2022年10月15日土曜日

オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」<映画版>(The Picture of Dorian Gray by Oscar Wilde

英国で発売されている
映画「ドリアン・グレイ」のDVD版の表紙 -
ベン・バーンズが演じるドリアン・グレイが、画面中央に置かれている。

英国の作家であるオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)が、「リピンコット・マンスリー・マガジン(Lippincott’s Monthly Magazine)」の1890年7月号に発表した後、1891年に刊行された唯一の長編小説「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray → 2022年9月18日 / 10月8日付ブログで紹介済)」の映画版が、


・「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Grey)」(1945年 / 制作:米国)

・「ドリアン・グレイ / 美しき肖像(The Secret of Dorian Gray)」)1970年 / 制作:英国)


に続いて、オリヴァー・パーカー(Oliver Parker)監督による「ドリアン・グレイ(Dorian Gray)」(2009年 / 制作:英国)が公開されている。

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


本映画版の主要な配役は、以下の通り。


(1)ドリアン・グレイ(Dorian Gray): ベン・バーンズ(Ben Barnes:1981年ー)

(2)ヘンリー・ウォットン卿(Lord Henry Wotton): コリン・ファース(Colin Firth:1960年ー)

(3)バジル・ホールウォード(Basil Hallward): ベン・チャップリン(Ben Chaplin:1970年ー)

(4)エミリー・ウォットン(Emily Wotton): レベッカ・ホール(Rebecca Hall:1982年ー)

(5)アラン・キャンベル(Alan Campbell): ダグラス・ヘンシャル(Douglas Henshall:1965年ー)

(6)シヴィル・ヴェイン(Sibyl Vane): レイチェル・ハード=ウッド(Rachel Hurd-Wood:1990年ー)

(7)アガサ(Agatha): フィオナ・ショウ(Fiona Shaw:1958年ー)

(8)レディー・ヴィクトリア・ウォットン(Lady Victoria Wotton): エミリア・フォックス(Emilia Fox:1974年ー)


英国で発売されている
映画「ドリアン・グレイ」のDVD版の裏表紙 -
画面上部の左側の人物は、コリン・ファースが演じるヘンリー・ウォットン卿で、
その右側の人物は、レイチェル・ハード=ウッドが演じるシヴィル・ヴェイン


オスカー・ワイルドによる原作に比べると、映画版では、ヘンリー・ウォットン卿の娘として、エミリー・ウォットンが新たに設定されている。原作では、ドリアン・グレイに婚約を破棄された上、捨てられた舞台女優のシヴィル・ヴェインが自殺した後、彼が惹かれたシヴィル・ヴェインによく似たヘティー(Hetty)が居るが、映画版では、エミリー・ウォットンが、へティーの代わりとなっていると思われる。

また、映画版では、ドリアン・グレイのお人好しな伯母として、アガサが新たに設定されている。原作では、ドリアン・グレイは、レディー・ブランドン(Lady Brandon)から、画家のバジル・ホールウォードを紹介されるが、映画版では、伯母のアガサが、ドリアン・グレイに、バジル・ホールウォードを紹介する。


原作には全くない部分ですが、映画版は、亡き祖父の遺産である屋敷を相続するために、ドリアン・グレイが、地方からロンドンへとやって来る場面から、始まる。つまり、ドリアン・グレイは、ロンドン到着時、正に右も左も判らない純真無垢な美青年であるという設定で、ここが、オスカー・ワイルドの原作とは、大きく異なる。


そして、伯母のアガサから紹介された画家のバジル・ホールウォードを介して、ドリアン・グレイは、ヘンリー・ウォットン卿と知り合う。原作では、ヘンリー・ウォットン卿は、粋で退廃的な人物であったが、映画版では、風采の上がらない皮肉屋の不良貴族という設定で、自らが置かれた状況に対して、ささやかに反抗するように、自分の意のままに操れる純真無垢なドリアン・グレイに対して、享楽的な生き方を啓蒙して、悪行の数々を実践させていく。ヘンリー・ウォットン卿の言葉に感化されたドリアン・グレイは、愛するシヴィル・ヴェインを捨てて、麻薬を嗜み、娼窟へと足を踏み入れ、欲望と快楽の世界へと突き進んで行く。それとともに、バジル・ホールウォードが描いた肖像画の中のドリアン・グレイは、醜悪な姿となっていくのである。


一般の観客には、上記のような筋立てにした方が、物語を理解しやすいのかもしれないが、オスカー・ワイルドの原作が体現している「若さと美しさを純粋に保ちたいが故に、次第に人としての道を踏み外していく」という当時の退廃的な生き方という観念が、映画版では、うまく表現しきれておらず、ドリアン・グレイが、あまりにも生々しいというか、直接的な道の踏み外しの生き方を送っているに過ぎないため、正直ベース、高評価はできない。

原作では、ドリアン・グレイは、確かに、ヘンリー・ウォットン卿の言葉に感化されるものの、自分の意思で、自分の若さと美しさを維持するべく、人としての道を踏み外していく。一方、映画版では、ドリアン・グレイは、自分お置かれた状況に対して大きな不満を感じているヘンリー・ウォットン卿によって、その腹いせのように、操られ、人としての道を踏み外していく訳で、原作が有する概念を体現できていないと言える。

特に、原作に比べると、映画版のヘンリー・ウォットン卿は、上っ面ばかりを気にする無責任な人物に仕立てあげられていている。この非常に小さな人物像は、原作とは、大きく乖離していて、とても残念である。


映画版の見所としては、地方から出て来たばかりの純粋無垢な美青年であるドリアン・グレイが、数々の悪行を経て、美貌の青年紳士へと変貌していく映像美に尽きると思う。


なお、本映画の場合、日本において、劇場公開はされていないが、 DVD版は発売されている。


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