ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、 英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた ジョン・ディーの絵葉書<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum → 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入> |
2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。
ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)やヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。
4番目に紹介するのは、ジョン・ディー(John Dee)である。
(4)ジョン・ディー(1527年ー1608年、または、1609年)
ジョン・ディーは、テューダー朝(House of Tudor)時代に現れた数学者(mathematician)/ 天文学者(astronomer)/ 占星術師(astrologer)/ 神秘学者(occultist)/ 錬金術師(alchemist)である。
ジョン・ディーは、1527年7月13日、イングランド王室で働く下級官僚であるロウランド・ディー(Rowland Dee)を父として、ロンドンに出生。
ジョン・ディーは、1542年11月、15歳の若さで、ケンブリッジ(Cambridge)のセントジョンズカレッジ(St. John’s College)に入学し、1545年、または、1546年初めに、同カレッジを卒業、学士号(BA = Bachelor of Arts)を取得。
そして、彼は、1546年に、ケンブリッジのトリニティーカレッジ(Trinity College)のフェロー(Fellow)となる。
ジョン・ディーは、欧州大陸の大学に留学した後、1551年にイングランドに帰国すると、
(1)テューダー朝の第3代イングランド王であるエドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)
(2)テューダー朝の第4代イングランド王であるメアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている メアリー1世の肖像画の葉書 (Master John / 1544年 / Oil on panel 711 mm x 508 mm) |
(3)イングランドとアイルランドの女王で、テューダー朝の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)
に仕え、特に、エリザベス1世には寵愛された。
彼は、1580年代から1590年代前半にかけて、ポーランドやボヘミア等の欧州大陸を遍歴し、各国の王宮等において、貴族達に交霊実験と魔術を披露して、大評判となる。
1595年にイングランドに帰国すると、ジョン・ディーは、エリザベス1世に出迎えられ、マンチェスター(Manchester)にあるクライストカレッジ(Christ’s College)の学長(Warden)に任命された。
エリザベス1世の後、ジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)がステュアート朝(House of Stuart)の初代スコットランド / イングランド / アイルランド王として即位するが、ジェイムズ1世は大の魔術嫌いだったため、ジョン・ディーは引退を余儀なくされる。
そして、1608年、または、1609年に、彼は貧困のうちに死去している。
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