シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、50番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1925年2月号と同年3月号に、また、米国の「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1924年11月8日号に掲載されたサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「高名な依頼人(The Illustrious Client → 2025年6月18日 / 6月23日 / 6月27日 / 7月5日 / 7月7日付ブログで紹介済)」は、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化された。具体的には、第5シリーズ(The Case-book of Sherlock Holmes)の第5エピソード(通算では第31話)として、英国では1991年に放映されている。
グラナダテレビが制作した英国 TV ドラマ版の場合、コナン・ドイルの原作対比、次のような差異があるので、前回に引き続き、述べたい。
(7)
<原作>
原作の場合、サー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Damery:今回の事件の表向きの依頼人)の訪問を受けたその日(1902年9月3日)の夜、ジョン・H・ワトスンは、本業の医師として急ぎの仕事があったため、その晩、シンプソンズ(Simpson’s → 2014年11月23日付ブログで紹介済)でシャーロック・ホームズと会い、彼からデマリー大佐との会見以降の経過を聞いている。
現在の「シンプソンズ」入口 |
ホームズとワトスンの二人がシンプソンズからベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に戻ると、そこには、シンウェル・ジョンスン(Shinwell Johnson:ロンドンの裏社会に通じた情報屋で、ホームズの協力者)とキティー・ウィンター(Kitty Winter:アデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Gruner)の元愛人で、被害者)が二人を待っていた。
<英国 TV ドラマ版>
英国 TV ドラマ版の場合、原作とは異なり、ワトスンは、外出先(おそらく、本業の医師としての仕事)からベーカーストリート221B へと戻って来る。
そして、アデルバート・グルーナー男爵との直接交渉に出かけていたホームズは、少し遅れて帰って来た。その際、ホームズは、次のように述べている。
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大英博物館の正面入口 - グレイトラッセルストリートに面している。 |
「大英博物館(→ 2014年5月26日付ブログで紹介済)に寄っていたので、遅くなった。その上、渋滞につかまったんだ。グレイトラッセルストリート(→ 2025年7月15日付ブログで紹介済)で、乗合馬車が横転してね。二人が亡くなった。興奮した馬を鎮めなければならなかった。(I was delayed at the museum, and then the press of traffic. An omnibus overturned in Great Russell Street. Two dead, a horse had to be put down.)」
そこには、シンウェル・ジョンスンとキティー・ウィンターが二人を待っていた。
(8)
<英国 TV ドラマ版>
シンウェル・ジョンスンとキティー・ウィンターの二人がベーカーストリート221B を辞去したのと入れ違いに、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)が、ホームズの元へ電報を持って来る。ホームズから電報を見せられたワトスンは、その内容を見て、驚く。何者からの脅迫だった。
<原作>
原作の場合、英国 TV ドラマ版のような場面はない。
(9)
<英国 TV ドラマ版>
ベーカーストリート221B を辞去したシンウェル・ジョンスンとキティー・ウィンターの後を、二人の男があとをつけている。
それに気付いたシンウェル・ジョンスンとキティー・ウィンターは走って逃げる。
二人の男に追い付かれたシンウェル・ジョンスンは、彼らに素手で対峙。シンウェル・ジョンスンは、二人を殴って、そのうちの一人を運河へ突き落とし、撃退。
<原作>
原作の場合、英国 TV ドラマ版のような場面はない。
(10)
<英国 TV ドラマ版>
アデルバート・グルーナー男爵は、キングストン(Kingston)近くのヴァーノンロッジ(Vernon Lodge)において、音楽を聴きながら、手帳(女性の写真を含む詳細が記されている)の内容を見直している。そして、彼は、手帳の最後のページに、ヴァイオレット・ド・メルヴィル(Violet de Merville:ド・メルヴィル将軍(General de Merville)の令嬢で、アデルバート・グルーナー男爵の婚約者)の写真を貼り付ける。
そこに、執事が来客を告げる。シンウェル・ジョンスンとキティー・ウィンターの後をつけていた二人の男が、アデルバート・グルーナー男爵に対して、前夜の失敗を報告する。
<原作>
原作の場合、英国 TV ドラマ版のような場面はない。
(11)
<英国 TV ドラマ版>
ホームズは、キティー・ウィンターを連れて、ヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢の元を訪れるものの、残念ながら、彼女への説得は不調に終わる。
その際、キティー・ウィンターは、自分の髪をかき上げると、右の首筋と胸元をヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢に見せる。キティー・ウィンターの首筋には、酷い傷が、また、彼女の胸元には、やけただれた跡(硫酸をかけられた跡)があった。
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バークリースクエアガーデンズ(Berkeley Square Gardens)の内部 - なお、シャーロック・ホームズとキティー・ウィンターが訪ねた ヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢の住まいであるバークリースクエア104番地は架空の住所であり、 同スクエアには3桁の番地は存在していない。 |
<原作>
原作の場合、英国 TV ドラマ版と同様に、ホームズは、キティー・ウィンターを連れて、説得のために、ヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢の元を訪れている。
ただし、英国 TV ドラマ版とは異なり、キティー・ウィンターは、自分の首筋と胸元をヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢には見せていない。
(12)
<英国 TV ドラマ版>
ホームズは、どこかのレストランにおいて、ワトスンに合流。そして、ホームズは、ワトスンに対して、ヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢への説得の結果を報告している。
<原作>
翌日(1902年9月4日)の夜、ワトスンは、ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)のレストラン(おそらく、シンプソンズだと思われる)において、ホームズと食事をする。その際、ワトスンは、ホームズから、ヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢への説得の結果報告を受けている。
(13)
<英国 TV ドラマ版>
その後、ホームズとワトスンは、レストランの前で別れる。
一人になったホームズが、ベーカーストリート221B へ戻る途中、杖を持った暴漢二人に襲われる。
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英国で出版された「ストランドマガジン」 1925年2月号 / 3月号に掲載された挿絵(その6)- 1902年9月6日の昼の12時頃、 カフェロイヤル前のリージェントストリートの路上において、 アデルバート・グルーナー男爵が放った二人組の暴漢に襲撃される。 ホームズは、ステッキで応戦するものの、 頭部と身体に大怪我を負ってしまう。 挿絵:ハワード・ケッピー・エルコック (1886年ー1952年) |
リージェントストリート沿いの カフェロイヤルの入口 - 大改装のため、カフェ・ロイヤルは2008年12月に一旦閉鎖され、 約4年間の改装工事を経て、 2012年12月に5つ星ホテルとして新しく生まれ変わり、現在に至っている。 |
<原作>
原作の場合、英国 TV ドラマ版とは異なり、ホームズとワトスンがストランド通りのレストランで食事をした日の2肥後(1902年9月6日)の昼の12時頃、カフェロイヤル(Cafe Royal → 2014年11月30日付ブログで紹介済)の外のリージェントストリート(Regent Street)の路上において、ホームズは、ステッキを持った二人組の暴漢に襲われる。

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