2023年1月15日日曜日

シャーロック・ホームズの世界<ジグソーパズル>(The World of Sherlock Holmes )- その9

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. から出ている「シャーロック・ホームズの世界(The World of Sherlock Holmes)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているシャーロック・ホームズシリーズに登場する人物や物語の舞台となる建物、また、作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)本人と彼に関連する人物等、50個にわたる手掛かりについて、引き続き、順番に紹介していきたい。

なお、本ジグソーパズル内に描かれているロンドンの建物に関して言うと、実際の位置関係とは大きく異なっているので、誤解がないようにお願いしたい。


舞台は、前回に続き、ロンドン、それも、ロンドン特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)である。


(39)ジェローム・クラップ・ジェローム(Jerome Klapka Jerome)


大英博物館(British Museum)の前に立つ人物が、
ユーモア旅行小説「ボートの三人男」等で有名な
英国の作家であるジェローム・クラップ・ジェローム


ジェローム・クラップ・ジェローム(1859年ー1927年)は、コナン・ドイルの友人である英国の作家である。


ジェローム・K・ジェロームは、1859年に、信徒伝道者である父親ジェローム・クラップ(Jerome Clapp)と母親マーガリート・ジョーンズ(Marguerite Jones)の4番目の子供として、ウェストミッドランズ(West Midlands - 当時は、スタッフォード州(Staffordshire))のウォルソール(Walsall)に出生。彼の上には、兄(幼くして死去)が1人と姉が2人。彼は、父親の改名に従い、ジェローム・クラップ・ジェロームと命名された。


ジェローム・K・ジェロームの父親が地方鉱工業への投資に失敗したため、一家は貧窮して、彼は貧窮の中で育った。

彼は、政治か、あるいは、文学の道へ進むことを望んでいたが、彼が13歳の時に、父親が、更に、15歳の時に、母親が亡くなったため、学校を辞めて、働かざるを得なくなり、ロンドン&ノースウェスタン鉄道に職を得た。


1877年、姉の演劇熱の影響を受けて、ジェローム・K・ジェロームは、役者を志して、ある移動劇団に加わった。それから3年間、彼は役者を続けたものの、うだつの上がらず、次は、ジャーナリストになるべく、随筆、風刺文や短編小説を書いたが、不採用の日々が続いた。その後、彼は、教師、梱包業者や事務弁護士の秘書等の職を転々とした。


最終的に、ジェローム・K・ジェロームは、1885年に「On the Stage - and Off」を発表して、作家としての道を切り開き、翌年の1886年には、ユーモア随筆集の「Idle Thought of an Idle Fellow」を刊行した。

1888年6月に、ジェローム・K・ジェロームは、離婚歴があり、娘が1人居るジョージーナ・エリザベス・ヘンリエッタ・スタンリー・マリス(Georgina Elizabeth Henrietta Stanley Marris)と結婚。

ジェローム・K・ジェロームは、テムズ河(Thames River)で過ごした新婚旅行をベースにして、ユーモア旅行小説「ボートの三人男(Three Men in a Boat)」を執筆し始め、登場人物としては、彼の妻の代わりに、彼の親友二人を使った。1889年に出版された「ボートの三人男」は、直ぐに大当たりをとり、その後、映画、テレビドラマ、ラジオドラマ、舞台劇やミュージカルとして採用されたのである。


経済的な安定を得たジェローム・K・ジェロームは、その後も、戯曲、随筆や小説を書き続けたものの、残念ながら、「ボートの三人男」の成功を超えることはできなかった。

1898年に、彼は、ドイツでの滞在経験をベースにして、「ボートの三人男」の続編に該る「Three Men on the Bummel」を執筆し、「ボートの三人男」と同じ登場人物で、外国での自転車旅行をテーマにしたが、あまり大きな成功とはならず、これらのことが、彼の気分を滅入らせた。


第一次世界大戦(1914年ー1918年)が勃発すると、56歳だったジェローム・K・ジェロームは、英国陸軍へ入隊しようとしたが、年齢を理由に拒否されたため、フランス陸軍の救急車運転手に志願した。ただ、この戦争体験と義理の娘の死去(1921年)が、彼を更に滅入らせることになった。


1926年に自伝「My Life and Times」を出版したジェローム・K・ジェロームは、1927年6月に、デヴォン州(Devon)からロンドン までの自動車旅行に出発したが、途中で麻痺的な発作と脳出血に襲われて、2週間後に死去したのである。


(40)ジョセフ・ベル博士(Dr. Joseph Bell)


郵便ポストの前に立つ人物が、
コナン・ドイルがシャーロック・ホームズのモデルとしたことで有名な
スコットランドの医師であるジョセフ・ベル博士


ジョセフ・ベル博士(1837年ー1911年)は、スコットランドの医師で、シャーロック・ホームズのモデルとなった人物として知られている。


ジョセフ・ベルは、1837年に、医師である父親ベンジャミン・ベル(Benjamin Bell:1810年ー1883年)と母親セシリア・バーバラ・クレイギの下に出生。

ジョセフ・ベルは、エディンバラ大学(University of Edinburgh)医学部において医学を学び、1859年に学位(Doctor of Medical Science)を取得し、エディンバラ王立病院(Royal Infirmary of Edinburgh)の専属外科医となる。

ジョセフ・ベルは、エディンバラ王立外科医師会会員で、治安判事や副知事も務めて、1887年にはエディンバラ王立外科医師会会長に選出される。


Dorling Kindersley Limited が発行する「The Sherlock Holmes Book」からの抜粋 -
ジョセフ・ベル博士の写真


ホームズシリーズの作者であるコナン・ドイルは、1877年にジョセフ・ベルに出会い、エディンバラ王立病院において、彼の下で働いたことがあり、後に「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」を執筆する際、ホームズの人物像として、ジョセフ・ベルと彼の観察手法等を手本としたのである。ジョセフ・ベルは、自分がホームズのモデルになったことに気付いており、それを誇りに思っていた、とのこと。

ジョセフ・ベルは、1911年10月4日に亡くなり、エディンバラの墓地で永遠の眠りについている。


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