2025年7月18日金曜日

鮎川 哲也作「黒い白鳥」(The Black Swan Mystery by Tetsuya Ayukawa)- その1

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

鮎川 哲也作「黒い白鳥」の表紙
(Cover design by Megan Rayner /
Image credit by Retro AdArchives + Alamy Stock Photo)


英国の出版社であるプーシキン出版(Pushkin Press)から、2024年に鮎川 哲也(Tetsuya Ayukawa)作「黒い白鳥(The Black Swan Mystery)」の英訳版が出ているので、紹介したい。


作者の鮎川 哲也(1919年ー2022年 / 本名:中川 透(Toru Nakagawa))は、日本の推理作家で、1919年2月14日に東京府巣鴨(Sugamo district of Tokyo)に出生。

彼の父親が南満州鉄道(South Manchurian Railway Co.)地質調査所の測量技師(surveyor)になった関係で、小学校3年生の時に、一家で満州大連(Dalian)に移住して、旧制中学校を卒業するまで、大連で少年時代を過ごした。

旧制中学校を卒業した後、東京の音楽関係の上級学校や拓殖大学商学部へと進学するが、病のため、大連へ戻ることが多かった。

1944年、父親の定年退職に伴い、大連から東京に戻るものの、戦禍に遭ったため、九州に疎開。そして、アイルランド生まれの英国の推理作家であるフリーマン・ウィルス・クロフツ(Freeman Wills Crofts:1879年ー1957年)作「ポンスン事件(The Ponson Case)」(1921年)の影響を受けて、自分でも推理小説を書き始める。


第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年-1945年)後、上京して、GHQ に勤務しつつ、1950年、「宝石」の長編部門(100万円の懸賞)に「ペトロフ事件」を送り、第一席に入選した結果、推理作家としてデビューしたが、出版社との関係が悪化したため、「ペトロフ事件」は出版されなかった。

当時、「宝石」の発行元である岩谷書店が経営不振にあった関係上、鮎川 哲也への賞金の支払が棚上げされた。一方で、鮎川 哲也は結核の治療費の支払に窮していたため、岩谷書店に対して、賞金の支払を頑強に請求。その結果、岩谷書店の社長の怒りを買ってしまい、鮎川 哲也は、長期間にわたって、「宝石」への執筆が叶わなかったのである。


その後、1956年に講談社が公募した「書下し長編探偵小説全集」の第13巻に、鮎川 哲也は、「黒いトランク」を応募して、当選。この時点で、彼は筆名を「中川 透」から「鮎川 哲也」へと改名。


「ペトロフ事件」と「黒いトランク」の両作品において、鬼貫警部(Inspector Onitsura)が探偵役を務め、以降、主にアリバイ崩しを主眼とした推理小説で活躍する。


「黒い白鳥」は、鮎川 哲也が1959年7月から同年12月にかけて因縁の「宝石」誌上に連載した後、1960年2月に講談社から出版した長編推理小説で、鬼貫警部シリーズのうち、長編第3作目に該る。

鮎川 哲也は、「黒い白鳥」と1959年11月に講談社から書下ろしで発表した「憎悪の化石」(鬼貫警部シリーズの長編第4作目)の2作を以って、第13回日本探偵作家クラブ賞を受賞している。


その頃、日本の推理小説界において、社会派推理小説が主流となりつつあったが、鮎川 哲也は、星影 龍三シリーズの長編第1作目「りら荘事件」(1956年9月から1957年12月にかけて、「探偵実話」に連載した後、1958年8月に、光風社から出版)や銀座三番館のバーテンを探偵役としたシリーズ(1972年ー)等、寡作ながらも、一貫して本格推理小説を執筆し続けた。


執筆以外にも、鮎川 哲也は、アンソロジーの編纂を通して、戦前の作家 / 作品を発掘するとともに、後進の育成にも力を入れた。

1988年に、東京創元社から「鮎川 哲也と十三の謎」と題してシリーズを観光して、若手作家に作品発表の場を与え、当該シリーズの第12巻として、新作「白樺荘事件」を予告していたものの、残念ながら、未完に終わった。

また、1990年に、東京創元社主催の長編推理小説新人賞として、「鮎川 哲也賞」が創設された。

更に、1993年から、光文社の「本格推理」の編集長として、新人作家の発掘に尽力。


2001年に、本格推理小説への多大な貢献が評価されて、鮎川 哲也は、第1回本格ミステリー大賞特別賞を受賞したが、翌年の2002年9月24日に、83歳で死去。

鮎川 哲也の没後、第6回日本ミステリー文学大賞が贈られている。


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