2023年9月30日土曜日

パディントン駅 - くまのパディントン像(Statue of Paddington Bear at Paddington Station)

パディントン駅の1番プラットフォームに設置されている
くまのパディントン像(その1)
<筆者撮影>


今回は、パディントン駅(Paddington Station → 2014年8月3日付ブログで紹介済)の構内に設置されている「くまのパディントン像(Statue of Paddington Bear)」について、紹介したい。


くまのパディントン像の上にあるパディントン駅の駅時計
<筆者撮影>

くまのパディントン像は、英国の彫刻家であるマルカス・コーニッシュ(Marcus Cornish)によって、2000年に制作された青銅製の像で、パディントン駅の1番プラットフォームにある駅時計(station clock)の下に設置された。


パディントン駅の1番プラットフォームを北側から眺めたところ

そして、英国の作家で、くまのパディントンの生みの親であるマイケル・ボンド(Michael Bond:1926年-2017年)が出席の上、2000年2月24日に除幕式を行った。


パディントン駅の1番プラットフォームに設置されている
くまのパディントン像(その2)
<筆者撮影>

パディントン駅の構内 / 構外改修工事の関係で、くまのパディントン像は、1番プラットフォームの駅時計の下の場所から、プラエドストリート(Praed Street)の近くにある駅入口のエスカレーター乗り口の直ぐ横の場所へと移設された。


パディントン駅の1番プラットフォームに設置されている
くまのパディントン像(その3)
<筆者撮影>

パディントン駅の構内 / 構外改修工事が終わったため、くまのパディントン像は、再び、1番プラットフォームの駅時計の下の場所へと戻っている。


パディントン駅の1番プラットフォームに設置されている
くまのパディントン像(その4)
<筆者撮影>

2023年9月29日金曜日

シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その24

ロンドン塔内に建つホワイトタワー(White Tower)の窓から、
サー・ウォルター・ローリー(画面中央の人物)が、身を乗り出している。


英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ウィリアム・シェイクスピアと同時代の人物である。


<サー・ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh:1552年頃(または、1554年)ー1618年)>


サー・ウォルター・ローリーは、英国の廷臣 / 軍人 / 探検家で、作家 / 詩人と言う側面も有していた。


ウォルター・ローリーは、1552年頃(または、1554年)1月22日、ウェールズ人のジェントリー(gentry - 下級地主層)であるウォルター・ローリー(同名)を父に、フランス出身のキャサリン・シャンパナウンを母に、デヴォン州(Devon)に出生。

ウォルター・ローリーの家は、宗教的に、プロテスタント寄りであった。彼の幼少期は、テューダー朝(House of Tudor)の第4代イングランド王で、カトリック教徒であるメアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)の治世に該るが、メアリー1世によるカトリック教徒以外への弾圧が厳しかったため、家族でなんども逃げ回る経験をしており、カトリック教への憎しみを募らせていった。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
メアリー1世の肖像画の葉書
(Master John / 1544年 / Oil on panel
711 mm x 508 mm) 


プロテスタントであるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)が1558年にテューダー朝の第5代かつ最後の君主で、イングランドとアイルランドの女王として即位すると、ウォルター・ローリーは、


(1)1568年にフランスへ渡ると、ユグノー戦争(Guerres de religion:1562年ー1598年)において、傭兵として、ユグノー(プロテスタント)側に加勢。

(2)1580年にアイルランドへ渡ると、デズモンドの反乱(Desmond Rebellions:1569年ー1573年 / 1579年ー1583年)において、同年から1581年にかけ、英国政府の雇われ隊長として、同反乱鎮圧に従軍し、アイルランドに上陸したローマ教皇の援軍を虐殺。


等の活躍をして、注目を集めた。

ウォルター・ローリーは、1581年にアイルランドからイングランドに帰国すると、エリザベス1世の寵臣として抜擢され、本人が長身の美貌でもあったことから、エリザベス1世から非常に気に入られて、次々と恩賞を与えられた。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) 


サー・ウォルター・ローリーは、1586年に国王親衛隊隊長(Captain of the Yeoman of the Guard)となり、彼の出世は頂点に達した。

彼は、議員活動も行い、1584年と1586年の2回、デヴォン選挙区から、1597年にドーセット選挙区(Dorset)から、また、1601年にコンウォール選挙区(Cornwall)から、庶民院議員に選出された。


サー・ウォルター・ローリーは、生涯で2度、ロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日付ブログで紹介済)に投獄されている。


ロンドン塔の全体像が描かれている。


<1度目>

1587年頃に、第2代エセックス伯爵ロバート・デヴァルー(Robert Devereux, 2nd Earl of Essex:1566年ー1601年)がエリザベス1世の新たな寵臣に取り立てられると、サー・ウォルター・ローリーの栄光には、次第に陰りが見え始めた。

1591年に、サー・ウォルター・ローリーは、エリザベス1世付きの女官の一人で、10歳以上も年下のエリザベス・スロックモートン(Elizabeth Throckmorton:1565年ー1647年頃)と秘密裏に結婚していたが、1592年にこの秘密結婚が発覚すると、激怒したエリザベス1世は、サー・ウォルター・ローリーをロンドン塔に投獄し、エリザベス・スロックモートンを宮廷から解雇するように命じた。

しかし、ロンドン塔へ投獄される前に、サー・ウォルター・ローリーは、船団を率いて、大西洋のアゾレス諸島(Azores)沖でスペイン貨物船団を捕獲し、それから得た高額の報奨金を保釈金として使い、釈放された。

また、スペイン戦争にかかるカディス遠征(1596年)やアゾレス諸島遠征(1597年)において、大きな戦果を挙げ、莫大な戦利品を獲得したサー・ウォルター・ローリーとは対照的に、大した戦果を挙げることができなかった第2代エセックス伯ロバート・デヴァルーは没落していくことになり、サー・ウォルター・ローリーは、1597年に国王親衛隊隊長に復帰して、エリザベス1世の寵愛を再び受けるようになった。


<2度目>

エリザベス1世の寵愛を再び受けるようになったサー・ウォルター・ローリーは、1600年からジャージー島総督(Governor of Jersey)として、スペインからこの島を防衛するために、近代化を進めたが、1603年にエリザベス1世が死去して、ステュアート朝(House of Stuart)のスコットランド、イングランドおよびアイルランドの王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年-1625年)が即位した。

(1)ジェイムズ1世に接近した初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシル(Robert Cecil, 1st Earl of Salisbury:1563年ー1612年)と初代ノーサンプトン伯爵ヘンリー・ハワード(Henry Howard, 1st Earl of Northampton:1540年ー1614年)が、ジェイムズ1世に対して、「サー・ウォルター・ローリーが、(ジェイムズ1世の)即位に反対した。」と讒言したこと

(2)親スペイン派であるジェイムズ1世としては、反スペイン派であるサー・ウォルター・ローリーの存在が疎ましかったこと

等から、サー・ウォルター・ローリーは、エリザベス1世から授与された国王親衛隊隊長等、数々の地位を、ジェイムズ1世によって取り上げられる羽目となったのである。

その後、1603年11月17日に、ジェイムズ1世の追放を企てたメイン陰謀事件(Main Plot)が発覚して、サー・ウォルター・ローリーも、この政府転覆未遂事件への関与を疑われ、内乱罪で裁判を受け、ロンドン塔へ投獄された。死刑判決を受けたものの、未決のまま、1616年まで監禁された。ロンドン塔では、比較的自由な活動が許されたため、サー・ウォルター・ローリーは、監禁中に著作活動に熱中して、ギリシアとローマの古代史に関する「世界の歴史(A Historie of the World)」を執筆している。


1616年にロンドン塔から解放されたサー・ウォルター・ローリーは、黄金郷を発見するべく、南米大陸のオリノコ川(Orinoco River)流域に派遣された探検隊を指揮した。

探検の途中、サー・ウォルター・ローリーの部下達が、スペインの入植地であるサンソーム(San Thome)において、略奪行為を行った。その際、サー・ウォルター・ローリーの息子ウォルター(Walter)が、銃で撃たれて、死亡している。


サー・ウォルター・ローリーが南米大陸からイングランドに戻った後、彼の部下達による略奪行為に憤慨したスペイン大使のディエゴ・サルミエント・デ・アクーニャが、ジェイムズ1世に対して、サー・ウォルター・ローリーの死刑判決を執行するように、強く求めた。

ジェイムズ1世は、スペイン大使の要求を認め、1618年10月に、サー・ウォルター・ローリーの公開裁判が開催され、未決のままになっていた1603年の死刑判決執行が決定されて、同年10月29日に、ホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall)において、サー・ウォルター・ローリーは、斬首刑に処せられた。斬首されたサー・ウォルター・ローリーの首は、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)の隣りにあるセントマーガレット教会(The Anglican church of St. Margaret, Westminster)に、彼の胴体と一緒に埋葬されたのである。


2023年9月28日木曜日

アガサ・クリスティー作「青列車の秘密」<英国 TV ドラマ版>(The Mystery of the Blue Train by Agatha Christie )- その2

第54話「青列車の秘密」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 6 の裏表紙


英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第54話(第10シリーズ)として、2006年1月1日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「青列車の秘密(The Mystery of the Blue Train)」(1928年)の TV ドラマ版の場合、原作対比、以下のような差異が見受けられる。

原作に比べると、TV ドラマ版の場合、エルキュール・ポワロを含む事件が関係者達が青列車に乗車するまでの物語がかなり長くなっているので、今回は、彼らが青列車に乗車するまでの部分について、相違点を列挙する。


(1)

<原作>

1928年6月、フランスのパリにおいて、米国の大富豪であるルーファス・ヴァン・オールディン(Rufus Van Aldin)は、ロシア人の外交官から、悲劇と暴力の長い歴史に彩られた「炎の心臓(Heart of Fire)」と呼ばれる傷一つないルビーを手に入れた。

ルーファス・ヴァン・オールディンが、ロシア人の外交官からルビーを買い取ってから10分も経たないうちに、彼は2人の暴漢に襲われるが、なんとか事なきを得る。

ルーファス・ヴァン・オールディンが、法外な値段にもかかわらず、不気味な伝説を伴うルビーを手に入れたのは、彼の人生で唯一愛する娘のルース・ケタリング(Ruth Kettering)のためだった。このルビーで、結婚に失敗した娘の気を紛らわせることができるのであれば、ルーファス・ヴァン・オールディンは、金に糸目を全くつけなかったし、如何なる危険も顧みなかったのである。

<TV ドラマ版>

TV ドラマ版の場合、物語の年代は、1930年代に設定されている。

米国の大富豪であるルーファス・ヴァン・オールディンが「炎の心臓」を購入したのは、パリの路上においてである。

その後、彼は2人組の通り魔に襲われるが、自分自身で彼らを撃退する。


(2)

<原作>

実は、2人の暴漢は、「侯爵(Monsieur Le Marquis)」と呼ばれる男が差し向けた手の者だった。この「侯爵」は、国際的な宝石泥棒で、英国人にしては、フランス語を非常に流暢に話すことができた。「侯爵」は、珍しい骨董品ばかりを取り扱うキリオス・パポポラス(Kyrios Papopolous)の店を訪れると、「暴漢による襲撃は失敗したが、次の計画は失敗する筈がない。」と豪語するのであった。

<TV ドラマ版>

TV ドラマ版の場合、登場人物として、キリオス・パポポラスと彼の娘であるジア・パポポラス(Zia Papopolous)は割愛されているので、このような場面は存在しない。


(3)

<TV ドラマ版>

レディー・ロザリー・タンプリン(Lady Rosalie Tamplin)と彼女の娘であるレノックス・タンプリン(Lenox Tamplin)が、従姉妹のキャサリン・グレイ(Katherine Grey)が相当な額の遺産を相続したと言うニュースを新聞で知る。

<原作>

原作の場合、物語の初期の段階で、このような言及は為されていない。


(4)

<TV ドラマ版>

ロンドンのパークレーンホテル(Park Lane Hotel)に、ポワロが到着する。

そのポワロの元に、ルーファス・ヴァン・オールディンと娘のルース・ケタリングが寄ってきて、ポワロをルース・ケタリングの誕生日パーティーへと招待した。ポワロとしては、意に沿わなかったが、嫌々ながら、招待を受ける。

<原作>

原作の場合、ポワロがルーファス・ヴァン・オールディンと会うのは、娘のルース・ケタリングが青列車内で殺害された後で、彼女を殺害した犯人を見つけ出すように依頼される。従って、TV ドラマ版のように、物語の初期段階で、つまり、ルース・ケタリングが殺害される前に、ポワロがルーファス・ヴァン・オールディンと会うことはない。

また、原作の場合、ポワロが生前のルース・ケタリングには会っていない。初対面は、青列車内で殺害されたルース・ケタリングの死体を、同列車に乗車していたポワロが調べた際である。


(5)

<TV ドラマ版>

ルース・ケタリングの誕生日パーティーにおいて、ポワロは、ルーファス・ヴァン・オールディンから、彼の秘書であるリチャード・ナイトン少佐(Major Richard Knighton)を紹介される。

パーティー会場内で、ルース・ケタリングと彼女の夫であるデリク・ケタリング(Derek Kettering)がダンスを踊る様子を見物する。

また、デリク・ケタリングが、カードゲームで大負けしている現場も目撃した。なお、カードゲームで、デリク・ケタリングを打ち負かしていたのは、ルース・ケタリングの愛人であるアルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵(Armand, Comte de la Roche)であった。

<原作>

原作の場合、ポワロがリチャード・ナイトン少佐と会うのは、ルース・ケタリングが青列車内で殺害された後で、彼女を殺害した犯人を見つけ出すように、父親のルーファス・ヴァン・オールディンに依頼された際である。従って、TV ドラマ版のように、物語の初期段階で、つまり、ルース・ケタリングが殺害される前に、ポワロがリチャード・ナイトン少佐と会うことはない。

同様に、ルース・ケタリングが殺害される前に、ポワロがデリク・ケタリングやアルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵を見かけることもない。


(6)

<原作>

ルーファス・ヴァン・オールディンの娘のルースは、将来、レコンバリー卿(Lord Leconbury)となるデリク・ケタリングと結婚していた。ルースと結婚する前のデリク・ケタリングは、派手なギャンブルや出鱈目な生活等で、一家の財産を食い潰してきたが、結婚を機にして、その暮らしぶりを改めるのではないかと思われた。ところが、周囲の期待とは裏腹に、デリク・ケタリングの暮らしぶりが改まることはなく、それに加えて、悪名高いダンサーであるミレーユ(Mirelle)を愛人にしていた。

<TV ドラマ版>

原作の場合、デリク・ケタリングが、ミレーユ・ミレジ(Mirelle Milesi)を愛人にしているが、英国 TV ドラマ版の場合、ルーファス・ヴァン・オールディンが、ミレーユ・ミレジを愛人にしている。


(7)

<原作>

パリからロンドンへと戻ったルーファス・ヴァン・オールディンは、早速、ルビーを娘のルース・ケタリングにプレゼントするとともに、ろくでなしの夫デリク・ケタリングとの離婚を勧めるのであった。当初、妙に躊躇うそぶりを見せるルース・ケタリングであったが、ルーファス・ヴァン・オールディンは、「デリク(・ケタリング)は、金目当てに、お前と結婚した」ことをルース・ケタリングに認めさせ、離婚の手続を進めることに同意させた。

<TV ドラマ版>

ルース・ケタリングの誕生日パーティーの最中、ルーファス・ヴァン・オールディンは、秘書のリチャード・ナイトン少佐を同席させ、デリク・ケタリングを呼び出すと、彼に対して、ルース(・ケタリング)との離婚を要求した。そして、ルース(・ケタリング)との離婚に同意する条件として、10万ポンドの支払を提示。


(8)

<TV ドラマ版>

ルース・ケタリングの誕生日パーティーを抜け出したポワロは、パークレーンホテルのレストランにおいて、キャサリン・グレイがワインのテイスティングに困っているところを手助けする。助けられて、打ち解けたキャサリン・グレイは、ポワロに対して、「明日、リヴィエラ(Riviera)のニース(Nice)へ行く予定だ。」と話した。

<原作>

ポワロとキャサリン・グレイの初対面は、青列車に乗車した際である。


(9)

<TV ドラマ版>

パークレーンホテルの洗面所において、ルース・ケタリングは、愛人のアルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵に対して、青列車のチケット(三等車)を秘密裏に渡す。

また、キャサリン・グレイがリチャード・ナイトン少佐と出会う場面も挿入される。

<原作>

TV ドラマ版の場合、ルース・ケタリングの愛人であるアルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵も、青列車に乗車するが、原作の場合、アルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵は、青列車に乗車せず、パリで秘密裏に逢い引きするために、ルース・ケタリングは、青列車に乗って、フランスへと向かうのである。

また、原作の場合、青列車に乗車する前に、キャサリン・グレイがリチャード・ナイトン少佐に出会うことはない。原作の場合、キャサリン・グレイとリチャード・ナイトン少佐の間に、恋愛感情は芽生えないが、英国 TV ドラマ版の場合、キャサリン・グレイとリチャード・ナイトン少佐の間に、恋愛感情が芽生えていくのである。


(10)

<原作>

ルース・ケタリングは、南フランスのリヴィエラで冬のシーズンを過ごすため、近いうちに、ロンドンを発つ予定だった。ルーファス・ヴァン・オールディンは、ルース・ケタリングに対して、ルビーをリヴィエラへ持参するリスクは避けて、銀行の貸金庫に保管しておくよう、強く警告する。

しかしながら、残念なことに、ルーファス・ヴァン・オールディンの警告は、無視されることとなった。そして、それが、ルース・ケタリングにとって、悲劇を呼ぶことになる。ルース・ケタリングは、代償として、自分の命を落とすことになるのであった。

<TV ドラマ版>

基本的に、原作と同じであるが、ルーファス・ヴァン・オールディンが、ルース・ケタリングに対して、「お前がフランスから戻って来るまでに、デリク・ケタリングとの離婚は、成立している筈だ。」と伝えている。


(11)

<原作>

愛人のミレーユは、デリク・ケタリングに対して、「ルース・ケタリングは、リヴィエラで冬のシーズンを過ごすと言っているが、実際にはパリへ向かう予定で、そこでアルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵と逢い引きする筈だ!」と話す。10年前、デリク・ケタリングと結婚するまで、ルースが女誑しの悪党であるローシュ伯爵と恋仲だったことを考えると、あり得る話だった。

ミレーユの話を聞いたデリク・ケタリングは、ミレーユのフラットを飛び出すと、ニース行き青列車(Blue Train)の寝台を予約した。それは、妻のルースがリヴィエラへ向かう列車で、ミレーユの話が本当であれば、少なくとも、パリまでは乗って行く筈だ。

<TV ドラマ版>

TV ドラマ版の場合、ミレーユ・ミレジは、デリク・ケタリングの愛人ではなく、ルーファス・ヴァン・オールディンの愛人に変更されているため、原作のような場面は存在していない。


(12)

<原作>

ニース行きの青列車は、リヴィエラで冬のシーズンを過ごす予定である英国の有閑階級の人達で満席だった。

ルース・ケタリングは、メイドのエイダ・メイスン(Ada Mason)を連れて、青列車に乗車する。父親のルーファス・ヴァン・オールディンに強く警告されたにもかかわらず、リースは、父親からプレゼントされたルビー「炎の心」を携えたままであった。

青列車の乗客の中には、英国の有閑階級の人達に初めて加わるキャサリン・グレイも居た。彼女は、ついこの前まで金持ちの話し相手(コンパニオン)を務めていて、彼女の雇い主が遺してくれた財産を相続したばかりだった。

彼女は、長い間、連絡の途絶えていた従姉妹のレディー・ロザリー・タンプリンから、「数ヶ月間、リヴィエラで一緒に過ごさないか?」と招かれていた。レディー・タンプリンにとって、興味があるのは、自分が相続したばかりの財産だと気付いてはいたが、キャサリン・グレイは、自分に巡ってきた幸運を享受するつもりだった。

<TV ドラマ版>

ルース・ケタリングとメイドのエイダ・メイスンに加えて、デリク・ケタリングとミレーユ・ミレジも、青列車に乗車している。ただし、原作とは異なり、TV ドラマ版の場合、ミレーユ・ミレジは、デリク・ケタリングの愛人ではなく、ルーファス・ヴァン・オールディンの愛人に変更されているため、2人は別行動をしている。また、原作とは異なり、アルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵も、青列車に乗車している。

更に、原作とは異なり、青列車に、レディー・ロザリー・タンプリン、コーキー(Corky - レディー・ロザリー・タンプリンの4番目の夫)とレノックス・タンプリンの3人も、青列車に乗車して来て、キャサリン・グレイを出迎える。そして、4人は、夕食を一緒にすることになった。ちなみに、キャサリン・グレイの部屋は、レノックス・タンプリンの部屋の隣りの「7号室」となった。

なお、原作の場合、レディー・ロザリー・タンプリンの若い夫は、チャールズ・エヴァンズ(Charles Evans)と言う名前で、「Chubby」と言う愛称で呼ばれているが、英国 TV ドラマ版の場合、「コーキー」と言う愛称で呼ばれている。


(13)

<TV ドラマ版>

ルーファス・ヴァン・オールディンとリチャード・ナイトン少佐の2人は、ロンドンからパリへ飛行機で向かい、ジョルジュサンクホテル(George Cinq Hotel)に宿泊する。

ルーファス・ヴァン・オールディンは、リチャード・ナイトン少佐に対して、「休む。」と言い、自分の部屋へと一旦退くが、リチャード・ナイトン少佐には見つからないようにして、ホテルを出て行く。

<原作>

原作の場合、TV ドラマ版のような場面はない。


2023年9月27日水曜日

コンウォール州(Cornwall) レストーメル城(Restormel Castle)- その1

筆者がレストーメル城で購入した
イングリッシュヘリテージのガイドブックの表紙


これまでに、デヴォン州(Devon)内に所在するダートマス城(Dartmouth Castle → 2023年9月10日 / 9月12日付ブログで紹介済)、トトネス城(Totnes Castle → 2023年9月14日 / 9月16日付ブログで紹介済)およびベリーポメロイ城(Berry Pomeroy Castle → 2023年9月19日 / 9月23日付ブログで紹介済)について御紹介したが、コーンウォール州(Cornwall)内に所在する城も紹介したい。


筆者がレストーメル城で購入した
イングリッシュヘリテージのガイドブック内に載っている
城の図面(その1)


筆者がレストーメル城で購入した
イングリッシュヘリテージのガイドブック内に載っている
城の図面(その2)


今回紹介するのは、昔、戦略上の要所とされていたロストウィジール(Lostwithiel)の町を見下ろす場所に建つレストーメル城(Restormel Castle)である。近くには、フォイ川(River Fowey)が流れている。


外側からレストーメル城のキープを望む(その1)

1066年にノルマン朝(Norman Dynasty)を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年 - ウィリアム征服王(William the Conqueror)の名で呼ばれることの方が多い)がイングランドを征服(ノルマンコンクエスト / Norman Conquest)した後の11世紀後半に、レストーメル城は、地方の領主である Baldwin Fitz Turstin によって築かれたものと思われる。

その際、レストーメル城の近くに、ロストウィジールの町も開かれたのである。


外側からレストーメル城のキープを望む(その2)

レストーメル城は、ウォーリック州(Warwickshire)のウォーリック城(Warwick Castle → 2023年8月28日 / 8月30日付ブログで紹介済)やトトネス城と同じように、当初、木製の「モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)」であったが、12世紀末から13世紀初頭にかけて、石製のものに代えられた。

なお、「モット・アンド・ベイリー」とは、「モット(motte)」と呼ばれる小高い丘の上に建てられた木製、または、石製のキープ(keep)と、矢来(palisade)や防御用の堀(rampart)等で囲まれた中庭(bailey)で構成された要塞施設のことを意味している。


レストーメル城のキープの内側から外を見たところ

プランタジネット朝(House of Plantagenet)のイングランド王であるエドワード3世(Edward III:1312年ー1377年 在位期間:1327年ー1377年)の長男であるエドワード黒太子(Edward the Black Prince:1330年ー1376年)がコンウォール伯爵(Duke of Cornwall)となり、レストーメル城は、彼の所有となった。

その後、レストーメル城は、あまり使用されず、16世紀頃までには、打ち捨てられた状態になる。


2023年9月26日火曜日

マイケル・ボンド作「くまのパディントン」(A Bear Called Paddington by Michael Bond)

HarperCollins Publishing Ltd. から
2017年に HarperCollins Children's Books の一冊として出版されている
マイケル・ボンド作「くまのパディントン」の表紙


今回は、英国の作家であるマイケル・ボンド(Michael Bond:1926年-2017年)は、児童文学「くまのパディントン(Paddington Bear)」シリーズの第1作目となる「くまのパディング(A Bear Called Paddington)」(1958年)について、紹介したい。


HarperCollins Publishing Ltd. から
2017年に HarperCollins Children's Books の一冊として出版されている
マイケル・ボンド作「くまのパディントン」の裏表紙

ある日、ブラウン夫妻(ヘンリー・ブラウン(Henry Brown)とメアリー・ブラウン(Mary Brown))が、パディントン駅(Paddington Station → 2014年8月3日付ブログで紹介済)において、娘のジュディー(Judy Brown)と待ち合わせをしていた際、遺失物係の事務所(Left Luggage Office)の近くで、古ぼけたスーツケースの上に座っているクマを発見する。クマが着ていたコートには、「このクマの世話を宜しくお願いします。(Please look after this bear. Thank you.)」と書かれた札を付けていた。


HarperCollins Publishing Ltd. から
2017年に HarperCollins Children's Books の一冊として出版されている
マイケル・ボンド作「くまのパディントン」の内扉

ブラウン夫妻の問い掛けに、クマは、自分の出生地は、「暗黒の地ペルー(Darkest Peru)」で、おばさんのルーシー(Lucy)が首都リマ(Lima)にある老グマホームに入るため、彼に英語を教えて、英国へと送り出した、とのこと。そして、彼は、密航者として、英国に到着し、パディントン駅までやって来たのであった。

ペルーから来たクマは、マーマレード(marmalade)が大好きだった。


ブラウン夫妻がパディントン駅で見つけたクマが着ていたコートには、
「このクマの世話を宜しくお願いします。(Please look after this bear. Thank you.)」と
書かれた札を付けていた。

クマが、ブラウン夫妻に対して、「自分のスペイン語の名前は、発音しにくい。」と伝えると、ブラウン夫妻は、彼のことを、彼と初めて出会った駅名に因んで、「パディントン(Paddington)」と呼ぶことにした。


画面手前、左側から、くまのパディントン、ジュディー・ブラウン、
ヘンリー・ブラウン、そして、メアリー・ブラウン。

そして、娘のジュディーと出会えたブラウン夫妻は、彼女にパディントンを紹介した後、ポートベローロード(Portobello Road)の近くにある自宅(住所:ウィンザーガーデンズ32番地(32 Windsor Gardens))へと、皆で向かった。

自宅に到着したブラウン夫妻は、息子のジョナサン(Jonathan Brown)と家政婦のバード夫人(Mrs. Bird)に対して、パディントンを紹介する。


画面手前、左側から、ジュディー・ブラウン、くまのパディントン、
そして、家政婦のバード夫人。
画面奥に居るのは、ジョナサン・ブラウン。

ブラウン一家の家に落ち着いたパディントンは、礼儀正しい紳士的なクマであるが、何故か、彼の周囲には、トラブルがいろいろと巻き起こるのである。


2023年9月25日月曜日

アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」<小説版(愛蔵版)>(The Murder of Roger Ackroyd by Agatha Christie )- その1

2022年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1926年に発表した「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd)」について、英国の HarperCollinsPublishers 社から、2022年に愛蔵版(ハードバック版)が出版されているので、紹介致したい。

アガサ・クリスティーの孫に該るマシュー・プリチャード(Mathew Prichard:1943年ー)が序文を寄せ、その中で、彼は、(1)本作品の「語り手」となるジェイムズ・シェパード医師(Dr. James Sheppard)について、結婚して、アルゼンチンへと移住してしまったアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)の役割を代わりに果たしていること、また、ジェイムズ・シェパード医師の噂好きな姉であるキャロライン・シェパード(Caroline Sheppard)に関して、「書斎の死体(The Body in the Library)」(1942年)で初登場するミス・ジェーン・マープルのモデルであること等を述べている。


「アクロイド殺し」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第6作目に、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第3作目に該っている。

本作品の場合、元々、1925年7月16日から同年9月16日にかけて、「ロンドン イーヴニング ニュース(London Evening News)」紙上、「Who Killed Ackroyd?」というタイトルで、54話の連載小説として掲載され、その後、1冊の書籍として刊行された。


本作品の発表前の段階で、アガサ・クリスティーは、


(1)長編「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affairs at Styles)」(1920年):エルキュール・ポワロシリーズ第1作目

(2)長編「秘密機関(The Secret Adversary)」:トーマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))/ プルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence)シリーズ第1作目

(3)長編「ゴルフ場殺人事件(The Murder on the Links)」(1923年):エルキュール・ポワロシリーズ第2作目

(4)長編「茶色の服の男(The Man in the Brown Suit)」(1924年)

(5)短編集「ポワロ登場(Poirot Investigates)」(1925年)

(6)長編「チムニーズ館の秘密(The Secret of Chimneys)」(1925年)


長編5作と短編集1作を既に発表していたが、推理作家としての彼女の知名度は、今ひとつだった。しかしながら、彼女の長編第6作目に該る「アクロイド殺し」のフェア・アンフェア論争により、アガサ・クリスティーの知名度は大きく高まり、ベストセラー作家の仲間入りを果たした。


2022年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)の扉絵 -
エルキュール・ポワロのトレードマークとなっている
帽子が描かれている。

一方で、同年、アガサ・クリスティーは、最愛の母親を亡くしたことに加えて、夫であるアーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年ー1962年)に、別に恋人が居ることが判明して、精神的に不安定な状態にあった。

当時、ロンドン近郊の田園都市であるサニングデール(Sunningdale)に住んでいたアガサ・クリスティーは、同年(1926年)12月3日、住み込みのメイドに対して、行き先を告げず、「外出する。」と伝えると、当時珍しかった自動車を自分で運転して、自宅を出たまま、行方不明となってしまう。

「アクロイド殺し」がベストセラー化したことにより、有名人となった彼女の失踪事件は、世間の興味を非常に掻き立てた。警察は、彼女の行方を探すとともに、彼女が事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて、捜査を進め、夫のアーチボルドも疑われることになった。マスコミは格好のネタに飛び付き、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-193年)やピーター・デス・ブリードン・ウィムジイ卿(Lord Peter Death Bredon Wimsey)シリーズの作者であるドロシー・L・セイヤーズ(Dorothy Leigh Sayers:1893年ー1957年)等が、マスコミから求められて、コメントを出している。

11日後、彼女は、保養地(Harrogate)のホテル(The Swan Hydropathic Hotel)に別人(夫アーチボルドの愛人であるナンシー・ニール(Nancy Neele)と同じ姓のテレサ・ニール(Teresa Neele))の名義で宿泊していたことが判り、保護された。


上記の通り、1926年に、アガサ・クリスティーは、キャリア面において、ベストセラー作家の仲間入りを果たすとともに、プライベート面においても、失踪事件を起こして、世間からの脚光を浴びてしまうことになったのである。


2023年9月24日日曜日

映画「名探偵ポワロ:ヴェネチアの亡霊」(A Haunting in Venice)- その4

画面手前の人物は、名探偵エルキュール・ポワロで、
画面奥の人物は、左側から、(1)ニコラス・ホーランド、(2)オルガ・セミノフ、
(3)マキシム・ジェラード、(4)ジョイス・レイノルズ、(5)アリアドニ・オリヴァー、
(6)ロウィーナ・ドレイク、(7)レスリー・フェリアー、(8)レオポルド・フェリアー、
(9)ヴィターレ・ポルトフォリオ、そして、(10)デズモデーナ・ホーランドの10人が、
運河に架かる橋の上に並んで、立っている。
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1969年に発表したエルキュール・ポワロシリーズの長編「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party)」をベースにして、英国の俳優 / 映画監督 / 脚本家 / プロデューサーであるサー・ケネス・ブラナー(Sir Kenneth Branagh:1960年ー)が監督と主演を務め、2023年9月15日に公開された映画「名探偵ポワロ:ヴェネチアの亡霊(A Haunting in Venice)」を観た感想を、今回は述べたいと思う。


サー・ケネス・ブラナーが監督と主演を務めた第1作目の「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)」(2017年)については、DVD で観たものの、ポワロが全くエレガントでなかっため、もっと明確に言えば、あまりにも下品なキャラクターだっため、第2作目の「ナイル殺人事件(Death on the Nile)」(2022年)に関しては、全く興味を感じなかった。


東京創元社が発行する創元推理文庫
デュ・モーリア傑作集「いま見てはいけない」の表紙−
カバーイラスト:浅野 信二氏
カバーデザイン:柳川 貴代氏 + Fragment


何故、第3作目の「名探偵ポワロ:ヴェネチアの亡霊」を観る気になったかと言うと、個人的に好きな英国の小説家であるディム・ダフニ・デュ・モーリエ(Dame Daphne du Maurier:1907年ー1989年)が執筆した短編で、映画化もされている「いま見てはいけない(Don’t Look Now → 2019年9月7日 / 9月17日付けブログで紹介済)」(1971年)が、イタリアのヴェネツィア(Venice)を舞台にした幻想的かつホラーめいた作品で、今回の映画も、ヴェネツィアを物語の舞台にしていたからである。


2006年に Penguin Classics として出版された
ダフニ・デュ・モーリエ作「Don't Look Now and Other Stories」–
本の表紙には、ニコラス・ローグが監督した
「Don't Look Now」の一場面が使用されている

ニコラス・ローグが監督した「Don't Look Now」の DVD


「名探偵ポワロ:ヴェネチアの亡霊」の場合、(1)探偵役:エルキュール・ポワロ、(2)依頼人:アリアドニ・オリヴァー(Ariadne Oliver)、(3)被害者:ジョイス・レイノルズ(Joyce Reynolds)と(4)犯人:ロウィーナ・ドレイク(Rowena Drake)と言う役割については、遵守しているもののの、アガサ・クリスティーの原作とは全く異なる内容となっている。

映画版において、名前と役割に関しては、原作に沿ってはいるものの、原作とは異なり、アリアドニ・オリヴァーは、ポワロに対して、ある悪意を抱いている上に、ジョイス・レイノルズは、ハロウィーンの夜に開催された降霊会に姿を見せた謎めいた霊能者であるし、ロウィーナ・ドレイクは、元オペラ歌手で、アリシア(Alicia Drake)と言う名前の娘が居たと言う人物設定に変えられている。

また、アガサ・クリスティーの原作にも出てくる人物として、映画版には、(5)オルガ・セミノフ(Olga Seminoff - ドレイク家の家政婦)、(6)レスリー・フェリアー医師(Dr. Leslie Ferrier - 元軍医で、現在は、ドレイク家の主治医)、(7)レオポルド・フェリアー(Leopold Ferrier - レスリー・フェリアー医師の10歳の息子)、(8)デズデモーナ・ホーランド(Desdemona Holland - 弟のニコラスと一緒に、降霊会のアシスタントを務める)や(9)ニコラス・ホーランド(Nicholas Holland - 姉のデズデモーナと一緒に、降霊会のアシスタントを務める)も登場するが、彼らの人物設定も、全く変更されている。極論を言えば、原作から名前だけを借りているだけである。


映画版の内容についても、ダークで、かつ、ホラーめいた部分が非常に強調されていて、原作で醸し出されている人間の悪意の本当の怖さと言うものが、正直ベース、全く感じられない。


また、映画版の殺害動機に関しても、第1の被害者であるジョイス・レイノルズと第2の被害者であるレスリー・フェリアー医師(原作では、ジョイス・レイノルズの弟であるレオポルド・レイノルズ(Leopold Reynolds))の場合、原作と同様に、「自己保身」であるが、娘のアリシア・ドレイクの場合、ミス・ジェーン・マープルシリーズの長編「復讐の女神(Nemesis)」(1971年)にかなり近いと言える。


映像的に気になったのは、一つ目は、個人的に期待していたヴェネツィアと言う舞台が、物語の始めと終わりに、撮影に使用されているだけで、後は CG とセットでの撮影で済ませられていると思われる点である。

もう一つは、米国映画であるため、仕方ないのかもしれないが、各キャラクターのアップとセリフで、物語が展開する場面が非常に多い点である。特に、殺人事件が発生した後、ポワロが事件関係者達に対する尋問を個別に進めていくが、物語的には、どうしても単調な展開になりやすいにもかかわらず、各尋問において、各キャラクターのアップとセリフで場面が切り替わることが多く、正直ベース、あまりにも不自然な印象を否めなかった。


かなり前の事例となるが、軍法会議サスペンスをテーマにした米国映画「ア・フュー・グッドメン(A Few Good Men)」(1992年)において、主人公のダニエル・キャフィー中尉(Lieutenant Daniel Kaffee)を演じるトム・クルーズ(Tom Cruise)と敵役のネイサン・R・ジェセップ大佐(Colonel Nathan R. Jessep)を演じるジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)の2人は、同じ映像内に一緒に撮影されることは決してなかった。仮に同じ映像内に一緒におさまる場合であっても、どちらか一方は必ず後ろ向きの姿で、後ろ向きの姿は、本人ではなく、別の俳優が演じていた。

本作品には、他に、ジョアン・ギャロウェイ少佐(Lieutenant Commander Joanne Galloway)を演じるデミ・ムーア(Demi Moore)も出演しているが、彼女は、トム・クルーズと同じ映像内に一緒におさまっている。


また、犯罪アクションをテーマにした米国映画「ヒート(Heat)」(1995年)においても、主人公のヴィンセント・ハナ刑事(Lieutenant Vincent Hanna)を演じるアル・パチーノ(Al Pacino)と敵役の強盗団リーダーのニール・マッコーリー(Neil McCauley)を演じるロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)の2人も、同じ映像内に一緒に撮影されることは決してなかった。仮に同じ映像内に一緒におさまる場合であっても、どちらか一方は必ず後ろ向きの姿で、後ろ向きの姿は、本人ではなく、別の俳優が演じていた。


米国映画では、以前、一流スターの場合、別の一流スターと一緒に、同じ映像内に一緒におさまることを嫌う傾向があり、出演契約書上、そう言った制約を付すことが多かったと聞く。


現在は、そう言った傾向は少ないかとは思うが、「名探偵ポワロ:ヴェネチアの亡霊」の場合、各出演者が同じ映像内に一緒におさまる場面は、それなりにあるものの、殺人事件が発生した後、ポワロが事件関係者達に対する尋問を個別に進めていく場面になると、一転して、各キャラクターのアップとセリフで場面が切り替わることが、メインとなっている。もしかすると、単調になる傾向がある尋問場面を、各キャラクターのアップとセリフで場面を切り替えることで、サスペンスを高める意図があったのかもしれないが、個人的には、その意図とは別に、逆に、不自然さが強調されてしまっていて、功を奏していない感じが非常に強い。