2022年9月1日木曜日

初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナー(Alfred Milner, 1st Viscount Milner) - その2

初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナーが住んでいた
マンチェスタースクエア14番地は、画面中央の建物で、
現在、「ミルナーハウス(Milner House)」と呼ばれている。

初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナー(Alfred Milner, 1st Viscount Milner:1854年ー1925年)を南アフリカ長官 / 高等弁務官(High Commissioner for South Africa)とケープ植民地総督(Governor-General of Cape Colony)に任命したのは、南アフリカに帝国主義的野心を抱いていた保守党の党首で、第三次内閣(1895年ー1902年)を組閣していた首相の第3代ソールズベリー侯爵ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシル(Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury:1850年ー1903年)と植民地大臣(Colonial Secretary)を務めていたジョーゼフ・チェンバレン(Joseph Chamberlain:1836年ー1914年)であった。


マンチェスタースクエア14番地の玄関口


ボーア人(17世紀に南アフリカのケープ植民地に入植したオランダ系の白人)が設立したトランスヴァール共和国(Republic of Transvaal → 正式名:South African Republic)に豊富な金の鉱脈が発見されたことに伴い、大英帝国を初めとした諸外国から鉱山技師達がトランスヴァール共和国へ流入した。トランスヴァール共和国は、彼らに対して投票権を与えず、金産業に対して重税を課していたため、彼らの内に大きな不満が蓄積されていった。

大英帝国政府としては、トランスヴァール共和国内に定住した英国臣民に対して、完全に同等な権利を付与することを要求し、それを拒否したトランスヴァール共和国等のボーア政府との間で、第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年-1902年)の戦端を開いた訳だが、英国臣民への同等な権利付与の要求と言うのは、あくまでも表向きの理由であり、積極的に帝国主義を推し進め、自国の強化 / 拡大を図ることが、本当の目的であったのである。


マンチェスタースクエア14番地の玄関口の右側の外壁に、
初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナーがここに住んでいたことを示す
プラークが架けられている。


初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナーが住んでいた建物が、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のマリルボーン地区(Marylebone)内にある。正確な住所は、「マンチェスタースクエア14番地(14 Manchester Square, Marylebone, London W1U 3PP)」で、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)から、地下鉄ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)経由、地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)へと向かって西に延びるオックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)から少し北へ入ったところにあるマンチェスタースクエア(Manchester Square)に面して建っている。


マンチェスタースクエアから見た
ウォレスコレクションの全景


同じマンチェスタースクエア内には、美術館であるウォレスコレクション(Wallace Collection)も建っている。詳細については、2014年6月14日付ブログを御参照願いたい。


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