2021年11月28日日曜日

ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集2 妖魔の森の家」(The Third Bullet and Other Stories by John Dickson Carr) - その1

東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集2 妖魔の森の家」の表紙
(カバー : アトリエ絵夢 志村 敏子氏) -
個人的には、絵画のように美しい表紙だと思っている


「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家である。彼は、シャーロック・ホームズシリーズで有名なサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の伝記を執筆するとともに、コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイル(Adrian Conan Doyle:1910年ー1970年)と一緒に、ホームズシリーズにおける「語られざる事件」をテーマにした短編集「シャーロック・ホームズの功績(The Exploits of Sherlock Holmes)」(1954年)を発表している。


彼が、ジョン・ディクスン・カー名義で発表した作品では、当初、パリの予審判事のアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)が探偵役を務めたが、その後、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が探偵役として活躍した。彼は、カーター・ディクスン(Carter Dickson)というペンネームでも推理小説を執筆しており、カーター・ディクスン名義の作品では、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役として活躍している。


「カー短編全集2 妖魔の森の家(The Third Bullet and Other Stories)」の冒頭を飾るのは、短編「妖魔の森の家(The House in Goblin Wood)」で、ヘンリー・メルヴェール卿が探偵役を務める。

なお、同作品は、英国では、「ザ・ストランド(The Strand)」の1947年11月号に、また、米国では、「エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン(Ellery Queen’s Mystery Magazine : EQMM)」の1947年11月号に掲載された。


ヘンリー・メリヴェール卿は、イーヴ・ドレイトン(Eve Drayton - 20代後半)と彼女の婚約者で、外科医のウィリアム(ビル)・セイジ(Dr. William Sage -30代前半)の二人から、ピクニックへと誘われた。

イーヴは、自分の父親を通じて、ヘンリー・メリヴェール卿を知っており、婚約者のウィリアムと一緒に、保守党上院議員クラブの前で、ヘンリー・メリヴェール卿を待ち構えていたのである。


彼ら3名に、ヴィッキー・アダムズ(Vicky Adams)を加えた4名は、料理や食器を詰めた3個の大型バスケット、椅子やテーブル等を載せると、ウィリアムが運転するセダンのオープンカーで出発した。彼ら一行がドライヴで向かった先は、オックスフォード(Oxford)の東に位置するエイルズベリー(Aylesbury)の「妖魔の森(Goblin Wood)」にあるアダムズ家の別荘だった。


「妖魔の森」にあるアダムズ家の別荘は、曰く付きの場所で、20年目、ヴィッキー失踪事件の舞台となったのである。

当時、12 - 13歳だったヴィッキーは、暗い冬のある夜、厳重に鍵がかかった密室状態の別荘の中から、何の痕跡も残さず、煙のように姿を消してしまった。そして、1週間後、彼女は、同じく施錠された別荘の中に、何事もなく、無事な姿で戻って来た。彼女は、自分のベッドの中で、寝具に包まって、すやすやと眠っていたのである。

なお、20年前、ヴィッキー失踪事件を担当した一人で、ヘンリー・メリヴェール卿の友人でもあるマスターズ主任警部(Chief Inspector Masters)によると、「別荘内には、秘密の仕掛けは全くなかった。」とのこと。

驚く家族や周囲に対して、彼女は、「自分には、非物質の世界へ浸透していく能力がある。」と語り、「神隠しだ。」と、世間の脚光を浴びた。そのことが原因なのか、ヴィッキーは、非常に我儘に育ち、現在、男性に対して、自然と媚態を示して、惑わせる「小妖精」のような女性になっていた。


野外での食事が済むと、彼らは、テーブルクロスを仕舞い、椅子、テーブルや3個の大型バスケットを別荘内へと戻すとともに、空き瓶等は投げ捨てた。

ヴィッキーは、「別荘内を案内する。」と言って、ウィリアムと一緒に、別荘へと入って行った。別荘のドアを閉める彼女の顔には、暗い微笑が浮かんでいた。

別荘の外で二人を待つヘンリー・メリヴェール卿に対して、一緒に待つイーヴは、「ヴィッキーは、ウィリアムを誘惑しようとしているのではないか?」という不安を打ち明けるのであった。なかなか戻って来ない二人のことに不安を感じたイーヴは、芝生を横切って、別荘内に入るが、少しすると、戸口に姿を現した。「二人の邪魔をするのもどうかと思って、そのまま帰って来た。」と、ヘンリー・メリヴェール卿に告げる。


そうこうするうちに、別荘の裏手から、ウィリアムが姿を見せた。彼によると、「ヴィッキーと一緒に、別荘内に居たのは、ほんの5分程。彼女のいつもの気紛れで、森で野イチゴを摘んでくるように頼まれたため、裏口のドアから外へ出て、45分程、苦労して探しまわったが、見つかったのは、たった3粒。」とのこと。


ヘンリー・メリヴェール卿、イーヴとウィリアムの3名は、ヴィッキーを探すために、別荘内へと入るが、ヴィッキーの姿は、どこにも見当たらなかった。別荘内のどの部屋も、内側から施錠されていた。なんと、ヴィッキーは、20年前のことを繰り返すように、密室状態の別荘内から、再度忽然と姿を消したのである。


鳥肌の立つ思いをして、他人には見せられぬ醜態を演じた挙句、重い大型バスケット3個等を車に積み込むと、彼ら3名は、別荘から退却した。


後に、çは、元々あった窓枠の仕掛けを見破って、ヴィッキーが20年前に失踪した事件の真相を看破した。しかし、20年後の現在、その窓枠の仕掛けは既に作動しないようになっており、彼女が20年前と同じ方法で姿を隠すことはできなかった。


それでは、ヴィッキーは、今回、どこへ消えてしまったのだろうか?

ヘンリー・メリヴェール卿は、ヴィッキーが今回姿を消した驚愕の真相を明らかにする。


同作品は、「EQMM」の第2回短編コンテストにおいて、特別功労賞を得ており、同誌に掲載された際、エラリー・クイーン(Ellery Queen)の一人で、同誌の編集長でもあるフレデリック・ダネイ(Frederic Dannay:1905年ー1982年)から「探偵小説の理論と実践に関するほぼ完璧なお手本だ。」と激賞されている。

個人的にも、長編 / 短編を問わず、ジョン・ディクスン・カーの全作品(カーター・ディクスンを含む)の中でも、一番の出来ではないかと思う。文庫版では、約50ページ弱の分量ではあるが、物語の最初から、あらゆる箇所に、全ての手掛かりが非常にさりげなく書かれており、これらの手掛かりを全て総合的に築き上げると、ヴィッキーが今回姿を消した血も凍るような恐るべき真相へと到達できる。物語の最後に、ヘンリー・メリヴェール卿が友人であるマスターズ主任警部に対して語るセリフが、読者に強烈な印象を残すのである。


2021年11月27日土曜日

ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」(An Interactive Sherlock Holmes Mystery / The Crimes of Dr. Watson by Duane Swierczynski) - その2

米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の裏表紙
(Design by Doogie Horner / Illustration by Clint Hansen)

1891年5月4日の午後、シャーロック・ホームズは、犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)の底へと姿を消していた。


ホームズがジョン・H・ワトスンに残した最後の手紙には、頭文字「M」で始まる書類棚の中に、「モリアーティー」と書いた青い封筒があり、その中にモリアーティー教授が率いた犯罪組織を一網打尽にできる資料があると記されていたが、ワトスンがロンドンに戻り次第、その書類棚を調べてみると、そういった資料は何も残っていなかった。


ホームズがロンドンから居なくなってから、4年以上が過ぎ、1895年の夏が終わる頃、ワトスンの元に、米国から以下の3通の手紙が1週間毎に届く。


・1通目の中身:オハイオ州(Ohio)クリーヴランド(Cleveland)にある劇場のチケット

・2通目の中身:カリフォルニア州(California)で発行されている新聞(The Thousand Oaks Gazeteer)

・3通目の中身:女性用コルセット等が記載されたブローシャー<なお、手紙の差出地は、イリノイ州(Illinois)シカゴ(Chicago)>


ワトスンは、もしかして、ホームズが生きていて、現在滞在している米国から、ワトスンに対して、何かを伝えようとしているのではないかと考え、いろいろと知恵を絞るが、残念ながら、何も思い付かなかった。


米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その3)
(Illustration by Clint Hansen)

ただ、ホームズが、モリアーティー教授と一緒に、ライヘンバッハの滝壺へと姿を消す前の1891年4月、彼がトラファルガースクエア(Trafalgar Square)のネルソン像(Nelson’s Statue)の周囲をウロウロとするのを、ワトスンは遠目ながら見かけていた。

また、ワトスンが、妻のメアリー(Mary)と一緒に、外へ出かける際、ホームズがワトスンの自宅近くに佇んでいるのに気付いた。ワトスンが声を掛けようとすると、ホームズは急に立ち去る等、ワトスンにとってやや不可解な行動をとっていたことを思い出すのであった。


そんな最中、4番目の手紙が、ニューヨーク(New York)から届いた。手紙の内には、ナイアガラの滝(Niagara Falls)が描かれた絵葉書が入っていた。

更に、5番目の手紙が続く。その内には、米国東海岸の鉄道(Southern Express)の時刻表が入っていた。

ワトスンには、もう訳が分からなかった。


米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その4)
(Illustration by Clint Hansen)


そして、事件が発生する。

1895年12月6日の夜遅く、ワトスン夫妻の自宅のドアをノックする者が居た。ワトスンがドアを開けると、そこには、ベーカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)のメンバーの一人であるセルウェイ(Selway)が立っていた。

彼はワトスンに対して、「ベーカーストリート221B(221B Baker Street)で何か変なことが起きているので、これから直ぐに一緒に来てほしい。」と告げる。ワトスンは、妻メアリーを起こさないよう、急いで着替えを済ませると、深い霧の中、セルウェイと一緒に、ベーカーストリート221Bへと徒歩で向かった。


米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その5)
(Illustration by Clint Hansen)


同行のセルウェイを外に待たせたまま、ワトスンがベーカーストリート221Bの書斎に入ると、そこには黒づくめの身なりをして、白髪を左右に伸ばした老人が座っていた。彼は、1891年5月、ホームズとワトスンが宿泊したマイリンゲンの宿屋の主人ピーター・スタイラー(Peter Steiler the elder)だと告げる。

あの事件からまだ数年しか経っておらず、ワトスンとしては、いくら暗闇とは言え、ピーター・スタイラーを見間違えるとは思えず、目の前の人物は、ピーター・スタイラー本人ではなく、モリアーティー教授の一味による変装ではないかと疑った。

一方、ピーター・スタイラーだと名乗る人物は、「実は、ホームズ氏は生きていて、4週間程前に自分の妻は彼に会っている。その際、ホームズ氏は、直ぐにロンドンに戻ると言っていたので、今日、事件を依頼するために訪れたのだ。」と話す。ホームズが生きている証拠を見せるため、鞄を開けようとするピーター・スタイラーと名乗る人物と彼を疑いつつ、護身のために登山杖を手にして、間を詰めようとするワトスン。


米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その6)
(Illustration by Clint Hansen)


その時、突然、二人を真っ暗闇が包む。そして、ベーカーストリート221Bにおいて、火事が発生したのである。

2021年11月21日日曜日

英国海軍艦(その1) - メアリーローズ(Royal Navy Ship 1 - Mary Rose)

英国海軍の500周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、
まず最初に紹介するのは、
テューダー朝の第2代イングランド王であるヘンリー8世が、
イングランド王国の王立海軍を拡張すべく、
建造を命じた艦の一つである「メアリーローズ」。
なお、1511年というのは、
1510年に着工が始まったメアリーローズが進水式を迎えた年である。

テューダー朝(Tudors)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)の下、1511年に進水したスコットランド艦である「グレートマイケル(Great Michael)」に対抗するべく、イングランド王国の王立海軍(Royal Navy)の拡張が行われ、大砲を主要な兵器とした大型のキャラック船 / グレートシップ(carrack / great ship)として、「アンリ・グラース・ア・デュー(Henri Grace a Dieu)<別名:グレートハリー(Great Harry)>」と「メアリーローズ(Mary Rose)」が建造された。なお、「グレートハリー」は、ヘンリー8世の旗艦として使用された。

ヘンリー8世が1547年に死去するまでの間に、イングランド王国の王立海軍は、58隻まで増強された。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)は、2019年に、王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して、8種類の記念切手が発行されたので、順番に紹介していきたい。


まず最初に紹介するのは、「メアリーローズ」である。


ヘンリー8世の命により、1510年1月、「メアリーローズ」の着工が始まり、1511年7月に進水した。最終的に、完成を迎えたのは、1512年である。

「メアリーローズ」は、当時の帆船としてはかなり大きく、全長32m、排水量約600tで、78門の大砲を備えていた。


ヘンリー8世の妹で、後にフランス国王ルイ12世の王妃となる「メアリー・テューダー(Mary Tudor:1496年ー1533年)」とテューダー朝の紋章である「薔薇」に因んで、「メアリーローズ」と命名された。


「メアリーローズ」は、フランスとの戦い(First French War:1512年 / Second French War:1521年ー1526年 / Third French War:1542年ー1546年)に参戦して、その大砲の威力を示すこととなった。


「メアリーローズ」は、1536年の改装を経て、艦載砲の数は78門から91門へと増やされ、排水量も約700tへと増加した。


「メアリーローズ」は、1545年のソレントの海戦(Battle of Solent)において、イングランド艦隊の旗艦となり、フランス艦隊と戦ったが、戦闘の最中、炎上して、強度を失った船体は、ワイト島(Isle of Wight)北のソレント海峡(Solent Strait)に沈没し、最期を迎えた。


「メアリーローズ」の残骸は、1971年に発見された後、1982年11月に引き上げられ、現在は、ポーツマス(Portsmouth → 2016年9月17日付ブログで紹介済)にある「メアリーローズ博物館(Mary Rose Museum - メアリーローズトラスト(Mary Rose Trust)が運営する博物館)」内に保存されている。


2021年11月20日土曜日

ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」(An Interactive Sherlock Holmes Mystery / The Crimes of Dr. Watson by Duane Swierczynski) - その1

米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の表紙
(Design by Doogie Horner / Illustration by Clint Hansen)


本作品「ワトスン博士の犯罪」(An Interactive Sherlock Holmes Mystery / The Crimes of Dr. Watson)」は、米国ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)出身の作家であるドゥエイン・ルイス・スウィアジンスキー(Duane Louis Swierczynski:1972年ー)が執筆して、彼の出身地であるフィラデルフィアの Quirk Books 社から2007年に出版された。

ドゥエイン・スウィアジンスキーは、ノンフィクション、小説や漫画等の執筆で知られている。


米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その1)
(Illustration by Clint Hansen)


1895年12月13日、ジョン・H・ワトスンは、米国ペンシルヴァニア州フィラデルフィアに住む友人であるハリー大佐(Colonel Harry)宛に手紙を書いていた。彼は、今、コールドバスフィールズ刑務所(Coldbath Fields Prison)に居た。なんと、彼は、殺人や放火等の罪で、同刑務所に投獄されていた。


1891年5月4日の午後、シャーロック・ホームズは、犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)の底へと姿を消していた。


ワトスンは、自分が投獄された元となった事件の詳細を語るとともに、ホームズ亡き今、代わりに事件の真相を解明してほしいと、ハリー大佐に対して依頼するのであった。


サー・アーサー・コナン・ドイルが
「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1893年12月号に発表した
「最後の事件(The Final Problem)」が、
本事件の捜査資料の一つとして、ページに添付されている


ホームズがワトスンに残した最後の手紙には、頭文字「M」で始まる書類棚の中に、「モリアーティー」と書いた青い封筒があり、その中にモリアーティー教授が率いた犯罪組織を一網打尽にできる資料があると記されていたが、ワトスンがロンドンに戻り次第、その書類棚を調べてみると、そういった資料は何も残っていなかった。

ホームズとワトスンが同居していたベーカーストリート221B(221B Baker Street)の下宿について、契約をそのままにして、ワトスンは、その後、数ヶ月間にわたって、室内を捜索したが、ホームズの最後の手紙において言及された資料は、何も見つからなかった。

ワトスンの妻であるメアリー(Mary)は、彼に対して、「ベーカーストリート221Bの契約をそのままにしておくのは、お金の浪費で、貴方は未だにベーカーストリート221Bに取り憑かれている。」と告げるのであった。


1895年の夏が終わる頃、ワトスンの元に、米国から手紙が届く。その中には、オハイオ州(Ohio)クリーヴランド(Cleveland)にある劇場のチケットだけが入っていた。

ワトスンには、クリーヴランドに知人は一人も居ない上に、同地へ出かける予定もなかった。妻のメアリーも、この不可解な手紙に眉を顰める。

更に驚くべきことには、ワトスン夫妻は最近引っ越したばかりで、それにもかかわらず、その新しい住所宛に米国の謎の人物から劇場のチケットだけが入った手紙が届いたのである。


米国の Quirk Books 社から2007年に出版された
ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その2)
(Illustration by Clint Hansen)


1週間後、2番目の手紙が、米国からワトスンの元に届く。その中には、カリフォルニア州(California)で発行されている新聞(The Thousand Oaks Gazeteer)が入っていた。

更に、その1週間後、米国から届いた3番目の手紙には、女性用コルセット等が記載されたブローシャーが入っており、手紙の差出地は、イリノイ州(Illinois)シカゴ(Chicago)であった。


ワトスンは、もしかして、ホームズが生きていて、現在滞在している米国から、ワトスンに対して、何かを伝えようとしているのではないかと考え、いろいろと知恵を絞るが、残念ながら、何も思い付かなかった。


2021年11月14日日曜日

英国における女性参政権運動(Suffragette / Suffragist) - その1


英国リンカンシャー州(Lincolnshire)出身の作家であるジョージ・マン(George Mann:1978年ー)が2014年に発表した「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」(Sherlock Holmes / The Spirit Box → 2021年10月24日 / 11月6日 / 11月13日付ブログで紹介済)」では、、1915年の夏、第一次世界大戦(1914年ー1918年)が始まり、ロンドンがドイツ軍の飛行船ツェッペリン(Zeppelin)による爆撃の脅威に曝されている最中、シャーロック・ホームズは、兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)によって、引退先の南イングランドからロンドンへと呼び戻され、相棒のジョン・H・ワトスンと一緒に、3つのケースを調査するよう、指示を受ける。

その中には、有名な女性参政権論者のメアリー・テンプル(Mary Temple - 架空の人物)が、ドイツ軍との戦争を断念するよう、タイムズ紙(The Times)に寄稿した翌日、地下鉄の駅構内で列車の前に転落したケース(列車に右足付け根を轢かれて死亡)が含まれていた。


英国では、当初、男性のみに「参政権」が認められていたが、他の国に遅れたものの、1918年になって、一部の女性(財産に関する一定の条件を充足する英国女性)に「投票権」が認められた。その後、1928年には、21歳以上の全ての女性に対して、参政権が拡大された。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)は、2018年に、(一部の)女性に対して「投票権」が認められた1918年からの100周年を記念して、「Votes for Women」というタイトルで、8種類の記念切手が発行されているので、併せて紹介したい。


1776年に英国から独立した米国では、


ワイオミング州西部: 1869年 - 21歳以上の白人女性が投票権を獲得

ユタ州: 1870年 - 21歳以上の白人女性が投票権を獲得


という流れが起きていた。


一方、英国連邦内では、


マン島: 1881年 - 財産を有する女性が投票権を獲得

ニュージーランド: 1893年 - 21歳以上の女性が投票権を獲得(なお、被選挙権については、1919年から)

南オーストラリア: 1895年 - 投票権だけではなく、被選挙権についても、女性に認められた


となっていたが、英国本体において、女性の参政権は、まだ全く認められていなかったのである。


19世末から20世紀初頭にかけて、英国のみならず、全世界的に、「参政権(Suffrage)」、つまり、「選挙において、投票する権利」を、女性に対しても認めるよう、主張する運動が盛んになっていくが、この運動を主導した女性団体のメンバーのことを「サフラジェット(Suffragette)」と言う。
英国の場合、女性参政権運動家のエメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst:1858年ー1928年)と彼女の長女で、彼女の遺志を継いだクリスタベル・パンクハースト(Christabel Pankhurst:1880年ー1958年)によって率いられた「女性政治社会連合(Women’s Social and Political Union : WSPU)」に属する活動家を指すことが多い。「WSPU」は、器物損壊やハンガーストライキ等、好戦的な活動を展開した後、最終的には、爆弾テロ等、過激な行動へ向かって行ったため、合法的な政治活動により女性参政権の獲得を目指していた人々からの支持を受けることはなかった。

「サフラジェット」に比して、より一般的に女性参政権運動を行ったメンバーのことを、「サフラジスト(Suffragist)」と呼んでいる。


2021年11月13日土曜日

ジョージ・マン作「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」(Sherlock Holmes / The Spirit Box by George Mann) - その3

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2014年に出版された
ジョージ・マン作「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」の表紙
(Images : Dreamstime / Shutterstock / funnylittlefish)


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆(3.0)


物語の基本路線は、第一次世界対戦(1914年-1918年)中、英国の情報、特に軍事情報を秘密裏に入手して、ドイツ側へ渡そうとするスパイとその協力者との戦いである。そういった意味では、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)の原作「最後の挨拶(His Last Bow → 2021年6月3日付ブログで紹介済)」と、設定は似通っている(事件の発生年月が、「最後の挨拶」の場合、第一次世界大戦の前夜である1914年8月で、本作品の場合、1915年の夏と異なっているが)。個人的には、国家と国家の利害が衝突するスパイ戦ではなく、もっと推理小説に近い事件でのシャーロック・ホームズ達の活躍を読みたかった。


(2)物語の展開について ☆☆☆半(3.5)


当時の時代背景があったかもしれないが、エクトプラズムの話が出てきた際、一瞬、オカルトっぽい流れになってしまうのではないかという懸念が生じたものの、一応、最終的には、現実路線での決着が為されて、一安心した。

本作品は、同じ著者による他の作品と同様に、読みやすかったが、共通して言えるのは、物語の筋として手堅いものの、全体的に物語が淡々と進み、大きな盛り上がりに欠ける感じがする。著者のテクニックの問題なのか、それとも、事件自体が結局のところ普通であったためなのか、判らないが。


(3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆☆☆(3.0)


同じ著者による「死者の遺言書(The Will of the Dead → 2015年4月19日付ブログで紹介済)」では、犯人を炙り出すために、ホームズがやや禁じ手に近い手法を採っているが、本作品の場合、ホームズは、正攻法の捜査により、国会議員のハーバート・グランジ(Herbert Grange)から英国の情報を入手しようとしていた犯人に辿り着く。ただ、ハーバート・グランジが聴取していたドイツ人3名のルートを辿ることで、ホームズは単純かつ普通に犯人に行き着いてしまい、今一つ盛り上がらないのが難点。


(4)総合評価 ☆☆☆(3.0)


ストーリー自体は読みやすく、物語の筋としても手堅いが、全体を通して、単調なきらいを否めず、物語の終盤へ向けての大きな盛り上がりがないのが、残念である。

コナン・ドイルによる「最後の挨拶」(初出:1917年8月)のように、時節柄已むを得ないかとは思うが、スパイとの対決ではなく、本来の推理小説に出てくる知能的な犯人と対決するホームズであって欲しかった。



2021年11月7日日曜日

ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集4 幽霊射手」(The Door to Doom and Other Detections by John Dickson Carr)

東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集4 幽霊射手」の表紙
(カバー : アトリエ絵夢 志村 敏子氏) -
表紙に描かれているのは、
ラジオドラマ「幽霊射手」に登場する鸚鵡(オウム)のシーザー


「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家である。彼は、シャーロック・ホームズシリーズで有名なサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の伝記を執筆するとともに、コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイル(Adrian Conan Doyle:1910年ー1970年)と一緒に、ホームズシリーズにおける「語られざる事件」をテーマにした短編集「シャーロック・ホームズの功績(The Exploits of Sherlock Holmes)」(1954年)を発表している。


彼が、ジョン・ディクスン・カー名義で発表した作品では、当初、パリの予審判事のアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)が探偵役を務めたが、その後、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が探偵役として活躍した。彼は、カーター・ディクスン(Carter Dickson)というペンネームでも推理小説を執筆しており、カーター・ディクスン名義の作品では、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役として活躍している。


日本の出版社である東京創元社から、創元推理文庫の一冊として、「カー短編全集4 幽霊射手」が1982年に出版されているが、これは、ジョン・ディクスン・カーの死後、ダグラス・G・グリーンが編集して、1980年に米国の Harper & Row 社からジョン・ディクスン・カー名義で出版された作品集「The Door to Doom and Other Detections」がベースとなっている。なお、The Door to Doom and Other Detections」は、「カー短編全集4 幽霊射手」と「カー短編全集5 黒い塔の恐怖」の2冊に分かれている。


「カー短編全集4 幽霊射手」には、以下の作品が収録されている。


<短編>

(1)「死者を飲むかのように…(As Drink the Dead …)」(1926年)

   ジョン・ディクスン・カーの処女作で、「ハヴァフォーディアン(The Haverfordian)」誌の1926年3月号に発表。

(2)「山羊の影(The Shadow of the Goat)」(1926年)

(3)「第四の容疑者(The Fourth Suspect)」(1927年)

(4)「正義の果て(The Ends of Justice)」(1927年)

(5)「四号車室の殺人(The Murder in Number Four)」(1928年)

          「山羊の影」は、「ハヴァフォーディアン」誌の1926年11月号 / 12月号に、「第四の容疑者」は、同誌の1927年1月号に、「正義の果て」は、同誌の1927年5月号に、そして、「四号車室の殺人」は、同誌の1928年6月号に掲載。これらの短編には、若き日のアンリ・バンコランが登場して、不可能犯罪を解決する。当時の彼は、フランス国内に86ある警察署の署長に過ぎなかったが、ジョン・ディクスン・カーが有名となる最初の長編で、アンリ・バンコランシリーズの第1長編でもある「夜歩く(It Walks by Night)」(1930年)では、パリの予審判事にまで昇進している。


<ラジオドラマ>

(6)「B13号船室(Cabin B-13)」(1943年)

(7)「絞首人は待ってくれない(The Hangman Won’t Wait)」(1943年)

   ギディオン・フェル博士が探偵役を務める。

(8)「幽霊射手(The Phantom Archer)」(1943年)

(9)「花嫁消失(The Bride Vanishes)」(1942年)


「カー短編全集4 幽霊射手」において、特にお薦めは、「B13号船室」で、名作である。


10月の温暖な夜、ホワイト・プラネット船舶会社のモーレヴァニア号(2万5千トン)が、ニューヨーク市西22丁目の大桟橋を離れ、ヨーロッパへと向かって出航した。

モーレヴァニア号には、新婚のリチャード・ブルースター(35歳)とアン・ブルースター(30少し前)も、ヨーロッパへの新婚旅行のため、乗船した。結婚して、まだ間もない関係上、パスポートの手続が間に合わず、アンは、旧姓である「アン・ソーントン」のパスポートを所持していた。彼らの船室は、BデッキのB13号室になっており、リチャードによると、彼らの荷物は、B13号室に既に運び込まれている筈とのことだった。


アンから預かった彼女のお金2万ドルについては、「用心のため、事前に事務長の部屋に預けておく。」と言うリチャードに促されたアンは、一人、甲板へと出て、出航の光景を楽しんでいた。彼女は、そこで船医のポール・ハードウィックと知り合いになるが、彼によると、「B13号室は、モーレヴァニア号内には存在していない。」と言う。

驚いたアンがBデッキへ向かうと、担当のステュワーデスによると、「彼女の船室は、B13号ではなく、B16号室で、彼女の荷物(スーツケース2個+小型トランク1個)だけを預かっており、男性の荷物はない。」とのことだった。

状況が理解できないアンは、リチャードと一緒に、モーレヴァニア号に乗船した際、側に居た二等航海士のマーシャルを呼んでもらう。呼ばれてやって来たマーシャル二等航海士は、ハードウィック船医の問い掛けに、次のように答えるのであった。

「いいですか、先生。この御婦人は一番最後に乗船なさったので、私の記憶は絶対に確かです。聖書に誓ってでも言えますよ。連れのお客は居なかった。前にも後にも、とね。」


果たして、アンと結婚したリチャード・ブルースターは、一体、どこに姿を消してしまったのか?何故、Bデッキ担当のステュワーデスやマーシャル二等航海士は、「アンは、一人旅行で、連れのお客は居ない。」という主張を繰り返すのだろうか?


なお、2021年11月現在、東京創元社の公式サイト上、「カー短編全集4 幽霊射手」は、「在庫なし」となっている。


2021年11月6日土曜日

ジョージ・マン作「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」(Sherlock Holmes / The Spirit Box by George Mann) - その2

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2014年に出版された
ジョージ・マン作
「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」の裏表紙
(Images : Dreamstime / Shutterstock / funnylittlefish)


陸軍省(War Officeー1684年から1964年までの間に存在した英国陸軍を統括する英国の行政機関)に到着したシャーロック・ホームズ達は、ジョン・ベイツ曹長(Sergeant John Bates)の出迎えを受け、テムズ河(River Thames)で溺死した国会議員ハーバート・グランジ(Herbert Grange)の秘書だったミリセント・ブラウン(Millicent Brown)のところへ案内された。


彼女に会った途端、ホームズは、彼女に対して、「ハーバート・グランジ氏とは、どの位の間、親密だったのか?」と尋ねて、相棒のジョン・H・ワトスンをいきなり驚かせる。ホームズは、(1)彼女の机の上に置かれた「M.B.」と刻印された高価なペン(通常、秘書の給与では購入できない位のもの)、(2)彼女の右手にはめられた追悼用の指輪、そして、(3)彼女の憔悴した様子から推測したと告げる。ブラウン嬢は、ホームズの推理通り、「1年程、グランジ氏と親しくしており、戦争が終わり次第、結婚しようと考えていた。」と答える。

ブラウン嬢は、ホームズに対して、「グランジ氏がテムズ河に身投げしたのは、全く、彼らしくない。」と話す。ブラウン嬢によると、その日、グランジ氏は、午前8時半頃オフィスに着くと、英国籍を有する3人のドイツ人(ドイツ人の両親の下、英国で出生)の聴取を行ったが、彼女の記憶では、それらの聴取において、不審な点は特になかったと言う。

3人のドイツ人への聴取が終わり、オフィスに戻って来たグランジ氏は、ブラウン嬢を昼食に誘う。ただ、ブラウン嬢には、午後処理すべき仕事がいろいろとあったため、「持参したサンドウィッチとリンゴを自席で食べるつもり。」と答えると、グランジ氏は、「一緒に昼食を外で食べるのは、次回にしよう。」と言って、オフィスの窓際へ行き、外で降る雨を眺めた。すると、グランジ氏は、突然、パニックに襲われたようになった。

グランジ氏の身を案じて、彼の元に駆け寄ったブラウン嬢を振り払うようにして、グランジ氏は、「精神の箱(The Spirit Box)」という謎の言葉を残して、コートも着ないまま、急いでオフィスを出て行ってしまった。それが、ブラウン嬢が見たグランジ氏の最後の姿であった。

果たして、グランジ氏がブラウン嬢の前で呟いた「精神の箱」とは、何なのか?


ホームズとワトスンの二人は、マイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が遣わしたカーター(Carter)が運転する車で、次にグランジ氏の自宅へと向かった。

そこで待ち合わせたスコットランドヤードのギディオン・フォルクス警部(Inspector Gideon Foulkes)と一緒に、ホームズ達は、グランジ氏の自宅を捜索する。部屋に飾ってあった複数の写真を見たホームズ達は、鮮明に写っているグランジ氏の周囲を、何かガスやオーラにようなものが取り巻いていることを、そこに見い出す。

これは、エクトプラズム(心霊体)なのか?グランジ氏は、こういった実験に興味があったのか?


突然、グランジ氏の自宅が、激しく揺れ動く。ドイツ軍の飛行船による爆撃が、また始まったのだ。

ホームズ達は、無事逃れることができるのだろうか?そして、グランジ氏の自宅前で待つ運転手のカーターの運命は、如何に?