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セントパンクラス ガーデンズ内にある サー・ジョン・ソーンの霊廟(その1) |
英国の新古典主義を代表する建築家となったサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)であったが、プライベート面において、子供達が彼の意に沿わないと言う問題を抱えていた。
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英国の肖像画家であるサー・トマス・ローレンス (Sir Thomas Lawrence:1769年ー1830年)が描いた 「サー・ジョン・ソーン(76歳)の肖像画 (Portrait of Sir John Soane, aged 76)」 (1828年ー1829年)の絵葉書 Oil on canvas <筆者がサー・ジョン・ソーンズ博物館で購入> |
サー・ジョン・ソーンは、1784年8月21日に、エリザベス・スミス(Elizabeth Smith:1760年ー1815年 / 通称:エリザ(Eliza))と結婚し、以下の通り、4人の息子が生まれた。
*長男:ジョン(John)- 1786年4月29日に出生。
*次男:ジョージ(George)- 1787年のクリスマス前に出生するも、6ヶ月後に死亡。
*三男:ジョージ(George)- 1789年9月28日に出生。
*四男:ヘンリー(Henry)- 1790年10月10日に出生するも、翌年に死亡。
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サー・ジョン・ソーンズ博物館内に所蔵 / 展示されている 「サー・ジョン・ソーンの長男ジョン(右側の人物)と 三男ジョージ(左側の人物)の肖像画」で、 英国の肖像画家であるウィリアム・オーウェン(William Owen:1769年ー1825年)が、 1804年に制作。 |
サー・ジョン・ソーンとしては、長男のジョンと三男のジョージの両方、あるいは、どちらかが自分の後を継いで、建築家になることを望んでいたが、残念ながら、長男のジョンも、三男のジョージも、建築には全く興味を示さなかった。
長男のジョンは、怠惰な上に、病気がちで、1811年にマーゲイト(Margate)へ療養に出かけた際、そこで知り合った女性(マリア・プレストン(Maria Preston))と同年6月に結婚。サー・ジョン・ソーンは、渋々、ジョンの結婚を承諾するしかなかった。
また、三男のジョージは、ケンブリッジ大学(Cambridge University)で法律を学んでいたが、親交を結んだジャーナリストのジェイムズ・ボーデン(James Boaden:1762年ー1839年)の娘アグネス(Agnes)と、両親への事前の連絡なしに、同年7月に結婚。1814年9月、ジョージとアグネスの間に、双子が生まれたが、片方が出生後まもなくして亡くなった。
更に、ジョージは、1814年11月、負債と詐欺の容疑で投獄され、1815年1月、サー・ジョン・ソーンの妻エリザが、ジョージを保釈させるために、彼の負債と被害者への支払を肩代わりした。
三男のジョージの投獄による恥辱と心労のためか、サー・ジョン・ソーンの妻エリザは、1815年11月22日になくなってしまう。
その結果、サー・ジョン・ソーンは、妻エリザの死をジョージの責任として、以降、ジョージに対して、冷淡な態度をとり続けた。
三男のジョージは、保釈されたものの、妻アグネスと子供に対する家庭内暴力を続ける他、妻アグネスの妹との間にも、子供を設ける等、サー・ジョン・ソーンの面目を潰すことばかりを行った。
また、長男のジョンは、1823年10月21日に死去。
妻エリザの死を三男のジョージの責任と考えるサー・ジョン・ソーンは、自分の死に際して、ジョージへの遺贈は一切考慮せず、博物館の創設のために、自邸のリンカーンズ・イン・フィールズ12番地 / 13番地の建物を国家に寄贈することを決めた。
ジョージは、これが認められると、自分が父親の遺産を相続できなくなることを恐れ、裁判所に訴えたが、成功しなかった。
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セントパンクラス オールド教会の建物側面 |
サー・ジョン・ソーンは、風邪を拗らせて、1837年1月20日に亡くなり、妻エリザや長男のジョンが永眠するセントパンクラス オールド教会(St. Pancras Old Church → 2014年10月11日付ブログで紹介済)に埋葬された。
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セントパンクラス ガーデンズ内の風景(その1) |
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セントパンクラス ガーデンズ内の風景(その2) |
サー・ジョン・ソーンが埋葬されているセントパンクラス オールド教会は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作シャーロック・ホームズシリーズの短編第3作目に該る「花婿失踪事件(A Case of Identity)」に出てくるセントサヴィオール教会(St. Saviour's (Church))のモデルになった教会である。
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セントパンクラス ガーデンズ内の風景(その3) |
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セントパンクラス ガーデンズ内の風景(その4) |
「花婿失踪事件(A Case of Identity)」において、メアリー・サザーランド(Mary Sutherland)は、ガス管取付業界の舞踏会(gasfitters' ball)で知り合ったホズマー・エンジェル(Hosmer Angel)と結婚するため、別々の馬車で教会に到着した。メアリーと彼女の母親は別の馬車からホズマーが出て来るのを待つが、彼は一向に姿を現さない。そこで、御者が降りて馬車の中をみてみると、ホズマーの姿は忽然と消えていて、それ以降、彼の消息がつかめなくなった。
そのため、メアリー・サザーランドはベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズを訪ね、ホズマーの行方を捜してほしいと依頼する。
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セントパンクラス ガーデンズ内にある サー・ジョン・ソーンの霊廟(その2) |
メアリー・サザーランドとホズマー・エンジェルが結婚式を行う予定だった教会は、メアリーによると、キングスクロスの近くにあるセントサヴィオール教会(St. Saviour's (Church) near King's Cross)であった。
確かに、セントサヴィオール教会は実在しているが、それはキングスクロスから北北東の方向にかなり離れたクラウチエンド(Crouch End)という地区内にある。
キングスクロス駅(King's Cross Station)のすぐ西側にあるセントパンクラス駅(St. Pancras Station)を南側からみて左手のミッドランドロード(Midland Road)をやや北上したところに、セントパンクラス ガーデンズ(St. Pancras Gardens)がある。この庭園に面して、セントパンクラス オールド教会が建っている。現在の地図上、キングスクロス駅近辺には、このセントパンクラス オールド教会しか、教会は存在していない。ということは、コナン・ドイルの原作で言及されているセントサヴィオール教会は、このセントパンクラス オールド教会をモデルにしたものと思われる。
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セントパンクラスホテルの建物正面を見上げたところ。 |
コナン・ドイルの原作によれば、予定通り、教会での結婚式が行われていれば、メアリーとホズマーはセントパンクラスホテル(St. Pancras Hotel → 2014年10月12日付ブログで紹介済)で結婚披露朝食会をする予定であった。セントサヴィオール教会のモデルとなったのが、セントパンクラス オールド教会であれば、セントパンクラスホテルも近かったので、簡単に移動できた筈である。
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セントパンクラス ガーデンズ内にある サー・ジョン・ソーンの霊廟(その3) |
セントパンクラス ガーデンズの奥まった場所に、周囲を柵で囲まれたサー・ジョン・ソーンの霊廟(Mausoleum of Sir John Soane)があり、今も保存されている。
セントパンクラス オールド教会やセントパンクラス ガーデンズを訪れる人や通り抜ける人は、それなりに居るが、セントパンクラス ガーデンズ内にサー・ジョン・ソーンの霊廟が所在していることに気付く人は、残念ながら、ほとんど居ない。

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