2025年8月6日水曜日

エリザベス・フリンク作ブロンズ彫刻「馬と馬乗り」(Horse and Riser by Elisabeth Frink)- その1

エリザベス・フリンク作ブロンズ彫刻「馬と馬乗り」の全景(その1)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary)」(1922年)は、英国の海運会社であるキュナードライン(Cunard Line)が所有する当時世界最大の旅客船で、米国ニューヨーク(New York)から英国リヴァプール(Liverpool)へと向かっていたルシタニア号(RMS Lusitania → 2025年7月22日 / 7月23日付ブログで紹介済)が、1915年5月7日の午後2時、アイルランド(Ireland)沖15㎞ の地点で、ドイツ帝国海軍(Imperial Germany Navy)の潜水艦 Uボート(U-boat)から2発の魚雷攻撃を受けて、沈没したところから、その物語が始まる。


第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station / 現在の地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)→ 2025年7月30日付ブログで紹介済)のドーヴァーストリート(Dover Street → 2025年7月28日 / 7月29日付ブログで紹介済)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、数年ぶりに再会する。

二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。

トミーとタペンスが再会したドーヴァーストリートとピカデリー通り(Piccadilly - ピカデリーライン(Piccadilly Line)とベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶ約1マイルの幹線道路 2025年7月31日付ブログで紹介済)が交差する西側の角には、英国の彫刻家 / 版画家であるエリザベス・ジーン・フリンク(Elisabeth Jean Frink:1930年ー1993年)が制作したブロンズ彫刻「馬と馬乗り(Horse and Riser)」が設置されていた。


エリザベス・フリンク作ブロンズ彫刻「馬と馬乗り」は、
以前、この通り標識の奥の場所(建物の角が後方にセットバックされていたため)に設置されていた。


エリザベス・フリンクは、1930年11月14日に、英国陸軍将校である父ラルフ・キュイラー・フリンク(Ralph Cuyler Frink)と母ジーン・エリザベス・フリンク(Jean Elisabath Frink ー 旧姓:コンウェイ=ゴードン(Conway-Gordon))の下、英国サフォーク州(Suffolk)のグレートサーロ(Great Thurlow)に出生。

第二次世界大戦(1939年-1945年)の勃発に伴い、彼女は、母親達と一緒に、デヴォン州(Devon)のエクスマス(Exmouth)へ疎開。


エリザベス・フリンク作ブロンズ彫刻「馬と馬乗り」の台座部分


長じたエリザベス・フリンクは、1946年から1949年までの間、ギルフォード美術学校(Guildford School of Art)で、そして、1949年から1953年までの間、チェルシー美術学校( Chelsea School of Art)で学んだ。

チェルシー美術学校で学んだ後、彼女は、1953年からセントマーティン美術学校(St. Martin’s School of Art)で教師として働く。


エリザベス・フリンク作ブロンズ彫刻「馬と馬乗り」の全景(その2)


エリザベス・フリンクは、1955年にミシェル・ジャメット(Michel Jammet)と結婚し、1958年に子供(息子)を設けるが、1963年に離婚。

1964年にエドワード・プール(Edward Pool)と再婚した彼女は、1967年から1972年までフランスで暮らしたが、その後、英国ドーセット州(Dorset)へ移り、制作を続けた。

1974年に2番目の夫エドワード・プールと離婚した彼女は、同年、ハンガリー生まれのアレクサンダー・シサキー(Alexander Csaky)と再々婚。


エリザベス・フリンク作ブロンズ彫刻「馬と馬乗り」の正面アップ


エリザベス・フリンクは、戸外で運動している力強い単独の人物像を彫刻作品として数多く制作する他、リトグラフ等の版画も発表。

リヴァプール大聖堂(Liverpool Cathedral)やコヴェントリー大聖堂(Coventry Cathedral)に展示されている「キリスト昇天」が、彼女の作品として有名である。


エリザベス・フリンク作ブロンズ彫刻「馬と馬乗り」の側面アップ


エリザベス・フリンクは、1993年4月18日に、ドーセット州ブランフォードフォーラム(Blandford Forum)で死去。享年62歳だった。

なお、3番目の夫であるアレクサンダー・シサキーは、彼女よりも数ヶ月前に亡くなっている。


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