2023年1月13日金曜日

シャーロック・ホームズの世界<ジグソーパズル>(The World of Sherlock Holmes )- その8

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. から出ている「シャーロック・ホームズの世界(The World of Sherlock Holmes)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているシャーロック・ホームズシリーズに登場する人物や物語の舞台となる建物、また、作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)本人と彼に関連する人物等、50個にわたる手掛かりについて、引き続き、順番に紹介していきたい。

なお、本ジグソーパズル内に描かれているロンドンの建物に関して言うと、実際の位置関係とは大きく異なっているので、誤解がないようにお願いしたい。


舞台は、英国の南西部デヴォン州(Devon)内に所在するダートムーア(Dartmoor)からロンドン、それも、ロンドン特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)へと移る。


ホームズシリーズにおいて、カムデン区は、短編「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」と短編「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」の舞台となっている。



チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」等と訳しているケースあり)」は、ホームズシリーズの短編小説56作のうち、31番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1904年4月号に、また、米国では、米国では、「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1904年3月26日号に掲載された。

また、同作品は、1905年に発行されたホームズシリーズの第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還(The  Return of Sherlock Holmes)」に収録された。


(35)チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン


中央の屋敷の右側に立つ人物が、
チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン。


チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン本人は「代理業(Agent)」と自称しているが、実際には、シャーロック・ホームズ曰く、「ロンドン一の恐喝王」である。

挿絵画家であるシドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年ー1908年)が描く

チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン
(「ストランドマガジン」1904年4月号の
「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」より)

チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートンは、カムデン区内のハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)にあるアップルドアタワーズ(Appledore Towers:架空の場所 → 2015年4月12日付ブログで紹介済)という屋敷に住んでいる。


ハムステッド地区内にあるミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅 -
家の前に私設車道はないが、広い庭があり、一番それらしい。


結婚を控えたある令嬢から依頼を受けたホームズは、彼女が田舎の貧乏貴族宛に以前送った手紙を取り返すべく、ベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日付ブログで紹介済)チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートンと直接交渉するものの、全く埒が明かないため、相棒のジョン・H・ワトスンを伴って、夜闇に紛れてミルヴァートンの屋敷に忍び込み、恐喝のネタとなっている手紙を盗み出そうとする。そして、ミルヴァートンの屋敷内で発生したある突発事件を契機に、ホームズとワトスンは、屋敷を逃げ出した後、ハムステッドヒース(Hampstead Heath → 2015年4月25日付ブログで紹介済)を疾走するのである。


ハムステッドヒース(その1)

ハムステッドヒース(その2)


青いガーネット(出版社によっては、「青い紅玉」や「青い柘榴石」等と訳しているケースあり)」は、ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン」の1892年1月号に掲載された。

また、同作品は、1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The  Adventures of Sherlock Holmes)」に収録された。


(36)ヘンリー・ベイカー(Henry Baker)


画面中央のガチョウを抱えている人物が、
ヘンリー・ベイカー。


クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースン(Peterson)が、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)とグッジストリート(Goodge Street)の角で発生した喧嘩の現場(→2014年12月27日付ブログで紹介済)に残された帽子とガチョウを、ベーカーストリート221Bのホームズの元に届けて来た。ホームズに言われて、ピータースンは拾ったガチョウを持って帰ったが、その餌袋の中から、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、懸賞金がかかっている「青いガーネット」が出てきたのだ。ホームズは早速新聞に広告を載せて、ガチョウの落とし主を捜したところ、ヘンリー・ベイカーが名乗り出て来たのである。


挿絵画家であるシドニー・パジェットが描く
シャーロック・ホームズ(画面左側)、ジョン・H・ワトスン(画面中央)と
ヘンリー・ベイカー(画面右側)。
(「ストランドマガジン」1892年1月号の「青いガーネット」より)


ベーカーストリート221Bにやって来たヘンリー・ベイカーに対して、ホームズが「どこで、あのガチョウを手に入れたのか?」と尋ねると、ヘンリー・ベイカーは、次のように答えた。


「もちろん、かまいませんよ。」と、ベイカー氏は立ち上がって、新しく受け取ったガチョウを脇の下に抱えて言った。「大英博物館の近くにあるアルファインへ、仲間達とよく飲みに行くんです。私達は昼間大英博物館で過ごしています。アルファインのウィンディゲートという気のいい主人が今年ガチョウクラブを始めました。それは、毎週数ペンスずつ積み立てていくと、各人クリスマスにガチョウを一羽ずつ受け取れるという仕組みです。私はきちんとお金を積み立てて、後はあなたも御存知の通りです。本当に有り難うございました。ベレー帽は、私の年齢にも、私の真面目な性格にも会わなかったようです。」今日に大げさな態度で、ベイカー氏は私達に向かい、真面目くさって御辞儀をすると、大股で歩き去ったのである。


(37)大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済


画面中央に建つ建物が、大英博物館。


ガチョウの落とし主として名乗り出たヘンリー・ベイカーが毎日通っている大英博物館の建設構想は、ハンス・スローン卿(1660年~1753年)の収集品まで遡る。医師で、博物学者でもあった彼は、1753年に亡くなる際の遺言で、彼が収集した約8万点に及ぶ美術品、植物標本、蔵書や写本等を英国王ジョージ2世に献上し、国への遺贈を希望した。その際、英国議会は、今で言うところの「宝くじ(Lottery)」を発行し、その収益金でスローン卿の収集品を買い上げて、保存・公開するための博物館の建設を目指した。

カンタベリー大司教を長とする理事会は、17世紀後期の館であるモンタギューハウスを購入。モンタギュー侯爵と親しかったフランス国王ルイ14世の好意により、一流の彫刻家で、かつ建築家であったピエール・ピュジェが設計を、そして、フランスのベルサイユ宮殿を手がけた画家達が内装を担当したそうである。


大英博物館の前景


そうして、大英博物館は1759年1月15日に開館し、膨大なコレクションが一般公開された。ただし、開館当時、入館は無料だったものの、入館希望者は願書を提出の上、厳しい審査を受けるというかなり面倒な手続があったため、1日あたりの入館者は10人程度だったと言われている。ちなみに、大英博物館の収蔵作品数は現在約800万点に及び、入館者数は年間で600万人を超えるまでになっているとのこと。


(38)アルファイン(Alpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済


画面中央に建つ建物が、パブ「アルファイン」。


ヘンリー・ベイカーの話を聞いたホームズとワトスンが訪れたブルームズベリー地区(Bloomsbury)にあるアルファインというパブは架空の酒場で、残念ながら、実在していない。ただし、大英博物館(British Museum)の正面入口近くにある「ミュージアム・タバーン(Museum Tavern)」というパブがアルファインのモデルだったのではないかと一般に言われている。

「ミュージアム・タバーン」は、大英博物館の前を通るグレートラッセルストリート(Great Russell Street)と、ハイホルボーン通り(High Holborn)から北上してくるミュージアムストリート(Museum Street)が交差した角に建つパブである。具体的な住所は、「49 Great Russell Street, Bloomsbury, London WC1B 3BA」となっている。


ミュージアムストリート(Museum Street)越しに見た「ミュージアム・タバーン」


「ミュージアム・タバーン」は、18世紀初期からここで既に営業していて、大英博物館がオープンするまでは「The Dog & Duck」と呼ばれていたが、1759年に大英博物館がオープンしたのに伴い、現在の名前に変更された。

ホームズシリーズの作者であるコナン・ドイルもこのパブの常連であったことが知られており、そのことから、彼がこの「ミュージアム・タバーン」をアルファインのモデルにしたものと考えられている。実際、コナン・ドイルの原作上、アルファインの場所に言及した部分があるが、「ミュージアム・タバーン」の位置は、彼の原作にうまくマッチしている。


0 件のコメント:

コメントを投稿