2025年8月15日金曜日

ロンドン セントアン教会(St. Anne’s Church)

セントアン教会の塔(その1)
<筆者撮影>


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1946年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第16作目に該る「囁く影(He Who Whispers → 2025年8月2日 / 8月7日 / 8月8日 / 8月12日付ブログで紹介済)」の場合、歴史学者のマイルズ・ハモンド(Miles Hammond - 35歳)が、ソーホー地区(Soho)内のベルトリングレストラン(Beltring’s Restaurant)において開催される「殺人クラブ(Murder Club)」の晩餐会に出席するために、現地へ向かっているところから、その物語が始まる。


大英図書館(British Library → 2014年5月31日付ブログで紹介済)から
2023年に出版された
ジョン・ディクスン・カー作「囁く影」の表紙
(Front cover : Mary Evans Picture Library)


1938年にノーベル賞(Nobel Prize)を受賞した歴史学者のマイルズ・ハモンドは、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、陸軍(Army)に入隊したが、戦車部隊(Tank Corps)に所属していたため、ディーゼル油中毒(Diesel-oil-poisoning)に罹患して入院、18ヶ月間、病院のベッドで過ごす。

その間に、彼の叔父に該るサー・チャールズ・ハモンド(Sir Charles Hammond)がデヴォン州(Devon)のホテルにおいて亡くなったので、マイルズ・ハモンドは、妹のマリオン・ハモンド(Marion Hammond)と一緒に、ハンプシャー州(Hampshire)ニューフォレスト(New Forrest)のグレイウッド(Greywood)に所在する土地と屋敷(膨大な蔵書がある図書室を含む)等の全財産を相続。



1945年5月7日、枢軸国のドイツが連合国側に対して無条件降伏を行ったため、欧州にはやっと平和が訪れていた。

漸く心身の傷が癒えたマイルズ・ハモンドは、同年6月1日(金)の午後9時半頃、ロンドンのソーホー地区内を歩いていた。彼は、5年ぶりにソーホー地区内のベルトリングレストランにおいて開催される「殺人クラブ」の晩餐会(午後8時半開始)に、友人のギディオン・フェル博士から招待されていたものの、気が進まず、1時間程遅れてしまったのである。


ディーンストリート(右手)近辺のシャフツベリーアベニュー -
シャフツベリーアベニューから左手奥に入ると、チャイナタウンが広がっている。
<筆者撮影>


マイルズ・ハモンドは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から北東方向へ延びるシャフツベリーアベニュー(Shaftesbury Avenue → 2016年5月15日付ブログで紹介済)を左へ折れて、ディーンストリート(Dean Street → 2025年8月13日付ブログで紹介済)へと入った。そして、ディーンストリートを少し北上して、右手に見える最初の曲がり角であるロミリーストリート(Romilly Street → 2025年8月14日付ブログで紹介済)のところで立ち止まる。彼の左手には、セントアン教会(St. Anne’s Church)が建っていたが、窓枠にはガラスがなく、第二次世界大戦中のドイツ軍によるロンドン空襲の爪痕がまだ生々しく残っていたのである。


シャフツベリーアベニュー近辺のディーンストリート -
画面奥に見える左右に延びる通りが、
シャフツベリーアベニューで、
画面左手前に見える通りが、ロミリーストリート。
従って、マイルズ・ハモンドは、画面奥に見えるシャフツベリーアベニューを左折して、
ディーンストリートへ入り、画面手前へと進んで来た後、
ディーンストリートを右折して、ロミリーストリートへ入るのである。
なお、画面右手に、セントアン協会への入口(十字架の看板がある場所)が見える。
<筆者撮影>


On his left, as he stood at the corner of Romilly Street, was the east wall of St. Anne’s Church. The grey wall, with its big round-arched window, stood up almost intact. But there was no glass in the window, and nothing beyond except a grey-white tower seen through it. Where high explosive had ripped along Dean Street, making chaos of matchboard houses and spilling strings of garlic into the road along with broken glass and mortar-dust, they had now built a neat static-water tank - with barbed wire so that children shouldn’t fall in and get drowned. But the scars remained, under whispering rain. On the east wall of St. Anne’s, just under that gaping window, was an old plaque commemorating the sacrifice of those who died in the last war.


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ソーホー地区の地図を抜粋。


セントアン教会は、ロンドンの中心部にあるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のソーホー地区内に実在する教会である。

セントアン教会は、

北側:オールドコンプトンストリート(Old Compton Street)

東側:ディーンストリート

南側:シャフツベリーアベニュー

西側:ウォーダーストリート(Wardour Street)

に囲まれている。


セントアン教会の塔(その2)
<筆者撮影>


教会は、英国の建築家であるウィリアム・タルマン(William Talman:1650年ー1719年)とサー・クリストファー・マイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)による設計に基づき、1677年から1686年にかけて建設された。西側には、約21m の塔が付随している。


地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の
ベイカールーライン(Bakerloo Line)のプラットフォーム壁に
描かれているサー・クリストファー・マイケル・レン
<筆者撮影>


1675年から1713年までロンドン主教(Bishop of London)を務めたヘンリー・コンプトン(Henry Compton:1632年ー1713年)がステュアート朝(House of Stuart)最後の君主であるアン女王(Anne Stuart:1665年ー1714年 在位期間:1707年ー1714年)の家庭教師をしていたこともあって、1686年、聖母マリアの母親で、成人として崇拝される聖アン(Saint Anne)に捧げられたため、セントアン教会と呼ばれるようになった。


セントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral
→ 2018年8月18日 / 8月25日 / 9月1日付ブログで紹介済)の正面前の広場に設置されている
アン女王像(その1)
<筆者撮影>


セントポール大聖堂の正面前の広場に設置されている
アン女王像(その2)
<筆者撮影>


ジョン・ディクスン・カー作「囁く影」が1946年に発表された当時、セントアン教会は、ディーンストリートからよく見えたものと思われるが、その後、ディーンストリート沿いの教会の周囲に建物が乱立。その結果、現在、セントアン教会の入口は、ディーンストリート側にあるが、教会の入口とはとても思えないような建物の地上部分をゲートとしてアクセスする形となっており、左右に建つ物件の中に埋没している。


セントアン教会の入口がある建物外壁
<筆者撮影>

セントアン教会の入口(その1)
住所:ディーンストリート55番地(55 Dean Street)
<筆者撮影>

ントアン教会の入口(その2)
住所:ディーンストリート55番地
<筆者撮影>


教会に付随する塔を含む庭園は、セントアン教会境内(St. Anne’s Churchyard)として、一般に開放されているが、こちらは、ディーンストリートからではなく、ウォーダーストリートからアクセス可能となっている。


セントアン教会境内の看板
<筆者撮影>

セントアン教会の塔(その3)
<筆者撮影>

セントアン教会の塔(その4)
<筆者撮影>

セントアン教会の塔(その5)-
教会の入口はディーンストリート55番地側にある旨の注意が、
ドアに表示されている。

<筆者撮影>


セントアン教会へのアクセスは、ディーンストリートからのみ可能で、セントアン教会境内経由、ウォーダーストリートからのアクセスはできない。

         

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