そして、1909年にはロンドン港湾局(Port of London Authority)がシティー・オブ・ロンドン自治体から、西インドドックの管理を引き継いだ。
19世紀に入って、諸事情(詳細については、来週の「デットフォード水域(Deptford Reach)」で説明する予定)により、テムズ河を挟んで、ドッグ島の対岸にあるデットフォード(Deptford)における造船業が次第に衰退し、1869年には王立造船所 / 修理ドック(Royal Navy Dockyard)が閉鎖されており、残念ながら、西インドドック、特に、南ドックの建設は、時代の流れに逆行するものであった。

第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、ドイツ空軍による重度の空襲を受け、造船所 / 修理ドックや倉庫群は破壊され、甚大な被害を受ける。
第二次世界大戦後に復興するものの、港湾産業自体が既に衰退し始めていた。当時、海運業では、コンテナ輸送が中心となっており、ロンドン中心部に近い港湾施設の重要度が下がっていたのである。その結果、ドック島内における造船所 / 修理ドックは1970年代に次々と閉鎖され、残った西インドドックとミルウォールドック(Millwall Dock)についても、1980年代に遂に閉鎖されてしまった。
その後に関しては、再来週の「ロンドン ドッグ島(Isle of Dogs)」で説明する予定。