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英国の肖像画家であるサー・トマス・ローレンス (Sir Thomas Lawrence:1769年ー1830年)が描いた 「サー・ジョン・ソーン(76歳)の肖像画 (Portrait of Sir John Soane, aged 76)」 (1828年ー1829年)の絵葉書 Oil on canvas <筆者がサー・ジョン・ソーンズ博物館で購入> |
1900年に、ロンドンの特別区の一つであるイーリング区(London Borough of Ealing)が、ピッツハンガーマナーを購入し、公立図書館への改装に着手。ただし、最後の住民であるフレデリカ・パーシヴァル(Frederika Perceval)がまだ住んでいたため、彼女が1901年5月に亡くなってからの工事着工となった。
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ピッツハンガーマナー本館の入口(その1) |
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ピッツハンガーマナー本館の入口(その2) |
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ピッツハンガーマナー本館の入口(その3) |
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ピッツハンガーマナー本館の入口(その4) |
英国の建築家であるチャールズ・ジョーンズ(Charles Jones:1830年ー1913年)が、主任監督官として、ピッツハンガーマナーの改装工事を担当。
まず最初に、チャールズ・ジョーンズは、英国の建築家であるジョージ・ダンス(子)(George Dance the Younger:1741年ー1825年)が設計した南ウィング地階の食堂の西側に増築。ただし、複数の建築様式が衝突し合うことを避けるため、増築部分を元からある隣室と同じ様式で設計。また、本館北側に所在した使用人用の建物と古代ローマ遺跡風のモニュメントは取り壊して、その跡地に本館と棟続きになる新館を新築。この新館が、現在、「PMギャラリー&ハウス(PM Gallery & House)」と呼ばれている。
改装工事が終わった1902年4月、ピッツハンガーマナーは、公立図書館として、一般に公開された。
1938年から1940年にかけて、公立図書館の機能は、本館から棟続きの新館へ移された。
1984年には、ピッツハンガーマナーにおける図書館機能は、同所から近くのイーリングブロードウェイショッピングセンター(Ealing Broadway Shopping Centre)に新設された図書館へ完全に移行。
1985年より、ピッツハンガーマナーの修復作業がスタート。
修復作業を終えた新館は、1987年1月より、「PMギャラリー&ハウス」として、現代美術展示場、イベント会場やワークショップ会場等として使用されている。
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画面奥に見える建物が、ピッツハンガーマナー新館。 |
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ピッツハンガーマナー新館において開催された 現代美術展の数々。 |
イーリング区は、建物構造や塗装類の分析を通じて、サー・ジョン・ソーンによるピッツハンガーマナー改築工事当時の外観を復元するプロジェクトを開始し、2015年より工事に着工。その際、チャールズ・ジョーンズによる南ウィング地階の食堂の西側への増築も撤去。
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イーリング区による復元作業により、 ジョージ・ダンスが設計した南ウィングは元に復旧(その1) |
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イーリング区による復元作業により、 ジョージ・ダンスが設計した南ウィングは元に復旧(その2) |
復元工事の竣工後、2019年3月19日、「ピッツハンガーマナー&ギャラリー(Pitzhanger Manor & Gallery)」として再オープンを迎える。
「ピッツハンガーマナー&ギャラリー」は、現在、歴史的な建造物の一つとして、「グレード I(Grade I listed building)」に指定されている。
ピッツハンガーマナーは、サー・ジョン・ソーンが改築を行った当時の外観を保っているため、映画やテレビドラマ等のロケ地として、撮影に使用されている。
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ピッツハンガーマナー本館の最上階に設置されている アテナ像 |
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ピッツハンガーマナー本館の階段の壁に置かれている サー・ジョン・ソーンの胸像 |
「ピッツハンガーマナー&ギャラリー」の西側には、ウォルポールパークが広がっている。
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「ピッツハンガーマナー&ギャラリー」に隣接する Walled Garden(その1) |
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「ピッツハンガーマナー&ギャラリー」に隣接する Walled Garden(その2) |
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「ピッツハンガーマナー&ギャラリー」に隣接する Walled Garden(その3) |
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「ピッツハンガーマナー&ギャラリー」に隣接する Walled Garden(その4) |

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