2022年12月31日土曜日

シャーロック・ホームズの世界<ジグソーパズル>(The World of Sherlock Holmes )- その3

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. から出ている「シャーロック・ホームズの世界(The World of Sherlock Holmes)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているシャーロック・ホームズシリーズに登場する人物や物語の舞台となる建物、また、作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)本人と彼に関連する人物等、50個にわたる手掛かりについて、引き続き、順番に紹介していきたい。

なお、本ジグソーパズル内に描かれているロンドンの建物に関して言うと、実際の位置関係とは大きく異なっているので、誤解がないようにお願いしたい。


(10)ライシアム劇場(Lyceum Theatre)


本ジグソーパズルの中央からやや右下のところに、
ライシアム劇場が描かれている。


ライシアム劇場は、ロンドンのコヴェントガーデン地区(Covent Garden)にあり、
トラファルガースクエア(Trafalgar Square)とシティー(City)を東西に結ぶストランド通り(Strand)と、
北に行くと「ロイヤル・オペラハウス(Royal Opera House)」に至る
ボウウェリントンストリート(Bow Wellington Street)が交差した角に位置している。

ライシアム劇場が重要な役割を果たすのは、「四つの署名(The Sign of the Four → 2017年8月12日付ブログで紹介済)」である。メアリー・モースタンがシャーロック・ホームズの元を訪ねて、風変わりな事件の調査依頼をした際、彼女は「未知の友(Your unknown friend)」から受け取った謎の手紙をホームズと同席していたジョン・H・ワトスンに見せる。その手紙には、以下の内容が書かれていた。

Be at the third pillar from the left outside the Lyceum Theatre tonight at seven o'clock. if you are distrustful bring two friends …

「今夜7時に、ライシアム劇場の場外の左から3本目の柱のところまでお越し下さい。もし御心配であれば、お友達を二人お連れ下さい。」


原作者であるコナン・ドイルが、ホームズとワトスンの2人を、事件の依頼人であるメアリー・モースタンに同行させるために、「二人」を意図的に入れたと思われ、ストーリー的にはやや出来過ぎの感が強いが、メアリー・モースタンからの依頼を受けたホームズとワトスンは、彼女と一緒にライシアム劇場へ出かけ、彼女の「未知の友」に出会うことによって、事件の核心部分に迫るのである。


(11)メアリー・モースタン(Mary Morstan)


ライシアム劇場の前に立つ女性が、
「四つの署名」に登場するメアリー・モースタン。

前述の通り、「四つの署名」における事件の依頼人が、メアリー・モースタンである。

元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、メアリー・モースタンが父親の部屋を訪れると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。

皆さんがよく御存知の通り、ホームズが事件を解決した後、ワトスンと恋愛関係へ発展して、後にワトスン夫人となる。


(12)レストレード警部(Inspector Lestrade)


本ジグソーパズルの中央下を流れるテムズ河を下る巡視艇の前に立つ人物が、
スコットランドヤードのレストレード警部。


レストレードは、スコットランドヤードの警部で、「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」に初登場し、以降、数多くの事件において、ホームズの助力を得る。

挿絵画家であるシドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年ー1908年)が描く

「レストレード警部」。
(「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の
「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」より)

本ジグソーパズルの場合、巡視艇に乗って、テムズ河(River Thames)を逃亡する「四つの署名」事件の犯人達を追っているように見受けられるが、実際に、ホームズやワトスンと一緒に、犯人達を追う役目は、レストレード警部ではなく、アセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones)が担っている。


(13)ジョナサン・スモール(Jonathan Small)

(14)トンガ(Tonga)


レストレード警部が乗る巡視艇から逃れるように、
テムズ河を下る船の上に、
ジョナサン・スモール(右側の人物)と
トンガ(左側の人物)が載っている。


彼らは、「四つの署名」事件における犯人達で、復讐のために、ショルトー少佐(Major Sholto)の息子で、双子の一人であるバーソロミュー・ショルトー(Bartholomew Sholto)を毒矢で殺害する。物語の終盤、テムズ河を舞台にした追跡劇は、大きな見せ場である。本ジグソーパズルは、その場面を描いている。

厳密に言うと、ジョナサン・スモールの義足は、ジグソーパズルのイラストに描かれているような左足ではなく、コナン・ドイルの原作によると、右足である。


(15)ヒュー・ブーン(Hugh Boone)


レストレード警部が乗る巡視艇の近くのテムズ河沿いで、
ヒュー・ブーンが物乞いをしている。


ヒュー・ブーンは、「唇のねじれた男(The Man with the Twisted Lips)」に登場する物乞いである。


挿絵画家のシドニー・パジェットが描く
「ヒュー・ブーン」。
(「ストランドマガジン」1891年12月号の「唇のねじれた男」より)

本ジグソーパズルの場合、ヒュー・ブーンは、テムズ河近くで物乞いをしているが、実際には、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内にあるスレッドニードルストリート(Threadneedle Street → 2014年10月30日付ブログで紹介済)近辺で物乞いをしている。


(16)エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)


レストレード警部が乗る巡視艇の近くに架かっている橋の上に、
エドガー・アラン・ポーが立っている。

エドガー・アラン・ポー(→ 2017年1月28日付ブログで紹介済)は、米国の小説家/詩人で、かつ、雑誌編集者で、名探偵のC・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin)を生み出している。

デュパンが初登場した世界初の推理小説である「モルグ街の殺人(The Murders in the Rue Morgue)」は、ポー自身が編集主筆を務めていた「グラハムズ・マガジン(Graham's Magazine)」の1841年4月号に掲載された。「グラハムズ・マガジン」は、米国フィラデルフィア(Philadelphia)のジョージ・レックス・グラハム(George Rex Graham:1813年ー1894年)によって1841年に創刊され、ポーが初代の編集主筆を勤めたが、残念ながら、1858年に廃刊となった。

デュパンが活躍するのは、他には、以下の短編小説の2編。

(1)「マリー・ロジェの謎(The Mystery of Marie Roget)」(1842年ー1843年)

(2)「盗まれた手紙(The Purloined Letter)」(1844年)

ポーが執筆して、これら3作品に登場させたデュパンは、コナン・ドイルが半世紀後に生み出したホームズの原型となったのである。ただし、「緋色の研究」事件において、ホームズは、デュパンのことを酷評している。

上記の3作品に加えて、エドガー・アラン・ポーは、ゴシック風の恐怖小説である「アッシャー家の崩壊(The Fall of the House of Usher)」(1839年)や「黒猫(The Black Cat)」(1843年)、暗号小説の草分けである「黄金虫(The Gold-Bug)」、そして、詩「大鴉(The Raven)」(1845年)等の作者として非常に有名である。


(17)ストランドマガジン(The Strand Magazine)


本ジグソーパズルの中央下にあるテムズ河沿いの道で、
売り子が「ストランドマガジン」を売っている。


「ストランドマガジン」は、
バーリーストリート12番地(12 Burleigh Street →
2014年8月9日付ブログで紹介済)の建物に入居していた。


コナン・ドイルは、ホームズが活躍する長編第1作目の「緋色の研究」(1887年)と第2作目の「四つの署名」(1890年)を発表したものの、残念ながら、大きな評判にはならなかった。

コナン・ドイルとしては、自分の文筆の才能は、歴史小説にあると考えて、生活費稼ぎのために、得意の短編を書き続けていたが、ある時、彼はあることを思い付いた。当時としては珍しい「読み切り連載」の手法であった。これならば、「緋色の研究」と「四つの署名」に登場させたシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンを上手い具合に使えるのである。

良い考えを思い付いたコナン・ドイルは、ホームズとワトスンを主人公にして、2週間で「ボヘミアの醜聞」と「赤毛組合(The Red-Headed League → 2022年9月25日 / 10月9日 / 10月11日 / 10月16日付ブログで紹介済)の短編2作を書き上げると、創刊後間もない「ストランドマガジン」宛に送付した。

他の雑誌との差別化に苦心していた「ストランドマガジン」の編集部は、コナン・ドイルが送った2作を受け取ると、彼のアイデアに飛び付き、早速、彼に対して、4作を追加した合計6作の短編を執筆するよう、依頼してきたのである。

そして、「ストランドマガジン」の1891年7月号に、「ボヘミアの醜聞」が掲載されると、シドニー・エドワード・パジェットによる挿絵の効果も相まって、ホームズ作品は、読者の熱狂を以って受け入れられ、爆発的な人気へと繋がっていった。


(18)シドニー・エドワード・パジェット(Sidney Edward Paget)


「ストランドマガジン」の売り子の後ろにある建物の屋上で、
シドニー・エドワード・パジェットが、挿絵を描いている。


「ストランドマガジン」の1891年7月号に、コナン・ドイルによる「ボヘミアの醜聞」が掲載され、ホームズ作品が、読者の熱狂を以って受け入れられ、爆発的な人気へと繋がっていった要因の一つとして、シドニー・エドワード・パジェット(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)による挿絵の効果も相まったと言える。


(19)ウィリアム・ユワート・グラッドストン(Willaim Ewart Gladstone)


国会議事堂の左横に立つ人物が、
自由党の党首として、英国首相を4回務めた
ウィリアム・ユワート・グラッドストン。

ウィリアム・ユワート・グラッドストンの銅像 -
ストランド通り(Strand)がフリートストリート(Fleet Street)へと変わる道の中央の浮島にある
セント・クレメント・デーンズ教会(St. Clement Danes Church)の前に、
この銅像は建っている。


ウィリアム・ユワート・グラッドストン(1809年ー1898年 → 2022年8月22日 / 8月24日付ブログで紹介済)は、英国の政治家で、ヴィクトリア朝の中期から後期にかけて、つまり、ホームズが活躍した頃に、自由党の党首として、英国首相を4回務めている。

1867年末に、ウィリアム・ユワート・グラッドストンは、自由党党首となり、1868年11月の総選挙で勝利した後、


・第一次グラッドストン内閣(1868年-1874年)

・第二次グラッドストン内閣(1880年-1885年)

・第三次グラッドストン内閣(1886年)

・第四次グラッドストン内閣(1892年ー1894年)


と、首相を4回務め、特に、前半の2回に関しては、保守党の党首である初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield:1804年-1881年 → 2022年8月14日 / 8月16日付ブログで紹介済)と交互に首相に就任し、ヴィクトリア朝の政党政治を代表する人物となったのである。


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