2022年10月20日木曜日

グレアム・ムーア作「シャーロック・ホームズ殺人事件」(The Holmes Affairs by Graham Moore)- その2

Arrow Books から2011年に出版されている
グレアム・ムーア作「シャーロック・ホームズ殺人事件」の裏表紙
(Cover image : Arcangel Images)


時代が現代へと移った2010年1月の初め、シャーロック・ホームズの研究を行う世界的な団体「ベーカーストリート不正規隊(The Baker Street Irregulars)」の総会が、ホームズの誕生日と言われている1月6日を挟む4日間、ニューヨークにおいて開催されていた。ロサンゼルスに住む29歳のハロルド・ホワイト(Harold White)も、ホームズの熱狂的なファンで、この総会に出席していた。


1月5日の夜、44番街(Forty-fourth Street)沿いに建つアルゴンクィンホテル(Algonquin Hotel)のロビーにおいて、ハロルド・ホワイトは、友人のジェフリー・エンゲルス(Jeffrey Engels)に再会する。彼らのホームズ談議は尽きることがなく、最後には、行方不明になっているサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の日記帳の話に行き着いた。


コナン・ドイルは、生涯、自分の行動を日記帳に全て記録していたのだが、彼が亡くなった際、彼の妻と子供達が調べたところ、1900年10月11日から同年12月23日までのことを記した日記帳1冊だけが、どこを探しても、見つからなかった。コナン・ドイルが、生前、何らかの理由で、この日記帳を隠したか、あるいは、処分したのだろうか?

今や、世界中のシャーロキアン達が、血眼になって、この日記帳を探していた。シャーロキアン達にとって、この日記帳は「聖杯(Holy Grail)」に匹敵し、サザビーズ(Sotheby’s)のオークションに出品された場合、1千万ドルの値がつくのではないかと言われていた。


そんな最中、総会の3ヶ月前に、「ベーカーストリート不正規隊」の有名人であるアレックス・ケール(Alex Cale)から会員全員に対して、「自分がその日記帳を保有している。今度の総会において、自分が日記帳の詳細な内容を明らかにする。」という連絡が、Eメールで届いたのである。このEメールが会員全員を非常に驚かせたが、それ以降、彼はEメール、電話や手紙等、全ての連絡を断ってしまい、そのまま総会の日を迎えた。

ちょうどその時、アレックス・ケールがチェックインしているのを見かけたハロルド・ホワイトとジェフリー・エンゲルスの二人は、彼に対して、「秘密の一端だけでも、今教えてほしい。」と頼み込んだが、「コナン・ドイルの日記帳に書かれていることを本当に知りたいか?明日になれば、全て判る。」と二人に告げると、彼はエレベーターの中に姿を消した。


翌日、アレックス・ケールが講演を行う会場は、数百人もの会員で一杯だった。

ところが、彼はなかなか姿を現さなかった。ある会員の説明によると、「彼の部屋に電話したが、受話器が外されているようだ。彼の行方が判らない。」とのことだった。

依然として姿を見せないアレックス・ケールのことが心配になったハロルド・ホワイトは、ジェフリー・エンゲルスと会場で知り合った記者のサラ・リンゼイ(Sarah Lindsay)と一緒に、ホテルのマネージャーに頼んで、アレックス・ケールの部屋の中へ入った。彼の部屋の中は、衣装棚の引き出しが散乱する等、荒らされた状態だった。更に、彼らが寝室へ入ってみると、床の上にアレックス・ケールの遺体を発見したのである。


アレックス・ケールが持っていたコナン・ドイルの日記帳は、どうなったのか?彼の死は、その日記帳と何か関係しているのか?


時間を超えて、ロンドンのイーストエンド(East End)におけるコナン・ドイルと友人のブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)による若い女性の連続殺人事件の捜査と、ニューヨークのホテルでのアレックス・ケールの死が、深く交錯するのであった。


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