2025年8月24日日曜日

コナン・ドイル作「技師の親指」<小説版>(The Engineer’s Thumb by Conan Doyle )- その2

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年3月号に掲載された挿絵(その2)-
ジョン・H・ワトスンと一緒に、ベイカーストリート221B に
事件の相談に訪れた水力技師のヴィクター・ハザリーのために、
シャーロック・ホームズは、ブランデーの水割りが入ったグラスを、
彼の手が届く場所に置いた。
画面左側の人物が、ヴィクター・ハザリーで、
画面右側の人物が、シャーロック・ホームズ。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、9番目に発表した作品で、英国の「ストランドマガジン」の1892年3月号に掲載された「技師の親指(The Eingeer's Thumb)」の場合、1889年の夏の午前7時前、水力工学技師(hydraulic engineer)のヴィクター・ハザリーが手を負傷して、「四つの署名(The Sign of the Four → 2017年8月2日付ブログで紹介済)」事件で知り合ったメアリー・モースタン(Mary Morstan)と結婚し、パディントン駅(Paddington Station → 2014年8月3日付ブログで紹介済)の近くに開業していたジョン・H・ワトスンの医院へ連れて来られるところから、物語が始まる。


通常は、事件の依頼人がベイカーストリート221B(のシャーロック・ホームズの元を相談に訪れるところから話が始まるが、今回は一風変わった展開となっている。

実際、物語の冒頭において、「私達の親交は長きにわたっているが、その間、友人シャーロック・ホームズが解決を依頼された事件のうち、私自身が仲介役となって持ち込んだ事件は、わずか2件だけで、それらは、ハザリー氏の親指事件とウォーバートン大佐の狂乱事件である。(Of all the problems which have been submitted to my friend, Mr Sherlock Holmes, for solution during the years of our intimacy, there were only two which I was the means of introducing to his notice - that of Mr Hatherley’s thumb and that of Colonel Warburton’s madness.)」と、ワトスンは述べている。


メイドに起こされたワトスンが診察室に入ると、25歳を超えていないくらいの若さで、たくましい男性的な顔つきをした一人の紳士がテーブルの側に座っていた。彼は片手にハンカチを巻いており、そのハンカチ全体に血が滲んでいた。更に、彼の顔色は真っ青で、何か強い精神的な動揺を受けたのを、気力を振り絞って耐えているかのようだった。

彼は、ワトスンに対して、朝早くに起こしたことを謝罪した後、「昨夜、酷い災難に遭ったのです。今朝、列車でパディントン駅に着き、どこかにお医者さんは居ないかとそこで尋ねたところ、親切な方が私をここまで連れて来てくれました。私は女中さんに名刺を渡したのですが、彼女はサイドテーブルの上に置き忘れて行ったようですね。」と告げる。ワトスンがその名刺を手に取ってみると、そこには、「ヴィクター・ハザリー、水力工学技師(hydraulic engineer)、ヴィクトリアストリート16A番地(4階)」と書かれていた。


ヴィクター・ハザリーは、手に巻いていた血が滲んだハンカチをを外すと、ワトスンの方へ手を差し出した。4本の指が差し出されたが、親指がある筈の場所が、恐ろしい赤色の海綿状となっており、仕事柄慣れてるワトスンでも、背筋がぞーっとした。

ワトスンが、根元から断ち切られたか、引き千切られた親指があった筈の場所について尋ねると、ヴィクター・ハザリーからは、「大きな肉切り包丁のようなものでやられました。危うく殺されるところでした。(A thing of like a cleaver. Very murderous indeed.)」と言う答えが返ってきたのである。


ワトスンが手の治療を終えると、ヴィクター・ハザリーは、「警察へ行って、話をする必要があるが、非常に突拍子もない話なので、犯人を捕まえることができるかどうか、疑わしい。」と告げたため、ワトスンは、ヴィクター・ハザリーに対して、ホームズへ相談するよう、強く勧めた。

そして、妻(メアリー・モースタン)に事情を簡単に説明すると、ワトスンは、使用人が呼んだ辻馬車で、ヴィクター・ハザリーと一緒に、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)へと向かった。


運が良いことに、ホームズは、まだ朝食前だった。ホームズ、ワトスンとヴィクター・ハザリーの3人で一緒に朝食をとった後、ホームズがヴィクター・ハザリーをソファーに座らせると、彼の頭の後ろに枕をあて、ブランデーの水割りが入ったグラスを彼の手が届くところに置いた。(When it was concluded he settled our new acquaintance upon the sofa, placed a pillow beneath his head and laid a glass of brandy and water within his reach.)


ワトスンの治療を受け、そして、朝食を食べて落ち着いたヴィクター・ハザリーは、ホームズとワトスンの2人に対して、彼が体験した奇妙な出来事について、話し始める。


ヴィクター・ハザリーは、他に身寄りがない独身で、ロンドンの下宿で一人暮らしをしていた。

彼の職業は水力工学技師で、グリニッジ(Greenwich)にある有名なヴェナー&マジソン社(Venner & Matheson)において、7年間、見習いを務めた。

見習い期間を終えた2年前、亡くなった父親から相続した相応の金額を使って、起業することを決め、ヴィクトリアストリート(Victoria Street)の一室で開業。

開業はしたものの、2年間のうち、収入につながった仕事は、相談が3件と小さな仕事が1件だけで、総収入は、僅かに27ポンド10シリングだった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年3月号に掲載された挿絵(その3) -
仕事が全く鳴かず飛ばずの状態だった
水力技師のヴィクター・ハザリーの元へ、
昨日、ライサンダー・スターク大佐と名乗る人物が、
突然、仕事の依頼のために現れたのである。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


ヴィクター・ハザリーは、毎日、朝の9時から夕方の4時まで、事務所で仕事を待ち続けたが、新たな仕事が到来する兆しは全くなかった。

ところが、昨日、彼が帰宅しようとしていたところ、事務員が来客を告げた。その事務員が持って来た名刺には、「ライサンダー・スターク大佐(Colonel Lysander Stark)」と書かれていたのである。


0 件のコメント:

コメントを投稿