2021年7月7日水曜日

ロンドン サヴォイ劇場(Savoy Theatre)

ストランド通り沿いに建つサヴォイ劇場(画面左側) -
画面中央奥に建つのが、サヴォイホテル

米国の作家兼マジシャンであるダニエル・スタシャワー(Daniel Stashower:1960年)作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 心霊体の男(The further adventures of Sherlock Holmes - The Ectoplasmic Man → 2021年6月9日 / 6月16日 / 6月20日付ブログで紹介済)」(1985年)において、米国で「脱出王」として名を馳せたユダヤ人の奇術師であるハリー・フーディーニ(Harry Houdini:1874年ー1926年 → 2021年6月26日付ブログで紹介済)が世紀の脱出芸を行なっていたサヴォイ劇場(Savoy Theatre)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City)に向かって東に延びるストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)沿いに建っている。


興行主/プロデューサーであるリチャード・ド・オイリー・カルテ(Richard D'Oyly Carte:1844年ー1901年)は、自前の劇場を建設するべく、1880年に「Beaufort Buildings」と呼ばれた現在の土地を取得。リチャード・ド・オイリー・カルテは、土地の取得に先行する1877年に、劇場やミュージックホールを専門とする英国の建築家であるウォルター・ローレンス・エムデン(Walter Lawrence Emden:1847年ー1913年)に対して、劇場の設計を依頼していたが、見直し作業の結果、ウォルター・ローレンス・エムデンが途中で建設見積費用を増加させたため、彼との契約を打ち切り、同じく劇場を専門とする英国の建築家であるチャールズ・ジョン・フィップス(Charles John Phipps:1835年ー1897年)に対して、設計を再依頼したのである。

サヴォイホテルの正面玄関(その1)


完全な電気照明の劇場とするべく、革新的な電気工事に時間や労力等が割かれたものの、建設工事はかなり迅速に進み、1881年10月10日に、完全な電気照明を備えた世界初の劇場として、正式にオープンした。なお、座席数としては、約1,300人の収容が可能であった。

サヴォイホテルの正面玄関(その2)


リチャード・ド・オイリー・カルテは、取得した土地が「Beaufort Buildings」と呼ばれていたことから、当初、「ボーフォート劇場(Beaufort Theatre)」と名付ける予定だった。

一方で、フランスに在住するサヴォイ家のピーター伯爵(Peter II, Count of Savoy:1203年ー1268年)が、彼の姪と英国王ヘンリー3世(Henry III:1207年ー1272年 在位期間:1216年ー1272年)が結婚したことに伴い、英国に移住し、1246年にヘンリー3世からリッチモンド伯爵(Earl of Richmond)に叙せられた際、この土地(=現在のストランド通りとテムズ河(River Thames)の間の土地を)与えられ、1263年に、そこにサヴォイパレス(Savoy Palace)を建設したという経緯があった。

そのため、サヴォイパレスの跡地に劇場を建設したリチャード・ド・オイリー・カルテは、サヴォイパレスに因んで、当劇場を「サヴォイ劇場(Savoy Theatre)」と命名したのである。

サヴォイ劇場で上演されたオペラは、「サヴォイオペラ(Savoy Opera)」と呼ばれようになった。

1889年にサヴォイホテルがオープンしたことに伴い、
サヴォイ劇場の入口も、ストランド通り側に移設された

サヴォイ劇場を完成させたリチャード・ド・オイリー・カルテは、同劇場用の自家発電機を設置するために、同劇場に隣接する土地を取得した。彼は、米国へ興行で何度も出かけており、米国のホテルに滞在した経験に基づいて、英国の地方や外国からロンドンを訪れる旅行者のために、同劇場に隣接する土地には、自家発電機を設置するのではなく、英国で最も豪華なホテルを建設する計画に変更した。

リチャード・ド・オイリー・カルテは、英国の建築家であるトーマス・エドワード・コルカット(Thomas Edward Collcutt:1840年ー1924年)に設計を依頼した。ホテルの建設には5年を要したが、1889年8月6日に正式にオープンした。ホテルは、サヴォイ劇場と同様に、サヴォイプレイスに因んで、「サヴォイホテル(Savoy Hotel → 年月日付ブログで紹介済)」と名付けられた。


サヴォイ劇場の入口は、当初、テムズ河(River Thames)沿いのエンバンクメント通り(Embankmentg)側に設置されたが、1889年にサヴォイホテルがオープンしたことに伴い、サヴォイホテルの玄関と同様に、ストランド通り側に移設された。

サヴォイ劇場において上演されるオペラは、
「サヴォイオペラ」と呼ばれる

サヴォイ劇場は、同劇場を建設したリチャード・ド・オイリー・カルテの子息であるルパート・ド・オイリー・カルテ(Rupert D’Oyly Carte:1876年ー1948年)によって、1929年に建て替えられた。

その後、1990年に同劇場の改装工事が行われていた際、火災が発生して、ステージとバックステージを除く全ての部分が焼失してしまった。1929年の建替時のデザインを極力踏襲した上で、劇場が再度建て替えられ、1993年10月19日に興行を再開したのである。なお、座席数は1,200弱と、以前よりも若干少なくなっている。


サヴォイ劇場は、現在、Grade II listed building に指定されている。


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