2021年5月29日土曜日

フィリップ・ホセ・ファーマー作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 無双の貴族」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Peerless Peer by Philip Jose Farmer) - その3

「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の
1917年9月号に掲載された
コナン・ドイル作「最後の挨拶」の挿絵(その1) -
ドイツ人のスパイであるフォン・ボルク(Von Bork)に情報を提供する
アイルランド系米国人のスパイであるアルタモント(Altamont)は、
背後からフォン・ボルクにクロロホルムを嗅がせて眠らせると、
彼を縛り上げた。
アルタモントは、シャーロック・ホームズが変装した姿であった。


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆半(3.5)

シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの敵役には、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の原作「最後の挨拶(His Last Bow)」(1917年)に登場したフォン・ボルク(Von Bork)を、また、彼らの味方には、米国の小説家エドガー・ライス・バローズ(Edgar Rice Burroughs:1875年ー1950年)が創造したキャラクターであるターザン(Tarzan - 本名:グレイストーク 卿ジョン・クレイトン(John Clayton, Lord Greystoke))を配して、アフリカを舞台に、フォン・ボルクが英国から奪ったある重要な化学式を、ホームズとワトスンが取り戻すべく、奮闘する。


(2)物語の展開について ☆☆半(2.5)

マイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)の指示に基づいて、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの二人は、英国を含む連合軍が手配した飛行機で、英国からフランスのマルセイユを経由して、エジプトのカイロへと向かう。本作品は、実質的には、110ページ程しかない長さであるが、ホームズとワトスンが機上でドイツ人のスパイに命を狙われたり、あるいは、嵐の中でドイツ軍のツェッペリン飛行船(Zeppelin)に遭遇して戦闘に巻き込まれたる等の過程に翻弄され、ストーリー全体の半分以上が費やされ、ホームズ達が活躍できる余地がほとんどない。また、本作品のもう一人の主人公であるターザンが登場する場面は、ストーリー後半のみで、彼が活躍する場面が非常に少なく、残念である。そういった意味では、ホームズとワトスンがターザンと出会うまでに、やや時間をかけ過ぎたきらいがあり、肝心のストーリーが駆け足になってしまった気がする。


(3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆☆半(2.5)

本作品における舞台設定の時点(1916年)で、ホームズとワトスンの二人は、既に60歳を過ぎており、本作品のような冒険活劇物風の話で、彼らを活躍させるのは、若干無理があるように思える。実際、ストーリーの前半において、彼らの活躍をほとんど描けていない。コナン・ドイル原作の「最後の挨拶」のようなスパイ物に特化するのであれば、もっと面白かったのではないか?ただし、その場合、本作品のもう一人の主人公であるターザンは、ホームズとワトスンの二人にとって、やや異質であり、彼の出番は不要になってしまう。


(4)総合評価 ☆☆半(2.5)

ストーリーとしては、かなり短めであったこともあるが、非常に読み易かったものの、「最後の挨拶」の続編となるスパイ物とターザンという冒険活劇物という異質な二つのものを組み合わせようとしたところに、物語の設定上、最初からやや無理があったように感じられる、既に60歳を過ぎているし、フランス経由、英国からエジプトへと向かう途中、二度も機上で大変な目に遭っているため、仕方はないが、ホームズが偏屈な老人のようになっていて、我々が考えるホームズのイメージにあまり合致していない。


2021年5月26日水曜日

シャーロック「ピンク色の研究」<グラフィックノベル版>(Sherlock - A Study in Pink ) - その1

英国の出版社である Titan Publishing Group Ltd. から発行されている
「シャーロック - ピンク色の研究」(グラフィックノベル版)の
英語版の表紙 -
主人公のシャーロック・ホームズが表紙を飾っている。

「シャーロック(Sherlock)」は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)原作のシャーロック・ホームズシリーズを翻案して、舞台をヴィクトリア朝時代のロンドンから21世紀のロンドンに置き換え、自称「コンサルタント探偵」のシャーロック・ホームズが、同居人かつ相棒であるジョン・ヘイミッシュ・ワトスンと一緒に、スマートフォンやインターネット等の最新機器を駆使して、事件を解決する様を描くTVドラマで、英国 BBC が制作の上、2010年7月から BBC1 で放映されている。


「シャーロック」のシーズン1第1話に該る「ピンク色の研究(A Study in Pink)」が、日本の出版社である角川書店が発行する「ヤングエース」において、コミカライズされ、大好評連載を経て、2013年8月に単行本化されている。


このコミカライズ版が日本から英国へと逆輸入され、英国の出版社である Titan Publishing Group Ltd. (シャーロック・ホームズのパスティーシュ作品を数多く出版)が角川書店から権利を取得の上、Titan Comics として、2017年に英語版が発行されている。


英国の出版社である Titan Publishing Group Ltd. から発行されている
「シャーロック - ピンク色の研究」(グラフィックノベル版)の
英語版の裏表紙 -
シャーロック・ホームズの同居人で、相棒でもある
ジョン・ヘイミッシュ・ワトスンが描かれている。

なお、日本における「シャーロック」のコミカライズを担当しているのは、漫画家の Jay.(ジェイ)であるが、本名、生年月日や出身地等のプロフィールは、公表されていない。


日本における「シャーロック」のコミカライズは、以下の通り、現在、シーズン2の第1話まで進められている。


<シーズン1>

・第1話:「ピンク色の研究」(2013年8月)

・第2話:「死を呼ぶ暗号(The Blind Banker)」(2014年6月)

・第3話:「大いなるゲーム(The Great Game)」(2016年2月)

<シーズン2>

・第1話:「ベルグレーヴィアの醜聞(A Scandal in Belgravia) 上」(2019年7月)


2021年5月23日日曜日

フィリップ・ホセ・ファーマー作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 無双の貴族」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Peerless Peer by Philip Jose Farmer) - その2

英国の Titan Books 社から2011年に出版されている
フィリップ・ホセ・ファーマー作

「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 無双の貴族」の裏表紙


マイクロフト・ホームズが手配した車で秘密の飛行場へと運ばれたシャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの二人は、中継地であるフランスのマルセイユへ向かって飛び立つ。

当初、彼らが搭乗する飛行機をジョン・ドラモンド中尉(Lieutenant John Drummond)が操縦する予定だった。彼は、グレイストーク公爵(Duke of Greystoke)の養子で、グレイストーク公爵は、現在、アフリカの奥地で類人猿と一緒に樹の上で暮らしているという非常に風変わりな貴族だった。

ところが、ジョン・ドラモンド中尉は、肋骨や鎖骨等を骨折したため、米国人のウェントワース大尉(Captain Wentworth)とネルソン中尉(Lieutenant Nelson)が代わりに操縦することになった。


マルセイユへ向かう機上、ホームズとワトスンの二人は、ネルソン中尉に命を狙われるが、ウェントワース大尉が助けに入り、事なきを得る。ウェントワース大尉によると、ネルソン中尉がドイツ語で交信していることから、彼がドイツのスパイだと認定したのである。ネルソン中尉による暗殺が失敗した場合、ドイツ空軍がこの飛行機を撃墜するために向かって来ることが予想された。


彼らの不安は適中して、彼らの飛行機は、ドイツ軍が放った戦闘機に狙われるが、辛くも、マルセイユの連合軍基地に着陸した。

十分な休息もないまま、ホームズとワトスンは、ロシア人のケントフ大佐(Colonel Kentov)が操縦する飛行機で、マルセイユからカイロへと出発した。カイロへと飛行中、ケントフ大佐から入った連絡によると、(1)嵐が北方より近付いていて、その影響で飛行機の進路が大きく逸れる可能性があること、また、(2)ドイツのシェッペリン飛行船(Zeppelin)が、昨日、トルコから飛び立ち、現在、カイロへと向かっており、問題のフォン・ボルク(Von Bork → 「最後の挨拶(His Last Bow)」(1917年)に登場)を回収すると思われる、とのことだった。


ホームズとワトスンが乗った飛行機は、嵐の影響により、カイロの南へと大きく流され、後30分で燃料切れになりつつあった。ケントフ大佐は、緊急着陸の場所を探すものの、嵐の中、視界はゼロに近かった。そのさなか、ケントフ大佐は、シェッペリン飛行船を目視する。ドイツ軍側の飛行船も、嵐に見舞われたようである。カイロの砂漠でフォン・ボルクを回収する任務を帯びた飛行船に違いなかった。

燃料切れ間近にもかかわらず、ケントフ大佐は、この嵐の中、シェッペリン飛行船へ攻撃を加える決断を下す。ケントフ大佐が下した決断を聞いたホームズとワトスンの二人は、慌てふためくのであった。


2021年5月19日水曜日

コナン・ドイル作「緋色の研究」<グラフィックノベル版>(A Study in Scarlet by Conan Doyle ) - その2

「緋色の研究」のグラフィックノベル版において、
シャーロック・ホームズが初めて顔を見せる場面 -
「独自の研究により、非常に精度の高い血液検出法を見つけた。」と喜んでいる。


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が1887年に発表したシャーロック・ホームズの記念すべき第一作である「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」のグラフィックノベル版は、コナン・ドイルの原作通り、以下のように、2部構成を採っている。


・第1部(全7章): 元陸軍医局 ジョン・H・ワトスン医学博士の回想録から復刻(Being a reprint from the reminiscences of John H. Watson, M.D., late of the Army Medical Department) → ブリクストンロード(Brixton Road → 2017年5月20日付ブログで紹介済)近くの空き家であるローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardens → 2017年3月4日付ブログで紹介済)において、米国オハイオ州クリーブランドに住むイーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の死体が見つかり、シャーロック・ホームズによる事件の捜査が行われる。


・第2部(全7章): 聖者達の国(The Country of the Saints) → ローリストンガーデンズ3番地において、犯人がイーノック・J・ドレッバーを殺害するに至った歴史が、犯人によって語られる。

初めて会ったジョン・H・ワトスンに対して、
「アフガニスタンに行っていましたね?」と、
ホームズが言い放つ、「緋色の研究「において、非常に有名な場面。

コナン・ドイルの原作の場合、第1部のページ数と第2部のページ数の割合は、ほぼ1(50%)対1(50%)であるが、グラフィックノベル版の場合、第1部のページ数と第2部のページ数の割合は、凡そ65%対35%となっており、原作に比べると、グラフィックノベル版の方が、ホームズの活躍をより楽しめるようになっている。

ベーカーストリート221Bの下宿において、
ホームズと同居することになったワトスンが観察した結果、
明らかになったホームズの知識範囲の数々。


「緋色の研究」のグラフィックノベル版は、英国の Metro Media Ltd. から、Self Made Hero シリーズの一つとして、2010年に出版されているが、これに先立って、ホームズシリーズの長編第3作目に該る「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」(1901年-1902年)のグラフィックノベル版が、2009年に出版されている。これは、ホームズシリーズの全作品の中でも、「バスカヴィル家の犬」が一番人気があるためだと思われる。


構成を担当する作家の Ian Edginton と、そして、作画を担当するイラストレーターの I. N. J. Culbard の二人にとって、ホームズシリーズをグラフィックノベル化するのは、「バスカヴィル家の犬」が一番最初であり、残念ながら、ホームズやワトスンの作画が完成化されておらず、やや安定していない。

また、ホームズとワトスンを含む全キャラクターを描く際に、顔のバランスをとるための線の名残なのか、額の中央から片側の頬にかけて、斜めに走る線が多用されており、それがほぼ全場面の全キャラクターに適用されているので、読んでいて、非常に気になった。


ホームズシリーズのグラフィックノベル版としては、2番目に該る「緋色の研究」の場合、幸いにして、ホームズやワトスンの作画は概ね完成していて、二人を含む全キャラクターが描かれる際に、バスカヴィル家の犬」において多用された額の中央から片側の頬にかけて斜めに走る線は、ほぼなくなっており、非常に読み易くなっている。

負傷のため、アフガニスタンから英国へと送還されたワトスンであったが、
ロンドンのストランド通り(Strand)にあるプライベートホテルに宿泊して、
軍から支給される手当を遥かに越える浪費をしつつ、
無目的に日々を過ごした結果、直ぐに生活資金が底をつき始めていた。 -
「バスカヴィル家の犬」のグラフィックノベル版と同様に、
「緋色の研究」のグラフィックノベル版においても、
ワトスンの額の中央から片側の頬にかけて斜めに走る線が、まだ一部残っている。


「緋色の研究」のグラフィックノベル版の場合、「バスカヴィル家の犬」対比、作画のレベルが格段に上がっている上に、主要な登場人物であるホームズ、ワトスン、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)やグレッグスン警部(Inspector Gregson)等もイメージ通りで、物語に非常に入り込み易くなっている。また、物語についても、コナン・ドイルの原作に非常に忠実な上、約130ページの中に手堅くまとめられていて、とても好印象である。

2021年5月16日日曜日

フィリップ・ホセ・ファーマー作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 無双の貴族」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Peerless Peer by Philip Jose Farmer) - その1

英国の Titan Books 社から2011年に出版されている
フィリップ・ホセ・ファーマー作

「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 無双の貴族」の表紙 -
なお、作者は、2009年になくなっており、
本作品は、彼の死後に、出版されている。


作者のフィリップ・ホセ・ファーマー(Philip Jose Farmer:1918年ー2009年)は、米国の SF 作家 / ファンタジー作家で、代表作は、「階層宇宙(World of Tiers)」シリーズ(1965年ー1993年)と「リバーワールド(Riverworld)」シリーズ(1971年ー1983年)である。 


残念ながら、フィリップ・ホセ・ファーマーは、2009年に米国イリノイ州において亡くなっており、本作品「無双の貴族(the Peerless Peer)」は、彼の死後、英国の Titan Books 社から2011年に出版されている。


第一次世界大戦(1914年ー1918年)最中の1916年2月2日、ジョン・ワトスンは、ロンドンの軍病院で働いていた。ドイツが送ったツェッペリン飛行船(Zeppelin)による英国爆撃が2日間に渡って行われ、70名が死亡し、113名が負傷していた。負傷者の治療にあたるワトスンは、シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)からの電報により、急遽、外務省(Foreign Office)へと呼び出される。


外務省に着いたワトスンを、三人の人物が待っていた。一人目はマイクロフト・ホームズ、二人目はシャーロック・ホームズで、もう一人はメリヴェール(Merrivale)だった。

メリヴェールは、準男爵(baronet)の子息で、現在、英国陸軍情報局長(Head of the British Military Intelligence Department)の補佐をしていた。一方で、彼は、優れた内科医(physician)で、ワトスンがセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew’s Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)で教えていた頃の生徒でもあった。


久方振りに旧交を温める四人であったが、話は直ぐに本題に入る。

マイクロフト・ホームズによると、第一次世界大戦開戦直前(1914年8月2日)に、エセックス州(Essex)のハリッジ(Harwich - 北海(North Sea)を東にもつ港町)において、シャーロック・ホームズとワトスンが捕まえたドイツ人スパイであるフォン・ボルク(Von Bork → 「最後の挨拶(His Last Bow)」(1917年)に登場)は、本来であれば、英国側で尋問を受ける筈であったが、英国政府の許可を得て、ドイツ大使館の書記局長であるフォン・ヘルリンク伯爵(Baron Von Herling)と一緒に、ドイツへと帰国したと言う。その後、ドイツ国内での自動車事故により、彼は大怪我を負い、回復をしたものの、左目を失明した、とのこと。

フォン・ボルクは、現在、エジプトのカイロにおいて、暗躍しているようである。マイクロフト・ホームズは、シャーロック・ホームズとワトスンの二人に対して、直ちにカイロへと向かい、フォン・ボルクの所在を明らかにし、彼を捕まえるよう、指示した。


2021年5月11日火曜日

コナン・ドイル作「緋色の研究」<グラフィックノベル版>(A Study in Scarlet by Conan Doyle )- その1

英国の Metro Media Ltd. から、
Self Made Hero シリーズの一つとして、2010年に出版されている
コナン・ドイル作「緋色の研究」のグラフィックノベル版の表紙


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が1887年に発表したシャーロック・ホームズの記念すべき第一作である「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」のグラフィックノベル版が、英国の Metro Media Ltd. から、Self Made Hero シリーズの一つとして、2010年に出版されている。


本作品のグラフィックノベル版は、作家である Ian Edginton が構成を、そして、イラストレーターである I. N. J. Culbard が作画を担当している。


彼ら二人は、上記の Self Made Hero シリーズの中で、以下の作品を発表している。


(1)2008年: オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)作「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」(1889年)

(2)2009年: コナン・ドイル作「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」(1901年-1902年)

(3)2010年: コナン・ドイル作「緋色の研究」(1887年)

(4)2010年: コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four → 2017年8月12日付ブログで紹介済)」(1890年)

(5)2011年: コナン・ドイル作「恐怖の谷(The Valley of Fear)」(1914年ー1915年)


「緋色の研究」のグラフィックノベル版の表紙には、以下のシーンが描かれている。


<上段> ブリクストンロード(Brixton Road → 2017年5月20日付ブログで紹介済)近くの空き家で発見されたイーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の死体の側で見つかった女性の結婚指輪を、彼を殺害した犯人に依頼されて、ダンカンストリート13番地(13 Duncan Street → 2017年5月27日付ブログで紹介済)に住むソーヤー(Sawyer)と名乗る老婆が引き取りに、ベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を訪れる場面。なお、イーノック・J・ドレッバーの殺害犯がやって来るものと予想し、右手に拳銃を持ち、背中側に隠して立っている人物は、ジョン・H・ワトスンである。


<中段> ジョン・フェリアー(John Ferrier)と孤児のルーシー(Lucy)が、道に迷った上に、水や食料もなく、北米内陸部の砂漠を彷徨い歩いている場面。


<下段> ブリクストンロード近くの空き家において、イーノック・J・ドレッバーの死体が見つかった部屋の壁に、「RACHE(ドイツ語で「復讐」の意味)」と血で書かれた文字があった場面。画面左側より、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)、グレッグスン警部(Inspector Gregson)、そして、シャーロック・ホームズ。

英国の Metro Media Ltd. から、
Self Made Hero シリーズの一つとして、2010年に出版されている
コナン・ドイル作「緋色の研究」のグラフィックノベル版の裏表紙


「緋色の研究」のグラフィックノベル版の裏表紙には、以下のシーンが描かれている。


<上段> 物語の最後に、ホームズから新聞を渡されて、ワトスンが今回の事件に関する記事を読む場面。


<下段> ブリクストンロード近くの空き家であるローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardens → 2017年3月4日付ブログで紹介済)において、付近を警邏中だったジョン・ランス巡査(Constable John Rance)が、米国オハイオ州クリーブランドに住むイーノック・J・ドレッバーの死体を発見する場面。


2021年5月9日日曜日

第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron)

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)内の
ベーカールーライン(Bakerloo Line)用ホームの壁に描かれている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画 -
彼は、アルバニア風の衣装を身に付けている。

第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年)は、英国のロマン派詩人で、SF の先駆者と見做される英国の小説家メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年 → 2021年3月9日 / 3月16日付ブログで紹介済)がゴシック小説「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス(Frankenstein; or, the Modern Prometheus. → 2021年3月24日付ブログで紹介済)」(1818年)に登場する「フランケンシュタインの怪物」を着想する場面に立ち会った人物である。

英国において、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、一般に、「バイロン卿(Lord Byron)」として知られている。


ジョージ・ゴードン・バイロンは、1788年1月22日、ジョン・バイロン大尉(Captain John Byron:1757年ー1791年 → 第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロン(William Byron, 5th Baron Byron:1722年ー1798年)の甥)と彼の2番目の妻であるキャサリン・ゴードン(Catherine Gordon)の間に、ロンドンで出生。

父親のジョン・バイロン大尉は、酒癖が悪く、浪費家でもあった。そのため、家庭内では夫婦喧嘩が絶えなかった。ジョージ・ゴードン・バイロンが3歳の時、ジョン・バイロン大尉は、多額の借金を残したまま、放浪先のフランスで死去。その後、ジョージ・ゴードン・バイロンは、精神疾患を抱えた母親と一緒に、アバディーン州(Aberdeenshire)へ移住し、そこで暗い幼少期を過ごした。


1798年に従祖父である第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロンが亡くなったが、他に相続人が居なかったため、ジョージ・ゴードン・バイロンは、わずか10歳にして、第6代バイロン男爵となり、ノッティンガム州(Nottinghamshire)にある土地と館を相続し、アバディーン州からノッティンガム州へと移った。


ジョージ・ゴードン・バイロンは、ロンドンのハーロー校(Harrow College)へ送られた。彼は、1801年から1805年にかけて、そこで学んだ後、1805年にケンブリッジ(Cambridge)のトリニティー大学(Trinity College)に入学するも、学業を顧みない日々を過ごした。

彼は、1808年にケンブリッジを去ると、1809年から1811年にかけて、ポルトガル、スペインやギリシア等を旅した。

彼は、1812年に上記の旅行をベースにした「チャイルド・ハロルドの巡礼(Childe Harold’s Pilgrimage)」を出版すると、生の倦怠と憧憬を伴った詩風と異国情緒が時代の流れに合致し、大きな評判を得て、一躍、社交界の寵児となった。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on panel
914 mm x 711 mm) 


社交界の寵児となったジョージ・ゴードン・バイロンは、乱れた生活を続けたが、1815年にアナベラ・ミルバンク(Annabella Millbanke:1792年ー1860年)と結婚して、同年に二人の間に娘を設けた。彼女が、後のラブレス伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング(Augusta Ada King, Countess of Lovelace:1815年ー1852年 → 通称:エイダ・ラブレス(Ada Lovelace))で、「世界初のプログラマー」と呼ばれるようになる。

アナベラ・ミルバンクとの間に娘を設けたジョージ・ゴードン・バイロンであったが、恋に憂き身をやつし続けたため、翌年(1816年)に彼女とは別居し、更に、近親相姦や同性愛(→ 当時は、死刑に値する犯罪)といったスキャンダルにより、世間からの糾弾を受けて、英国を去った。



020年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(=バイロン卿)が選ばれている。

英国のロマン派詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792年ー1822年 → 2021年5月1日付ブログで紹介済)は、幼い頃に読んだ「政治的正義」を執筆した無政府主義の先駆者でもある英国の政治評論家 / 著述家のウィリアム・ゴドウィン(William Godwin:1756年ー1836年)の邸に足しげく通うようになる。

そして、そこで、彼は、ウィリアム・ゴドウィンの娘であるメアリー(当時の名前は、まだメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン)と出会い、彼女と付き合うようになる。ただ、当時、パーシー・シェリーは、妻帯者だったため、彼との恋愛に父親であるウィリアム・ゴドウィンは大反対をし、その結果、1814年、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、パーシー・シェリーと一緒に、欧州大陸へ駆け落ちをするのであった。


一旦、欧州大陸から英国に帰国するものの、スイスのジュネーヴに滞在していたパーシー・シェリーの友人であるジョージ・ゴードン・バイロンに誘われて、1816年5月、バイロン卿、彼の愛人であるクレア・クレモント(Claire Clairmont:1798年ー1879年 / メアリー・シェリーの義姉妹)、パーシー・シェリーとメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンの4人は、ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘(Villa Diodati)に滞在した。

同年7月、長く降り続く雨のため、屋内に閉じ込められていた折、ジョージ・ゴードン・バイロンは、「皆で一つずつ怪奇譚を書こう。(We will write a ghost story.)」と、他の3人に提案した。このディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、「フランケンシュタインの怪物」の着想を得て、小説の執筆に取りかかった。


その後、ジョージ・ゴードン・バイロンは、パーシー・シェリー達と一緒に、スイス各地、イタリアのヴェネチア / ラヴェンナ / ピサ / ジェノヴァ等を巡礼して、退廃した生活を続けた。


同年9月、彼ら4人が英国に帰国した後、同年12月10日に、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)のサーペンタイン湖(Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)から入水自殺したパーシー・シェリーの妻ハリエット・シェリーの遺体が発見される。検視によると、ハリエット・シェリーは、パーシー・シェリー以外の男の子供を身籠っていた、とのこと。

その20日後の同年12月30日、パーシー・シェリーは、ロンドンの教会でメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンと正式に結婚して、彼女は、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーとなった。


メアリー・シェリーは、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに着想を得たフランケンシュタインの怪物の話を1817年5月に脱稿し、翌年の1818年1月に匿名で出版した。このゴシック小説の正式なタイトルが、「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス」である。当作品の出版により、後に、彼女は SF の先駆者と見做されるようになる。

1818年3月に、彼女は、夫であるパーシー・シェリーの序文を付けて、再度、匿名で同作品を出版した。

現在、一般に流布している版は、1831年に出版された第3版(改訂版)がベースとなっている。


ギリシア暫定政府の代表からの訪問を受けたジョージ・ゴードン・バイロンは、1823年、2年前に始まったギリシア独立戦争へ身を投じることを決め、1824年1月、ギリシアへと向かった。

彼は、相手方の要塞等を攻撃する計画を立案していたが、現地において熱病に罹患して、1824年4月19日、瀉血が原因で、同地で死去したのである。まだ36歳の若さであった。


2021年5月5日水曜日

デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 欺かれた探偵」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Veiled Detective by David Stuart Davies) - その3

本作品の原題は「The Veiled Detective」で、直訳すると、「ベールで覆われた探偵」と言ったところか?

シャーロック・ホームズにとって、自分の周囲に居る同居人であるジョン・ワトスン、下宿の家主であるハドスン夫人(Mrs. Hudson)や兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)は、自分の身内 / 味方だと思えるが、実際には、犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)に通じていて、自分の敵だという状況を捉えて、本作品の作者であるデイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ(David Stuart Davies)は、「Veiled」と表現しているのではないかと推測する。

そう考えると、「Veiled」を意訳して、「欺かれた」とか、「罠にはまった」と言い換えた方が、より適切なのかもしれない。ただ、それでも、本作品の内容を的確に言い表しているとは、今一つ言い切れていないように思えてしまう。


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆☆(5.0)

戦地から戻って来た元軍医のジョン・ウォーカー(John Walker)が、ジェイムズ・モリアーティー教授からの指示を受け、名前をジョン・ワトスンに変えて、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)の下宿において、シャーロック・ホームズの同居人かつ彼のスパイとなるという衝撃のストーリーである。更に、ハドスン夫人やマイクロフト・ホームズまでが、モリアーティー教授の協力者になっていて、物語の設定としては、驚きの連続で、なかなか面白かった。


(2)物語の展開について ☆☆☆半(3.5)

ストーリーとしては、非常に面白くて、評価できるが、個人的には、第二次アフガニスタン戦争に従軍していたジョン・ウォーカーが、ジョン・ワトスンとして、モリアーティー教授の手先になるまでの展開が、少し長かったように感じる。

逆に、ワトスンによる最終判断から「最後の事件(The Final Problem)」まで、話を一気に端折ってしまい、物語の終盤、かなり急いだ感が強い。


(3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆☆☆☆(4.0)

今回の主役は、ジョン・ワトスンである。戦地での無力感、泥酔、そして、除隊。戦地から戻る際、ジェイムズ・モリアーティー教授に目をつけられて、彼のスパイとして、シャーロック・ホームズの同居人になるが、ずーっと良心の呵責に苛まれる。サー・アーサー・コナン・ドイルによる聖典では、あまり語られないワトスンの心理描写が多く、なかなか興味深い。そして、彼が下した最終判断を高く評価したい。


(4)総合評価 ☆☆☆半(3.5)

サー・アーサー・コナン・ドイルによる聖典に照らした場合、いろいろと細かい点で、整合性がとれていないが、ホームズファンにとって衝撃的なストーリーに挑戦した訳で、なかなか楽しめたので、評価したい。

ただし、個人的には、物語の導入部(=ジョン・ウォーカーが、ジョン・ワトスンとして、モリアーティー教授の手先になるまでの展開)がやや長過ぎる点、そして、物語の終盤をかなり端折っている点は、減点。

この設定のまま、聖典に突入すると、後々の展開が合わなくなってしまうので、パラレルワールドのストーリーとして捉えた方が良い。ある意味、一度限りの荒技という内容ではある。


2021年5月1日土曜日

パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley)

2020年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
パーシー・ビッシュ・シェリーが選ばれている。


パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792年ー1822年)は、英国のロマン派詩人で、ゴシック小説「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス(Frankenstein; or, the Modern Prometheus. → 2021年3月24日付ブログで紹介済)」(1818年)を執筆し、フランケンシュタインの怪物を創造して、SF の先駆者と見做される英国の小説家メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年 → 2021年3月9日 / 3月16日付ブログで紹介済)の夫である。


パーシー・シェリーは、1792年8月4日、ウェストサセックス州(West Sussex)ホルシャム(Horsham)近くのフィールドプレイス(Field Place)に、富裕な貴族の長男として出生。父親は、サー・ティモシー・シェリー(Timonthy Shelley:1753年ー1844年)で、母親は、エリザベス・ピルフォルド(Elizabeth Pilfold:1763年ー1846年)。


イートン校(Eton College)を経て、1810年10月にオックスフォード大学(University College, Oxford → 2015年11月21日付ブログで紹介済)に入学するも、1811年に「無神論の必要(Necessity of Atheism)」というパンフレットを書いて、オックスフォードの書店で売り出すという暴挙に出たため、同年3月に大学から放校となった。


オックスフォード大学から放校となる前の1810年12月、彼は、妹の学友であるハリエット・ウェストブルック(Harriet Westbrook:1795年ー1816年)と出会い、彼女の学校での不遇に同情して、翌年の1811年8月に、彼女と結婚する。その後、彼は、アイルランドやウェールズを放浪する。


1814年、妻ハリエットやその姉と不和になったパーシー・シェリーは、幼い頃に読んだ「政治的正義」を執筆した無政府主義の先駆者でもある英国の政治評論家 / 著述家のウィリアム・ゴドウィン(William Godwin:1756年ー1836年)の邸に足しげく通うようになる。

そして、そこで、彼は、ウィリアム・ゴドウィンの娘であるメアリー(当時の名前は、まだメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン)と出会い、付き合うようになる。ただ、当時、パーシー・シェリーは、妻帯者だったため、彼との恋愛に父親であるウィリアム・ゴドウィンは大反対をし、その結果、同年、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、パーシー・シェリーと一緒に、欧州大陸へ駆け落ちをするのであった。


一旦、欧州大陸から英国に帰国するものの、パーシー・シェリーの友人で、英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年)に誘われて、1816年5月、バイロン卿、彼の愛人であるクレア・クレモント(Claire Clairmont:1798年ー1879年 / メアリー・シェリーの義姉妹)、パーシー・シェリーとメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンの4人は、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘(Villa Diodati)に滞在した。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on panel
914 mm x 711 mm) 


同年7月、長く降り続く雨のため、屋内に閉じ込められていた折、バイロン卿は、「皆で一つずつ怪奇譚を書こう。(We will write a ghost story.)」と、他の3人に提案した。このディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、フランケンシュタインの怪物の着想を得て、小説の執筆に取りかかった。


同年9月、彼ら4人が英国に帰国した後、同年12月10日に、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)のサーペンタイン湖(Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)から入水自殺したパーシー・シェリーの妻ハリエット・シェリーの遺体が発見される。検視によると、ハリエット・シェリーは、パーシー・シェリー以外の男の子供を身籠っていた、とのこと。

その20日後の同年12月30日、パーシー・シェリーは、ロンドンの教会でメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンと正式に結婚して、彼女は、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーとなった。


メアリー・シェリーは、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに着想を得たフランケンシュタインの怪物の話を1817年5月に脱稿し、翌年の1818年1月に匿名で出版した。このゴシック小説の正式なタイトルが、「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス」である。当作品の出版により、後に、彼女は SF の先駆者と見做されるようになる。

1818年3月に、彼女は、夫であるパーシー・シェリーの序文を付けて、再度、匿名で同作品を出版した。

現在、一般に流布している版は、1831年に出版された第3版(改訂版)がベースとなっている。


パーシー・シェリーとメアリー・シェリーの間には、1815年に長女を生後間もなくして亡くした後、長男のウィリアム(1816年ー1819年)と次女のクレアラ(1817年ー1818年)が生まれているが、1818年9月にクレアラを赤痢で、そして、1819年6月にウィリアムをマラリアで、幼少期に亡くしまうという波瀾の人生を送っている。


1822年7月8日、パーシー・シェリーは、ジェノヴァ(Genoa)の造船業者に特注で建造させた帆船に乗り、イタリアのリヴォルノ(Livorno)からレーリチ(Lerici)への帰途についた数時間後、突然の暴風雨に襲われ、ヴィアレッジョ(Viareggio)沖で帆船は沈没。

10日後、パーシー・シェリーの遺体がヴィアレッジョ郊外の海岸に漂着したが、身元確認も困難な程に、無残な水死体となっていた。疫病の蔓延を恐れた当局の指示により、彼の遺体は、海岸で火葬された。その際、彼の友人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは立ち会ったが、妻のメアリー・シェリーは、当時の英国の慣習を守り、火葬には参列しなかった。


パーシー・シェリーの遺骨は、ローマのプロテスタント墓地に葬られ、墓石の表面には、「Cor Cordium(ラテン語で「心の心」の意味)」と彼が生前愛誦した句が刻まれた。

「Nothing of him that doth fade / But doth suffer a sea-change / Into something rich and strange」

(ウィリアム・シェイクスピア「テンペスト」)


また、パーシー・シェリーの心臓は、妻のメアリー・シェリーとともに、英国南部ボーンマス(Bournemouth)にあるセントピーター教区教会(The Parish Church of St. Peter)敷地内の墓に安置されている。