2021年12月28日火曜日

チャールズ・ウォーレン・アダムズ作「ノッティングヒルの謎」(The Notting Hill Mystery by Charles Warren Adams) - その2


法律家、出版業者で、かつ、動物の生体解剖反対者でもあったチャールズ・ウォーレン・アダムズ(Charles Warren Adams:1833年ー1903年)が、「チャールズ・フェリックス(Charles Felix)」というペンネームで執筆した「ノッティングヒルの謎(The Notting Hill Mystery)」は、当初、Bradbury & Evans が発行する「Once A Week」という週刊誌1862年11月29日号から1863年1月17日号までの8回に分けて連載された後、1865年に Saunders, Otley, and Company から1冊の小説として出版された。


「ノッティングヒルの謎」には、英国の風刺漫画家で、ゴシックホラー小説「トリルビー(Trilby)」(1894年)等を執筆した作家でもあったジョージ・ルイ・パルメラ・ビュッソン・デュ・モーリエ(Georeg Louis Palmella Busson du Maurier:1834年ー1896年 → 2019年6月15日 / 6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)による挿絵が付されているので、今回は、これらを御紹介したい。


(1)週刊誌「One A Week」の1862年11月29日号


(2)週刊誌「One A Week」の1862年12月6日号

(3)週刊誌「One A Week」の1862年12月13日号

(4)週刊誌「One A Week」の1862年12月20日号

(5)週刊誌「One A Week」の1862年12月27日号

(6)週刊誌「One A Week」の1863年1月3日号
   残念ながら、この号については、挿絵が付されていない模様。

(7)週刊誌「One A Week」の1863年1月10日号

(8)週刊誌「One A Week」の1863年1月17日号

2021年12月27日月曜日

チャールズ・ウォーレン・アダムズ作「ノッティングヒルの謎」(The Notting Hill Mystery by Charles Warren Adams) - その1

大英図書館から2015年に出版された
チャールズ・ウォーレン・アダムズ作「ノッティングヒルの謎」の表紙
(ペーパーバック版 - Front Cover Illustration : Chris Andrews)


「ノッティングヒルの謎(The Notting Hill Mystery)」は、法律家、出版業者で、かつ、動物の生体解剖反対者でもあったチャールズ・ウォーレン・アダムズ(Charles Warren Adams:1833年ー1903年)が、「チャールズ・フェリックス(Charles Felix)」というペンネームで執筆した作品で、英語での出版物として、初めて世に出た推理小説と言われている。


「ノッティングヒルの謎」は、当初、Bradbury & Evans が発行する「Once A Week」という週刊誌1862年11月29日号から1863年1月17日号までの8回に分けて連載された後、1865年に Saunders, Otley, and Company から1冊の小説として出版された。

「ノッティングヒルの謎」には、英国の風刺漫画家で、ゴシックホラー小説「トリルビー(Trilby)」(1894年)等を執筆した作家でもあったジョージ・ルイ・パルメラ・ビュッソン・デュ・モーリエ(Georeg Louis Palmella Busson du Maurier:1834年ー1896年 → 2019年6月15日 / 6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)による挿絵が付されている。


大英図書館から2015年に出版された
チャールズ・ウォーレン・アダムズ作「ノッティングヒルの謎」の裏表紙


物語は、生命保険協会(Life Assurance Association)の調査員(insurance investigator)であるラルフ・ヘンダースン(Ralph Henderson)による調査記録として構成されている。


事件があった「Baron R**」の屋敷の地下室の見取り図 -
深夜、「Madame R**」は、夢遊病による徘徊中、
夫の実験室(Lavatory)内に保管されていた酸が入った瓶を
誤って飲んで、死亡したと、「Baron R**」から通報された。

1857年315日、「Baron R**」という人物の妻である「Madame R**」が、深夜、夢遊病による屋敷内徘徊中、夫の実験室内に保管されていた酸が入った瓶を誤って飲んでしまい、死亡するという事件が発生する。

同年11月、生命保険協会からの指示を受けて、ヘンダースン調査員が調べたところ、「Madame R**」には、「Baron R**」により、異なる日付(1855年11月1日 / 1855年12月23日 / 1856年1月10日 / 1856年1月25日 / 1856年2月15日)で、異なる保険会社経由、5つの生命保険が掛けられていることが判明した。5つの生命保険の合計は、相当な額となる。

これに不審を感じたヘンダースン調査員は、高額な生命保険金を手に入れるために、「Baron R**」が「Madame R**」を殺害したのではないかと疑う。更に調査を進めたヘンダースン調査員は、「Madame R**」の殺害だけではなく、「Baron R**」が他にも2人を殺害している可能性を突き止める。

完全犯罪のように思われる「Baron R**」による3人の殺害疑惑について、ヘンダースン調査員は、どのように証明するのか?


2015年、大英図書館(British Library)は、1865年に出版された小説版の150周年を記念して、当時の版を使用し、パーパーバック版を一般に販売している。


2021年12月26日日曜日

ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」(The Monogram Murders by Sophie Hannah) - その3

英国の HarperCollinsPublishers 社から2014年に出版された
ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」の見返し部分(ハードカバー版)
Jacket Design : HarperCollinsPublishers


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆(4.0)


エルキュール・ポワロが至福の時を過ごす珈琲館へ突然飛び込んで来る半狂乱の若い女性ジェニー(Jenny)。「自分は命を狙われているが、例え殺されたとしても、警察には絶対に通報しないでほしい。」と、謎の言葉を残すと、夜の街へと姿を消す。

その一方で、ロンドンの一流ホテルでは、宿泊者客3人がそれぞれの部屋で毒殺されるという事件が発生する。しかも、被害者3人の口の中には、「PIJ」と刻まれたモノグラム(イニシャルの図案)付きのカフスボタンが入れられていた。

謎の言葉を残して、姿を消したジェニー、ロンドンの一流ホテルで発生した連続毒殺事件、カフスボタンに刻まれたモノグラム「PIJ」が意味するもの、そして、被害者3人の共通項であるグレートホーリング村(Great Holling)に潜む動機等、魅力的な謎が数多く提示される。


(2)物語の展開について ☆☆☆半(3.5)


ロンドンの一流ホテルにおいて発生した連続毒殺事件は、十数年前にグレートホーリング村で起きたある出来事に端を発したものであることが判明してくる。

提示された魅力的な謎の数々を、ポワロが解き明かしていくが、物語を面白くするためなのかもしれないが、事件の真相や過程等がやや複雑化し過ぎていて、分かりづらい展開になっている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」の表紙(ペーパーバック版)


(3)ポワロ / キャッチプール警部の活躍について ☆☆☆(3.0)


原作者であるアーサー・コナン・ドイル以外の作家が、シャーロック・ホームズ作品を執筆した場合、作品の出来不出来には関係なく、余程のことがない限り、登場するホームズはホームズらしい言動をするように思えるが、原作者であるアガサ・クリスティー以外の作家が、ポワロ作品を執筆した場合、登場するポワロがフランス語を多用していたとしても、申し訳ないが、個人的には、ポワロのようにはあまり感じられない。ホームズに比べると、ポワロは、どの作家であっても、扱うことが非常に難しいキャラクターなのではないかと思う。

また、物語の語り手として、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)ではなく、作者独自のキャラクターであるスコットランドヤードの若手警部エドワード・キャッチプール(Inspector Edward Catchpool)を採用しているが、捜査のプロとしての言動があまり見られず、物語の語り手としては、成功していない。逆に、プロにもかかわらず、あまり能力がない人物が物語の語り手を務めているような変な印象を受けてしまう。


(4)総合評価 ☆☆☆半(3.5)


本作品は、アガサ・クリスティー財団(Agatha Christie Limited)が公認したポワロシリーズの正統な最新作である。

魅力的な謎が数多く提供されたり、勿論、ポワロも登場するが、正直ベース、アガサ・クリスティーの後継作品、それも、特に、ポワロシリーズとして、本作品は趣をやや異にしているようにしか感じられず、物語の内容にあまり入り込めない感じが強い。



2021年12月25日土曜日

クリスマス 2021(Christmas 2021)

The attached stamps issued by Royal Mail in November 2021 are designed  by Supple Studio, featuring the illustrations by Jorge Cocco.











2021年12月19日日曜日

英国海軍艦(その2) - HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ(Royal Navy Ship 2 - HMS Sovereign of the Seas)

英国海軍の500周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、
2番目に紹介するのは、
ステュアート朝の第2代目国王であるチャールズ1世が、
建造を命じた艦の一つで、当時、世界最大の戦列艦である「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ」。
なお、1637年というのは、
1634年に着工が始まったソブリン・オブ・ザ・シーズが進水式を迎えた年である。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して発行した8種類の切手のうち、2番目に紹介するのは、「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ(HMS Sovereign of the Seas)」である。


「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ」については、1634年8月に、ステュアート朝の第2代目国王(イングランド、スコットランドとアイルランドの王)であるチャールズ1世( Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年-1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)が、「Master Shipwright Captain(熟練の船大工棟梁)」であるフィニアス・ペット(Phineas Pett:1570年ー1647年)と彼の息子で、同じく、「Master Shipwright」であるピーター・ペット(Peter Pett:1610年ー1672年)に建造を命じた。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
チャールズ1世の肖像画の葉書
(Daniel Mytens
 / 1631年 / Oil on panel
2159 mm x 1346 mm) 


同軍艦は、巨費を投じて、ウールウィッチ造船所(Woolwich Dockyard)において建造が勧められ、1637年10月に進水式を迎えた。そして、「海の君主」という意味で、「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ」と名付けられた。


「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ」は、


全長: 110m

船幅: 14m

重量: 1,637t


の上、100門以上の大砲を備えた1等の戦列艦で、当時、世界最大の軍艦だった。

更に、当時としては、最も豪華に装飾された軍艦で、金箔を惜しげもなく使われた上に、精巧な彫刻も施されていたため、その光り輝く姿から、英国と敵対するオランダ海軍からは、「黄金の悪魔」と呼ばれて、恐れられた。


「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ」は、1651年に「ソブリン(Sovereign)」に、更に、1685年に「ロイヤル・ソブリン(Royal Sovereign)」と改称された。


「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ」は、数多くの海戦に参戦したが、残念ながら、1697年、倒れた蝋燭の火が引火して発生した火災により焼け落ちてしまった。


2021年12月18日土曜日

ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」(The Monogram Murders by Sophie Hannah) - その2

英国の HarperCollinsPublishers 社から2014年に出版された
ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」の
カバーを外した本体の表紙(ハードカバー版)
Jacket Design : HarperCollinsPublishers


ブロックシャムホテル(Bloxham Hotel)側の説明によると、前日の水曜日(1929年2月6日)に、被害者の3人は、3人一緒ではなく、バラバラでホテルに到着した、とのこと。

記録では、ハリエット・シッペル夫人(Mrs. Harriet Sippel - 121号室に宿泊)とアイダ・グランズベリー嬢(Miss Ida Gransbury - 317号室に宿泊)の2人は、カルヴァーヴァレー(Culver Valley)のグレートホーリング(Great Holling)という村に住んでいたようである。もう一人の被害者であるリチャード・ネグス氏(Mr. Richard Negus - 238号室に宿泊)は、デヴォン州(Devon)のビーワースィー(Beaworthy)に住んでいたようだが、3週間前に、彼が3人分の予約をまとめて行なった上、全員の部屋代を前以て支払っていた。

更に、新たな事実が判明する。

事件当日(1929年2月7日(木))の午後7時15分に、被害者の3人は、アイダ・グランズベリー嬢が宿泊した317号室において、一緒に食事をしたのであった。その際に給仕したラファル・ボバック(Rafal Bobak)によると、食事はアフタヌーンティーのため、飲み物としては、紅茶が出され、シェリー酒は給仕していない、とのことだった。


そうこうする間に、リチャード・ネグス氏と一緒に暮らしていた兄のヘンリー・ネグス氏(Henry Negus)が、デヴォン州からロンドンに到着した。ヘンリー・ネグス氏と面談した名探偵エルキュール・ポワロとスコットランドヤードの若手警部であるエドワード・キャッチプール(Edward Catchpool)は、彼から衝撃の事実を知らされる。ヘンリー・ネグス氏は、ハリエット・シッペル夫人のことは知らないが、アイダ・グランズベリー嬢のことは、面識はないものの、知っていると言う。彼の弟リチャード・ネグス氏は、1913年にデヴォン州に移って来るまでは、グレートホーリング村に住み、法律関係の仕事をしていた。そのうえ、リチャード・ネグス氏は、当時、アイダ・グランズベリー嬢と婚約していたのである。

つまり、被害者の3人が、グレートホーリング村に今も住んでいるか、あるいは、以前住んでいたことになる訳で、事件に関する重要な手掛かりは、グレートホーリング村にあるようだ。残念ながら、兄のヘンリー・ネグス氏も、何故、弟のリチャード・ネグス氏がアイダ・グランズベリー嬢との婚約を解消し、グレートホーリング村を出て、デヴォン州の自分の元へと移って来たのかについては、知らなかった。


ヘンリー・ネグス氏の説明を聞いたキャッチプール警部は、捜査のため、早速、グレートホーリング村へと向かう決心を固める。ところが、ポワロは、珈琲館(Pleasant’s Coffee House)へ半狂乱で駆け込んで来た後、夜の街へと姿を消してしまったジェニー(Jenny)のことが気になるのか、キャッチプール警部と一緒にグレートホーリング村へは行かないで、ロンドンに残ると告げるのであった。


キャッチプール警部が向かうグレートホーリング村では、一体、何が待ち受けているのだろうか?16年前に、アイダ・グランズベリー嬢との婚約を解消して、リチャード・ネグス氏は、グレートホーリング村からデヴォン州へと移り住んでいるが、その際、何があったのだろうか?そして、それは事件と密接に関連しているのか?更に、被害者の3人の口の中に入れられたカフスボタンに刻まれたモノグラム(イニシャルの図案)の「PIJ」とは、一体、何を意味するのか?また、謎の言葉を残して、夜の街へと姿を消したジェニーなる女性は、一体、何者で、この事件とどのように繋がっているのだろうか?


ポワロとキャッチプール警部の前には、解明すべき謎が、数多くあった。そして、第4の殺人事件が発生する。果たして、ポワロが誇る灰色の脳細胞は、これらの謎全てを明らかにできるのか?


2021年12月12日日曜日

ブラム・ストーカー作「白蛇の巣」<小説版>(The Lair of the White Worm by Bram Stoker < Novel Version >)

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2016年に出版された
サム・シチリアーノ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 白蛇伝説」の表紙


米国ユタ州ソルトレークシティー出身の作家であるサム・シチリアーノ(Sam Siciliano:1947年ー)が2016年に発表した「白蛇伝説(The White Worm → 2017年10月17日 / 10月21日付ブログで紹介済)」は、アイルランド人の小説家であるブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)が執筆したホラー小説「白蛇の巣(The Lair of the White Worm)」(1911年)をベースにしているとのこと。


本作品「白蛇の巣」の主人公は、オーストラリア人のアダム・サルトン(Adam Salton)で、オーストラリアにおいて、既に十分な富を成していた。

1860年に、彼は、彼の大叔父(elderly great-uncle)で、英国ダービーシャー州(Derbyshire)レッサーヒル(Lesser Hill)の大地主でもあるリチャード・サルトン(Richard Salton)から、手紙を受け取る。リチャード・サルトンには、家族が居らず、唯一の肉親であるアダム・サルトンに対して、一度、英国へ遊びに来るよう、誘っていた。大叔父からの誘いを受けて、アダム・サルトンは、オーストラリアから英国へと、船旅で向かった。


英国サザンプトン(Southampton)に着いたアダム・サルトンは、出迎えに来ていた大叔父リチャード・サルトンと会うと、二人は直ぐに親しくなった。すると、リチャード・サルトンは、アダム・サルトンに対して、「彼(アダム)を、自分(リチャード)の地所を含む財産の相続人にしたい。」という話を明らかにする。


その後、アダム・サルトンは、ダービーシャー州レッサーヒルへと向かうが、彼の案内人で、かつ、リチャード・サルトンの友人でもあるサー・ナサニエル・デ・サリス(Sir Nathaniel de Salis)と一緒に、不可思議な出来事に遭遇するのであった。

彼は、大叔父の地所内に、大量の黒蛇が生息しているのを発見する。その上、地所内に住む子供の一人が、蛇に首を咬まれて、死にかけているのを見つける。地所内では、既に、別の子供が蛇に襲われて死亡しており、また、多くの動物達が、原因不明の理由で、死んでいるのが判った。

地所内には、白蛇(White Worm)の伝説が伝わっていたのである。


サム・シチリアーノ作「白蛇伝説」において、英国北部ヨークシャー州(Yorkshire)の港町ウィットビー(Whitby)に住むアダム・セルトン(Adam Selton)という先月21歳になったばかりの青年が、彼の恋人であるダイアナ・マーシュ(Diana Marsh)のことで、シャーロック・ホームズの元を相談に訪れる。

ブラム・ストーカー作「白蛇の巣」の主人公はアダム・サルトンなので、サム・シチリアーノは、この主人公の名前を少しだけ変えて、自分の作品に事件の相談者として使っていると言える。


また、ブラム・ストーカー作「白蛇の巣」において、ダイアナズグローヴ(Diana’s Grove)と呼ばれている土地に住むアラベラ・マーチ(Arabella March)という女性が出てくるが、サム・シチリアーノ作「白蛇伝説」では、アダム・セルトンの恋人であるダイアナ・マーシュが住む場所の名前として使用されている。


ただし、事件の舞台について、ブラム・ストーカー作「白蛇の巣」では、ダービーシャー州のレッサーヒルに設定されているのに対して、サム・シチリアーノ作「白蛇伝説」では、ヨークシャー州の港町ウィットビーへと変えられている。ウィットビーとは、ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ(Dracula → 2017年12月24日 / 12月26日付ブログで紹介済)」(1897年)において、欧州大陸から渡って来たドラキュラ伯爵(Count Dracula)が最初に上陸する英国の場所である。何故、サム・シチリアーノは、ブラム・ストーカーによるオリジナル版から、わざわざ事件の舞台を変更したのだろうか?


なお、サム・シチリアーノ作「白蛇伝説」において、古語の「Worm(虫)」は、「Serpent(蛇)」や「Dragon(龍)」を意味するのだと、シャーロック・ホームズは、事件の相談者であるアダム・セルトンに対して、説明している。


ブラム・ストーカー作「白蛇の巣」は、彼が亡くなる1年前の1911年に発表されているが、1925年の改定版が出版された際、不幸なことに、オリジナル版の40章が28章へと大幅に削られ、100ページ以上がカットされてしまった。特に、後半の11章が5章へと削減されたことにより、非常に唐突な結末になるという憂き目に遭っている。そのために、「白蛇の巣」は、ブラム・ストーカーが発表した作品の中で、一番出来が悪い作品という評価を受けてしまっている。


2021年12月11日土曜日

ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」(The Monogram Murders by Sophie Hannah) - その1

英国の HarperCollinsPublishers 社から2014年に出版された
ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」の表紙(ハードカバー版)
Jacket Design : 
HarperCollinsPublishers

本作品「モノグラム殺人事件(The Monogram Murders)」は、英国の詩人で、小説家でもあるソフィー・ハナ(Sophie Hannah:1971年ー)が、アガサ・クリスティー財団(Agatha Christie Limited)による公認(公式認定)の下、エルキュール・ポワロ(Herucule Poirot)シリーズの正統な続編として執筆の上、2014年に発表された。


1929年2月7日(木)の晩(午後7時半過ぎ)、名探偵エルキュール・ポワロは、お気に入りの珈琲館「Pleasant’s Coffee House」において、一人、至福の時を過ごしていた。しかし、そんな束の間の休息時間は、一人の若い女性によって破られる。

ポワロが居る珈琲館へ、半狂乱の女性が駆け込んで来たのである。彼女の様子から察するに、彼女は何者かに追われているようだった。ポワロが彼女に事情を尋ねると、ジェニー(Jenny)と名乗った彼女は、「自分は狙われていて、殺される可能性が高いが、誰にも止められない。自分が殺されたとしたら、それは正義が為されたことを意味する。だから、自分が殺されても、決して警察にも通報しないでほしい。」と、ポワロに対して懇願すると、夜の街へと姿を消した。


同じ頃、ロンドンの一流ホテルの一つであるブロックシャムホテル(Bloxham Hotel)では、大事件が発生していた。

ホテルの宿泊客3人が、各自の部屋で毒殺されているのが、発見されされたのである。被害者達は、以下の通り。


(1)ハリエット・シッペル夫人(Mrs. Harriet Sippel):121号室に宿泊 - 毒が入った紅茶を飲んで死亡。

(2)リチャード・ネグス氏(Mr. Richard Negus):238号室に宿泊 - 毒が入ったシェリー酒を飲んで死亡。

(3)アイダ・グランズベリー嬢(Miss Ida Gransbury):317号室に宿泊 - 毒が入った紅茶を飲んで死亡。


午後8時過ぎ、「121号室 / 238号室 / 317号室の宿泊客達が、安らかな眠りにつくことは、決してない(May They Never Rest in Peace. 121. 238. 317.)。」と書かれたメモが、何者かによって、ホテルのフロントに置かれているのが見つかり、ホテル側がマスターキーを使って調べたところ、3人とも死亡しているのが判ったのだ。しかも、全ての被害者の口の中に、「PIJ」と刻まれたモノグラム(イニシャルの図案)付きのカフスボタンが入れられていたのである。一体、何の為に?


友人で、スコットランドヤードの若手警部であるエドワード・キャッチプール(Edward Catchpool)から事件の相談を受けたポワロは、捜査に乗り出す。被害者は、珈琲館に駆け込んで来たジェニーと名乗る女性ではなかったが、二つの出来事には、何か関連性があるのだろうか?


2021年12月5日日曜日

ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集2 妖魔の森の家」(The Third Bullet and Other Stories by John Dickson Carr) - その2

夕暮れが迫るパル・マル通り


1970年に東京創元社から創元推理文庫として出版されているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)作「カー短編全集2 妖魔の森の家(The Third Bullet and Other Stories)」の冒頭を飾るのは、短編「妖魔の森の家(The House in Goblin Wood)」であるが、同作品内には、ロンドン市内の場所がいくつか出てくるので、写真と一緒に、紹介したい。

なお、同作品内の文章については、上記の「カー短編全集2 妖魔の森の家」(宇野 利泰訳)から引用している。



(1)

『大戦に先立つこと三年、七月の暑い日の午後、ペル・メル街にある保守党上院議員クラブの反対側の歩道沿いに、セダンのオープン・カーが停めてあった。』



「ペル・メル街(私のブログでは、「パル・マル通り(Pall Mall)」と呼称)」は、ロンドンの特別区であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)内にある通りである。

(詳細については、2016年4月30日付ブログを御参照。)



なお、シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が創設した「ディオゲネスクラブ(Diogenes Club)」も、パル・マル通りに所在している。



(2)

『いまは昼食後のひととき。どこのクラブにいても、眠気を催してくる時刻である。街筋には、太陽が明るく輝いているだけで、通行人はまったく途絶えていた。軍人クラブは夢うつつの状態だし、アシニアム・クラブにいたっては、ぐっすり眠りこんでいるかに見えた。』

「アセニアムクラブ」が入居する建物の正面全景


「アシニアム・クラブ(私のブログでは、「アセニアムクラブ(Athenaum Club)」と呼称)」も、ロンドンの特別区であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)内のパル・マル通り107番地(107 Pall Mall)にあるクラブである。

(詳細については、2016年11月27日付ブログを御参照。)


カールトンハウステラス(Carlton House Terrace)から見たウォーターループレイス(Waterloo Place)―
「アセニアムクラブ」が入居する建物は左側に建っている


「アセニアムクラブ」は、アイルランド出身の政治家 / 著述家で、当時英国海軍を統括する Secretary to the Admiralty という重責を担っていたジョン・ウィルソン・クローカー(John Wilson Croker:1780年ー1857年)によって、科学、文学や芸術を愛する紳士が集うクラブとして、1824年に創立された。

「アセニアムクラブ」は、当初、別の場所に入居していたが、同クラブが本宅的に入居する建物の設計者として、英国の建築家 / 都市計画家であるジョン・ナッシュ(John Nash:1732年ー1835年)やジェイムズ・バートン(James Burton:1760年ー1837年)と一緒に、リージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)の再開発を行ったデシマス・バートン(Decimus Burton:1800年ー1881年 / ジェイムズ・バートンの息子)が選ばれて、彼による新古典主義スタイルの設計に基づき、1827年より建設工事が始まり、1830年初めの竣工を経て、現在の建物へと移転したのである。


「アセニアムクラブ」が入居する建物入口上のテラスに立つパラスアテナ像


建物の建設に予想外の費用を要したこと、また、室内にガス燈を採用した最初の建物の一つだった関係上、空調設備を改善する必要があったこと等から、必要な資金を捻出するべく、「アセニアムクラブ」は、会員数を増やすことを強いられた。この頃に同クラブの会員となったのが、小説家のチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)や自然科学者のチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles)Robert Darwin:1809年ー1882年)等で、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)も、同クラブの会員の一人であった。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズの写真の葉書
(George Herbert Watkins / 1858年 / albumen print, arched top
190 mm x 152 mm) 


ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
チャールズ・ダーウィンの肖像画の葉書
(John Collier
 / 1883年 / Oil on panel
1257 mm x 965 mm)


(3)

保守党上院議員クラブから出て来たヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)は、階段の上に落ちていたバナナの皮をうっかり踏んづけたため、足を滑らせて、ひっくり返ってしまった。

『「大丈夫ですの?」青い目の金髪娘(→ イーヴ・ドレイトン(Eve Drayton)のこと)は、心配そうにきいた。「お怪我はありませんでした?」

H・M(→ ヘンリー・メルヴェール卿)は無言のまま、彼女を見あげた。帽子をとばせてしまったので、大きな禿げ頭が露出している。

「とにかく、お立ちになったら、ヘンリー卿?」

「そうですよ、閣下」クラブのポーターも哀願するようにいった。「お願いです。お立ちになって」

「立て、だと?」H・Mは。セント・ジェイムズ・ストリートまで届きそうな大声で吠えたてた。』

セントジェイムズストリートの西側から東側を見たところ -
画面右奥斜めに延びる通りは、ジャーミンストリート(Jermyn Street)


「セント・ジェイムズ・ストリート(私のブログでは、「セントジェイムズストリート(St. James’s Street)」と呼称」も、ロンドンの特別区であるシティー・オブ・ウェストミンスター区のセントジェイムズ地区内にある通りである。

(詳細については、2021年7月24日付ブログを御参照。)


セントジェイムズストリート沿いに建つカールトンクラブ(Carlton Club)

セントジェイムズストリート沿いには、現在、紳士用クラブ、高級店舗やオフィス等が並んでいる。
なお、コナン・ドイルによるホームシリーズの短編「三破風館(The Three Gables)」に登場するゴシップ屋のラングデイル・パイク(Langdale Pike → 2021年7月17日付ブログで紹介済)が居る紳士用クラブは、セントジェイムズストリートに面していると記述されている。 
また、紳士用クラブの中には、コナン・ドイルによるホームズシリーズの短編「高名な依頼人(The Illustrious Client)」に登場するサー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Demery)が会員となっている「カールトンクラブ(Carlton Club → 2014年11月16日付ブログで紹介済)」も含まれている。

2021年12月4日土曜日

ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」(An Interactive Sherlock Holmes Mystery / The Crimes of Dr. Watson by Duane Swierczynski) - その3

米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の内表紙
(Design by Doogie Horner / Illustration by Clint Hansen)

読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆(2.0)


本作品は、シャーロック・ホームズが、犯罪界のナポレオンこと、ジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)とともに、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)に姿を消した1891年5月以降の大空位時代に、ジョン・H・ワトスンを襲った事件の記録である。刑務所内で、ワトスンが友人のハリー大佐(Colonel Harry)宛に手紙を書く1895年12月の段階で、実際には、ホームズはロンドンに既に帰還済で、日付が合わない。一方で、原作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の作品において、この年代辺りで、ある人物に関する言及が全くないこと等について、一定の説明が為されるものの、ややこじつけめいていて、あまり感心できない。


(2)物語の展開について ☆☆(2.0)


本作品は、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」に掲載された「最後の事件(The Final Problem)」が冊子の形で付けられており、また、警告のため、米国からロンドンのワトスン宛に送られてくる5つのものが、封筒と一緒に添付されていたりと、推理ゲームの形式が採られている。

物語は、ワトスンが刑務所に入っているという衝撃的な事実から始まるが、事件自体には若干の驚きはあるものの、動機付けや殺人 / 放火を伴う犯行内容等については、読者の納得性を欠いている。それに、事件のスケールとしては、大きくない上に、後味が悪い。



(3)探偵役であるハリー大佐の活躍について ☆☆半(2.5)


米国からロンドンのワトスン宛に送られてきた5つのものから、米国に住むハリー大佐は、事件の裏に潜む真実を明らかにする。彼は犯人やその動機等を解明するものの、米国に住んでいる関係上、推論の積み重ねだけであって、それに対する補強証拠がなく、彼の説明がストーンと胸のうちに落ちず、今一つ納得性に欠けるような気がする。


(4)総合評価 ☆☆(2.0)


何故、犯人がここまで突き進んでしまったのか、動機付けが弱く、納得性に欠ける。

米国からロンドンのワトスン宛に警告の手紙を送ってきたのは、ホームズだと思われるが、警告があまりにも暗示的過ぎるか、あるいは、解釈するには難し過ぎて、ワトスンには理解し難い上に、ややこじつけ的な感じが強い。

ライヘンバッハの滝壺に姿を消す1891年5月以前から、ホームズはこの事件の発生を予想済だったため、ワトスンには不可解な行動をとっていた訳であるが、仮に事件の発生時期が1895年12月だとすると、失踪後、4年半以上も経過してから、ホームズは、米国にいながらにして、事件発生の危険性が高まったことをどうやって察知したのだろうか?ベーカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)等を使ったのか?そういった肝心な点が、全て明らかにされないまま、本作品は、読者にとって、不完全燃焼気味で終わっている。