2021年7月31日土曜日

ガイ・アダムス作「シャーロック・ホームズ / モロー博士の軍団」(Sherlock Holmes / The Army of Dr. Moreau) - その2

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2012年に出版された
ガイ・アダムス作「シャーロック・ホームズ / モロー博士の軍団」の裏表紙
Cover Design : Amazing15.com

マイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)の指示を受けたシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、まず最初に大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)へ向かい、そこでチャレンジャー教授(Professor Challenger)達と一緒に調査チームを立ち上げる。

その後、ホームズとワトスンは、変装した上で、3人の惨殺屍体が発見された造船所近辺のパブに立ち寄り、聞き込み調査を開始するが、謎の男達に命を狙われる。謎の男達をなんとかやり過ごした二人は、逆に彼らの跡をつけて、彼らの隠れ家を突き止めるのであった。


翌朝、ワトスンが目を覚ますと、ホームズは既に出かけた後だった。ワトスンは、やむを得ず、独自の調査に着手する。

まずは、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の編集者に連絡をとり、SF小説に詳しい作家の一人ミッシェル(Mitchell)を紹介してもらう。その後、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を訪ね、彼の部下の協力を得て、(既に死亡していたが、)エドワード・プレンディック(Edward Prendick → 今から12年前(=1887年2月)、南太平洋の海域において、漂流船と衝突事故を起こして沈没した帆船レディーヴェイン号(Lady Vain)の本乗組員。その際、小型ボートで脱出し、高名な生理学者(physiologist)であったが、英国の学会から追放された高名なチャールズ・モロー博士(Dr. Charles Moreau)が、英国政府による庇護の下、動物実験を継続していた小島に上陸。実は、モロー博士は、そこで人間と動物を合成した「獣人」をつくり上げていたが、獣人達の反乱により、モロー博士や英国政府からモロー博士の助手として送り込まれていたモンゴメリー(Montgomery)が殺害されたため、ただ一人の生き残りとなっていた。)の住居へ行き、調査を行った。


ベーカーストリート221B(221B Baker Street)に戻ったワトスンは、そこで例の謎の男達の一人で、猟犬の顔をした獣人がホームズに襲いかかっているところに出くわしてしまう。

更に、豚の仮面を被った男に指揮された獣人達が国会議事堂内に侵入して、首相を拉致する事件も発生する。


果たして、獣人達を指揮する豚の仮面を被った男は、モロー博士なのか?それとも、別の人物なのか?


ホームズ、ワトスンやチャレンジャー教授達は、首相を救出すべく、獣人達の隠れ家に潜入するのであった。


2021年7月29日木曜日

コナン・ドイル作「三破風館」<小説版>(The Three Gables by Conan Doyle

「ストランドマガジン」の1926年10月号 に掲載された
コナン・ドイル作「三破風館」の挿絵
<ハワード・ケッピー・エルコック(Howard Keppie Elcock:1886年ー1952年)によるイラスト> -
物語の冒頭、親分であるバーニー・ストックデイルの指示を受けて、
ボクサーのスティーヴ・ディクシーがベーカーストリート221Bに押しかけて来て、
シャーロック・ホームズに対して凄む場面が描かれている。
画面手前に、ジョン・H・ワトスンが、
画面奥の左側にスティーヴ・ディクシー、そして、画面奥右側にホームズが描かれている。


英国の作家であるガイ・アダムス(Guy Adams:1976年ー)が2011年に発表した「シャーロック・ホームズ / 神の息吹(Sherlock Holmes / The Breath of God → 2021年6月23日 / 6月30日 / 7月10日付ブログで紹介済)」に登場するゴシップ屋のラングデイル・パイク(Langdale Pike → 2021年7月17日付ブログで紹介済)は、元々、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が発表した短編小説「三破風館(The Three Gables)」に登場する人物である。


「三破風館」は、ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、51番目に発表された作品で、米国では、「リバティー(Liberty)」の1926年9月18日号に、また、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1926年10月号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第5短編集である「シャーロック・ホームズの事件簿(The Casebook of Sherlock Holmes)」(1927年)に収録された。


ジョン・H・ワトスンは、数日振りにベーカーストリート221B(221B Baker Street)のホームズの元を訪れた。朝から珍しく機嫌のよいシャーロック・ホームズが、ワトスンに対して、現在自分のところに来ている依頼のことを話そうとした際、大柄で、黒人のボクサーであるスティーヴ・ディクシー(Steve Dixie)が、ホームズの元へいきなり押しかけて来るという場面で、「三破風」の幕が開ける。

スティーヴは、ホームズに対して、「ハロー(Harrow)の件からは、手を引け!」と凄む。ホームズが推測するところ、スティーヴが押しかけて来ているのは、彼の親分であるバーニー・ストックデイル(Barney Stockdale)による差し金のようである。


ハローウィールド(Harrow Weald)の「三破風館(The Three Gables)」に住む年配のメアリー・メイバリー夫人(Mrs. Mary Maberley)は、夫のモーティマー(Mortimer Maberley)を既に亡くしている上に、1ヶ月程前に、息子のダグラス(Douglas Maberley)が、肺炎のため、ローマで世を去っていた。

メイバリー夫人が三破風館に住み始めた以降、1年以上、近所との付き合いはなかったが、最近、屋敷を高く買い取りたいという申し出を突然に受ける。彼女が弁護士のスートロ氏(Mr. Sutro)に相談したところ、この申し出は、「彼女の身の回りのものを含めた全て」という条件付きであり、彼女が大事にしている宝石も、屋敷から全く持ち出せないことになっていたため、彼女としては納得できなかった。


ホームズとワトスンの二人がメイバリー夫人の話を聞いていたが、ホームズは急に立ち上がると、ドアの外で立ち聞きしていたメイドのスーザン(Susan)を捕まえる。メイドのスーザンは、バーニー・ストックデイルの手先として、メイバリー夫人の屋敷の中に入り込んでいたのである。どうやら、バーニー・ストックデイルの背後には、更に、黒幕が潜んでいるらしい。


メイバリー夫人の話を聞いたホームズは、最近屋敷に届いたものが怪しいと考え、ローマで亡くなった夫人の息子ダグラスの荷物に注目した。更に、ホームズは、「世間の醜聞全般についての生き字引」と呼ばれるラングデイル・パイクを、彼がメンバーとなっているセントジェイムズストリート(St. James’s Street → 2021年7月24日付ブログで紹介済)にあるクラブに訪ねて、最新の情報を得る。


ホームズが次の行動を起こす前に、三破風館に強盗達が侵入して、メイバリー夫人が襲われる。幸いにして、メイバリー夫人に大きな怪我はなく、高価なものは何も盗まれなかったが、強盗達は、夫人の息子ダグラスがローマから送ってきた荷物を持ち去ってしまった。

その際、強盗達がメイバリー夫人と揉み合った拍子に、小説の最後の1ページと思われるものを、彼らは落としていた。これを読んだホームズは、事件の内容を全て理解したのである。


物語の冒頭、ベーカーストリート221Bにいきなり現れて、脅しをかけてきた黒人のボクサーであるスティーヴに対して、また、物語の中盤、三破風館の近くで再度出会ったスティーヴに対して、ホームズが人種差別的な発言をする描写がある。ここに、当時の英国や作者であるコナン・ドイルの価値観が見え隠れするが、ホームズによるこの発言は、未だに、ファンの間では、論議の的となっている


物語の終盤、ホームズは、事件の黒幕の人物との間で、ある取引を行うが、結果として、ホームズは、示談により黒幕の犯罪を見逃してしまう。実際、ホームズシリーズの中では、こういったケースが、いくつか散見される。


2021年7月25日日曜日

リチャード・ルイス・ボイヤー作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / スマトラ島の巨大ネズミ」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Giant Rat of Sumatra by Richard Lewis Boyer) - その3


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆半(4.5)

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)による正典「サセックスの吸血鬼(The Sussex Vampire)」において、シャーロック・ホームズがジョン・H・ワトスンに言及したものの、未発表のままとなっていた「スマトラ島の巨大ネズミ(The Giant Rat of Sumatra)」事件に、作者のリチャード・ルイス・ボイヤー(Richard Lewis Boyer:1943年ー2021年)が、正面きって取り組んでいる。また、コナン・ドイルの正典「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」事件も、物語の終盤に大きく関与してくる。


(2)物語の展開について ☆☆☆☆(4.0)

「スマトラ島の巨大ネズミ」事件とアリステア卿(Lord Allistair)の令嬢アリス・アリステア(Alice Allistair)誘拐事件が次第に一つに集約していき、その背後に、あの「バスカヴィル家の犬」事件が関わってくるという展開。ホームズへの復讐を狙う犯人の執念が全てを突き動かしており、コナン・ドイル作の有名作品、題名だけが言及された未発表事件と作者が考案した事件の3つがうまく噛み合っている。


(3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆☆☆☆(4.0)

「スマトラ島の巨大ネズミ」に関連して起きる殺人事件や放火事件等と、それらとは趣が全く異なる貴族令嬢の誘拐事件の真相を見抜き、うまく一つに集約させている。物語の終盤、ホームズへの復讐心に燃える犯人により、ホームズ達が追い込まれて、手に汗を握る展開となっている。


(4)総合評価 ☆☆☆☆(4.0)

ジョン・H・ワトスンによる未発表作品という体裁を採りつつ、「スマトラ島の巨大ネズミ」というタイトルにあまりにもこだわり過ぎると、やや荒唐無稽になりかねない中、趣の全く異なる誘拐事件を絡ませつつ、うまく一つに集約している。更に、ホームズシリーズの中でも、最も有名な事件を本物語の背後に配しており、うまい具合に着地させていると思う。



2021年7月24日土曜日

ロンドン セントジェイムズストリート(St. James’s Street)

セントジェイムズストリートの西側から東側を見たところ -
画面右奥斜めに延びる通りは、ジャーミンストリート(Jermyn Street)

英国の作家であるガイ・アダムス(Guy Adams:1976年ー)が2011年に発表した「シャーロック・ホームズ / 神の息吹(Sherlock Holmes / The Breath of God → 2021年6月23日 / 6月30日 / 7月10日付ブログで紹介済)」において、シャーロック・ホームズが、事件の情報を得るために、ジョン・H・ワトスンを連れて、ゴシップ屋のラングデイル・パイク(Langdale Pike → 2021年7月17日付ブログで紹介済)が居るクラブを訪れているが、そのクラブは、セントジェイムズストリート(St. James’s Street)に面していると記述されている。


ラングデイル・パイクは、元々、ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が発表した短編小説「三破風館(The Three Gables → ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、51番目に発表された作品で、米国では、「リバティー(Liberty)」の1926年9月18日号に、また、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1926年10月号に掲載。ホームズシリーズの第5短編集である「シャーロック・ホームズの事件簿(The Casebook of Sherlock Holmes)」(1927年)に収録。)」に登場する人物である。「三破風館」の中盤において、「Langdale Pike was his human book of reference upon all matters of social scandal. This strange, languid creature spent his waking hours in the bow window of a St James’s Street club, and was the receiving-station, as well as the transmitter, for all the gossip of the Metropolis.(ラングデイル・パイクは、全ての社会的醜聞に関する生き字引だったからだ。この奇妙で無気力な人物は、一日中、セントジェイムズストリートにあるクラブの張り出し窓の中で過ごし、ロンドン中のあらゆるゴシップの受信局であるとともに、送信局にもなっていた。)」と述べられている。



セントジェイムズストリートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)内にある通りである。

セントジェイムズストリートの北側は、地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶピカデリー通り(Piccadilly)から始まり、南側は、ピカデリー通りに並行して東西に延びるパル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)とセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace)にぶつかるところで終わっている。なお、コナン・ドイルによる原作(「ギリシア語通訳(The Greek Interpreter)」)によると、パル・マル通りには、シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が創設した「ディオゲネスクラブ(Diogenes Club)」があると言われている。


セントジェイムズストリート沿いに建つカールトンクラブ

セントジェイムズストリート自体は、特別な開発計画に基づいて敷設された訳ではないが、初代セントオールバンス伯爵ヘンリー・ジャーミン(Henry Jermin, 1st Earl of St. Albans:1605年ー1684年)がセントジェイムズスクエア(St. James's Square → 2015年10月25日付ブログで紹介済)を近くに開発したことで、恩恵を受けて、不動産価格が高騰。
特に、セントジェイムズストリートから西側へ枝分かれした通りの奥に建つ建物は、グリーンパーク(Green Park)を見下ろすことができる景観が確保されており、不動産としての価格は非常に高い。

セントジェイムズストリート沿いには、現在、紳士用クラブ、高級店舗やオフィス等が並んでいる。なお、紳士用クラブの中には、コナン・ドイルによる原作(「高名な依頼人(The Illustrious Client)」に登場するサー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Demery)がメンバーとなっている「カールトンクラブ(Carlton Club → 2014年11月16日付ブログで紹介済)」も含まれている。

2021年7月21日水曜日

ガイ・アダムス作「シャーロック・ホームズ / モロー博士の軍団」(Sherlock Holmes / The Army of Dr. Moreau) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2012年に出版された
ガイ・アダムス作「シャーロック・ホームズ / モロー博士の軍団」の表紙
Cover Design : Amazing15.com


作者のガイ・アダムス(Guy Adams:1976年ー)は、英国出身で、俳優やコメディアンとして活躍した後、規則的な生活を求めて、作家業へ転身。

本作品「シャーロック・ホームズ / モロー博士の軍団(Sherlock Holmes / The Army of Dr. Moreau)」は、「シャーロック・ホームズ / 神の息吹(Sherlock Holmes / The Breath of God → 2021年6月23日 / 6月 30日 / 7月10日付ブログで紹介済)」(2011年)に続いて、2012年に発表されている。


ある日、シャーロック・ホームズの兄マイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)を訪れるところから、物語は始まる。

マイクロフトがシャーロックとジョン・H・ワトスンに対して語ったのは、驚くような話だった。


チャールズ・モロー博士(Dr. Charles Moreau)は、ロンドン東部のグリニッジ(Greenwich)に住む高名な生理学者(physiologist)であったが、残酷な動物実験を行ったとの理由で、学界を追放され、ロンドンからその姿を消した。


なんと、モロー博士は、英国政府による庇護の下、南太平洋の小島において、実験を継続していた、というのだ。英国政府からモロー博士の助手として送り込まれていたモンゴメリー(Montgomery)からの連絡が突然途絶えたのを不審に感じたマイクロフトは、英国海軍の一隻を現地へと派遣。英国海軍がモロー博士が住む小島周辺の海域を調査するも、特に大きな発見はなかった。そして、モロー博士との連絡が途絶えてから、8年が経過した。


今から12年前(=1887年2月)、問題の海域において、帆船レディーヴェイン号(Lady Vain)が漂流船と衝突事故を起こして沈没。その11ヶ月後、同帆船に乗り込んでいたエドワード・プレンディック(Edward Prendick)が、海上で救助された。

プレンディックによると、帆船レディーヴェイン号が沈没した際、小型ボートで脱出して、モロー博士の島に上陸。その島で、モロー博士は、人間と動物を合成した「獣人」をつくり上げていた。やがて、モロー博士は、その獣人達によって惨殺された上に、英国政府がモロー博士の助手として送り込んだモンゴメリーも殺害され、ただ一人の生き残りとなったプレンディックは、命の危険を感じて、島を脱出した、というのである。


そして、現在のロンドンにおいて、3人の市民が、通常の方法ではない、つまり、ロンドン内には存在していない動物によって惨殺された状態で、屍体となって発見されたのである。

果たして、プレンディックが語った話は、本当なのか?そうであれば、実は、モロー博士は、まだ生きていて、南太平洋の小島からロンドンに戻って来ていて、獣人達を生み出しているのだろうか?


2021年7月18日日曜日

リチャード・ルイス・ボイヤー作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / スマトラ島の巨大ネズミ」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Giant Rat of Sumatra by Richard Lewis Boyer) - その2

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2011年に出版された
リチャード・ルイス・ボイヤー作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / スマトラ島の巨大ネズミ」の裏表紙


翌朝、雷鳴の中、ジョン・H・ワトスンが起床すると、シャーロック・ホームズは、既に朝食を済ませて、外出した後だった。

ワトスンが新聞に目を通すと、昨夕(午後6時頃)に発生した造船所での火災は、5つの住宅と3つの倉庫を焼いて、明け方の午前3時頃に鎮火したとの記事が載っていた。7名が死亡しており、スコットランドヤードは放火の疑いを持っていた。

一方で、ポートマンスクエア(Portman Square)近くのベーカーストリート(Baker Street)の路上で殺害されていたのは、ホームズの推測通り、マチルダ・ブリッグス号(Matilda Briggs)の船員レイモンド・ジェナード(Raymond Jenard)であった。同じ船の船頭であるジョン・サンプスン(John Sampson)が、彼の身元を確認していた。


ちょうど帰宅したホームズの元を、船頭のジョン・サンプスンが訪れる。ジョン・サンプスンによると、マチルダ・ブリッグス号は、ロンドンとジャワ島(Java)のバタヴィア(Batavia)の間を定期的に航行しており、7月中旬に船荷を積んで、バタヴィアを出航した、とのことだった。その際、マックギネス船長(Captain McGuinness)は、リプリー牧師(Reverend Ripley)と牧師の同伴者2名を乗船させたと、ジョン・サンプスンは語った。マチルダ・ブリッグス号は、途中、スマトラ島(Sumatra)に寄港し、マックギネス船長は、リプリー牧師のために、ある荷物をそこで特別に積んだようだった。マックギネス船長が密輸に関与しているのではないかと疑うレイモンド・ジェナードとジョン・サンプスンの二人は、マックギネス船長とリプリー牧師達の注意が離れた隙に乗じて、スマトラ島において秘密裡に積み込まれた特別な船荷の様子を調べに出かけた。そして、彼らは、そこに通常では考えられない位の大きさをした巨大ネズミを見つけたのである。


果たして、レイモンド・ジェナードとジョン・サンプスンの二人が見てしまった巨大ネズミとは、一体、何なのか?そして、マックギネス船長とリプリー牧師達は、この巨大ネズミをスマトラ島からロンドンへと持ち込んで、何をしようと企んでいるのか?


この「スマトラ島の巨大ネズミ(The Giant Rat of Sumatra)」事件は、ホームズが別途取り組んでいるアリス・アリステア令嬢(Alice Allistair)の誘拐事件にも、大きく関連してくるのであった。更に、物語の終盤、これら二つの事件の背後には、ホームズシリーズで最も有名な、あの「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」事件も、関わってくるのである。


2021年7月17日土曜日

ラングデイル・パイク(Langdale Pike)

「ストランドマガジン」の1926年10月号 に掲載された
コナン・ドイル作「三破風館」の挿絵
<ハワード・ケッピー・エルコック(Howard Keppie Elcock:1886年ー1952年)によるイラスト> -
画面左側から、ボクサーのスティーヴ・ディクシー(Steve Dixie)、
シャーロック・ホームズ、そして、ジョン・H・ワトスンが描かれている。
残念ながら、ラングデイル・パイク自身は、「ストランドマガジン」誌上、描かれていない


英国の作家であるガイ・アダムス(Guy Adams:1976年ー)が2011年に発表した「シャーロック・ホームズ / 神の息吹(Sherlock Holmes / The Breath of God → 2021年6月23日 / 6月30日 / 7月10日付ブログで紹介済)」に登場するゴシップ屋のラングデイル・パイク(Langdale Pike)は、元々、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が発表した短編小説「三破風館(The Three Gables)」に登場する人物である。


「三破風館」は、ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、51番目に発表された作品で、米国では、「リバティー(Liberty)」の1926年9月18日号に、また、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1926年10月号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第5短編集である「シャーロック・ホームズの事件簿(The Casebook of Sherlock Holmes)」(1927年)に収録された。


ラングデイル・パイクは、以下の通り、「三破風館」の中盤に登場する。


‘… Now, Watson, this is a case for Langdale Pike, and I am going to see him now. When I get back I may be clearer in the matter.’

I saw no more of Holmes during the day, but I could well imagine how he spent it, for Langdale Pike was his human book of reference upon all matters of social scandal. This strange, languid creature spent his waking hours in the bow window of a St James’s Street club, and was the receiving-station, as well as the transmitter, for all the gossip of the Metropolis. He made, it was said, a four-figure income by the paragraphs which he contributed every week to the garbage papers whcih cater for an inquisitive public. If ever, far down in the turbid depths of London life, there was some strange swirl or eddy, it was marked with automatic exactness by this human dial upon the surface. Holmes discreetly helped Langdale to knowledge, and on occasion was helped in turn.

When I met my friend in his room early next morning, I was conscious from his bearing that all was well, …


「それはそうと、ワトスン、この事件は、ラングデイル・パイク向けの案件だな。そこで、これから彼に会いに行くつもりだ。彼のところから戻って来れば、事件の詳細は、もっと明確になっている筈だ。」

この日、それ以上はホームズを見かけなかったが、彼がどうしたのかは、十分に想像できた。と言うのも、ラングデイル・パイクは、全ての社会的醜聞に関する生き字引だったからだ。この奇妙で無気力な人物は、一日中、セントジェイムズストリートにあるクラブの張り出し窓の中で過ごし、ロンドン中のあらゆるゴシップの受信局であるとともに、送信局にもなっていた。噂によると、彼は、詮索好きな読者を対象にした三流紙に毎週記事を寄稿することで、4桁の収入を稼いでいた。もしロンドンにおける生活の濁った深みのずっと底の方で、何か奇妙な渦が発生すると、水面に居るこの人間羅針盤によって、自動的に、かつ、正確に察知されるのであった。ホームズは、ラングデイル(・パイク)に対して、慎重に情報を与える一方、時々、その見返りとして、彼に協力してもらっていた。

翌日の早朝、ホームズの部屋で彼に会った時、彼の態度から、全てが上手く行ったのだと判った。


ガイ・アダムス作「シャーロック・ホームズ / 神の息吹」において、ゴシップ屋のラングデイル・パイクは、「ホームズの大学時代の友人」という記述があるが、コナン・ドイルの原作上、そこまでの言及はなされていない。


なお、イングランド北西部にあるカンブリア山地(Cumbrian Mountains)中に、Harrison Stickle(733m)と Pile o’-Stickle(709m)という2つの峰があり、「ラングデイル=パイクス(Langdale Pikes)」と呼ばれている。もしかすると、コナン・ドイルは、ゴシップ屋の名前を、上記の峰々から名付けたのかもしれない。


2021年7月14日水曜日

リチャード・ルイス・ボイヤー作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / スマトラ島の巨大ネズミ」(The further adventures of Sherlock Holmes / The Giant Rat of Sumatra by Richard Lewis Boyer) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2011年に出版された
リチャード・ルイス・ボイヤー作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / スマトラ島の巨大ネズミ」の表紙


作者のリチャード・ルイス・ボイヤー(Richard Lewis Boyer:1943年ー2021年)は、米国イリノイ州エヴァンストン出身の作家で、ニューイングランドの歯科医であるチャーリー・”ドク”・アダムズ(Charlie “Doc” Adams)を主人公にした犯罪小説シリーズ(1982年ー1998年)等で知られる。彼は、当該シリーズの第1作目である「ビリングスゲート ショール(Billingsgate Shoal)」(1982年)により、1983年にエドガー賞(Edgar Allan Poe Award)を受賞している。

なお、本作品「スマトラ島の巨大ネズミ(The Giant Rat of Sumatra)」は、1976年に発表されている。


本作品は、1912年にジョン・H・ワトスンがロンドンのバークレイズ銀行オックスフォードストリート支店(Barclay’s Bank, Oxford Street Branch, London)の金庫に預けた未発表事件の記録が、彼の遺言で定められた期限である1975年を過ぎたため、封印が解かれて、世に公表されたという体裁を採っている。


1894年の夏、ある誘拐事件が世間を騒がせていた。アリステア卿(Lord Allistair)の令嬢アリス・アリステア(Alice Allistair)が、インドへの夏季休暇旅行中、ボンベイの市場へ出かけた際、そこから何の痕跡もなく、姿を消してしまったのである。アリステア卿は、シャーロック・ホームズに対して、秘密裡に助力を求めたが、今のところ、アリステア嬢誘拐事件に関する大きな進展は、まだ見られなかった。


そんな9月15日の宵のことである。

ホームズは、ワトスンに対して、「チャリングクロス(Charing Cross)方面で、火災が起きている。」と告げる。二人がベーカーストリート(Baker Street)をポートマンスクエア(Portman Square)へ向かって下って行くと、人混みの真ん中にスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)が居た。通りでは、体格のよい中年男性が、大量の流血をして、殺されていたのである。ホームズは、「近くの家の屋根の上で、二人以上の犯人によって刺された後、屋根から通りに突き落とされたに違いない。」と推理する。

そこに巡査が来て、「ドッグ島(Isle of Dogs → 2020年5月2日 / 5月9日付ブログで紹介済)の造船所での火災の勢いが強く、手に負えないので、造船所の方へ向かって下さい。」と、レストレード警部に依頼する。ホームズとワトスンが、レストレード警部と一緒に、造船所に到着すると、そこは火の海であった。負傷者の手当てもままならず、ワトスンは自分の無力感を噛みしめるだけだった。


ベーカーストリート221B(221B Baker Street)に戻ると、ホームズは、ワトスンに対して、「先程、通りで殺されていた男性は、右手首の入れ墨から推測するに、6~8週間程前に東南アジアのボルネオ島辺りに居た船員に違いない。」と告げる。ワトスンが新聞を調べると、その日の午後、東南アジア方面からロンドンに戻った船として、マチルダ・ブリッグス号(Matilda Briggs)の名前が載っていたのある。

ホームズは、ワトスンに対して、「この船員は、何か重要なことを我々に相談する必要があって、ベーカーストリート221Bへ来る途中、それを良しとしない何者かによって殺害されたのではないか?」と話すのであった。


2021年7月11日日曜日

メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」(Death on the Cherwell by Mavis Doriel Hay) - その2

大英図書館(British Library)から
British Library Crime Classics シリーズの一つとして、2014年に出版されている
メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」の裏表紙
(Cover Image : Mary Evans Picture Library)


女性専用のペルセポネカレッジ(Persephone College)が建つペルセ島(Perse Island)は、元々、チャーウェル川(River Cherwell)の支流の一つである「ザ・ニュー・ロウド(The New Lode)」を間に挟んで建つフェリーハウス(Ferry House)を所有していたアダム・ロンド(Adam Lond)からカレッジ側が購入した経緯があるが、父親であるアダム・ロンドからフェリーハウスを相続したエゼキエル・ロンド(Ezekiel Lond)は、当時の売買について、不服に思っていた。また、今までは、カレッジ側に、近道として、フェリーハウスの庭を横切る小道(foorpath)を使用することが、アダム・ロンドが生きていた頃には、許可されてきたが、これも、エゼキエル・ロンドは非常に不満で、これらのことについて、彼とペルセポネカレッジの経理部長(Bursar)であるマイラ・デニング(Myra Denning)との間で、暫くの間、揉めていたことが判った。


一方で、ペルセポネカレッジは、敷地拡張を考えており、第一候補地として、フェリーハウスが建つ土地を、第二候補地として、隣接するペイガンズフィールド(Pagans Field)を検討していた。ペイガンズフィールドを所有する農場主のジェイムズ・リジェット(James Lidgett)は、ペルセポネカレッジに自分の土地を売却しようと、マイラ・デニング経理部長に対して、強引な売り込みをかけていて、これも揉め事の一つとなっていたのである。


メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」における
事件現場周辺の地図

それでは、いずれかの揉め事が要因となって、マイラ・デニング経理部長は、エゼキエル・ロンドか、ジェイムズ・リジェットのどちらかに殺害されたのだろうか?


地元警察のヴィザ警視(Superintendent Wythe)が調べたところ、マイラ・デニング経理部長の身寄りには、姪のパメラ・エクス(Pamela Exe)一人しか居なかった。マイラ・デニング経理部長は、姪の学費や生活費等、全ての面倒を見ていたが、何故か、姪を自分が働いているオックスフォード(Oxford)ではなく、遠く離れたケンブリッジ(Cambridge)の学校へと送り出し、姪がオックスフォードに近付くことを良しとしなかったのである。これは、一体、何故なのか?


ヴィザ警視による捜査が難航する中、スコットランドヤード犯罪捜査課(CID)のブレイドン警部(Inspector Braydon)が、ペルセポネカレッジへと投入される。また、マイラ・デニング経理部長の死体を発見したサリー・ワトスン(Sally Watson)達4人組は、自分達だけで犯人を見つけようと、行動を開始するのであった。


物語の前半、サリー・ワトスン達4人組は、いろいろと捜査を進めていくが、物語の後半、地元警察のヴィザ警視とスコットランドヤードのブレイドン警部による捜査が本格化してくると、サリー・ワトスン等、一部を除くと、登場する場面が一気に減って、影が薄くなってしまい、活躍する機会がほとんど与えられていない。サリー・ワトスン達4人組の捜査と警察の捜査が、また、警察内部でも、ヴィザ警視の捜査とブレイドン警部の捜査が、あまりキチンとリンクしていないような印象があり、物語の最後まで、三つの線がうまく交わらないまま進んでいるみたいで、物語全体が躍動しておらず、非常に残念である。

また、マイラ・デニング経理部長を殺害した容疑者として、複数の人物が挙げられるが、物語がある程度進んだ段階で、ある特定の人物に収束してしまう。そして、物語の終盤、本当にその人物が真犯人であることが明確になる訳で、正直ベース、本作品はあまり推理小説の形式を成しているとは言えないのも、残念なところである。


作者のメイヴィス・ドリエル・ヘイ(Mavis Doriel Hay:1894年ー1979年)は、推理作家としては、全部で3作品しか発表しておらず、本作品は2番目に該当する。

本作品の舞台となるペルセポネカレッジは架空のカレッジで、作者が1913年から1916年にかけて実際に学んだセント ヒルダズ カレッジ(St. Hilda’s College)をベースにしているものと思われる。なお、セント ヒルダズ カレッジは、オックスフォード内にあり、チャーウェル川沿いに位置している女性専用のカレッジである。


2021年7月10日土曜日

ガイ・アダムス作「シャーロック・ホームズ / 神の息吹」(Sherlock Holmes / The Breath of God by Guy Adams) - その3

日本の出版社である竹書房から
2014年に竹書房文庫として出ている
ガイ・アダムス「シャーロック・ホームズ 神の息吹殺人事件」の表紙
日本版カバーデザイン: 石橋 成哲 氏
Photo: AFLO


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆(1.0)

ロンドン中心部のウェストエンド(West End)内にあるグローヴナースクエア(Grosvenor Square → 2015年2月22日付ブログで紹介済)において発見された社交界の若き名士の一人であるヒラリー・ド・モンフォール(Hilary De Montfort)の遺体は、まるで非常に高いところから地面に叩き付けられたかのようであった。そして、彼の遺体の周囲に積もった雪の上には、足跡は全く残されていなかった。本格推理小説的には、非常に美しい謎であり、合理的な解決が見られるのかと楽しみにしたが、結果はあまりにも期待ハズレで、がっかりした。シャーロック・ホームズが、自分の元を訪ねて来たロンドン在住の医師で、「心霊医師(Psychical Doctor)」と巷で呼ばれているジョン・サイレンス博士(Dr. John Silence)を胡散臭げな人物と見做して、当初は会おうとしなかったが、作者のガイ・アダムス(Guy Adams:1976年ー)による本作品は、最終的に、全てが胡散臭げな話のまま終わった感じがする。


(2)物語の展開について ☆半(1.5)

物語の序盤に、ヒラリー・ド・モンフォールや地方の名士であるバーソロミュー・ラスヴニー卿(Lord Bartholomew Ruthvney)の不可思議な死で、読者の期待を煽っておきながら、物語の中盤以降、話がどんどん失速していったように思える。2つの謎の提示に対して、物語全体の2/5近くを費やした後、残りの3/5を使って、更に物語を飛躍させようとしているが、前半に話のウェイトがあり過ぎて、後半、話を十分に練った上で展開しているとは、とても言えない。全体として、物語の配分がうまくいっていない。


日本の出版社である竹書房から
2014年に竹書房文庫として出ている
ガイ・アダムス「シャーロック・ホームズ 神の息吹殺人事件」の裏表紙

(3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆半(1.5)

物語の最後で、ホームズは、未曾有の危機からロンドン市民を救ってはいるものの、全体を通して、ホームズが活躍したという印象は、非常に薄い。ただし、これは、ホームズが悪い訳ではなく、全て、作者の責に帰せられる。元々、胡散臭げ話であり、最初から、ホームズはこの事件には乗り気ではなかった。一方で、霊的な物語であることもあって、ジョン・ワトスンが亡くなった婦人(メアリー → 「四つの署名(The Sign of the Four)」に登場)を偲ぶ場面が随所にあり、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)による原作では見られない場面で、人間味にあふれていたので、若干、点数をオマケしている。


(4)総合評価 ☆(1.0)

物語の前半において、美しく、かつ、魅力的な2つの謎が、読者に対して提示されたものの、結局のところ、全てが胡散臭げで、かつ、中途半端なままに終わっていて、読後の印象が非常に悪い。作者として、何をしたかったのかがよく判らず、ストーリー全体に疑問符を付さざるを得ない。霊的な話を推理小説で取り扱う場合、余程キチンとしたストーリー構成にしないと、読者は納得できないと思う。極論すれば、ホームズは、自分の最初の印象通り、ジョン・サイレンス博士の話を全く聞かないで、追い返していれば、良かったと言える。



2021年7月7日水曜日

ロンドン サヴォイ劇場(Savoy Theatre)

ストランド通り沿いに建つサヴォイ劇場(画面左側) -
画面中央奥に建つのが、サヴォイホテル

米国の作家兼マジシャンであるダニエル・スタシャワー(Daniel Stashower:1960年)作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 心霊体の男(The further adventures of Sherlock Holmes - The Ectoplasmic Man → 2021年6月9日 / 6月16日 / 6月20日付ブログで紹介済)」(1985年)において、米国で「脱出王」として名を馳せたユダヤ人の奇術師であるハリー・フーディーニ(Harry Houdini:1874年ー1926年 → 2021年6月26日付ブログで紹介済)が世紀の脱出芸を行なっていたサヴォイ劇場(Savoy Theatre)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City)に向かって東に延びるストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)沿いに建っている。


興行主/プロデューサーであるリチャード・ド・オイリー・カルテ(Richard D'Oyly Carte:1844年ー1901年)は、自前の劇場を建設するべく、1880年に「Beaufort Buildings」と呼ばれた現在の土地を取得。リチャード・ド・オイリー・カルテは、土地の取得に先行する1877年に、劇場やミュージックホールを専門とする英国の建築家であるウォルター・ローレンス・エムデン(Walter Lawrence Emden:1847年ー1913年)に対して、劇場の設計を依頼していたが、見直し作業の結果、ウォルター・ローレンス・エムデンが途中で建設見積費用を増加させたため、彼との契約を打ち切り、同じく劇場を専門とする英国の建築家であるチャールズ・ジョン・フィップス(Charles John Phipps:1835年ー1897年)に対して、設計を再依頼したのである。

サヴォイホテルの正面玄関(その1)


完全な電気照明の劇場とするべく、革新的な電気工事に時間や労力等が割かれたものの、建設工事はかなり迅速に進み、1881年10月10日に、完全な電気照明を備えた世界初の劇場として、正式にオープンした。なお、座席数としては、約1,300人の収容が可能であった。

サヴォイホテルの正面玄関(その2)


リチャード・ド・オイリー・カルテは、取得した土地が「Beaufort Buildings」と呼ばれていたことから、当初、「ボーフォート劇場(Beaufort Theatre)」と名付ける予定だった。

一方で、フランスに在住するサヴォイ家のピーター伯爵(Peter II, Count of Savoy:1203年ー1268年)が、彼の姪と英国王ヘンリー3世(Henry III:1207年ー1272年 在位期間:1216年ー1272年)が結婚したことに伴い、英国に移住し、1246年にヘンリー3世からリッチモンド伯爵(Earl of Richmond)に叙せられた際、この土地(=現在のストランド通りとテムズ河(River Thames)の間の土地を)与えられ、1263年に、そこにサヴォイパレス(Savoy Palace)を建設したという経緯があった。

そのため、サヴォイパレスの跡地に劇場を建設したリチャード・ド・オイリー・カルテは、サヴォイパレスに因んで、当劇場を「サヴォイ劇場(Savoy Theatre)」と命名したのである。

サヴォイ劇場で上演されたオペラは、「サヴォイオペラ(Savoy Opera)」と呼ばれようになった。

1889年にサヴォイホテルがオープンしたことに伴い、
サヴォイ劇場の入口も、ストランド通り側に移設された

サヴォイ劇場を完成させたリチャード・ド・オイリー・カルテは、同劇場用の自家発電機を設置するために、同劇場に隣接する土地を取得した。彼は、米国へ興行で何度も出かけており、米国のホテルに滞在した経験に基づいて、英国の地方や外国からロンドンを訪れる旅行者のために、同劇場に隣接する土地には、自家発電機を設置するのではなく、英国で最も豪華なホテルを建設する計画に変更した。

リチャード・ド・オイリー・カルテは、英国の建築家であるトーマス・エドワード・コルカット(Thomas Edward Collcutt:1840年ー1924年)に設計を依頼した。ホテルの建設には5年を要したが、1889年8月6日に正式にオープンした。ホテルは、サヴォイ劇場と同様に、サヴォイプレイスに因んで、「サヴォイホテル(Savoy Hotel → 年月日付ブログで紹介済)」と名付けられた。


サヴォイ劇場の入口は、当初、テムズ河(River Thames)沿いのエンバンクメント通り(Embankmentg)側に設置されたが、1889年にサヴォイホテルがオープンしたことに伴い、サヴォイホテルの玄関と同様に、ストランド通り側に移設された。

サヴォイ劇場において上演されるオペラは、
「サヴォイオペラ」と呼ばれる

サヴォイ劇場は、同劇場を建設したリチャード・ド・オイリー・カルテの子息であるルパート・ド・オイリー・カルテ(Rupert D’Oyly Carte:1876年ー1948年)によって、1929年に建て替えられた。

その後、1990年に同劇場の改装工事が行われていた際、火災が発生して、ステージとバックステージを除く全ての部分が焼失してしまった。1929年の建替時のデザインを極力踏襲した上で、劇場が再度建て替えられ、1993年10月19日に興行を再開したのである。なお、座席数は1,200弱と、以前よりも若干少なくなっている。


サヴォイ劇場は、現在、Grade II listed building に指定されている。


2021年7月4日日曜日

コナン・ドイル作「ソア橋の謎」<英国 TV ドラマ版>(The Problem of Thor Bridge by Conan Doyle

英国の俳優であるジェレミー・ブレットが主人公のシャーロック・ホームズを演じた
英国のグラナダテレビジョン制作の「シャーロック・ホームズの冒険」の
「ソア橋の謎」における1場面 -
シャーロック・ホームズ博物館(Sherlock Holmes Museum)において、絵葉書として販売されていた。
ホームズが活躍した当時、馬車が主流であったが、本作品では、シリーズ初の自動車が画面上に登場する。
画面左端の人物は、ダニエル・マッシーが演じる米国の元上院議員で、金鉱王のニール・ギブスンで、
左から2番目の人物が、ジェレミー・ブレットが演じるホームズである。
なお、厳密に言うと、映像上、このような場面は存在していない。

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「ソア橋の謎(The Problem of Thor Bridge)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、46番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1922年2月号 / 3月号に、また、米国では、「ハースイ インターナショナル」の1922年2月号 / 3月号に掲載された。

また、同作品は、1927年に発行されたホームズシリーズの第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿(The Casebook of Sherlock Holmes)」に収録された。


本作品は、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化された。具体的には、第5シリーズ(The Casebook of Sherlock Holmes)の第2エピソード(通算では第28話)として、1990年に撮影の上、英国では、1991年2月28日に放送されている。


配役は、以下の通り。


(1)シャーロック・ホームズ → ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett:1933年ー1995年)

(2)ジョン・ワトスン → エドワード・ハードウィック(Edward Hardwicke:1932年ー2011年)

(3)ビリー(Billy) → Dean Magri


(4)ニール・ギブスン(Neil Gibson:米国の元上院議員で、金鉱王) → Daniel Massy

(5)マリア・ギブスン(Maria Gibson:ニールの妻) → Celia Gregory

(6)グレイス・ダンバー(Grace Dunbar:ギブスン夫妻の子供達の家庭教師) → Catherine Russell

(7)ファーガスン氏(Mr. Ferguson:ニールの秘書) → Stephen Macdonald

(8)マーロウ・ベイツ(Marlow Bates:ギブスン夫妻の屋敷の管理人) → Niven Boyd

(9)ジョイス・カミングス(Joyce Cummings, Q.C.:ダンバー嬢の弁護士) → Philip Bretherton

(10)コヴェントリー巡査部長(Sergeant Coventry:地元の警察官) → Andrew Wilde


TV ドラマ版のストーリーは、概ね、コナン・ドイルによる原作と同様であるが、以下のような相違点がある。


(1)

本作品の事件発生年月は、原作上、ある年(識者の間では、1900年と言われている)の10月になっており、馬車が移動手段の主流であったが、TV ドラマ版の場合、ニール・ギブスンは、米国の大富豪らしく、馬車ではなく、運転手付きの自動車(シリーズ初)を、移動手段として用いている。運転手付きの自動車は、ロンドンでも、なお、彼の地元であるハンプシャー州(Hampshire)でも、登場している。なお、コナン・ドイルの原作において、ニール・ギブスンの移動手段は、特に明記されていない。


(2)

コナン・ドイルの原作において、ホームズから「あなたは、真実を話していない。」と言われて、激怒したニール・ギブスンは、一旦、ベーカーストリート221Bを出て行ってしまうが、頭を冷やすと、暫くして、ホームズの元に戻って来る。TV ドラマの場合、午前11時にホームズを訪問したニール・ギブスンは、原作と同様に、ホームズの態度に激怒して、部屋を去ってしまう。ホームズは、「He’s sure to come back. He must come back.」と言って、午後4時までニールの戻りを待つものの、ホームズの予想に反して、結局、彼は戻って来なかった。「I fear I have made a serious misjudgement.」と言って、落ち込むホームズであったが、ワトスンは、「The senator may not have returned, but surely his letter has engaged you on behalf of Miss Dunbar. She’s the one in need. Might we not pay her a visit ?」と言って、ホームズを励まし、二人で独自に事件の捜査を開始することになる。


(3)

コナン・ドイルの原作において、ホームズとワトスンの二人は、以下のように移動する。


<当日>

ロンドン:ベーカーストリート221B(ニール・ギブスンは、ここで物語から退場してしまい、これ以降、全く登場しない。)

ハンプシャー州:ソアプレイス(Thor Place)

・地元の警察署兼コヴェントリー巡査部長の自宅

・ソア橋(Thor Bridge)

・ギブスン夫妻の屋敷


<翌日>

ハンプシャー州:ソアプレイス

ハンプシャー州:ウィンチェスター(Winchester - カミングス弁護士と一緒に、ダンバー嬢と面会する。)

ハンプシャー州:ソアプレイス

・地元の警察署兼コヴェントリー巡査部長の自宅

・村の売店(ここで、ホームズは、あるものを購入する。)

・ソア橋

・村の宿(ホームズは、ワトスンに対して、事件の種明かしを行う。)


TV ドラマ版の場合、ホームズとワトスンの二人は、以下のように移動する。


ロンドン:ベーカーストリート221B

ハンプシャー州:ウィンチェスター(カミングス弁護士と一緒に、ダンバー嬢と面会するが、ロンドンから自動車で地元に戻って来たニール・ギブスンとファーガスン秘書が邪魔に入る。)

ハンプシャー州:ソアプレイス

・ソア橋(ホームズ、ワトスンとコヴェントリー巡査部長の3人は、現場まで自転車でやって来る。)

・ギブスン夫妻の屋敷(管理人のベイツに屋敷内を案内してもらうが、またもや、ニール・ギブスンが介入してくる。その後、庭に出て、ホームズとニール・ギブスンの二人が、アーチェリーの腕前を競うという原作にはない場面も挿入されている。ニール・ギブスンは、右腕で矢を2回放ち、一方、ホームズは、左腕で矢を2回放つが、二人の腕前はほぼ同じであった。)

・ソア橋(ホームズとワトスンの二人は、再度、自転車で現場まで戻って来る。)

ハンプシャー州:ウィンチェスター(再度、ダンバー嬢と面会する。)

ハンプシャー州:ソアプレイス

・ソア橋(上記とは異なり、ホームズ、ワトスンとコヴェントリー巡査部長の3人は、現場まで馬車でやって来る。途中、運転手付きの自動車に乗ったニール・ギブスンと行き交う。そして、現場において、ホームズは、ワトスンとコヴェントリー巡査部長に対して、事件の種明かしを全て行う。)


最後は、釈放されたダンバー嬢を乗せて、ニール・ギブスンが、ウィンチェスターから自分の屋敷へと帰る場面が描かれ、物語は終わりを迎えている。


なお、ホームズとワトスンの二人は、いろいろと動き回っているが、1日で済んでいるのか、それとも、原作のように、2日間にわたっているのかは、ハッキリしていない。


2021年7月3日土曜日

メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」(Death on the Cherwell by Mavis Doriel Hay) - その1

大英図書館(British Library)から
British Library Crime Classics シリーズの一つとして、2014年に出版されている
メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」の表紙
(Cover Image : Mary Evans Picture Library)


「チャーウェル川の死(Death on the Cherwell)」は、英国の推理作家で、ノンフィクション作家でもあったメイヴィス・ドリエル・ヘイ(Mavis Doriel Hay:1894年ー1979年)が1935年に発表した推理小説である。

本作品は、オックスフォード(Oxford)に舞台を設定している。


チャーウェル川(River Cherwell)は、途中で「ザ・ロウド(The Lode)」と「ザ・ニュー・ロウド(The New Lode)」という二つの支流に一旦分かれた後、再度一つの本流となって、下流へと流れている。これらの二つの支流に囲まれた島内に、女性専用のペルセポネカレッジ(Persephone College)が建っている。


メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」における
事件現場周辺の地図

1月のある午後4時、チャーウェル川の支流の一つである「ザ・ロウド」沿いに建つボート小屋の屋根の上に、ペルセポネカレッジの一年生である以下の3人が集合していた。

(1)ダフニ・ラヴリッジ(Daphne Loveridge)

(2)グイネス・ペイン(Gwyneth Pane)

(3)ニーナ・ハーソン(Nina Harson)

彼女達は、友人のサリー・ワトスン(Sally Watson)に、自分達のクラブを立ち上げるため、ここに呼び出されていたのであった。


チャーウェル川の上流にあるセントシメオンカレッジ(St. Simeon’s College)内に建つ塔が午後4時を告げてから2-3分後、サリー・ワトスンが、ボート小屋へと向かって、芝生を駆けて来るのが見えた。

サリーによると、「午後3時から午後4時まで、セントシメオンカレッジの教授であるデニス・モート(Denis Mort)による出張個人講義を受けていたので、集合時間に遅れた。」とのこと。

彼女は、折角、一生懸命、宿題のエッセーを書いたにもかかわらず、今日の講義の間、デニス・モート教授はずーっと憂鬱な様子で、頑張り甲斐がなかったと、不満タラタラだった。


ボート小屋の屋根の上で、彼女達が話を続けていると、チャーウェル川の上流からカヌー(丸木舟)が揺れ動きながら姿を見せた。一瞬、カヌーには誰も乗っていないように見えたが、よく見ると、女性がカヌー内で横たわっているのが判った。

サリー・ワトスン達4人がボート小屋の屋根から降りて、チャーウェル川へと寄り、カヌーを岸へと近付けると、カヌー内に横たわっていたのは、ペルセポネカレッジの経理部長(Bursar)であるマイラ・デニング(Myra Denning)で、全身ずぶ濡れだった。残念ながら、彼女は既に息をひきとっていた。


サリー・ワトスン達4人は、ペルセポネカレッジの学長(Principal)であるコーデル女史(Miss Cordell)に慌てて連絡をとり、コーデル女史からの要請を受けて、シャター医師(Dr. Shuter)がペルセポネカレッジへと駆け付けた。また、地元警察のヴィザ警視(Superintendent Wythe)も現場に到着する。


当初、マイラ・デニング経理部長の死は事故かと思われたが、シャター医師の現場検死によると、直接の死因は溺死で間違いないものの、彼女の後頭部には、何かで殴られたような痕跡があり、これがほとんど致命傷に近かったことが判明。

となると、溺死後に、彼女が自力でカヌー内へと戻ることは不可能であり、何者かに殺害された後、カヌー内に横たわされて、チャーウェル川に流されたものと考えられた。