2025年8月12日火曜日

ジョン・ディクスン・カー作「囁く影」(He Who Whispers by John Dickson Carr)- その4

大英図書館(British Library
→ 2014年5月31日付ブログで紹介済)から
2023年に出版された
ジョン・ディクスン・カー作「囁く影」の内扉


1945年6月1日(金)の夜、ソーホー地区(Soho)内のベルトリングレストラン(Beltring’s Restaurant)において開催される予定だった「殺人クラブ(Murder Club)」の晩餐会に講演者として呼ばれてたジョルジュ・アントワーヌ・リゴー教授(Professor Georges Antoine Rigaud - エディンバラ大学(Edinburgh University)のフランス文学(French Literature)の教授)は、歴史学者であるマイルズ・ハモンド(Miles Hammond - 35歳)とフリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)にある新聞社の記者であるバーバラ・モレル(Barbara Morell - 26歳):フリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)の2人に対して、約6年前の1939年8月12日に、フランスのシャルトル(Chartres - パリから60㎞ 程南方に位置)郊外で実際に起きた「塔の上の殺人事件」と言う不可思議な話を語り終えた。

ウール川(River Eure)を間に挟んで、ボールガー荘(Beauregard)の向こう側に残る古城の廃墟の一部である「ヘンリー4世の塔(la Tour d’Henri Quarte / the tower of Henry the Fourth)」と呼ばれる古い塔の上で、仕込み杖の剣で刺されて殺されたハワード・ブルック(Howard Brooke - 皮革製造業(leather manufacture)のペルティエ社(Pelletier et Cie.)を営む英国人の大富豪 / 50歳)の息子であるハリー・ブルック(Harry Brooke - 20台半ば)は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)に出兵して、戦死した模様。


マイルズ・ハモンドとバーバラ・モレルの2人は、ベルトリングレストランを一緒に出ると、タクシーに相乗りする。

セントジョンズウッド地区(St. John’s Wood → 2014年8月7日付ブログで紹介済)へ帰宅するバーバラ・モレルを地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)で降ろすと、マイルズ・ハモンドは、宿泊先のバークリーホテル(Berkeley Hotel)に戻る。


セントジョンズウッド ロード(St. John's Wood Road)沿いにあるフラット


マイルズ・ハモンドは、第二次世界大戦中に、叔父のサー・チャールズ・ハモンド(Sir Charles Hammond)がデヴォン州(Devon)のホテルにおいて亡くなったため、妹のマリオン・ハモンド(Marion Hammond)と一緒に、ハンプシャー州(Hampshire)ニューフォレスト(New Forrest)のグレイウッド(Greywood)に所在する土地と屋敷(膨大な蔵書がある図書室を含む)等の全財産を相続していた。

マイルズ・ハモンドは、図書室に所蔵されている膨大な蔵書の目録を作成してくれる司書(librarian)を募集しており、人材派遣会社より「司書の募集に応募があった」旨を知らされる。司書の募集に応募してきたのは、なんと、リゴー教授の話に出てきたフェイ・シートン(Fay Seton)だった。


翌日(1945年6月2日(土))の午後4時、マイルズ・ハモンドは、ウォータールー駅(Waterloo Station → 2014年10月19日付ブログで紹介済)に到着。ニューフォレスト行きの列車は、午後5時半発の予定だった。

そこへ彼の妹マリオン・ハモンドとスティーヴン・カーティス(Stephen Curtis - 愛称:スティーヴ(Steve))の2人がやって来る。スティーヴン・カーティス(30台後半 / 禿げ / 口髭あり)は、マリオン・ハモンドの婚約者で、英国情報局(Ministry of Information)に勤務。スティーヴン・カーティスは、情報局において、マリオン・ハモンドと知り合い、婚約に至っていた。


ウォータールー駅の正面玄関


マリオン・ハモンドとスティーヴン・カーティスに会ったマイルズ・ハモンドは、2人に対して、


(1)約6年前のシャルトル郊外で発生した謎の殺人事件

(2)当該殺人事件の容疑者だったフェイ・シートンを司書として採用したこと

につき、説明を行う。

スティーヴン・カーティスは、マリオン・ハモンドに対して、殺人事件の容疑者を雇うことに異を唱えたが、後の祭りだった。

生憎と、スティーヴン・カーティスは、明朝までに処理する必要がある仕事のため、同行できず、ニューフォレストへ戻るのは、マイルズ・ハモンド、マリオン・ハモンドとフェイ・シートンの3人だけとなる。


その夜、リゴー教授とギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が、突然、ニューフォレストのグレイウッドにあるマイルズ・ハモンドの屋敷へと車でやって来る。

リゴー教授によると、


*約6年前、フェイ・シートンとの不品行な関係と噂されたピエール・フレナック(Pierre Fresnac)が、衰弱のため、屋根裏部屋で寝込んでいた際、「窓の外に白い顔が浮かんでいるのを毎晩見た。」と証言。

*ピエールの父親であるジュールズ・フレナック(Jules Fresnac)が、ピエールの首に巻いていたスカーフを剥ぎ取ると、首筋には生き血を吸った鋭い歯型があった。


と語り、「実は、フェイ・シートンは、空中に浮かび上がることができる吸血鬼(vampire)で、約6年前の1939年8月12日、「ヘンリー4世の塔」の上に空中から近寄って、ハワード・ブルックを仕込み杖の剣で刺し殺したのだ。」と主張。


その時、屋敷の階上で銃声が轟き、マイルズ・ハモンド、リゴー教授とギディオン・フェル博士の3人が階上の部屋に駆け付けると、マリオン・ハモンドが瀕死の状態に陥っていた。何者かに襲われたらしい。マリオン・ハモンドの右手には、32口径の拳銃が握られており、彼女の部屋の窓ガラスに、銃弾の穴が開いていた。

マリオン・ハモンドは瀕死の状態だったが、リゴー教授の応急処置と往診に駆け付けた地元のガーヴィス医師(Dr. Garvice)の手当てにより、何とか一命を取りとめた。

一命を取りとめたマリオン・ハモンドは、何かが「囁く」と言う言葉を、譫言のように何度も呟いた。「吸血鬼は、生き血を吸う獲物を昏睡状態に陥れる際に、耳元で囁く。」とのこと。


約6年前のシャルトル郊外にある「ヘンリー4世の塔」の上で発生した殺人事件(被害者:ハワード・ブルック)と今眼前に発生した殺人未遂事件(被害者:マリオン・ハモンド)の2つの不可解な謎を解明するべく、ギディオン・フェル博士が動き出す。

果たして、リゴー教授が主張する通り、フェイ・シートンは空中に浮かび上がることができる吸血鬼で、これら2つの事件の犯人なのか?


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