2022年10月9日日曜日

コナン・ドイル作「赤毛組合」<小説版>(The Red-Headed League by Conan Doyle ) - その2

英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その3) -
1890年の秋、相談のために、
ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れた
赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスンは、
ホームズとジョン・H・ワトスンに対して、
赤毛の男性を募集する広告が掲載された
1890年4月27日付「モーニングクロニクル」紙を見せる。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)

1890年の秋、ジョン・H・ワトスンがベーカーストリート221B(221B Baker Street)のシャーロック・ホームズの元を訪れると、彼は燃えるような赤毛の初老の男性ジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)から相談を受けている最中であった。

ジェイベス・ウィルスンは、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)近くにあるザクセンーコーブルクスクエア(Saxe-Coburg Square → 2016年1月1日付ブログで紹介済)において質屋(pawnbroker)を営んでおり、非常に奇妙な体験をしたと言うので、ホームズとワトスンの二人は彼から詳しい事情を聞くことになった。


ジェイベズ・ウィルスンは、赤毛の男性を募集する広告が掲載された「モーニング・クロニクル(Morning Chronicle)」紙の切り抜き(1890年4月27日付)を持参していた。


ジェイベズ・ウィルスンは、現在、ヴィンセント・スポールディング(Vincent Spaulding)と言う若い男性を質屋の店員として雇っている。実際のところ、数名の候補者が居たものの、ヴィンセント・スポールディングが「通常の給料の半額で構わない。」と言ったため、それが彼を採用する根拠となった。通常の給料の半額にもかかわらず、彼は、気が効く上に、よく働くのだが、一つだけ欠点があった。それは、彼は、写真が趣味で、撮影した写真を現像するために、暗室代わりに使っている質屋の地下室へ頻繁に潜り込むことだった。しかし、ヴィンセント・スポールディングは、店員として非常に優秀なことに加えて、通常の半額の給料で済んでいるので、ジェイベズ・ウィルスンとしては、それ程問題視していなかった。


8週間前、そのヴィンセント・スポールディングが、ジェイベズ・ウィルスンに対して、問題の新聞広告を見せたのである。その新聞広告は、「赤毛組合(The Red-Headed League)」に欠員が生じたため、組合員を1名新規募集するという内容だった。「赤毛組合」とは、米国ペンシルヴェニア州に住む赤毛の男性(百万長者)が、自分の遺産を、自分と同じ赤毛の人達に分配する目的で創立した団体、とのこと。ロンドンに住む健康な赤毛の成人男性であれば、誰でも「赤毛組合」の組合員に応募することが可能で、採用された場合、簡単な仕事をするだけで、高額の給料(週4ポンド)が得られるらしい。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年8月号に掲載された挿絵(その4) -
ヴィンセント・スポールディングに付き添われて、
フリートストリートにある「赤毛組合」の事務所を訪れた
ジェイベス・ウィルスンは、
同じく赤毛のダンカン・ロスとの面接を受け、
「赤毛組合」の新たな組合員として採用された。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット(1860年 - 1908年)


ヴィンセント・スポールディングから、「赤毛組合」への応募を勧められたジェイベス・ウィルスンは、彼に伴われて、指定された日時に、フリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)の「Pope’s Court 7号室」にある「赤毛組合」の事務所を訪れた。

すると、そこには、組合員に応募する赤毛の男性が大勢集まっていたが、不思議なことに、彼らは皆、審査で不合格になり、次々と帰らされていた。更に、驚くことに、ジェイベス・ウィルスンの順番が来ると、応募者の審査を行っていた赤毛の小男ダンカン・ロス(Duncan Ross)は、、ジェイベス・ウィルスンのことをひと目で気に入り、彼を「赤毛組合」の新たな組合員として採用されたのである。


ダンカン・ロスから説明を受けた「赤毛組合」の組合員の仕事とは、毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、事務所内で「大英百科事典(Encyclopedia Britannica)」を書写するというものだった。何故なのか判らないが、この4時間の間、どんな事情があっても、ジェイベス・ウィルスンは、絶対に事務所の外へ出ることを禁じられており、「仮にこれに違反した場合、彼は組合員の地位を失うことになる。」と、ダンカン・ロスから厳しく言い渡された。

幸いなことに、彼の質屋の場合、夕方は忙しいものの、昼間は来客があまりないので、ジェイベス・ウィルスンとしては、大きな問題ではなかった。そこで、ジェイベス・ウィルスンは、「赤毛組合」の組合員として採用された翌日から、ヴィンセント・スポールディングに昼間の店番を任せると、昼食持参で「赤毛組合」の事務所へと出かけ、ダンカン・ロスから指示された通り、毎日午前10時から午後2時までの4時間の間、事務所内において一人きりで一人きりの事務所で「大英百科事典」を書写する仕事を続けた

最初のうち、ダンカン・ロスは、午前10時(ジェイベス・ウィルスンが仕事を始めるのを確認)と午後2時(ジェイベス・ウィルスンが仕事を終えたのを確認)の2回、そして、上記の4時間の間、時々、ジェイベス・ウィルスンの進捗具合を確認するために、事務所にやって来ていたが、やがて、彼が事務所に来るのは、午前10時のみとなり、そのうち、全く姿を見せないようになってしまった。それでも、土曜日には、給料の4ポンドが、ダンカン・ロスからジェイベス・ウィルスンに対してキチンと支払われたので、ジェイベス・ウィルスンとしては、何の不満もなかった。


こうして、8週間が順調に過ぎて行ったが、1890年10月9日の朝、ジェイベス・ウィルスンが、いつも通り、「赤毛組合」の事務所にやって来ると、入口のドアには鍵が掛かっている上に、ドアには貼り紙があり、そこには、「1890年10月9日 赤毛組合は解散した。(The Red-Headed League is Dissolved 9 October 1890)」と書かれていたのである。


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