2022年9月21日水曜日

コナン・ドイル作「白面の兵士」<小説版>(The Blanched Soldier by Conan Doyle ) - その3

英国で出版された「ストランドマガジン」
1926年11月号に掲載された挿絵(その4) -
第二次ボーア戦争が終結した直後の1903年1月、
音信不通となった戦友のゴドフリー・エムズワースの居所を探し出そうとする
ジェイムズ・M・ドッドからの依頼を受けたシャーロック・ホームズは、
彼と一緒に、ゴドフリーの実家であるタクスベリーオールドパークへと赴き、
父親のエムズワース大佐と相対する。
(画面左側から、ジェイムズ・M・ドッド、ゴドフリー・エムズワース、
エムズワース大佐、そして、ホームズの4人が描かれている。)
挿絵:
ハワード・ケッピー・エルコック
(Howard Keppie Elcock:1886年ー1952年)

第二次ボーア戦争(Second Anglo - Boer War:1899年10月12日ー1902年5月31日 → 2022年8月8日付ブログで紹介済)が終結した直後の1903年1月、ジェイムズ・M・ドッド氏(Mr. James M. Dodd)が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「白面の兵士(The Blanched Soldier)」の物語は始まる。


スロッグモートンストリート(Throgmorton Street → 2015年1月3日付ブログで紹介済)において、株式仲買人としていた彼は、1901年1月に義勇農騎兵団(Imperial Yeomanry)のミドルセックス連隊(Middlesex Corps)に入隊して、つい最近まで南アフリカに出向いていた。彼がミドルセックス連隊に入隊した際、既にその部隊に居たゴドフリー・エムズワース(Godfrey Emsworth)と知り合い、1年間にわたる戦闘の中で、友情を育んだ。


戦友のゴドフリー・エムズワースは、プレトリア(Pretoria)郊外のダイヤモンドヒル(Diamond Hill)近くの戦闘において、象撃ち銃に撃たれ、病院へと送られたが、ジェイムズ・M・ドッドは、南アフリカのケープタウン(Cape Town)の病院からと、英国のサザンプトン(Southampton)から、ゴドフリーの手紙を受け取ったものの、それ以降、彼からの便りが途絶えてしまい、6ヶ月以上も音信不通のままとなってしまった。

その後、1902年5月末に第二次ボーア戦争が終結して、英国に戻ったジェイムズ・M・ドッドが、ゴドフリーの父親であるエムズワース大佐(Colonel Emsworth - クリミア戦争で十字勲章を受賞)に対して、ゴドフリーの所在を訊ねる手紙を送ったところ、「息子は世界一周の航海に出かけたので、1年は戻ってこない。」と言う返事があったきりだった。


英国への帰国後、身辺の整理がやっと片付いたジェイムズ・M・ドッドは、ゴドフリーの実家であるベッドフォード(Bedford)近くのタクスベリーオールドパーク(Tuxbury Old Park)を訪れて、エムズワース大佐から、ゴドフリーの所在を聞き出そうとするが、逆に、大佐の怒りを買ってしまう。

ゴドフリーの実家は、非常に交通の便が悪いところにあり、どの場所からも5マイル離れていたため、その夜、ゴドフリーの実家に泊まることになったジェイムズ・M・ドッドが、割り当てられた部屋で友人のゴドフリーのことを考え込んでいた際、ふと顔を上げると、窓の外に、幽霊のように真っ白な顔をしたゴドフリーその人が立っているのが見えた。ジェイムズ・M・ドッドは、慌てて、ゴドフリーを追いかけるが、残念ながら、彼の姿を見失ってしまう。

翌日、ゴドフリーの姿を求めて、ジェイムズ・M・ドッドは、屋敷の中を探しまわろうとするが、エムズワース大佐に見つかって、彼は屋敷から追い出されてしまったので、ゴドフリーのことを案じる彼は、相談のため、ホームズの元を訪れたのであった。


生憎と、トルコのスルタン(the Sultan of Turkey)から依頼を受けていたホームズは、翌週の初め、ジェイムズ・M・ドッドと一緒に、馬車でユーストン駅(Euston Station)へと向かった。その途中、一人の紳士(後に、皮膚病の専門医サー・ジェイムズ・サンダーズ(Sir James Saunders)であることが判明)を拾って、同行者となった。

ジェイムズ・M・ドッドと謎の紳士を伴い、ゴドフリーの実家であるタクスベリーオールドパークに到着したホームズは、エムズワース大佐と会い、謎を解き明かすのであった。


本作品内で言及されている病気は、現在とは異なり、当時、伝染する不治の病と考えられていたため、このような謎の状況を招いたものと言える。


物語の終盤、ホームズは、「不可能な事柄を全て消去していった時、どんなにありそうもないことであっても、残ったもの、それこそが真実である。(when you have eliminated all which is impossible, then whatever remains, however improbable, must be the truth.)」と、皆に話している。

非常に有名な言葉であるが、コナン・ドイルの原作において、ホームズがこのセリフを口にするのは、「白面の兵士」の他には、以下の3作品だけである。


(1)長編「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)

(2)短編「緑柱石の宝冠(The Beryl Coronet)」(1892年)→ 第1短篇集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)に収録。

(3)短編「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」(1908年)→ 第4短編集「シャーロック・ホームズ最後の挨拶(His Last Bow)」(1917年)に収録。 

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