2022年10月21日金曜日

セオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt)- その1

国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2010年に出版された
H・ポール・ジェファーズ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 不屈の仲間(The Stalwart Companions →
2022年10月2日 / 10月4日 / 10月17日付ブログで紹介済)」の表紙(部分)


米国ペンシルヴェニア州フェニックスヴィル出身の軍事史家 / 作家であるH・ポール・ジェファーズ(H. Paul Jeffers:1934年ー2009年)が1978年に発表した「不屈の仲間(The Stalwart Companions →2022年10月2日 / 10月4日 / 10月17日付ブログで紹介済)」において、1880年7月、若きシャーロック・ホームズとニューヨーク市警察のウィルスン・ハーグリーヴ(Wilson Hargreave)と一緒に、ニューヨークの閑静な住宅街グラマーシーパーク(Gramercy Park)の15番地で発生した殺人事件を解決した人物が、米国の軍人 / 政治家で、第25代副大統領、そして、ウィリアム・マッキンリー大統領の暗殺に伴い、第26代大統領に就任したセオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:1858年ー1919年)である。


セオドア・ルーズヴェルトは、1858年10月27日に、父セオドア・ルーズヴェルト・シニア(1831年ー1878年)と母マーサ・ブロック(1835年ー1884年)の下、裕福な家庭の長男(2番目の子供)として、ニューヨーク市の東20番街の28番地(現在のグラマーシーパークの一部)に出生した。

彼は、喘息持ちの虚弱な体質だったため、自宅で学習して、ハーバード大学(Harvard University)に入学した。


彼は、1880年6月末にハーバード大学を卒業すると、同年10月27日、ボストンでアリス・ハサウェイ・リー(Alice Hathaway Lee)と結婚。

なお、ポール・ジェファーズ作「不屈の仲間」における殺人事件は、上記の谷間で発生している。


翌年の1881年、彼は、ニューヨーク下院議員(Member of the New York State Assembly)に選任され、最年少議員(1882年ー1884年)として務めた。

ところが、1884年2月14日、母マーサを腸チフスで、そして、出産直後の妻アリスを腎臓病で、同じ日に失ったため、家を出奔し、人生をより直すべく、悲劇から立ち直るために、ノースダコタ州の牧場を旅した

1886年10月、彼は、ニューヨーク市長選に出馬しているが、残念ながら、敗北している。

同年12月2日、彼は、ロンドンでエディス・カーミット・カーロウ(Edith Kermit Carow)と再婚。


数年後、彼は東部へと戻り、ニューヨーク市警察の公安委員長(President of the New York City Board of Police Commissioners:1895年-1897年)に就いて、市警察の腐敗と戦うことになり、名声を得た。


その後、共和党に入党したセオドア・ルーズヴェルトは、


・海軍次官(Assistant Secretary of the Navy:1897年ー1898年)

・第33代ニューヨーク州知事(33rd Governor of New York:1899年1月1日ー1900年12月31日)


を務めた後、ギャレット・A・ホーバート(任期:1897年ー1899年)の後、空席(1899年ー1901年)となっていたウィリアム・マッキンリー第25代大統領(William McKinley:1843年ー1901年 任期:1897年3月4日ー1901年9月14日)の第25代副大統領(1901年3月4日ー1901年9月14日)に選任された。


そして、1901年9月14日に、ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺されたことに伴い、セオドア・ルーズヴェルトは、42歳という若さで、第26代大統領(1901年9月14日ー1909年3月4日)に就任した。米国史上最年少の大統領の誕生であった。 

0 件のコメント:

コメントを投稿