コナン・ドイルが、日本に関する詳細な知識を誰から得ていたのかと言うと、スコットランド(Scotland)のエディンバラ(Edinburgh)生まれの技術者 / 写真家で、彼の幼少時からの友人であるウィリアム・キニンモンド・バートン(William Kinninmond Burton:1856年ー1899年)からではないかと考えられている。
1809年8月22日、エディンバラに出生したウィリアム・キニンモンド・バートンは、高校(Edinburgh Collegiate School)卒業後、大学へは進学せず、1873年に同地のブラウンブラザーズ社(Brown Brothers & Co., Ltd.)で水道技術工見習いとなる。
5年間の勤務を経た彼は、叔父であるコスモ・イネス(Cosmo Innes)を頼って、1879年にロンドンへ向かった。当時、叔父のコスモ・イネスは、技術事務所を営む傍ら、衛星保護協会(Sanitary Protection Association)の事務局長を務めていたこともあって、ウィリアム・キニンモンド・バートンは、1881年に同協会の主任技師(Resident Engineer)へと昇進。
明治政府の官僚で、小説家の永井 荷風(ながい かふう:1879年ー1959年)の父である永井 久一郎(ながい きゅういちろう:1852年ー1913年)の渡欧中に知り合ったことを受けて、ウィリアム・キニンモンド・バートンは、1887年、当時コレラ(cholera)等の流行病の対処に苦慮していた明治政府の内務省衛生局のお雇い外国人技師として来日。彼は、内務省衛生局の唯一の顧問技師として、東京市の上下水道取調主任に着任した他、帝国大学工科大学(後の東京大学工学部)において、衛生工学の講座を担当し、日本人の上下水道技師を育てている。
コナン・ドイルは、幼少時、バートン家に預けられていたことがあり、彼とウィリアム・キニンモンド・バートンは、幼少時から親交があった。ウィリアム・キニンモンド・バートンが1887年に来日した後も、2人の交流は続いていた。
従って、コナン・ドイルは、ウィリアム・キニンモンド・バートンから、日本に関する知識を得ており、「高名な依頼人」を執筆した際、「聖武天皇」や「奈良の正倉院」について言及したものと思われる。
「技師の親指(The Eingeer's Thumb)」の場合、事件の依頼人として、水力工学技師のヴィクター・ハザリー(Victor Hatherley)が登場するが、これについても、作者のコナン・ドイルは、衛生工学や上下水道等をよく知るウィリアム・キニンモンド・バートンをモデルにしているものと推測される。
「技師の親指」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、9番目に発表した作品で、、英国の「ストランドマガジン」の1892年3月号に掲載された。
同作品は、1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。
パディントン駅前のプレイドストリート(Praed Street)- 画面の建物は、パディントン駅に隣接したホテル。 <筆者撮影> |
1889年の夏の午前7時前、今回の事件の依頼人である水力工学技師のヴィクター・ハザリーが手を負傷して、「四つの署名(The Sign of the Four)」事件で知り合ったメアリー・モースタン(Mary Morstan)と結婚し、パディントン駅(Paddington Station → 2014年8月3日付ブログで紹介済)の近くに開業していたジョン・H・ワトスンの医院へ運び込まれるところから、物語が幕を開ける。
通常は、事件の依頼人がベイカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を相談に訪れるところから話が始まるが、今回は一風変わった展開となっている。
パディントン地区(Paddington → 2015年1月4日付ブログで紹介済)内の ノーフォークスクエア(Norfolk Square)- ジョン・H・ワトスンが開業した医院があった場所の候補地の一つ。 <筆者撮影> |
私が診察室に入ると、テーブルの側に一人の紳士が座っていた。彼は灰色がかった紫のツイード服を着ており、私の本の上に柔らかい布製の帽子が置かれていた。彼は片手にハンカチを巻いていたが、ハンカチ全体に血が滲んでいた。25歳を超えていないくらいの若さで、たくましい男性的な顔つきをしていた。しかしながら、今は彼の顔色は真っ青で、何か強い精神的な動揺を受けたのを、気力を振り絞って耐えているような印象を受けた。
「先生、こんなに朝早くから起こしてしまい、申し訳ありません。」と彼は言った。「しかし、昨夜、酷い災難に遭ったのです。今朝、列車でパディントン駅に着き、どこかにお医者さんは居ないかとそこで尋ねたところ、親切な方が私をここまで連れて来てくれました。私は女中さんに名刺を渡したのですが、彼女はサイドテーブルの上に置き忘れて行ったようですね。」
私はその名刺を手に取ってみた。「ヴィクター・ハザリー、水力工学技師、ヴィクトリアストリート16A番地(4階)」と書かれていた。これが、今朝の患者の氏名、肩書きと住所だ。「大変お待たせしてすみません。」と、私は診察椅子に腰を下ろしながら言った。「あなたは夜行列車で着かれたばかりですね。道中はさぞかし退屈なさったでしょう。」
画面の建物に、今回の事件の依頼人であるヴィクター・ハザリーの事務所 (ヴィクトリアストリート16A番地)があったと思われる。 <筆者撮影> |
I entered my consulting-room and found a gentleman seated by the table. He was quietly dressed in a suit of heather tweed with a soft cloth cap which he had laid down upon my books. Round one of his hands he had a handkerchief wrapped, which was mottled all over with blood stains. He was young, not more than five-and-twenty, I should say, with a strong, masculine face; but he was exceedingly pale and gave me the impression of a man who was suffering from some strong agitation, which it took all his strength of mid to control.
'I am sorry to knock you up so early, doctor,' said he, 'but I have had a very serious accident during the night. I came in by train this morning, and on inquiring at Paddington Station as to where I might find a doctor, a worthy fellow very kindly escorted me here. I gave the maid a card, but I see that she has left it upon the side-table.'
I took it up and glanced at it. 'Mr Victor Hatherley, hydraulic engineer, 16a Victoria Street (3rd floor)' That was the name, style, and abde of my morning visitor. 'I regret that I have kept you waiting,' said I, sitting down in my library-chair. 'You are fresh from a night journey, I understand, which is in itself a monotonous occupation.'
