2023年9月5日火曜日

コナン・ドイル作「ボヘミアの醜聞」<英国 TV ドラマ版>(A Scandal in Bohemia by Conan Doyle )- その2

英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年7月号に掲載された挿絵(その9) -

ボヘミア国王と一緒に撮影した写真の隠し場所を突き止めて、
セントジョンズウッド地区サーペンタインアベニューにある
ブライオニーロッジからベーカーストリート221Bへと戻って来た
シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンであったが、
「おやすみなさい、ホームズさん。」と声をかけて、
その2人の横を通り過ぎた人物が居た。
それは、男装して、2人の後を追って来た
アイリーン・アドラーその人だったのである。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2022年12月18日 / 2023年8月6日 / 8月9日 / 8月19付ブログで紹介済)」をベースにして、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)の第1エピソード(通算では第1話)である「ボヘミアの醜聞」は、英国では、1984年4月24日に、また、日本では、約1年後の1985年4月13日に放映されているが、原作とは異なる部分が、いくつか存在する。


(1)

<英国 TV 版>

アイリーン・アドラー(Irene Adler)と一緒に撮影した写真を取り戻すために、ボヘミア国王(King of Bohemia)が雇った男2人が、アイリーン・アドラーの家(セントジョンズウッド地区(St. John’s Woood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)サーペンタインアベニュー(Serpentine Avenue)にあるブライオニーロッジ(Briony Lodge))に侵入して、家捜しをする場面から、物語が始まる。男2人は、アイリーン・アドラーの肖像画をナイフで切り裂くと言う狼藉も行う。

彼らが家捜しをしている最中、銃を手にしたアイリーン・アドラーが、彼女のメイドであるウィラード夫人(Mrs. Willard)と一緒に、部屋へと入って来ると、彼らを家から出て行かせる。


<原作>

原作の冒頭部分に、このような場面はない。


(2)

<原作>

1888年3月20日の夜、ジョン・H・ワトスンは、ベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れる。ワトスンは、結婚し、ホームズと共同生活を送っていたベーカーストリート221Bの部屋を出て、開業医へと戻っていたが、往診の帰り道に、ベーカーストリート221Bの前を通りかかり、懐かしさからホームズの部屋を訪ねたのである。


<英国 TV 版>

原作とは異なり、ワトスンは、結婚しておらず、ベーカーストリート221Bにおいて、ホームズと共同生活を行なっている。

一方で、ワトスンは、別の場所で開業医をしており、仕事で数日間、ロンドンを不在にした後、ちょうど戻って来たところだった。


(3)

<英国 TV 版>

ワトスンがベーカーストリート221Bに戻って来たところ、ホームズは、椅子に座って、暖炉の方へ顔を向けていた。ホームズの机の引き出しから、注射器が出ているのに、ワトスンは気付いた。

「モルヒネなのか、それとも、コカインなのか?」と尋ねるワトスンに対して、ホームズは、「7 % Solution だ。」と答える。「四つの署名(The Sign of the Four → 2017年8月12日付ブログで紹介済)」の冒頭部分が、ここに挿入されている。


<原作>

原作には、このような場面はない。


(4)

<英国 TV 版>

事前に出した手紙の通り、午後7時45分にベーカーストリート221Bを訪れた後、フォン・クラム伯爵(Count von Kramm)の変装を解いたボヘミア国王(King of Bohemia)のカッセル・フェルシュタイン大公ウィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモント・フォン・オルムシュタイン(Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein)は、アイリーン・アドラーと知り合った時期について、「ワルシャワ(Warsaw)を訪れた10年前だ。」と答えている。


<原作>

ボヘミア国王は、アイリーン・アドラーと知り合った時期について、「ワルシャワを訪れた5年前だ。」と答えている。


(5)

<原作>

ボヘミア国王は、アイリーン・アドラーの経歴について、


・1858年、米国のニュージャージー州生まれ。

・コントラルト(Contralto - 女性の最低音域 / アルト(Alto)とも言う)歌手

ワルシャワ帝国オペラ座(Imperial Opera of Warsaw)のプリマドンナ(Prima donna)

・イタリアのミラノにあるスカラ座(La Scala)に出演したことあり。

・現在は、オペラの舞台から引退して、ロンドンに在住。


と説明した。


<英国 TV 版>

ボヘミア国王は、アイリーン・アドラーの経歴について、


・1858年、米国のニュージャージー州生まれ。

・コントラルト歌手

・ミラノにあるスカラ座、サンクトペテルブルク(St. Petersburg)やワルシャワの歌劇場に出演した。

・現在は、オペラの舞台から引退して、ロンドンに在住。


と説明している。

英国 TV 版の場合、原作とは異なり、アイリーン・アドラーがワルシャワ帝国オペラ座のプリマドンナであったことには、言及されていない。逆に、原作では言及されていないサンクトペテルブルグの歌劇場にも、アイリーン・アドラーは出演したことになっている。


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