2023年5月21日日曜日

コナン・ドイル作「恐怖の谷」<小説版>(The Valley of Fear by Conan Doyle )- その3

国で出版された「ストランドマガジン」に掲載された挿絵 -
第1部第3章「バールストンの惨劇(The Tragedy of Birlstone)」
1月6日の夜11時半頃、
サセックス州バールストンのバールストン館に住む
ジョン・ダグラスと思われる男性が、書斎において、
銃身を切り落として短くした散弾銃で、
至近距離から頭を撃ち抜かれて、惨殺される事件が発生する。
顔が滅茶滅茶になっていた被害者は、
寝間着とピンクのガウンを羽織っているだけで、
足には室内スリッパを履いて、
部屋の真ん中に、仰向けに倒れていた。
被害者を除くと、画面左側から、
ジョン・ダグラスの友人であるセシル・ジェイムズ・バーカー、
サセックス州警察のウィルスン巡査部長、
そして、開業医のウッド医師。
死体の胸元辺りに、銃身を切り落として短くした散弾銃が置かれている。
挿絵:フランク・ワイルズ


シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスンとスコットランドヤードのアレック・マクドナルド警部(Inspector Alec MacDonald)の3人が、サセックス州(Sussex)バールストン(Birlstone)へと向かう間、バールストン館(Birlstone House)において発生した事件の経緯について、ワトスンによる筆を介して、語られる。


バールストンは、サセックス州北部の州境にあり、一番近い要所は、ケント州(Kent)との州境を越えて、10-12マイル程、東へと行ったタンブリッジウェルズ(Tunbridge Wells)だった。


バールストンの町から半マイル程離れた、背の高いぶなの林に囲まれた中に、17世紀の初めに建てられたバールストン館が所在していた。

以前は、館の周囲に、二つの堀があったが、外側の堀については、水が抜かれ、家庭菜園(kitchen garden)が営まれ、内側の堀に関しては、まだ残っており、深さは数フィートに過ぎなかったが、幅40フィートの水が、館全体を取り囲んでいた。


相当の間、誰も住んでなかったバールストン館を、ジョン・ダグラス(John Douglas)と言う50歳前後の男性が購入した。

バールストン館は、跳ね橋(drawbridge)によって、外界と接続されていたが、その鎖と巻上げ機が錆び付いて壊れたままだったため、ジョン・ダグラスが、これらを修理した。その結果、跳ね橋は、毎晩上げられ、そして、毎朝降ろされるようになった。つまり、跳ね橋が上げられた後、バールストン館は、所謂、島のような状態となっていたのである。


ジョン・ダグラスには、サセックス州の社交界よりもかなり低い水準の下層社会での生活を経てきたと言う印象があり、当初は、周囲から好奇の目で見られたり、疎遠にされたりしたものの、誰に対しても陽気で親切な彼は、直ぐに隣人達と打ち解けるようになった。

彼は、巨額の資産を持っているようで、米国カリフォルニア州の金鉱で得たと噂される資産を、地元に惜しみなく寄付した。

また、地元の牧師館が火事になった際、消防隊が諦めたにもかかわらず、ジョン・ダグラスは、燃え盛る牧師館の中に飛び込み、牧師を救出して、彼の名声は、更に高まった。


ジョン・ダグラスの妻は、彼よりも20歳程若かったが、夫婦仲は円満で、彼女の評判も、非常に高かった。

彼女は、ロンドンにおいて、男やもめだったジョン・ダグラスと出会った、とのことだった。


ただし、奇妙なことに、ジョン・ダグラスも、彼の妻も、彼の過去にことについては、あまり話したりがらなかった。


バールストン館には、ジョン・ダグラスの友人で、ハムステッド(Hampstead)のヘイルズ荘(Hales Lodge)に住むセシル・ジェイムズ・バーカー(Cecil James Barker)と言う45歳位の男性が、頻繁に出入りしていた。


その他には、執事のエイムズ(Aimes)、家政婦のアレン夫人(Mrs. Allen)と6人の使用人が、バールストン館において、寝起きしていた。


そして、事件は、1月6日の夜に発生した。


午後11時45分、セシル・バーカーが、突然、地元の交番に駆け込んで来たのである。対応したサセックス州警察(Sussex Constabulary)のウィルスン巡査部長(Sergeant Wilson)に対して、彼は「バールストン館において、ジョン・ダグラスが殺害された。(A terrible tragedy had occurred at the Manor House, and John Douglas had been murdered.)」と告げた。


ウィルスン巡査部長は、州警察に一報した後、12時少し過ぎに、事件現場へと到着した。開業医のウッド医師(Dr. Wood)も、遅れて到着した。


玄関に一番近い部屋の真ん中に、男が手足を伸ばし、仰向けに倒れて、死んでいた。

彼は、寝間着の上に、ピンク色のガウンを羽織っただけで、足には、室内用スリッパを履いていた。

凶器は、男の胸の上に置かれており、それは、銃身が切り詰められた散弾銃で、至近距離から発射されたため、頭部がほとんど粉々に吹き飛んであり、判別の仕様がなかった。

死体の身元は不明だったが、状況的に、バールストン館の主人であるジョン・ダグラスであると思われた。


セシル・バーカーによると、銃声を聞いたのは、午後11時半で、事件現場には、何も手を触れていない、とのこと。

また、彼は「跳ね橋は一晩中上がっていた。」と証言したため、ウィルスン巡査部長は、ジョン・ダグラスは自殺したのではないかと考えた。ところが、セシル・バーカーは、部屋のカーテンを脇に引いて、開いた窓を指し示した。窓の桟には、血が付いた足跡が、ランプの灯りに照らし出されたのである。それを見たウィルスン巡査部長は、自殺説を撤回して、ジョン・ダグラスは、何者かに散弾銃で殺害され、その犯人は、殺害後、窓から脱出して、浅い堀を歩いて渡り、何処かへ逃げ去った、と考えざるを得なかった。

ウッド医師は、「バールストン鉄道衝突事件(Birlstone railway smash)以来の惨事だ。」と、身を震わした。


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