2025年7月31日木曜日

ロンドン ピカデリー通り(Piccadilly)

ピカデリー通り(その1)
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、は、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary)」(1922年)の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station / 現在の地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station → 2025年7月30日付ブログで紹介済))のドーヴァーストリート(Dover Street → 2025年7月28日 / 7月29日付ブログで紹介済)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然再会する。

二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。



‘Not seen you for simply centuries,’ continued the young man. ‘Where are you off to? Come and chew a bun with me. We’re getting a bit unpopular here - blocking the gangway as it were. Let’s get out of it.’

The girl assenting, they started walking down Dover Street towards Piccadilly.


ピカデリー通り(その2)
<筆者撮影>

「まるで何世紀も、きみと会わなかった気がするよ」青年は続けた。「いったいどこに行くんだい?お茶でもどう?立ち話は通行の邪魔だから、どこかに行こうよ」

若い女性のほうが賛成したので、二人はドーヴァー・ストリートをピカデリーにむけて歩きだした。

(嵯峨 静江訳)


ピカデリー通り(その3)
<筆者撮影>

日本の株式会社 早川書房から出ているクリスティー文庫47「秘密機関」における嵯峨 静江氏による訳では、「ピカデリー」と言うやや曖昧な表現になってるが、地下鉄ドーヴァーストリート駅のドーヴァーストリート出口で偶然再会した昔馴染みのトミーとタペンスの二人が向かったのは、「ピカデリー通り(Piccadilly)」だと考えられる。


ピカデリー通り(その4)
<筆者撮影>

ピカデリー通りは、ピカデリーライン(Piccadilly Line)とベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶ約1マイルの幹線道路である。


ピカデリー通り(その5)
<筆者撮影>

ピカデリー通りの北側には、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のメイフェア地区(Mayfair)が、また、ピカデリー通りの南側には、東から同区のセントジェイムズ地区(St. James’s)、そして、グリーンパーク(Green Park)が広がっている。


ピカデリー通り(その6)
<筆者撮影>

ピカデリー通り自体、中世の頃より主要な幹線道路として発展。

1611年ー1612年頃、仕立屋であるロバート・ベイカー(Rober Baker)が、周辺の土地を購入。

ロバート・ベイカーは、「Piccadilly / pickadill」と呼ばれるレース付きのえり(collar)を製造 / 販売して、これが大成功をおさめ、通り沿いに自分の住居や店舗を含む建物を建設。

これに因んで、この通りは「ピカデリー通り」と呼ばれるようになる。


ピカデリー通り(その7)
<筆者撮影>

ピカデリー通り沿いには、


(1)北側 / ル・メリディアン・ピカデリー・ホテル(Le Meridien Piccadilly Hotel → 2014年10月4日付ブログで紹介済)


夕闇に浮かぶル・メリディアン・ピカデリー・ホテル
<筆者撮影>


(2)南側 / セントジェイムズ教会(St. James’s Church → 2018年10月13日付ブログで紹介済)


ピカデリー通りの北側から見たセントジェイムズ教会
<筆者撮影>


(3)南側 / フォートナム&メイソン(Fortnum & Mason)


ピカデリー通りの北側から見たフォートナム&メイソン(その1)
<筆者撮影>

ピカデリー通りの北側から見たフォートナム&メイソン(その2)
<筆者撮影>

(4)北側 / 王立芸術院(Royal Academy of Arts)


正面奥に見える建物が、
王立芸術院が入っているバーリントンハウス(Burlington House)
<筆者撮影>

1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、
英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手の1枚


(5)南側 / ピカデリーアーケード(Piccadilly Arcade → 2016年4月10日付ブログで紹介済)


ピカデリー通りの北側から見たピカデリーアーケードの出入口
<筆者撮影>


(6)北側 / バーリントンアーケード(Burlington Arcade → 2016年5月20日付ブログで紹介済)


ピカデリー通りの南側から見たバーリントンアーケードの出入口
<筆者撮影>


(7)南側 / リッツ ロンドン(The Ritz London → 2025年7月2日 / 7月14日付ブログで紹介済)


ピカデリー通りの北側から見たリッツ ロンドン
<筆者撮影>


(8)グリーンパーク(Green Park)


グリーンパークに置かれた椅子に座り、夏を楽しむ人々
<筆者撮影>


等、数多くの観光名所が点在している。


なお、在英国日本国大使館(Embassy of Japan in the UK)も、ピカデリー通りの北側に、グリーンパークを望む場所に建っている。


2025年7月30日水曜日

ロンドン 地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)

ストラットンストリート沿いにある
地下鉄グリーンパーク駅の出入口(その1)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、は、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary)」(1922年)の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station)のドーヴァーストリート(Dover Street → 2025年7月28日 / 7月29日付ブログで紹介済)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然再会する。


ジュビリーラインのプラットフォームの壁にある
地下鉄グリーンパーク駅の表示


トミーとタペンスが再会した地下鉄ドーヴァーストリート駅とは、現在の地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)のことで、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)メイフェア地区(Mayfair)内に所在している。



ピカデリー通りの北側にある
地下鉄グリーンパーク駅の出入口

地下鉄ドーヴァーストリート駅(現地下鉄グリーンパーク駅)は、1906年12月15日に開業。開業当初は、ピカデリーライン(Piccadilly Line)が乗り入れた。

英国の建築家であるレスリー・ウィリアム・グリーン(Lesile William Green:1875年ー1908年)が設計した駅ビルがドーヴァーストリート沿いに建設されたため、地下鉄の駅は、ドーヴァーストリート駅と命名。


ピカデリー通りの南側にある
地下鉄グリーンパーク駅の出入口

ピカデリー通りの南側にある
地下鉄グリーンパーク駅の外壁

1910年代後半になると、地下鉄ドーヴァーストリート駅は、利用者の増加に対応できなくなったため、近代化が図られた。

地上とプラットフォームを結ぶリフトの代わりに、エスカレーターが導入。

また、チケットホールは、ピカデリー通り(Piccadilly - ピカデリーラインベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶ通り)の地下に新たに設置され、1933年9月18日にオープン。

チケットホールへの出入口(北側)は、ピカデリー通り側とストラットンストリート(Stratton Street - ドーヴァーストリートよりも2つ西に所在する通り)側に、また、出入口(南側)は、リッツ ロンドン(The Ritz London → 2025年7月2日 / 7月25日付ブログで紹介済)の西側に隣接するグリーンパーク(Green Park)側に設けられた。

その結果、地下鉄の名前は、「ドーヴァーストリート駅」から「グリーンパーク駅」へと改名。

これに伴い、ドーヴァーストリート沿いの駅ビルは、閉鎖の憂き目に遭う。



ストラットンストリート沿いにある
地下鉄グリーンパーク駅の出入口(その2)

地下鉄グリーンパーク駅に乗り入れる路線は、当初、ピカデリーラインだけであったが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)後、他の路線の乗り入れが図られ、1969年3月7日には、ヴィクトリアライン(Victoria Line)が、更に、1999年11月20日には、ジュビリーライン(Jubilee Line)が、地下鉄グリーンパーク駅に乗り入れるようになった。


ストラットンストリート沿いにある
地下鉄グリーンパーク駅の出入口(その3)

その結果、現在、地下鉄グリーンパーク駅には、ピカデリーライン、ヴィクトリアラインとジュビリーラインの3路線が乗り入れている。

ちなみに、ピカデリーラインの場合、地下鉄グリーンパーク駅は、地下鉄ピカデリーサーカス駅(東側)と地下鉄ハイドパークコーナー駅(西側)の間に、ヴィクトリアラインの場合、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station - 北側)と地下鉄ヴィクトリア駅(Victoria Tube Station - 南側 → 2017年7月2日付ブログで紹介済)の間に、また、ジュビリーラインの場合、地下鉄ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station - 北側)と地下鉄ウェストミンスター駅(Westminster Tube Station - 南側)の間で所在しており、非常に混雑する駅同士を結んでいる。


2025年7月29日火曜日

ロンドン ドーヴァーストリート(Dover Street)- その2

ブラウンズホテルの表玄関は、現在、
ドーヴァーストリート側ではなく、
アルベマールストリート側にある。
(住所:33 Albemarle Street, Mayfair, London W1S 4BP)
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、は、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary)」(1922年)の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station)のドーヴァーストリート(Dover Street)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然再会する。

なお、現在、ドーヴァーストリート沿いには、地下鉄の出入口は存在していない。


ビル・ブラッグ氏Mr. Bill Braggが描く
ミス・マープルシリーズの長編第10作目である
「バートラムホテルにて」の一場面


ドーヴァーストリート沿いの建物の中で、推理小説上、特に有名なものは、ブラウンズホテル(Brown's Hotel → 2015年5月10日付ブログで紹介済)である。

アガサ・クリスティーが1965年に発表したミス・マープルシリーズの長編第10作目である「バートラムホテルにて(At Bertram’s Hotel)」に出てくるバートラムホテルは、架空の場所であるが、アガサ・クリスティーがロンドンを訪れた際によく宿泊していた「ブラウンズホテル」から、本作品の着想を得たと、一般に言われている。


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

若き遺産相続人であるエルヴィラ・ブレイクが、旅行鞄を持って、

バートラムホテルのレセプションの前に佇んでいるシーンが描かれている。

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「バートラムホテルにて」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

ルームキーの形に切り取られているものが使用されている。


ただし、アガサ・クリスティーの遺族公認の伝記「アガサ・クリスティーの生涯(Agatha Christie : A biography)」を執筆したジャネット・モーガン(Janet Morgan)が、バートラムホテルのモデルになったのは、「ブラウンズホテル」ではなく、「フレミングス メイフェア ホテル(Flemings Hotel → 2015年5月17日付ブログで紹介済)」であると主張しており、現在、2説に分かれている。


フレミングス メイフェア ホテルの玄関
(住所:7 - 12 Half Moon Street, Mayfair, London W1J 7BH)
<筆者撮影>


ブラウンズホテルは、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)の執事(valet)だったジェイムズ・ブラウン(James Brown)とサラ・ブラウン(Sarah Brown)により、1837年にドーヴァーストリート側で創業された。1889年に、ブラウンズホテルは、背中を接し、アルベマールストリート(Albemarle Street → 2022年2月19日付ブログで紹介済)側にあったセントジョージホテル(St. George's Hotel)を買収し、2つのホテルを1つに統合するとともに、最上階を新たに増築の上、アルベマールストリート側を表玄関として、そして、ドーヴァーストリート側を裏玄関として改装した。



アルベマールストリートを北側から望む -
画面右手奥にブラウンズホテルの表玄関(アルベマールストリート側)がある
<筆者撮影>



ドーヴァーストリートの中間辺りを南側を見たところ -
画面右手にブラウンズホテルの裏玄関(ドーヴァーストリート側)がある
<筆者撮影>


現在のブラウンズホテルが旧ブラウンズホテルとセントジョージホテルが統合したものであることを示すモザイクが、アルベマールストリート側のホテル外壁に、左右3つずつ掛けられている。


旧ブラウンズホテルとセントジョージホテルが統合したことを示す
モザイクがホテル外壁に掛けられている。
<筆者撮影>


ブラウンズホテルには、以下の著名人が宿泊したり、利用したりしている。

(1)ナポレオン3世(Napoleon III:1808年ー1873年)

フランス第2共和制の大統領(1848年ー1852年)/フランス第2帝政の皇帝(1852年-1870年)で、第2帝政崩壊に伴い、英国へ亡命した後、1871年に元皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(Eugenie de Montijo)と一緒にブラウンズホテルに宿泊している。

(2)アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell:1847年ー1922年)

スコットランド生まれの科学者、発明家かつ工学者で、世界初の実用的電話の発明で知られているが、1876年にブラウンズホテルで英国初の電話実験に成功している。

(3)セオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:1858年ー1919年)

米国の第25代副大統領(1901年)/第26代大統領(1901年ー1909年)で、最初の夫人アリス・ハサウェイ・リーが1884年に死去した後、2番目の夫人イーディス・カーミット・カーロウと1886年に再婚する前に、ブラウンズホテルに宿泊している。また、ここで結婚式を挙げている。


上記以外にも、アガサ・クリスティーに加えて、以下の作家がブラウンズホテルを利用している。

(4)サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)


第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:
1899年10月12日ー1902年5月31日
→ 2022年8月8日付ブログで紹介済)時、
アーサー・コナン・ドイルは、
既に40歳を超えていたため、英国陸軍の兵役検査をパスできず、
従軍を諦めたが、その代わりに、戦地の南アフリカへ派遣される医療医師団に
参加することに決め、現地入りした。

(Dorling Kindersley Limited から発行されている
「The Sherlock Holmes Book」から抜粋)


(5)エイブラハム・”ブラム”・ストーカー(Abraham "Bram" Stoker:1847年ー1912年)ー「ドラキュラ(Dracula)」(1897年)等で有名。


エイブラハム・”ブラム”・ストーカーが住んでいた
セントレオナルズテラス18番地
(18 St. Leonard's Terrace → 2015年1月16日付ブログで紹介済)の全景
<筆者撮影>


セントレオナルズ18番地の外壁には、
ブラム・ストーカーがここに住んでいたことを示す
Greater London Council のブループラークが掛けられている。
<筆者撮影>


(6)ロバート・ルイス・スティーヴンスン(Robert Louis Stevenson:1850年ー1894年)ー「宝島(Treasure Island)」(1883年)と「ジキル博士とハイド氏(Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)」(1886年)等で有名。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で展示されている
ロバート・ルイス・スティーヴンスンの肖像画
(By Sir William Blake Richmond / Oil on canvas / 1887年
<筆者撮影>

ロバート・スティーヴンスンが住んでいたマウントヴァーノン通り7番地
(7 Mount Vernon → 2015年6月20日付ブログで紹介済)
<筆者撮影>


マウントヴァーノン通り7番地の外壁には、
ロバート・スティーヴンスンがここに住んでいたことを示すプレートが掛けられている。
<筆者撮影>


(7)オスカー・フィンガル・オフラハティー・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)ー「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」(1890年)や「サロメ(Salome)」(1893年)等で有名。


ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


真ん中の建物が、オスカー・ワイルドが住んでいた
タイトストリート16番地(現在の34番地)
(34 Tite Street → 2015年5月24日付ブログで紹介済)
<筆者撮影>


タイトストリート16番地(現在の34番地)の外壁には、
オスカー・ワイルドがここに住んでいたことを示す
London County Council のプラークが掛けられている。
<筆者撮影>


(8)サー・ジェイムズ・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie:1860年ー1937年)ーピーターパン(Peter Pan)シリーズ等で有名。


サー・ジェイムズ・バリーが住んでいたベイズウォーターロード100番地
(100 Bayswater Road → 2015年7月25日付ブログで紹介済)
<筆者撮影>


ベイズウォーターロード100番地の外壁には、
サー・ジェイムズ・バリーがここに住んでいたことを示す
London County Council のブループラークが掛けられている。
<筆者撮影>


(9)ジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling:1860年ー1936年)ー「ジャングルブック(The Jungle Book)」(1894年)等で有名。1907年に英国初のノーベル文学賞を受賞。


ナショナルポートレートギャラリーで展示されている
ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングの肖像画
(By Ginette Bingguely-Lejeune /
Bronze / 1936年ー1937年頃

<筆者撮影>

ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングが住んでいた
ヴィリアーズストリート43番地
(43 Villiers Street → 2018年12月8日付ブログで紹介済)
<筆者撮影>


ヴィリアーズストリート43番地の外壁には、
「ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングが、1889年から1891年にかけて、
ここに住んでいた」ことを示す
London County Council のブループラークが掛けられている。
<筆者撮影>


ブラウンズホテルは、2022年に創業185年周年を迎えている。


ブラウンズホテルの表玄関が面しているアルベマールストリートは、オックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)からピカデリー通り(Piccadilly)へ向かって南に下るニューボンドストリート /オールドボンドストリート(New Bond Street / Old Bond Street → 2017年5月21日付ブログで紹介済)の一本西側にあり、ブランドショップが軒を連ねるショッピング街に非常に近く、利便性が高い。


アルベマールストリート(ブラウンズホテルの表玄関側)とドーヴァーストリート(ブラウンズホテルの裏玄関側)は、共に南から北への一本通行で、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)方面からバークレースクエア(Berkeley Square → 2024年8月3日付ブログで紹介済)やグローヴナースクエア(Grosvenor Square → 2015年5月22日付ブログで紹介済)経由、マーブルアーチ(Marble Arch)へと至る近道に該るため、ブラウンズホテル前の通りは必ずしも閑静とは言えず、ロンドン市内の通りに詳しいタクシーや一般車が割合と頻繁に通り抜けて行っている。