2025年8月8日金曜日

ジョン・ディクスン・カー作「囁く影」(He Who Whispers by John Dickson Carr)- その3

大英図書館(British Library → 2014年5月31日付ブログで紹介済)から
2023年に出版された
ジョン・ディクスン・カー作「囁く影」の表紙
(Front cover : Mary Evans Picture Library)


1939年8月12日、ブルック一家とフェイ・シートン(Fay Seton)は、運命の日を迎える。


その日の午後3時15分、シャルトル(Chartres - パリから60㎞ 程南方に位置)のホテルに滞在していたジョルジュ・アントワーヌ・リゴー教授(Professor Georges Antoine Rigaud - エディンバラ大学(Edinburgh University)のフランス文学(French Literature)の教授)は、ジョルジーナ・ブルック(Georgina Brooke - 皮革製造業(leather manufacture)のペルティエ社(Pelletier et Cie.)を営む英国人の大富豪であるハワード・ブルック(Howard Brooke - 50歳)の妻 / 40台半ば )から緊急を告げる電話を受ける。「大至急、ボールガー荘(Beauregard)へ来てほしい。」とのことだった。

ブルック夫人から緊急の電話を受けたリゴー教授は、慌てて車でブルック家の屋敷ボールガー荘へと駆け付けるのであった。


車でボールガー荘へ向かう途中、リゴー教授は、その日の午前中のことを考えていた。

リゴー教授が銀行(Credit Lyonnais)へ行くと、ブリーフケースの中に英国紙幣で2千ポンドを一杯に詰め込んだハワード・ブルックが支配人室(manager’s office)から出て来て、「この金でフェイ・シートンを追い出す。(I had to send to Paris for these.)」と言うと、銀行から出て行ってしまったのだ。

どうやら、噂によると、ハリー・ブルック(Harry Brooke - ハワード・ブルックの息子 / 20台半ば)と婚約したフェイ・シートンは、ジュールズ・フレナック(Jules Fresnac)が卵や野菜を市場へ運ぶために、ブルック一家が住むボールガー荘の前を馬車で通り掛かる。

フェイ・シートンは、ジュール・フレナックの16歳になる息子のピエール(Pierre)と不品行な行為に及んだらしく、2日前、卵や野菜を市場へ運ぶために、ボールガー荘の前を馬車で通り掛かるジュールズ・フレナックは、屋敷の前に居たフェイ・シートンに向けて、石を投げ付けると言う出来事が既に発生していた。


約30分でリゴー教授がボールガー荘に到着したが、ハワード・ブルックは屋敷に居らず、妻のジョルジーナによると、「夫は、フェイ・シートンとの決着をつけるために、午後4時にヘンリー4世の塔(la Tour d’Henri Quarte / the tower of Henry the Fourth)の上で彼女と会う約束をして、既に出かけた。」とのことだった。

ウール川(River Eure)を間に挟んで、ボールガー荘の向こう側には、古城の廃墟があり、「ヘンリー4世の塔」と呼ばれる古い塔が建っており、ハワード・ブルックは、この塔へと向かった後だった。


当初、ハワード・ブルックは、息子のハリーも、フェイ・シートンとの話し合いに同席させるつもりで、ハリーを探したものの、彼の部屋に居なかったため、一人で塔へと出かけていた。

肝心のハリーは、自動車のガレージに居り、母のジョルジーナとリゴー教授が話をしているところに、姿を見せる。

二人の話を聞いたハリーは、慌てて塔へと駆け出した。ジョルジーナの依頼を受けて、リゴー教授も、ハリーの後を追う。雷が鳴り始め、空は急に暗くなってきた。


リゴー教授が塔に着くと、塔の入口にフェイ・シートンが立っており、何故か、腕に水泳用の服、帽子とタオルを持っていた。彼女は、リゴー教授に向かって、「ハワードとハリーは、塔の上に居る。」と言うと、その場を立ち去ってしまう。

リゴー教授が急いで塔の上に登ると、そこには、レインコートを着たハワードとハリーの二人だけで、激しい口論を繰り広げていた。

リゴー教授は、二人の口論を仲裁した後、「フェイ・シートンと待ち合わせをして居る。」と言うハワードをその場に残して、ハリーと一緒に、塔を降り、同じく、その場を立ち去る。

その時、ハワードは、片手に杖を、もう一方の手には例のブリーフケースを持って、頂上の手摺り(胸の高さ)に凭れていた。それが、リゴー教授が見たハワード・ブルックが生きている最後の姿だったのである。


塔から立ち去るリゴー教授とハリーは、塔の方から悲鳴が聞こえたため、急いで塔へと引き返す。

二人が塔に戻ると、塔の周りでピクニックをしていたランバート(Mr. & Mrs. Lambert)一家の子供が、塔の上に血だらけの男が倒れていると叫んでいた。

リゴー教授とハリーが塔の上に再度戻ると、そこには、仕込み杖の剣で刺され、流れ出た血でレインコートの背中がびしょ濡れのハワード・ブルックが、絶命寸前の状態で倒れていたのである。

ハワードは、息子のハリーの腕の中でそのまま息絶えたが、何故か、彼が携えていたブリーフケースが、中に入っていた2千ポンドとともに、何処にもなかった。


ヘンリー4世の塔の入口の辺りには、ランバート一家がピクニックをしていたため、彼らの目を掻い潜って、塔の上へ向かうことは、誰にもできなかった。

そのため、フランスの警察は、塔の上に行くには、川から塔の外壁をよじ登るしか、他に手段がないと考えて、近くの川で泳いでいたフェイ・シートンを、ハワード・ブルックを殺害した容疑者として、執拗に追及した。しかしながら、ヘンリー4世の塔は40フィート(約12 m)の高さがある上に、塔の壁面はすべすべとしているため、川から壁面をよじ登って、塔の上まで行くことは不可能に近いと思われた。

更に、仕込み杖の柄には、ハワードの指紋だけが付いていたこともあり、最終的には、フランスの警察は、ハワード・ブルックの死を自殺と断定するに至った。

しかし、町の人々は、警察による結論には納得せず、「空飛ぶ吸血鬼の仕業だ。」と噂するのだった。


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