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大英図書館(British Library → 2014年5月31日付ブログで紹介済)から 2023年に出版された ジョン・ディクスン・カー作「囁く影」の表紙 (Front cover : Mary Evans Picture Library) |
「囁く影(He Who Whispers)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1946年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第16作目に該る。
1938年にノーベル賞(Nobel Prize)を受賞した歴史学者のマイルズ・ハモンド(Miles Hammond - 35歳)は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、陸軍(Army)に入隊したが、戦車部隊(Tank Corps)に所属していたため、ディーゼル油中毒(Diesel-oil-poisoning)に罹患して入院、18ヶ月間、病院のベッドで過ごした。
その間に、彼の叔父に該るサー・チャールズ・ハモンド(Sir Charles Hammond)がデヴォン州(Devon)のホテルにおいて亡くなったので、マイルズ・ハモンドは、妹のマリオン・ハモンド(Marion Hammond)と一緒に、ハンプシャー州(Hampshire)ニューフォレスト(New Forrest)のグレイウッド(Greywood)に所在する土地と屋敷(膨大な蔵書がある図書室を含む)等の全財産を相続した。
1945年5月7日、枢軸国のドイツが連合国側に対して無条件降伏を行ったため、欧州にはやっと平和が訪れていた。
漸く心身の傷が癒えたマイルズ・ハモンドは、同年6月1日(金)の午後9時半頃、ロンドンのソーホー地区(Soho)内を歩いていた。
彼は、5年ぶりにソーホー地区内のベルトリングレストラン(Beltring’s Restaurant)において開催される「殺人クラブ(Murder Club)」の晩餐会(午後8時半開始)に、友人のギディオン・フェル博士から招待されていたものの、気が進まず、1時間程遅れてしまったのである。
シャフツベリーアベニューの中間辺りから左手奥に入ると、 チャイナタウンがある。 <筆者撮影> |
マイルズ・ハモンドは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から北東方向へ延びるシャフツベリーアベニュー(Shaftesbury Avenue → 2016年5月15日付ブログで紹介済)を左へ折れて、ディーンストリート(Dean Street)へと入った。ディーンストリートを北上すると、直ぐに進行方向右手にロミリーストリート(Romilly Street)が現れ、彼は右折して、ロミリーストリートを進む。ベルトリングレストランは、進行方向左手にある4階建ての建物だった。
「殺人クラブ」の晩餐会に出席する場合、ロミリーストリートに面した表玄関(side door)からではなく、ロミリーストリートを左折したグリークストリート(Greek Street)に面した通用口(side entrance)から入る必要があった。
ディーンストリート26−29番地(26-29 Dean Street → 2014年6月6日付ブログで紹介済)のレストラン <筆者撮影> |
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ディーンストリート26−29番地にあるレストランの外壁には、 「1851年から1856年までの約5年間、カール・マルクスがここに住んでいた (KARL MARX 1818-1883 lived here 1851-1856)」ことを示す ブループラークが掛けられている。 <筆者撮影> |
マイルズ・ハモンドがベルトリングレストランに到着すると、名誉幹事(Honorary secretary)を務めるギディオン・フェル博士が居ないだけでなく、13人の会員(男性9名+女性4名)も、誰一人来ていなかったのである。
何かの手違いにより、「殺人クラブ」の晩餐会はお流れとなったが、ベルトリングレストランには、
(1)バーバラ・モレル(Barbara Morell - 26歳):フリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)にある新聞社の記者
と
(2)ジョルジュ・アントワーヌ・リゴー(Georges Antoine Rigaud):エディンバラ大学(Edinburgh University)のフランス文学(French Literature)の教授(Professor)
の2人が居た。
今日開催される予定だった「殺人クラブ」の晩餐会に講演者として呼ばれてたジョルジュ・アントワーヌ・リゴー教授は、マイルズ・ハモンドとバーバラ・モレルの2人に対して、約6年前の1939年8月12日に、フランスで実際に起きた「塔の上の殺人事件」と言う不可思議な話を語り始めるのであった。

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