2022年3月30日水曜日

蜜蜂 - その2

シャーロック・ホームズは、諮問探偵業から引退した後、ロンドンを離れて、サセックス州(Sussex)の丘陵(South Downs)での暮らしを始め、手記を書いたり、蜜蜂の世話をしたりして、毎日を過ごしたとされている。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)は、2015年8月15日、「蜜蜂(Bees)」をテーマにした記念切手6枚を発行していて、前半の3枚については、2022年1月30日付ブログで紹介済なので、今回、残りの3枚に関して紹介したい。


(4)Bombus monticola (Bilbery Bumblebee)




ミツバチ科(Apidae)ボンバス属(Bombus)に属する蜜蜂の一種で、「ビルベリーマルハナバチ(Bilbery Bumblebee)」、「ブリーベリーマルハナバチ(Blaeberry Bumblebee)」、あるいは、「マウンテンマルハナバチ(Mountain Bumblebee)」と呼ばれている。

黄色の首輪と胚盤の端を除くと、黒い胸部を有し、腹部の残りの部分は、黄色から赤色である。

成虫になると、約17mm の長さに成長。

Bombus monticola は、高地種で、スカンジナヴィア北部、アルプスやピレネー山脈等のヨーロッパ大陸の山岳地帯に生息。英国の場合、スコットランド(Scotland)で一般的に見受けられる他、湖水地方(Lake District)、ピークディストリクト(Peak District)、ウェールズ(Wales)やダートムーア(Dartmoor)等の高地に生息している。

なお、イングランドでは、絶滅危惧種に指定されて、保護されている。


(5)Osmia xanthomelana (Large Mason Bee)




ハキリバチ科(Megachilidae)オスミア属(Osmia)に属する蜜蜂の一種。

成虫になると、約13mm の長さに成長。

Osmia xanthomelana は、粘土やチョーク等の柔らかい岩が侵食された崖の周囲、砂丘の間、および食用植物のミヤコグサが発生する草地等に生息。

英国の場合、Osmia xanthomelana は、以前、約30箇所にわたる場所に生息していたが、次第に個体数が減り、1990年代には、ワイト島(Isle of Wright)が唯一の生息場所と考えられていた。その後、1998年と1999年に、ウェールズのリン半島(Llyn Peninsula)南部にある海岸線の崖に生息していることが確認されている。


(6)Anthophora retusa (Potter Flower Bee)




ミツバチ科(Apidae)アンソフォラ属(Anthophora)に属する蜜蜂。

成虫になると、約14mm の長さに成長。

Anthophora retusa は、砂質土壌を好み、一般に、沿岸の砂丘や崖等に生息。

Anthophora retusa は、一般的に、西ヨーロッパやスウェーデン南部で見受けられるが、英国の場合、第二次世界大戦(1939年-1945年)以降、個体数が減少し、1990年代以降、更に、急速に減少したため、絶滅危惧種に指定されている。現在、イーストサセックス州(East Sussex)シーフォード(Seaford)の東側にあるシーフォードヘッド自然保護区(Seaford Head Natural Reserve)を含む6つの場所に、生息が限定されていると考えられている。 



2022年3月27日日曜日

イーデン・フィルポッツ作「灰色の部屋」(The Grey Room by Eden Phillpotts) - その2

東京創元社から、創元推理文庫として出版されている
イーデン・フィルポッツ作「灰色の部屋」(旧カバー版)の表紙
       カバーイラスト: 日下 弘 氏


主にデヴォン州(Devon)を舞台にした田園小説、戯曲や詩作で既に名を成した英国の作家であるイーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年 → 2022年2月6日 / 2月13日付ブログで紹介済)が1921年に発表した最初の推理小説である「灰色の部屋(The Grey Room)」は、5代目準男爵ウォルター・レノックス卿が所有するチャドランズ屋敷には、「灰色の部屋」と呼ばれる曰くつきの閉ざされた部屋があり、過去に、その部屋で、二人の人間が不可解な死を遂げていたところから、その物語が始まる。


チャドランズ屋敷において、狩猟パーティーが行われ、男性8人と女性3人の一行が参加していた。その夜、狩猟パーティーの一行がビリヤード室へと移動し、大きな暖炉を囲んでいる際、一行の求めに応じて、5代目準男爵ウォルター・レノックス卿は、やむを得ず、、灰色の部屋にかかる話を皆に語る。

5代目準男爵ウォルター・レノックス卿の話を聞いた2人の人物、彼のひとり娘であるメアリの夫であるトーマス・メイ(海軍大佐)とウォルター・レノックス卿の甥であるヘンリー・レノックスが、灰色の部屋の謎に挑戦するべく、その部屋で一夜を過ごそうと思い立った。

予想通り、ウォルター・レノックス卿は、灰色の部屋で一夜を過ごすことを固く禁じたため、トーマス・メイとヘンリー・レノックスとしては、ウォルター・レノックス卿に内緒で事を運ぶしかなかった。銅貨投げの結果、勝ったトーマス・メイが、一人で灰色の部屋に挑戦することになった。銅貨投げに負けたヘンリー・レノックスは、トーマス・メイのことが心配になり、灰色の部屋で一夜を過ごすことを止めるよう、何度も諌めたが、トーマス・メイの決心は頑なであった。トーマス・メイの頑な態度のため、説得を諦めたヘンリー・レノックスは、トーマス・メイ一人を灰色の部屋に残したまま、自室へと引き下がった。


翌朝の8時過ぎ、テラスに出たヘンリー・レノックスが、灰色の部屋の張り出し窓を見上げてみると、その窓は大きく開け放してあり、トーマス・メイが、まだ寝巻き姿のまま、窓際の腰掛けの上にひざまづいて、外の景色を眺めているようだった。

ヘンリー・レノックスがトーマス・メイに対して声をかけたが、相手からは、一言の返事もない上に、顔が異常な程に蒼ざめており、瞬き一つしていなかった。

不安の念に襲われたヘンリー・レノックスが、昨夜の事情を話した後、ウォルター・レノックス卿と従僕のフレッド・コーンターを連れて、灰色の部屋の戸口へと向かった。ドアは鍵がかかっていたため、外から何度も呼びかけたものの、「灰色の部屋は、絶対的な静寂に支配されていた。」(橋本 福夫 氏訳)

ウォルター・レノックス卿の指示で、従僕のフレッド・コーンターがドアをこじ開けて、皆が灰色の部屋へ入り、トーマス・メイのところへ駆け寄ってみると、彼は、何時間も前に、既に息絶えていた。彼の顔は象牙のような白さで、驚いたような表情が顔面にこわばりついていた。

またしても、灰色の部屋に置いて、原因不明の死が発生したのである。トーマス・メイの死は、自然死なのか、他殺なのか、それとも、灰色の部屋の呪いなのか?


東京創元社から、創元推理文庫として出版されている
イーデン・フィルポッツ作「灰色の部屋」(旧版)の裏表紙
       カバーイラスト: 日下 弘 氏

驚愕の展開は、更に続く。


トーマス・メイの葬儀のため、チャドランズ屋敷へと呼ばれた彼の父親で、やや狂信的なセプティマス・メイ牧師が、「自分が神の加護があるから、絶対に大丈夫だ。」と言って、灰色の部屋で一夜を過ごしたが、翌朝、息子のトーマス・メイと同じように、息絶えたままで見つかった。死因は、全く不明だった。


ロンドン警視庁経由、ウォルター・レノックス卿からの依頼を受けて、ピーター・キャッスル(ロンドン警視庁を辞め、私立探偵局を創設しようとしている名探偵)がチャドランズ屋敷へと派遣されたが、灰色の部屋を調べている間に、彼もまた謎の死を迎えたのである。


果たして、灰色の部屋には、一体、何が隠されているのだろうか?灰色の部屋で連続する謎の死は、何が原因なのか?


訳者の橋本 福夫 氏が創元推理文庫版の「訳者あとがき」において述べている通り、本作品は非常に定義の難しい小説で、幽霊小説、怪奇小説や恐怖小説の様相を呈しつつ、最後には、探偵小説として決着する。ただし、「この世のものではない犯人」という設定、また、科学的な裏付けが為されていないこと等を考えると、作者であるイーデン・ヘンリー・フィルポッツの執筆意図は別にして、現代の本格推理小説ファンからは、アンフェアであると言われてしまうのかもしれない。どちらかと言えば、探偵小説と言うよりは、奇談に近い。


次回以降に紹介予定であるが、イーデン・ヘンリー・フィルポッツは、「灰色の部屋」を発表した翌年の1922年に、「赤毛のレドメイン家(The Red Redmaynes)」を出版しているが、これは、現代の本格推理小説ファンの観点からみても、紛れもない本格探偵小説の傑作であり、明智小五郎シリーズ等で有名な日本の推理作家である江戸川乱歩(1894年ー1965年)も、自己の読書体験を「万華鏡」に譬えて、大絶賛している。また、過去には、探偵小説ベスト10の第1位にも選ばれている。


2022年3月26日土曜日

コナン・ドイル作「悪魔の足」<小説版>(The Devil’s Foot by Conan Doyle ) - その1

英国で出版された「ストランドマガジン」
1910年12月号に掲載された挿絵(その1) -
過労と不摂生で健康を害していたシャーロック・ホームズは、
ジョン・H・ワトスンに連れられて、
コンウォール州へ転地療養に来ていた。
挿絵:ギルバート・ホリデイ(Gilbert Holiday 1879年 - 1937年)
 


英語の教師を経て、フルタイムの編集者、作家かつ劇作家に転身した英国のデイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ(David Stuart Davies:1946年ー)が2014年に発表した「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 悪魔との契約(The further adventures of Sherlock Holmes / The Devil’s Promise → 2022年3月5日 / 3月12日 / 3月19日付ブログで紹介済)」では、1899年の夏(7月)、ジョン・H・ワトスンは、気分がすぐれないシャーロック・ホームズを連れて、ロンドンを離れ、デヴォン州(Devon)のホーデン(Howden)村の近くにあるサンフィアコテージ(Samphire Cottage)へ避暑に来ていた。それで、彼らは恐ろしい事件に遭遇する。


シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が発表した短編小説「悪魔の足(The Devil’s Foot)」では、1897年の春(3月)、ワトスンは、心身ともに疲労したホームズを連れて、ロンドンを離れ、コンウォール州(Cornwall)のトレダニックウォラス(Tredannick Wollas)村の近くにあるコテージにおいて、療養の日々を過ごしていた際、それで、彼らは恐ろしい事件に遭遇する。


「悪魔の足」は、ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、40番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1910年12月号に、また、米国では、「ストランドマガジン」米国版の1911年1月号と同年2月号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第4短編集である「シャーロック・ホームズ最後の挨拶(His Last Bow)」(1917年)に収録された。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1910年12月号に掲載された挿絵(その2) -
朝食を終えたばかりのホームズとワトスンの元を、
コテージ近くのトレダニックウォラス村のラウンドヘイ牧師と
牧師館に間借りしているモーティマー・トレゲニスの二人が、
突然、訪ねて来る。
挿絵:ギルバート・ホリデイ(1879年 - 1937年)
 


「悪魔の足」は、ワトスンが、突然、ホームズから「何故、コンウォール州で起きた事件を公表しないんだ?(Why not tell them of the Cornish horror - strangest case I have handled.)」という電報を受け取ったところから始まる。


1897年の春、過労と不摂生により健康を害していたホームズのことを心配したワトスンは、彼を連れて、コンウォール州へ転地療養に来ていた。


3月16日(火)の朝、ホームズとワトスンが朝食を終えたところ、コテージ近くのトレダニックウォラス村のラウンドヘイ牧師(Mr Roundhay)と牧師館に間借りしているモーティマー・トレゲニス(Mr Mortimer Tregennis)の二人が、突然、訪ねてくる。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1910年12月号に掲載された挿絵(その3) -
朝食を終えたばかりのホームズとワトスンの元を、
事件馬場へと向かうホームズ、ワトスンと
モーティマー・トリゲニスの3人の横を、
発狂したオーウェンとジョージを病院へと運ぶ馬車が通り過ぎる。
挿絵:ギルバート・ホリデイ(1879年 - 1937年)


モーティマー・トレゲニスによると、昨晩、彼は、トレダニックウォーサ(Tredannick Wartha)村に住む二人の兄弟(オーウェン(Owen)とジョージ(George))と妹(ブレンダ(Brenda))が住む家を訪ねた、とのこと。彼ら4人は、一緒に夕食をとった後、そのままトランプゲームを楽しんだ。午後10時過ぎに、モーティマーは、上機嫌で食堂のテーブルを囲んでいる3人を残して、自分が住む牧師館へと帰って来た。


今朝、モーティマーが、再度、3人を訪問してみると、食堂の椅子に座ったまま、オーウェンとジョージの2人は発狂しており、そして、ブレンダは息絶えていたのである。更に、3人とも、顔に恐怖の表情を浮かべていた。

モーティマーによると、彼は、以前、他の3人との間で財産上の争いがあったため、彼らとは別居したが、現在は良好な関係だと語ると、ホームズ達に対して、「これは、悪魔の所業ではないか?」と主張した。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1910年12月号に掲載された挿絵(その4) -
事件現場に到着したホームズとワトスンの二人は、
亡くなったブレンダ・トレゲニスの遺体を確認する。
挿絵:ギルバート・ホリデイ(1879年 - 1937年)


モーティマー・トレゲニスからの依頼を受け、現場を訪れたホームズとワトスンは、3人の家政婦であるポーター夫人(Mrs Porter)に事情を尋ねる。彼女は、昨晩、よく眠っており、特に不審な物音は聞いていなかった。そして、今朝、食堂で3人の異常な姿を発見して、恐怖のあまり、気絶してしまったと、彼女は語った。


ポーター夫人から事情を聞いたホームズとワトスンの二人は、恐怖の表情を浮かべて死んでいるブレンダの遺体を確認した後、現場の食堂を調査するが、部屋の様子には特に変わったところはない上に、オーウェン、ジョージ、ブレンダとポーター夫人以外の何者かが侵入した形跡もなかった。ただし、食堂の暖炉には、火が入れられていたようである。

現場を調査したホームズは、オーウェン、ジョージとブレンダの3人に何かが起きたのは、モーティマー・トレゲニスが牧師館へと帰った直後だと推理するものの、犯人やその動機については、まだ判らない状況だった。


モーティマーが帰った後、オーウェン、ジョージとブレンダの3人に、一体、何が起きたのであろうか?


2022年3月20日日曜日

英国海軍艦(その8) - HMS クイーン・エリザベス(Royal Navy Ship 8 - HMS Queen Elizabeth)

英国海軍の500周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、
8番目かつ最後に紹介するのは、「HMS クイーン・エリザベス」で、
現在の英女王であるエリザベス2世によって命名された航空母艦である。

英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して発行した8種類の切手のうち、8番目かつ最後に紹介するのは、「HMS クイーン・エリザベス(HMS Queen Elizabeth)」である。


「HMS クイーン・エリザベス」は、英国海軍の航空母艦で、クイーン・エリザベス級航空母艦の1番艦である。


2007年7月25日、当時の国防大臣(Defence Secretary)であるデズ・ブラウン(Des Browne)が、「HMS クイーン・エリザベス」を含む2隻の航空母艦の建造を発注した。当初、2隻の航空母艦のうち、1隻を2015年7月に就役させる計画であったが、「リーマンショック(米国における住宅市場の悪化による住宅ローン問題がキッカケとなって、2008年9月15日に投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディング(Lehman Brothers Holding)が経営破綻したため、連鎖的に発生した世界規模の金融危機)」の影響を受けてt、2008年12月、最初の就役予定日が2016年5月に延長された。


「HMS クイーン・エリザベス」の建造は、2009年7月7日に始まり、9つのセクションに分かれた船体は、


(1)BAE Systems Surface Ships (Glasgow)

(2)Babcock (Appledore)

(3)Babcock (Rosyth)

(4)A&P Tyne (Hebburn)

(5)BAE (Portsmouth)

(6)Cammell Laird (Birkenhead)


の造船所において建造された後、ロサイス造船所(Rosyth Dockyard)において、最終的な組み立てが行われた。


2014年7月4日、英国のウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2生(Elizabeth II:1926年ー 在位期間:1952年ー)とエディンバラ公爵フィリップ(Prince Philip, Duke of Edinburgh:1921年ー2021年)の出席の下、当該航空母艦は「HMS クイーン・エリザベス」と命名された。その際、エリザベス2世は、通常の慣行とは異なり、女王が訪れたことがあるボウモア蒸留所(Bowmore distillery)のウイスキーが入ったボトルを船体にぶつけて、命名式を祝った。

そして、同年7月17日、「HMS クイーン・エリザベス」は、進水式を迎えたのである。


2017年6月26日、「HMS クイーン・エリザベス」は、試験航海に向けて、ロサイス造船所から就航した後、同年12月7日に就役した。ポーツマス海軍基地(HMNB Portsmouth)を拠点としている。


「HMS クイーン・エリザベス」は、


・全長: 約280m

・全幅: 約70m

・満載排水量: 約70,000t

・最大速力: 32ノット

・乗員: 約1,600人


で、艦載ヘリコプターの他に、V/STOL 型戦闘機であるF-35B を搭載している。


また、「HMS クイーン・エリザベス」は、2021年1月27日、揚陸艦「アルビオン」から英国海軍の艦隊旗艦の任務を継承している。


2022年3月19日土曜日

デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 悪魔との契約」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Devil’s Promise by David Stuart Davies) - その3

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2014年に出版された
デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 悪魔との契約」の表紙


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆半(2.5)


シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンに海岸で発見されるが、二度とも姿を消してしまう男性(村の牧師)の死体。ホームズ達に非協力的な村の住民達。村に住む悪魔崇拝者の子供の若い男女。ホームズ達の背後で秘かに蠢く殺人者の集団等、得体の知れない恐怖を醸し出す雰囲気は出ているが、どちらかと言うと、オカルトものやホラーものには適しているものの、推理ものを主体とするホームズシリーズとしては、あまり適していないように感じる。


(2)物語の展開について ☆☆半(2.5)


村において、ワトスンが何者かに襲われた後、、物語は、同年秋のロンドンへと、話が移る。ワトスンは、デヴォン州(Devon)の避暑地でのことを全く記憶していない。一方、ホームズは、ワトスンに隠れるように、一人で行動しており、また、ワトスンに対して、「デヴォン州でのことは、思い出さなくても良いし、関わってはいけない。」と、強く言明する。

ワトスンは、ホームズの助けを借りず、デヴォン州の避暑地で本当にあったことを単独で探ろうとするが、ホームズ達を見張っていた集団が、ワトスンの行く手を妨害する。なんとか、ホーデン(Howden)村まで辿り着いたワトスンは、恐るべき真実を発見する。

ある意味、サスペンスものとしてのスリルはなかなかあるが、正直、ホーデン村に隠されている真実については、ある程度推測できてしまうので、やや物足りない。


(3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆半(1.5)


物語の前半において、ホームズはそれなりの活躍をみせるが、話が同年秋のロンドンへと移った途端、本当の理由は物語の終盤に明かされるものの、ホームズは、ワトスンに対してはっきりしない曖昧な態度を示したり、ワトスンから隠れるように一人で行動したりと、不審な動きをする。

物語の中盤から終盤にかけて、ワトスンは、ホームズの助けを借りずに、単独でホーデン村に隠された真実を見つけ出そうとする訳で、ホームズの活躍は全くなく、非常に残念。


(4)総合評価 ☆☆半(2.5)


結論としては、繰り返しになるが、物語の本筋はオカルトものやホラーものとして適しているものであり、推理ものが主体となるホームズシリーズを期待する者としては、ストーリー自体にあまり満足できない。

ただし、物語の最後の2-3ページ部分に、誰もが予想しなかった驚愕の結末が用意されていて、これにはかなり驚いたので、本当であれば、星2つであるところ、0.5点オマケした。



2022年3月13日日曜日

イーデン・フィルポッツ作「灰色の部屋」(The Grey Room by Eden Phillpotts) - その1

東京創元社から、創元推理文庫として出版されている
イーデン・フィルポッツ作「灰色の部屋」(新カバー版)の表紙
       カバーイラスト: 松本 圭以子 氏
カバーデザイン: 中村 聡 氏

「灰色の部屋(The Grey Room)」は、主にデヴォン州(Devon)を舞台にした田園小説、戯曲や詩作で既に名を成した英国の作家であるイーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年 → 2022年2月6日 / 2月13日付ブログで紹介済)が1921年に発表した最初の推理小説である。


チャドランズ屋敷には、「灰色の部屋」と呼ばれる曰くつきの閉ざされた部屋があった。過去に、その部屋で、二人の人間が不可解な死を遂げていたのである。


1人目は、チャドランズ屋敷の主人である5代目準男爵ウォルター・レノックス卿が幼かった頃。

屋敷の者達は、「灰色の部屋」に対して、漠然とした嫌な気持ちを抱いていたため、その部屋に一度も滞在客を泊めたこともなく、その部屋は物置やガラクタ置き場となっていた。

ある年のクリスマスイヴの日、チャドランズ屋敷が滞在客で一杯だったところ、4代目準男爵レノックス卿(5代目準男爵ウォルター・レノックス卿の父親)の伯母(88歳)が、突然、屋敷を訪問した。屋敷の者達は、彼女をどこに泊まってもらったらよいか当惑していたところ、本人から「灰色の部屋に泊めてもらう」と言い張った。4代目準男爵レノックス卿自身は、その部屋に対して、嫌悪感や恐怖感を抱いていなかったため、伯母の提案には反対しなかった。

ところが、翌朝(クリスマスの朝)、彼女は死体となって発見されたのである。どうやら、彼女は寝ようとした際に倒れて死亡したらしい。呼ばれた医師によると、彼女の死には、疑わしい点は何もないということで、自然死以外の原因を考える余地は、何一つなかった。


2人目は、12年前だった。

5代目準男爵ウォルター・レノックス卿のひとり娘であるメアリが肺炎に罹り、危篤状態に陥ったため、至急、看護婦を派遣してもらう必要が生じた。5代目準男爵ウォルター・レノックス卿が看護婦会宛に電報で依頼した結果、フォレスター看護婦がチャドランズ屋敷へと派遣された。

フォレスター看護婦は、自分の部屋がメアリの部屋からかなり離れた廊下の反対側の突き当たりに用意されていると聞くと、「自分の部屋は、患者の部屋に近いところにしてほしい。」と望んだ。実は、メアリの部屋の隣りに、灰色の部屋が位置していたのである。5代目準男爵ウォルター・レノックス卿は、仕方なく、「灰色の部屋には、幽霊が出るという話なのだ。」と答えると、フォレスター看護婦は、「自分は、幽霊を怖がる人間ではない。」と笑い出したため、5代目準男爵ウォルター・レノックス卿としても、フォレスター看護婦の希望を聞き入れるしかなかった。

夜間にメアリの看護を担当する者(メアリの忠実な付き添いであるジェーン・ボンド)と交代すると、フォレスター看護婦は、「明朝は7時に起こしてくれ。」と指示して、午後10時に灰色の部屋へと引き下がった。

翌朝の7時にフォレスター看護婦を呼び起こそうとしたが、部屋の中からは、何の返事もなかった。やむを得ず、5代目準男爵ウォルター・レノックス卿やかかりつけのマナリング医師達がドアをこじ開けてみると、フォレスター看護婦は、ベッドに横たわって、亡くなっていたのである。彼女の顔には、驚いたような表情があったが、室内は何一つ乱れていなかった。

検死解剖や検死審問が行われたが、毒物の痕跡を含めて、フォレスター看護婦の死因を解明することは、残念ながら、できなかったのである。


そして、時が流れて、12年後。

チャドランズ屋敷において、狩猟パーティーが行われ、男性8人と女性3人の一行が参加していた。その夜、狩猟パーティーの一行がビリヤード室へと移動し、大きな暖炉を囲んでいる際、一行の求めに応じて、5代目準男爵ウォルター・レノックス卿は、やむなく、灰色の部屋の話を語ることになった。


5代目準男爵ウォルター・レノックス卿の話を聞くと、彼のひとり娘であるメアリの夫であるトーマス・メイ(海軍大佐)とウォルター・レノックス卿の甥であるヘンリー・レノックスの二人は、灰色の部屋の謎に挑戦するべく、その部屋で一夜を過ごそうと思い立った。

ウォルター・レノックス卿は、灰色の部屋で一夜を過ごすことを固く禁じたため、彼には内緒で事を運ぶしかなかった。銅貨投げの結果、勝ったトーマス・メイが、灰色の部屋に挑戦することになった。銅貨投げに負けたヘンリー・レノックスは、トーマスのことが心配になり、灰色の部屋で一夜を過ごすことを止めるよう、何度も諌めたが、トーマス・メイの決心は頑なであった。


果たして、トーマス・メイは、翌朝、無事に灰色の部屋から出て来ることができるのであろうか?


2022年3月12日土曜日

デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 悪魔との契約」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Devil’s Promise by David Stuart Davies) - その2

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2014年に出版された
デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 悪魔との契約」の裏表紙

砂浜の中に、昨日シャーロック・ホームズが発見した男性の死体が埋められているのを見つけたジョン・H・ワトスンは、もう一度、死体を埋めなおすと、慌ててコテージへと走って戻った。

すると、そこには、一人の訪問者が居た。彼は、ホームズとワトスンに対して、デヴォン州(Devon)ホーデン(Howden)村の牧師サイモン・ディケンズ(Simon Dickens)と自己紹介した。ディケンズ牧師は、「このコテージには、暫くの間、誰も住んでいなかったが、コテージの煙突から煙が上がってい他ので、誰が住み始めたのかと思い、立ち寄ってみた。」と言う。ホームズは、ディケンズ牧師に対して、「ホーデン村から、誰か急に居なくなった人はあるか?」と尋ねるが、牧師は「ホーデン村は非常に静かなところで、そんな人は居ない。」と答える。

ディケンズ牧師が辞去した後、ワトスンはホームズを連れて、急いで砂浜へと戻るが、ワトスンが埋めなおした男性の死体は、またもや影も形も残って居なかった。ホームズは、ワトスンの行動を隠れて見ていた殺人者の集団が死体を再度移動させたのだと考える。

彼らが避暑に来たホーデン村の裏で、何かよからぬことが進行しているようである。


早速、ホームズとワトスンの二人は、調査のため、ホーデン村へ出かける。

ホーデン村は絵に描かれたように静かなところで、殺人事件が発生した場所とは、とても思えなかった。パブを兼ねた宿屋に入ったホームズ達は、そこでイーノック・ブラックウッド(Enoch Blackwood)という若い男性と知り合いになる。

その後、彼の屋敷に招待されたホームズ達は、彼の妹アラベラ・ブラックウッド(Arabella Blackwood - 20代後半)に引き合わせられる。

イーノックによると、彼らの父親はバーソロミュー・ブラックウッド(Bartholomew Blackwood)で、1880年代に悪魔崇拝者(The Devil’s Companion)として悪名高かった人物であった。バーソロミューは、妻のエレノーラ・ブラックウッド(Elenora Blackwood)と一緒に、フランスへと逃れ、エレノーラはそこで双子を出産した。その双子が、イーノックとアラベラの二人であった。約15年間、フランスにとどまった後、バーソロミューは、彼の支援者の助けを借りて、秘密裡に英国へと戻って来た。英国の地に降り立った後、バーソロミューは雲隠れしてしまった。ただ、一般大衆は彼に対する関心を既に失っており、大きな話題にはならず、今に至っているのである。

イーノックは、ホームズ達に対して、「自分達の父親は8年前に亡くなったが、どこに埋葬したのかは口外できない。」と伝えるのであった。


ホームズとワトスンの二人が、ブラックウッド家を辞して、自分達のコテージに戻って来ると、暖炉の側に置いてある椅子の上に、2度姿を消した男性の死体が、再び姿を現したのである。

死体を検分した後、棚にある本「デヴォン州の海岸の花 / 動物誌」に目を通したホームズは、この男性こそがディケンズ牧師であって、今朝コテージに現れた人物は偽者で、殺人者の集団の一人に違いないと断言した。


少しずつ真相に肉迫しつつあるホームズ達であったが、彼らの背後には、魔の手が迫っていた。

翌朝、ホームズ達は、近隣のトトネス(Totnes)にある警察署へ、男性の死体を運ぼうと決め、ワトスンが納屋から馬車を出そうと向かったところ、何者かに背後から襲われ、意識を失ってしまう。

ワトスンの身を案じて、ホームズが納屋へと駆けつけるが、時既に遅く、ワトスンの姿はどこにもなかったのである。 


2022年3月9日水曜日

ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集6 ヴァンパイアの塔」(The Dead Sleep Lightly and Other Mysteries by John Dickson Carr)

東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集6 ヴァンパイアの塔」の表紙
                                (カバー イラスト: 志村 敏子氏)
(カバーデザイン: 東京創元社装幀室)


「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家である。彼は、シャーロック・ホームズシリーズで有名なサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の伝記を執筆するとともに、コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイル(Adrian Conan Doyle:1910年ー1970年)と一緒に、ホームズシリーズにおける「語られざる事件」をテーマにした短編集「シャーロック・ホームズの功績(The Exploits of Sherlock Holmes)」(1954年)を発表している。


彼が、ジョン・ディクスン・カー名義で発表した作品では、当初、パリの予審判事のアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)が探偵役を務めたが、その後、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が探偵役として活躍した。彼は、カーター・ディクスン(Carter Dickson)というペンネームでも推理小説を執筆しており、カーター・ディクスン名義の作品では、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役として活躍している。


日本の出版社である東京創元社から、創元推理文庫の一冊として、「カー短編全集6 ヴァンパイアの塔」が1998年に出版されているが、これは、ジョン・ディクスン・カーの死後、米国の書籍編集者であるダグラス・G・グリーン(Douglas G. Greene:1944年ー)が編集して、1983年に米国のダブルデイ社(Doubleday)からジョン・ディクスン・カー名義で出版されたラジオドラマ作品集「The Dead Sleep Lightly and Other Mysteries」がベースとなっている。


「カー短編全集6 ヴァンパイアの塔」には、以下の作品が収録されている。


<評論>

ダグラス・G・グリーン作「ディクスン・カーのラジオ・ミステリ」


<ラジオドラマ>

(1)「暗黒の一瞬(The Black Minute)」(1940年)

(2)「悪魔の使徒(The Devil’s Saint)」(1943年)

(3)「プールのなかの竜(The Dragon in the Pool)」(1944年)

(4)「死者の眠りは浅い(The Dead Sleep Lightly)」(1943年)

(5)「死の四方位(Death Has Four Faces)」(1944年)

(6)「ヴァンパイアの塔(Vampire Tower)」(1944年)

(7)「悪魔の原稿(The Devil’s Manuscript)」(1944年)

(8)「白虎の通路(White Tiger Passage)」(1955年)

(9)「亡者の家(The Villa of the Damned)」(1955年)


上記(1)と上記(4)について、ギディオン・フェル博士が探偵役を務める。また、上記(5)に関して、ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課(The Department of Queer Complaints → 2021年10月29日付ブログで紹介済)」に収録されている「銀色のカーテン(The Silver Curtain)」を改作したものである。


<短編>

(10)「刑事の休日(Detective’s Day Off)」(1957年)


上記に加えて、


「カー短編全集5 黒い塔の恐怖(The Door to Doom and Other Detections → 2022年3月2日付ブログで紹介済)」に収録されている江戸川乱歩(1894年ー1965年)作「カー問答」に続き、日本の著述家 / 奇術研究家で、推理作家協会会員でもある松田道弘氏(1936年ー)作「新カー問答 - ディクスン・カーのマニエリスム的世界(「ミステリ・マガジン」の1977年12月号 / 1978年1月号 / 1978年3月号 / 1978年4月号に掲載)」が、読者用のオマケとして収録されている。


2022年3月6日日曜日

英国海軍艦(その7) - HMS キング・ジョージ5世(Royal Navy Ship 7 - HMS King George V)

英国海軍の500周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、
7番目に紹介するのは、「HMS キング・ジョージ5世」で、
英国王ジョージ5世の名を冠した戦艦である。

英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して発行した8種類の切手のうち、7番目に紹介するのは、「HMS キング・ジョージ5世(HMS King George V)」である。

「HMS キング・ジョージ5世」は、第二次世界大戦(1939年-1945年)前に、英国海軍が建造した超弩級戦艦である。


英国海軍は、第一次世界大戦(1914年-1918年)を経た旧式の戦艦が大多数を占めていたため、1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約(Washington Naval Treaty → 米国、英国、日本、フランスやイタリアの戦艦 / 航空母艦等の保有制限を取り決めた)中の1928年に、新型戦艦の設計が既に進められていた。

国際連盟脱退に続く日本による条約破棄に伴い、1936年12月にワシントン海軍軍縮条約が失効すると、1937年1月1日、ニューカッスル・アポン・タイン(Newcastle-Upon-Tyne)に所在したヴィッカース・アームストロング社(Vickers-Armstrong)のウォーカー造船所において、新型戦艦の建造が起工。

同艦は、1939年2月21日に進水式を迎え、1940年10月1日に就役したが、最終的に竣工したのは、同年12月11日である。


同艦は、当初、英国であるジョージ6世(George VI:1895年ー1952年 在位期間:1936年-1952年)に因んで、「HMS キング・ジョージ6世」と命名される筈であったが、ジョージ6世の希望により、父王であるジョージ5世(George V:1865年ー1936年 在位期間:1910年ー1936年)の名前が冠されて、「HMS キング・ジョージ5世」と命名された。1912年に就役した「キング・ジョージ5世」があるため、「キング・ジョージ5世」の名を冠する戦艦として、2代目に該る。


ジョージ5世時代(1913年)に発行された切手の図案をベースにして、
英国のロイヤルメールが発行した切手

同型艦は、「HMS キング・ジョージ5世」以外に、4艦が建造され、

(1)HMS Prince of Wales(就役年月:1941年1月19日)

(2)HMS Duke of York(就役年月:1941年8月19日)

(3)HMS Anson(就役年月:1942年4月14日)

(4)HMS Howe(就役年月:1942年6月17日)

の名が冠された。

なお、上記(1)の「Prince of Wales」は、ジョージ5世の長男で、後の英国王エドワード8世(Edward VIII:1894年ー1972年 在位期間:1936年1月20日ー同年12月11日)を、上記(2)の「Duke of York」は、ジョージ5世の次男で、後の英国王ジョージ6世を指し、上記(3)と(4)は、18世紀の海軍提督である George Anson, 1st Baron Anson と Richard Howe, 1st Earl Howe の名を冠している。


エドワード8世時代(1936年)に発行された切手の図案をベースにして、
英国のロイヤルメールが発行した切手

ジョージ6世時代(1940年)に発行された切手の図案をベースにして、
英国のロイヤルメールが発行した切手


「HMS キング・ジョージ5世」の全長は約227m、最大幅は約32m、満載排水量は約44,500t。

前部に2基(4連装+連装)、後部に1基(4連装)の主砲塔を備えた特徴的な配置で、キング・ジョージ5世級戦艦以外に、同様の配置はない。当初、4連装の主砲塔3基を搭載する予定であったが、防御力向上のため、装甲を増やした結果、重量調整の関係上、4連装が3基から2基へと減らされたのである。


1940年に就役した後、「HMS キング・ジョージ5世」は、英国海軍の本国艦隊の旗艦となり、以下の作戦に参加した。


(1)ドイツ戦艦「ビスマルク(Bismarck)」追撃作戦(1941年)

(2)大西洋船団護衛

(3)北洋船団護衛

(4)シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦(Operation Husky))(1943年)


1945年3月、「HMS キング・ジョージ5世」は、英国太平洋艦隊に配属され、日本が降伏する同年8月まで、


(5)沖縄攻略

(6)日本本土上陸予備作戦


等に参加。


第二次世界大戦後の1949年に退役、1957年に除籍され、その後、スクラップの上、売却された。


2022年3月5日土曜日

デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 悪魔との契約」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Devil’s Promise by David Stuart Davies) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2014年に出版された
デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 悪魔との契約」の表紙


「悪魔との契約(The Devil’s Promise)」は、英国の作家であるデイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ(David Stuart Davies:1946年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2014年に発表した作品である。

作者のデイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズは、英語の教師を経て、フルタイムの編集者、作家かつ劇作家に転身している。


デイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズは、ホームズシリーズの一つとして、2004年に「欺かれた探偵(The Veiled Detective)」を発表しているが、2021年4月21日 / 4月28日 / 5月5日付ブログを御参照願いたい。


「悪魔との契約」は、次のようにして始まる。


1899年の夏(7月)、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、デヴォン州(Devon)のホーデン(Howden)村の近くにあるサンフィアコテージ(Samphire Cottage)へ避暑に来ていた。


ロンドンに居る間、ホームズの気分はすぐれなかった。それに加えて、彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が心臓麻痺になり、回復はしたものの、車椅子での生活を余儀なくされたのである。ホームズのことを心配したワトスンは、妻(メアリー・モースタン(Mary Morstan))が米国に居る病気療養中の姉に会いに出かけている間、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)へ戻った。

ワトスンは、自分が会員になっているビリヤードクラブで知り合ったカウソーン(Cawthorne)からコテージのことを聞いた。カウソーンによると、自分の妻を、手術の後、そのコテージへ転地療養させた結果、彼女の健康だけではなく、精神面も大いに回復したと言う。

それを聞いたワトスンは、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)の助けを得て、ホームズを説得したところ、「1週間だけ」と言う約束で、ホームズはデヴォン州のホーデン村へと出かけることを了承したのであった。


ある早朝、ホームズとワトスンは、海岸へ散歩に出かけた。ワトスンが砂浜に座っている間、ホームズは散策を続け、岩場の向こうへと姿を消した。ワトスンが立ち上がって、コテージへ戻ろうとした瞬間、ホームズの叫び声が聞こえ、岩場の向こう側から、ホームズが姿を現わすのが見えた。こちらへと戻って来るホームズの両手からは、血が滴り落ちていたのである。そして、ホームズはワトスンに告げる。「こちらに来てくれ!岩場の向こうに、死体があるんだ!」と。


早速、ワトスンは、ホームズと一緒に、岩場の向こう側に駆け付ける。ホームズ曰く、「50代後半の男性の死体で、後頭部に何度も殴られた痕があった。」と言うが、彼らがその場に着いてみると、ホームズが言うところの死体は、影も形もなかった。ホームズは、「男性を殺害した集団が、死体を隠したに違いない。」と主張するが、ワトスンは、つい、ホームズの精神状態を疑ってしまう。


狐につままれた感じで、ホームズとワトスンはコテージに戻って来るが、翌日の早朝、ホームズを信じたワトスンが同じ砂浜へ降りてみると、砂地から人間の指が露出しているのを発見する。ワトスンが砂を掻き分けると、そこには、昨日ホームズが発見した男性の死体が埋められていたのである。もう一度、死体を埋めなおすと、ワトスンは慌ててコテージへと走って戻った。


2022年3月2日水曜日

ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集5 黒い塔の恐怖」(The Door to Doom and Other Detections by John Dickson Carr)

東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集5 黒い塔の恐怖」の表紙
(カバー : アトリエ絵夢 志村 敏子氏) -
表紙に描かれているのは、
「黒い塔の恐怖」の舞台となるモート館の塔

「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家である。彼は、シャーロック・ホームズシリーズで有名なサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の伝記を執筆するとともに、コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイル(Adrian Conan Doyle:1910年ー1970年)と一緒に、ホームズシリーズにおける「語られざる事件」をテーマにした短編集「シャーロック・ホームズの功績(The Exploits of Sherlock Holmes)」(1954年)を発表している。


彼が、ジョン・ディクスン・カー名義で発表した作品では、当初、パリの予審判事のアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)が探偵役を務めたが、その後、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が探偵役として活躍した。彼は、カーター・ディクスン(Carter Dickson)というペンネームでも推理小説を執筆しており、カーター・ディクスン名義の作品では、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役として活躍している。


日本の出版社である東京創元社から、創元推理文庫の一冊として、「カー短編全集5 黒い塔の恐怖」が1983年に出版されているが、これは、ジョン・ディクスン・カーの死後、米国の書籍編集者であるダグラス・G・グリーン(Douglas G. Greene:1944年ー)が編集して、1980年に米国の Harper & Row 社からジョン・ディクスン・カー名義で出版された作品集「The Door to Doom and Other Detections」がベースとなっている。なお、The Door to Doom and Other Detections」は、「カー短編全集4 幽霊射手(→ 2021年11月7日付ブログで紹介済)」と「カー短編全集5 黒い塔の恐怖」の2冊に分かれている。


「カー短編全集5 黒い塔の恐怖」には、以下の作品が収録されている。


<ラジオドラマ>

「カー短編全集4 幽霊射手」から続く。

(1)「死を賭けるか?(Will You Make a Bet With Death?)」(1942年)

(2)「あずまやの悪魔(The Devil in the Summer-House)」(1940年)


<超自然の謎の物語>

(3)「死んでいた男(The Man Who Was Dead)」(1935年)

(4)「死への扉(The Door to Doom)」(1935年)

(5)「黒い塔の恐怖(Terror’s Dark Tower)」(1935年)


主人公の恋人であるルイーズ・モートレイクの姉アン・モートレイクは、挙式の日の1週間前のある夜、モート館の塔(約18mの高さ)の最上階にある部屋に閉じこもった。その部屋には、下の部屋の天井についた揚げ蓋を開いて出入りするしか、他に出入口はなかった。アンは揚げ蓋を閉めると、中から閂をかけた。下の部屋において、数名の人物が見張っている密室状況にもかかわらず、最上階の部屋から断末魔の叫び声が聞こえてきた。下の部屋に居た人達が閂をかけた揚げ蓋を壊して、最上階の部屋に入ってみると、両目を抉り取られたアンの死体が倒れていたのである。

以前にも、ルイーズの祖父の妹であるエレン・モートレイクが、同じような状況でなくなっていた。これは、モートレイク家に伝わる呪い(100年以前、ヴィヴィアン・モートレイクに起きた事件)なのか?


<シャーロック・ホームズのパロディー>

(6)「コンク・シングルトン卿文書事件(The Adventure of the Conk-Singleton)」(1948年)


東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集5 黒い塔の恐怖」の挿絵の一つ
(カバー : アトリエ絵夢 志村 敏子氏)


本パロディーは、ジョン・ディクスン・カーが、1948年の米国推理作家協会の年次総会において上演された。1年後(1949年4月)の年次総会では、「パラドール・チェンバーの怪事件(The Adventure of the Paradol Chamber)」が上演されている。

両作品とも、クレートン・ロースンがシャーロック・ホームズを、ローレンス・G・ブロックマンがジョン・H・ワトスンに扮している。「コンク・シングルトン卿文書事件」では、ジョン・ディクスン・カー自身が訪問客の役を演じている。


<エッセー>

(7)「有り金残らず置いてゆけ!(Stand and Deliver!)」(1973年)

(8)「地上最高のゲーム(The Greatest Game in the World)」(1963年)


上記に加えて、


(9)ダグラス・G・グリーン編「ジョン・ディクスン・カー書誌」

(10)江戸川乱歩(1894年ー1965年)作「カー問答」


が、読者用のオマケとして収録されている。


明智小五郎シリーズ等で有名な日本の推理作家である江戸川乱歩は、「別冊宝石」(1950年8月)で行った「カー問答」において、カーの作品を第1位グループ(最も評価が高い作品群)から第4位グループ(最もつまらない作品群)までグループ分けしていているので、カーファンには必読である。