2017年2月26日日曜日

ロンドン ハーリーストリート82番地(82 Harley Street)

TV 版「ホロー荘の殺人」では、ハーリーストリート82番地の建物が
ジョンとガーダのクリストウ夫妻の医院兼住居として撮影に使用されている

アガサ・クリスティー作「ホロー荘の殺人(The Hollow)」(1946年)は、ある年の9月末の週末、行政官だったサー・ヘンリー・アンカテル(Sir Henry Angkatell)と夫人のルーシー・アンカテル(Lucy Angkatell)は、友人のクリストウ夫妻をロンドン近くの自宅ホロー荘へ招待して、彼らをもてなす計画をするところから、話が始まる。


夫のジョン・クリストウ(John Christow)はハーリーストリート(Harley Streetー2015年4月11日付ブログで紹介済)で成功をおさめた外科医で、夫人のガーダ・クリストウ(Gerda Christow)は純真かつ無邪気な性格で、夫のジョンに対して崇拝に近い位の愛情を捧げていた。ただ、ガーダは簡単な室内ゲームも満足にできないのが、ルーシー・アンカテルにとって頭の痛い点だった。

ハーリーストリート82番地の建物入口

クリストウ夫妻の他には、以下の人物が招待されていた。

(1)ミッジ・ハードキャッスル(Midge Hardcastle):ルーシー・アンカテルの従妹で、服飾関係の店員として働いている。
(2)エドワード・アンカテル(Edward Angkatell):サー・ヘンリー・アンカテルの従弟で、アンカテル家の領地エインズウィック(Ainswick)の法廷相続人。
(3)ヘンリエッタ・サヴァナク(Henrietta Savernake):彫刻家
(4)デイヴィッド・アンカテル(David Angkatell):ルーシー・アンカテルの従兄弟で、学生。

更に、ルーシー・アンカテルがバグダッドで出会ったエルキュール・ポワロが偶然ホロー荘の近くに別荘を借りていたため、彼女は彼を日曜日の昼食に招いていた。

ハーリーストリート82番地の建物上部ー
左側には、TV 版「愛国殺人」において、
ヘンリー・モーリーの歯科医院として撮影に使用された
ハーリーストリート84番地の建物がある

招待客が到着して、週末が始まると、ルーシー・アンカテルの心配が的中することになった。ミッジ・ハードキャッスルはエドワード・アンカテルのことを愛していたが、当人のエドワード・アンカテルはヘンリエッタ・サヴァナクにエインズウィックの女主人になってほしいと思っている。ところが、ヘンリエッタ・サヴァナクはジョン・クリストウと不倫関係にあったのだ。そして、デイヴィッド・アンカテルはそんな彼らを嫌っていた。

右側から、ハーリーストリート82番地、
84番地、86番地と続く

ポワロの向かいの別荘を借りている女優のヴェロニカ・クレイ(Veronica Clay)がきらしたマッチを借りようとホロー荘へとやって来たで、状況は更に緊迫度を増した。ヴェロニカ・クレイは以前ジョン・クリストウと交際しており、彼に外科医の仕事を捨てて、自分と一緒にハリウッドへ来るように誘ったが、彼は彼女の要請を断り、彼女としては、それを良しとはしていなかった。そして、これが15年振りの再会であった。ジョン・クリストウは、以前のようにヴェロニカ・クレイの魅力に抗いできず、結局、彼女を別荘まで送って行くことになった。ジョン・クリストウが、午前3時にヴェロニカ・クレイの別荘からホロー荘へと戻って来た際、誰かに見られているように感じた。ところが、誰の姿も見当たらず、妻のガーダが寝室で寝ていることを確認すると、ジョン・クリストウは安心して、床に就くのであった。

右側から、ハーリーストリート84番地、
86番地、88番地の建物が続く

翌日の日曜日、ルーシー・アンカテルに昼食へ招かれたポワロは、ホロー荘を訪れた。執事のガジョン(Gudgeon)に案内されて、昼食前の一杯のため、プールの側の東屋(あずまや)へ向かったポワロであったが、プールのところにホロー荘の主夫妻や招待客達が集まっているのを目にする。そして、彼らが囲んでいたのは、銃で撃たれ、血を流して倒れているジョン・クリストウと、銃を手にして傍らに立つガーダ・クリストウという芝居染みた光景であった。当初、ポワロは、名探偵である自分を歓迎するための余興だと考えたが、直ぐに冗談事ではないことが判る。正に、ポワロの目の前で、本物の殺人事件が発生したのであった。

ハーリーストリート82番地の建物の向かい側から
ハーリーストリートを北側から南側へ見たところ

英国の TV 会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ホロー荘の殺人」(2004年)において、サー・ヘンリー・アンカテルと夫人のルーシー・アンカテルから、彼らの自宅ホロー荘で週末を過ごすよう招待を受けた外科医のジョン・クリストウと夫人のガーダ・クリストウの二人が車に乗って、彼らの医院兼住居の前からホロー荘へと向けて出発する。ジョン/ガーダ・クリストウ夫妻の医院兼住居は、ハーリーストリート82番地の建物を使用して撮影されている。なお、ジョン・クリストウは、不倫相手のヘンリエッタ・サヴァナクのアトリエ兼フラットを訪ねた際、玄関口のステップで転倒し、手首を捻挫したため、ガーダ・クリストウが車を運転している。

ハーリーストリート82番地の建物の向かい側から
ハーリーストリートを南側から北側へ見たところ

ハーリーストリートは、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のマリルボーン地区(Marylebone)内にあり、ハーリーストリート82番地は、ニューキャヴェンディッシュストリート(New Cavendish Street)とウェイマウスストリート(Weymouth Street)に南北を挟まれた場所に建っている。

ハーリーストリート84番地の建物(その1)

ハーリーストリート82番地の建物の左隣には、ハーリーストリート84番地(84 Harley Streetー2016年5月29日付ブログで紹介済)の建物が建っているが、この建物は同じ「Agatha Christie's Poirot」の「愛国殺人(→英国での原題は、「One, Two, Buckle My Shoe(いち、にい、私の靴の留め金を締めて)」)」(1992年)において、物語の冒頭、ポワロが通うヘンリー・モーリー(Henry Morley)の歯科医院(→アガサ・クリスティーの原作では、クイーンシャーロットストリート58番地(58 Queen Charlotte Street)で、TV 版では、ハーリーストリート168番地(168 Harley Street))として撮影に使用されているのである。

ハーリーストリート84番地の建物(その2)

ちなみに、TV 版「ホロー荘の殺人」の初めの方(クリストウ夫妻がホロー荘へ向けて車で出発するシーン)とラスト近く(事件が悲劇的な結末を迎えた後、ポワロとヘンリエッタ・サヴァナクがクリストウ夫妻の医院兼住居から出て来るシーン)において、ハーリーストリート82番地の建物が画面上に写っているが、入口ドアに404番地という表示が架けられている。これは、TV 撮影用の架空の番地であり、実際には、ハーリーストリート沿いに404番地は存在していない。

画面手前を左右に横切るウェイマウスストリートから
ハーリーストリートを北側から南側へ望む

ハーリーストリート82番地は、ハーリーストリートの東側に建っており、クリストウ夫妻が乗った車が画面の左側から右側へ走り去ったということは、車は北側から南側へと向かったことになる。ハーリーストリートは、現在、北側から南側への一方通行であるため、車の進行方向は正しいと言える。ただし、画面手前の車は、頭を左側、つまり、北側へ向けてハーリーストリート沿いに停まっており、これは現在ハーリーストリートで認められている進行方向とは逆である。

2017年2月25日土曜日

ルコック探偵(Lecoq)



1979年に旺文社文庫として出版された
エティエンヌ・エミール・ガボリオ作「ルコック探偵」―
カバー絵は桑原伸之氏

ルコック(Lecoq)は、フランスの大衆小説家であるエティエンヌ・エミール・ガボリオ(Etienne Emile Gaboriau:1832年ー1873年)が創造した探偵である。
米国の小説家/詩人/雑誌編集者であるエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe:1809年ー1849年)が生み出したC・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin)は、世界最初の素人探偵(民間人)であるのに対して、ルコックの職業はパリ警察庁の(若手)警官であり、世界最初の職業探偵と言える。

ルコックは、以下の作品に登場する。
(1)「ルルージュ事件(L'Affaire Lerouge)」(1866年)
(2)「書類百十三(Le Dossier 113)」(1867年)
(3)「オルシヴァルの犯罪(Le Crime d'Orcival)」(1867年)
(4)「パリの奴隷(Les Esclaves de Paris)」(1867年)
(5)「シャンドース家の秘密(Le Secret des Champdoce)」(1867年)
(6)「ルコック探偵(Monsieur Lecoq)」(1869年)

「ルルージュ事件」の場合、主人公は素人探偵のダバレ老人で、ルコックは脇役に過ぎなかった。ルコックが主人公として活躍するのは、「書類百十三」以降である。
ルコックものの日本語訳版は、現在、入手が非常に困難であるが、「ルルージュ事件」が国書刊行会から2008年に、また、「ルコック探偵」が旺文社文庫から1979年に出版されている。

「ルコック探偵」は、シュパン女将の居酒屋で、恐ろしい悲鳴ともに、三発の銃声が響き渡ることで、その事件の幕があがる。三人の男が射殺され、拳銃を所持していた男が逮捕される。事件現場に駆け付けた若き警官ルコックは、辻馬車で逃げる女性二人を追うが、見失ってしまう。現場で逮捕された男も、そして、捜査線上に現れる関係者達も、皆口をつぐんだまま、何も語ろうとしない。ルコックによる地味で、執拗な捜査の結果、浮かび上がるのは、ナポレオン時代に遡る貴族達の血塗られた歴史であった...

ここまでが、「ルコック探偵」の物語導入部分であって、本作品の本質は、その後に書かれる貴族達の血塗られた歴史である。本作品の大半は、物語の冒頭で発生した事件に関係する人達に関する過去の因縁話に、ページが費やされている。そして、この長い因縁話の後、現代に戻り、ルコックが事件の真相を突き止める話が書かれる構成となっている。
この物語構成は、作者であるガボリオが編み出したのであろうが、特に、本作品の大半を占める過去の因縁話を含む構成は、個人的には、非常にフランスらしい気がする。

実は、シャーロック・ホームズシリーズを執筆する際、サー・アーサー・コナン・ドイルは、ガボリオの手法に倣って、過去の因縁話の長短は別にして、長編第1作目の「緋色の研究(A Study in Scarlet)」、長編第2作目の「四つの署名(The Sign of the Four)」や第4作目で最後の長編の「恐怖の谷(The Valley of Fear)」において、ガボリオによる影響は非常に顕著である。

2017年2月19日日曜日

ロンドン デヴォンシャークローズ(Devonshire Close)

TV 版のポワロシリーズ「ホロー荘の殺人「」において、物語の冒頭、
外科医ジョン・クリストウが訪れた不倫相手の彫刻家ヘンリエッタ・サヴァナクが住む
アトリエ兼フラットの撮影が行われたデヴォンシャークローズ

アガサ・クリスティー作「ホロー荘の殺人(The Hollow)」(1946年)は、ある年の9月末の週末、行政官だったサー・ヘンリー・アンカテル(Sir Henry Angkatell)と夫人のルーシー・アンカテル(Lucy Angkatell)は、友人のクリストウ夫妻をロンドン近くの自宅ホロー荘へ招待して、彼らをもてなす計画をするところから、話が始まる。


夫のジョン・クリストウ(John Christow)はハーリーストリート(Harley Streetー2015年4月11日付ブログで紹介済)で成功をおさめた外科医で、夫人のガーダ・クリストウ(Gerda Christow)は純真かつ無邪気な性格で、夫のジョンに対して崇拝に近い位の愛情を捧げていた。ただ、ガーダは簡単な室内ゲームも満足にできないのが、ルーシー・アンカテルにとって頭の痛い点だった。

デヴォンシャークローズの入口

クリストウ夫妻の他には、以下の人物が招待されていた。

(1)ミッジ・ハードキャッスル(Midge Hardcastle):ルーシー・アンカテルの従妹で、服飾関係の店員として働いている。
(2)エドワード・アンカテル(Edward Angkatell):サー・ヘンリー・アンカテルの従弟で、アンカテル家の領地エインズウィック(Ainswick)の法廷相続人。
(3)ヘンリエッタ・サヴァナク(Henrietta Savernake):彫刻家
(4)デイヴィッド・アンカテル(David Angkatell):ルーシー・アンカテルの従兄弟で、学生。

更に、ルーシー・アンカテルがバグダッドで出会ったエルキュール・ポワロが偶然ホロー荘の近くに別荘を借りていたため、彼女は彼を日曜日の昼食に招いていた。


招待客が到着して、週末が始まると、ルーシー・アンカテルの心配が的中することになった。ミッジ・ハードキャッスルはエドワード・アンカテルのことを愛していたが、当人のエドワード・アンカテルはヘンリエッタ・サヴァナクにエインズウィックの女主人になってほしいと思っている。ところが、ヘンリエッタ・サヴァナクはジョン・クリストウと不倫関係にあったのだ。そして、デイヴィッド・アンカテルはそんな彼らを嫌っていた。


ポワロの向かいの別荘を借りている女優のヴェロニカ・クレイ(Veronica Clay)がきらしたマッチを借りようとホロー荘へとやって来たで、状況は更に緊迫度を増した。ヴェロニカ・クレイは以前ジョン・クリストウと交際しており、彼に外科医の仕事を捨てて、自分と一緒にハリウッドへ来るように誘ったが、彼は彼女の要請を断り、彼女としては、それを良しとはしていなかった。そして、これが15年振りの再会であった。ジョン・クリストウは、以前のようにヴェロニカ・クレイの魅力に抗いできず、結局、彼女を別荘まで送って行くことになった。ジョン・クリストウが、午前3時にヴェロニカ・クレイの別荘からホロー荘へと戻って来た際、誰かに見られているように感じた。ところが、誰の姿も見当たらず、妻のガーダが寝室で寝ていることを確認すると、ジョン・クリストウは安心して、床に就くのであった。


翌日の日曜日、ルーシー・アンカテルに昼食へ招かれたポワロは、ホロー荘を訪れた。執事のガジョン(Gudgeon)に案内されて、昼食前の一杯のため、プールの側の東屋(あずまや)へ向かったポワロであったが、プールのところにホロー荘の主夫妻や招待客達が集まっているのを目にする。そして、彼らが囲んでいたのは、銃で撃たれ、血を流して倒れているジョン・クリストウと、銃を手にして傍らに立つガーダ・クリストウという芝居染みた光景であった。当初、ポワロは、名探偵である自分を歓迎するための余興だと考えたが、直ぐに冗談事ではないことが判る。正に、ポワロの目の前で、本物の殺人事件が発生したのであった。


英国の TV 会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ホロー荘の殺人」(2004年)では、物語の冒頭、ジョン・クリストウが不倫相手であるヘンリエッタ・サヴァナクのアトリエ兼フラットを車で訪れるシーンから始まる。物語では、ヘンリエッタ・サヴァナクのアトリエ兼フラットは、(ロンドンの高級住宅街の一つである)チェルシー地区(Chelsea)にあると言及されているが、実際には、チェルシー地区ではないデヴォンシャークローズ(Devonshire Close)で撮影されている。


デヴォンシャークローズは、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のマリルボーン地区(Marylebone)内にある。具体的には、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)方面から地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)へと西に向かうオックスフォードストリート(Oxford Streetー2016年5月28日付ブログで紹介済)とユーストン駅(Euston Stationー2015年10月31日付ブログで紹介済)の前を通って、キングスクロス駅(King's Cross Station)/セントパンクラス駅(St. Pancras Station)方面から地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)へと西に向かうマリルボーンロード(Marylebone Road)の二つの幹線道路によって南北を挟まれた地域内に所在している。
デヴォンシャークローズは、デヴォンシャーストリート(Devonshire Street)の南側に位置しており、上空から見ると、「H」型をした行き止まりの通りである。正確には、「H」の横棒の下からもう一つ短い通りが南側へと延びている。


デヴォンシャークローズ前のデヴォンシャーストリート―
画面奥を左右に横切るのが、ハーリーストリート

デヴォンシャークローズからデヴォンシャーストリートへと出て西へ進むと、そこはハーリーストリートで、ジョン・クリストウの医院兼住居は、ハーリーストリート沿いにある建物を使用して撮影されている。つまり、ストーリー上は、ジョン・クリストウの医院兼住居とヘンリエッタ・サヴァナクのアトリエ兼フラットは、距離的にかなり離れているが、撮影上は目と鼻の先で行われているのである。

2017年2月18日土曜日

エティエンヌ・エミール・ガボリオ(Etienne Emile Gaboriau)

1979年に旺文社文庫として出版された
エティエンヌ・エミール・ガボリオ作「ルコック探偵」―
カバー絵は桑原伸之氏

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。

1878年に、ワトスンはロンドン大学(University of Londonー2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospitalー2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。
英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。
こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。

ホームズとワトスンが共同生活を始めてしばらくした頃、ホームズはワトスンに対して、初対面にもかかわらず、何故、ワトスンがアフガニスタンから戻って来たことが判ったのか、その種明かしをする。それを聞いたワトスンが、ホームズを(米国の小説家/詩人/雑誌編集者である)エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe:1809年ー1949年→2017年1月28日付ブログで紹介済)の作品に登場するC・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupinー2017年2月4日付ブログで紹介済)になぞらえると、ホームズは非常に不満顔であった。しかし、ワトスンは更に話を続けるのだった。

「君はガボリオの作品を読んだことがあるかい?」と、私は尋ねた。「ルコックは、探偵として君の御眼鏡に適うかい?」
シャーロック・ホームズは、皮肉っぽく鼻であしらって言った。「ルコックは惨めな不器用者だ。」と、彼は怒った口調で言った。「彼には、たった一つだけ誉められる点がある。それは、彼の行動力だ。ただ、彼の本を読むと、僕の気分は非常に悪くなるよ。問題は、どのように犯人を見つけ出すということだったが、僕であれば、24時間で解決できたさ。生憎と、ルコックの場合、事件を解決するのに、6ヶ月も要したが、彼の本は、してはならないことを教える探偵用教科書として書かれたのかもしれない。」
私は、自分が称賛していた二人が、こんな風に悪し様に言われるのを聞いて、少しばかり憤りを覚えた。私は、窓の側まで歩いて行って、そこから往来の激しい通りを立ったまま見つめた。「彼(ホームズ)は、非常に賢いのかもしれない。」と、私は自分で言った。「だが、彼の場合、明らかに自惚れが強過ぎる。」

'Have you read Gaboriau's works?' I asked. 'Does Lecoq come up to your idea of a detective?'
Sherlock Holmes sniffed sardonically. 'Lecoq was a miserable bungler,' he said, in an angry voice; 'he had only one thing to recommend him, and that was his energy. That book made me positively ill. The question was how to identify an unknown prisoner. I could have done it in twenty-four hours. Lecoq took six months or so. It might be made a text-book for detectives to teach them what to avoid.'
I felt rather indignant at having two characters whom I had admired treated in this cavalier style. I walked over to the window, and stood looking out into the busy street. 'This fellow may be very clever,' I said to myself, 'but he is certainly very conceited.'

ルコック(Lecoq)を創造したのは、フランスの大衆小説家エティエンヌ・エミール・ガボリオ(Etienne Emile Gaboriau:1832年ー1873年)である。
彼はフランス南西部の地方(ソージョン)に公証人の息子として生まれ、公証人の見習い→騎兵隊→仲買人という経歴を辿った後、25歳の時に週刊誌「ジャン・ディアブル紙」に入社。その後、当時フランスの大衆小説の大家であったポール=アンリ=コランタン・フェヴァル(Paul-Henri-Corentin Feval:1816年ー1887年)の秘書として代作をするようになった。そして、自分の名前で新聞や新聞付き文芸誌等に小説を連載するようになり、名声を高めて、長編小説を精力的に発表したが、1873年、肺出血のために41歳の若さでパリで急逝した。

ガボリオは、フェヴァルの代作を行っていた頃、その材料を仕入れるために、警察やモルグ(遺体置き場)等を訪ね歩いており、その時の経験が後に推理小説を執筆する際の知識として役立つことになる。

フランスの詩人/評論家であるシャルル=ビエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire:1821年ー1867年)が仏訳したエドガー・アラン・ポーが執筆した推理小説(短編)を読んで、その影響を受けたガボリオは、1866年、世界初の長編推理小説である「ルルージュ事件(L'Affaire Lerouge)」を新聞連載小説として発表した。同作品によって、ガボリオは一躍脚光を浴びる。同作品において、主人公は素人探偵のタバレ老人で、パリ警視庁の若手警官であるルコックは、脇役扱いであった。ルコックが主人公として活躍するのは、次作の「書類百十三(Le Dossier 113)」(1867年)以降である。

2017年2月12日日曜日

ロンドン カンバーランドガーデンズ(Cumberland Gardens)

ポワロシリーズ「二十四羽の黒つぐみ」において、カンバーランドガーデンズ奥の両側の建物が、
画家ヘンリー・ガスコインの自宅、そして、ポワロとヘイスティングス大尉が訪ねる近所の家として
撮影に使用されている

アガサ・クリスティー作「二十四羽の黒つぐみ(Four and Twenty Blackbirds)」は、1960年に刊行された短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of Christmas Pudding)」に収録されている作品である。


ある夜、エルキュール・ポワロが、友人のヘンリー・ボニントン(Henry Bonnington)と一緒に、友人行きつけのレストランで食事をしていた時のことだった。ヘンリー・ボニントンがある席に座る髭の老人を指差すと、「あの老人は同じ曜日(火曜日と木曜日)に現れ、同じ席で同じ食事をとるんだ。」と、ポワロに語る。ポワロ達が座るテーブルへ食事を運んで来たウェイトレスが、ポワロ達が髭の老人を見ていることに気付くと、彼らに対して、「あの老人は、先週、いつもとは違う曜日(月曜日)にもやって来て、今までに注文したことがない食事を注文したんです。」と話すのを聞いて、ポワロは非常に興味を惹かれる。

グレートパーシーストリートから
カンバーランドガーデンズを望む

3週間後、地下鉄でヘンリー・ボニントンに再会したポワロは、あの老人が1週間近くレストランに姿を見せていないと知らされる。髭の老人の行動に興味を覚えたポワロであったが、その老人が死亡していたことを新聞で知ることになる。ポワロが老人のかかりつけの医師に会ったところ、老人は独り暮らしで、自宅の階段から誤って転落したことによる事故死だと告げられる。その直前、老人は例の行きつけのレストランで食事をしたようである。そうだとすると、デザートにブラックベリーのタルトを食べた筈だが、老人の歯は年齢の割には白くきれいであったと言う。
果たして、老人の死は、本当に事故死だろうか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出す。

カンバーランドガーデンズ入口右側に建つ住居
カンバーランドガーデンズ入口左側に建つ住居

英国の TV 会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「二十四羽の黒つぐみ」(1989年)の回において、物語の冒頭、友人の歯科医ボニントンと一緒に、ポワロがボニントン行きつけのレストランで夕食を注文しようとしていると、レストランのウェイトレスであるモリー(Molly)が彼ら二人に話しかける。モリーによると、今も店内に居る常連客の老人は、いつも同じ曜日(水曜日の晩と土曜日の晩)にやって来て、同じ席に座り、同じ注文をするのだが、何故か、先週は違う曜日(月曜日の晩)にも現れて、いつもと違う注文をしたと言う。モリーの話を聞いたポワロは、その常連客である老人がとったいつもと違う行動に興味を惹かれるのであった。

カンバーランドガーデンズ中間辺りの右側に建つ住居
カンバーランドガーデンズ中間辺りの左側に建つ住居

数日後、その老人(画家のヘンリー・ガスコイン(Henry Gascoigne))が自宅において遺体で発見される。夜、階段から転落し、首の骨を折ったようで、スコットランドヤードのジャップ主任警部は事故死と考えたのであるが、それに疑問を感じたポワロは、アーサー・ヘイスティングス大尉を伴って、ヘンリー・ガスコインの自宅を訪ねる。そして、ヘンリー・ガスコインの自宅として、カンバーランドガーデンズ(Cumberland Gardens)が撮影に使用されている。

カンバーランドガーデンズ奥から
グレートパーシーストリートを見たところ(その1)
カンバーランドガーデンズ奥から
グレートパーシーストリートを見たところ(その2)

カンバーランドガーデンズは、ロンドン・イズリントン区(London  Borough of Islington)のフィンズベリー地区(Finsbury)内にある。セントパンクラス駅(St. Pancras Station)/キングスクロス駅(King's Cross Station)からシティー(City)の北部方面へ向かって、ペントンヴィルロード(Pentonville Road)を東に進み、右手前方に見えるクレアモントスクエア(Claremont Square)の手前で右折して、アムウェルストリート(Amwell Street)を直進する。そして、右手に見える2番目の角を右折すると、そこがグレートパーシーストリート(Great Percy Street)で、このグレートパーシーストリートの左手中間辺りに、カンバーランドガーデンズがある。

カンバーランドガーデンズの奥は、
道路としては、行き止まりになっているが、
歩道としては通り抜け可能である。
カンバーランドガーデンズ奥の右手に建つ住居

アムウェルストリートはこの辺のハイストリートに該り、パブ、カフェ、雑貨屋、小売店、美容室(日本人が経営する美容室を含め、数軒がこの通りで営業している)や不動産エージェント等が軒を連ねているが、グレートパーシーストリートやカンバーランドガーデンズの両側は住宅街で、車の往来は少なく、日中でも閑静なところである。
カンバーランドガーデンズの両側も住宅街で、道路としては、奥で行き止まりである(歩道としては、通り抜けが可能)。

2017年2月11日土曜日

ロンドン シャーロックミューズ(Sherlock Mews)


シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが共同生活を送ったベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)からほど近いシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のマリルボーン地区(Marylebone)内に、シャーロックという名を冠した通り「シャーロックミューズ(Sherlock Mews)」が存在している。


「ミューズ(厩舎街)」とは、厩舎(うまや)から表通りまでの路地のことを指している。ロンドン市内では、厩舎だった建物が後にフラット等の住居に改装され、人が住むようになったが、「ミューズ」という名が市内各所にそのまま残り、以前、厩舎が建ち並ぶ路地であったことを今に伝えている。


地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を東西に延びるマリルボーンロード(Marylebone Road)からオックスフォードストリート(Oxford Streetー2016年5月28日付ブログで紹介済)へと向かって南下するチルターンストリート(Chiltern Street)とベーカーストリート(Baker Streetー2016年10月1日付ブログで紹介済)に東西を、そして、チルターンストリートとベーカーストリートを繫ぐパディントンストリート(Paddington Street)に南を囲まれた場所に、シャーロックミューズは所在している。

シャーロックミューズは南北に延びる路地で、北側は行き止まりであるが、南側はパディントンストリートに繋がっており、シャーロックミューズにとって、パディントンストリートが表通りに該る。


残念ながら、シャーロックミューズの名前の由来は不明であるが、シャーロックミューズの行き止まりにある住居は、ベーカーストリート側に表玄関が、そして、チルターンストリート側に裏玄関があるシャーロック・ホームズホテル(Park Plaza Sherlock Holmes London)に壁を接していると思われる。

2017年2月5日日曜日

ロンドン シンプソンズ タヴァーン(Simpson's Tavern)

ボールコート内に建つシンプソンズ タヴァーン

アガサ・クリスティー作「二十四羽の黒つぐみ(Four and Twenty Blackbirds)」は、1960年に刊行された短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of Christmas Pudding)」に収録されている作品である。


ある夜、エルキュール・ポワロが、友人のヘンリー・ボニントン(Henry Bonnington)と一緒に、友人行きつけのレストランで食事をしていた時のことだった。ヘンリー・ボニントンがある席に座る髭の老人を指差すと、「あの老人は同じ曜日(火曜日と木曜日)に現れ、同じ席で同じ食事をとるんだ。」と、ポワロに語る。ポワロ達が座るテーブルへ食事を運んで来たウェイトレスが、ポワロ達が髭の老人を見ていることに気付くと、彼らに対して、「あの老人は、先週、いつもとは違う曜日(月曜日)にもやって来て、今までに注文したことがない食事を注文したんです。」と話すのを聞いて、ポワロは非常に興味を惹かれる。

コーンヒル通り側にあるボールコートの入口
ボールコートの入口には、
奥にシンプソンズ タヴァーンがあることを示す看板が架けられている

3週間後、地下鉄でヘンリー・ボニントンに再会したポワロは、あの老人が1週間近くレストランに姿を見せていないと知らされる。髭の老人の行動に興味を覚えたポワロであったが、その老人が死亡していたことを新聞で知ることになる。ポワロが老人のかかりつけの医師に会ったところ、老人は独り暮らしで、自宅の階段から誤って転落したことによる事故死だと告げられる。その直前、老人は例の行きつけのレストランで食事をしたようである。そうだとすると、デザートにブラックベリーのタルトを食べた筈だが、老人の歯は年齢の割には白くきれいであったと言う。
果たして、老人の死は、本当に事故死だろうか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出す。

コーンヒル通り側からボールコートの奥を望む

英国の TV 会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「二十四羽の黒つぐみ」(1989年)の回において、物語の冒頭、友人の歯科医ボニントンと一緒に、ポワロがボニントン行きつけのレストランで夕食を注文しようとしていると、レストランのウェイトレスであるモリー(Molly)が彼ら二人に話しかける。モリーによると、今も店内に居る常連客の老人は、いつも同じ曜日(水曜日の晩と土曜日の晩)にやって来て、同じ席に座り、同じ注文をするのだが、何故か、先週は違う曜日(月曜日の晩)にも現れて、いつもと違う注文をしたと言う。モリーの話を聞いたポワロは、その常連客である老人がとったいつもと違う行動に興味を惹かれるのであった。

ボールコート内の風景
ボールコート内から空を見上げたところ

アガサ・クリスティーの原作では、ポワロが友人のボニントンと一緒に夕食をとったレストランは、ロンドンの高級住宅街チェルシー地区(Chelsea)のキングスロード(King's Road)にある「Gallant Endeavour」となっているが、TV 版では、シンプソンズ タヴァーン(Simpson's Tavern)がレストランの外観として、撮影に使用されている。

シンプソンズ タヴァーンの建物

シンプソンズ タヴァーンは、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー地区(City)内にある。具体的には、地下鉄バンク駅(Bank Tube Station)からコーンヒル通り(Cornhill)を東へ進み、しばらく行った右手にあるバーチンレーン(Birchin Lane)の次に右手に見えるボールコート(Ball Court)という細い通りを入った突き当たりに、シンプソンズ タヴァーンは建っている。このような細い通りの奥にレストランがあるとは通常思えないので、コーンヒル通り側、そして、裏通りであるキャッスルコート(Castle Court)側にも、シンプソンズ タヴァーンがここにあることを示す看板や金属プレートが架けられている。

シンプソンズ タヴァーンの入口

元々、ロンドン東部で魚料理を出すレストランを営業していたトーマス・シンプソン(Thomas Simpson)が、1757年に当地にシンプソンズ タヴァーンを開店して、以降250年以上にわたって営業を続けている。
女性の入店が認められるようになったのは、1916年になってからである。

ボールコート内からコーンヒル通りを逆に望む

ちなみに、シンプソンズ タヴァーンの営業時間は、
・月曜日: 午前11時半ー午後3時半(ラストオーダー)
・火曜日ー金曜日: 午前8時半ー午後3時半(ラストオーダー)
・土曜日ー日曜日: 休み
となっている。

裏通りのキャッスルコート側にも、
シンプソンズ タヴァーンが奥にあることを示す
金属プレートが架けられている

アガサ・クリスティーの原作では、ポワロと一緒に食事をする友人ヘンリー・ボニントンの職業については触れられていないが、TV 版では、歯科医となっている。
一方、常連客である髭の老人がレストランで食事をする曜日に関して、アガサ・クリスティーの原作では、「火曜日と木曜日」となっているが、TV 版では、「水曜日と土曜日」となっていて、細かい点において、設定の差異が見受けられる。