2022年5月1日日曜日

コナン・ドイル作「最後の事件」<小説版>(The Final Problem by Conan Doyle ) - その1

英国で出版された「ストランドマガジン」
1893年12月号に掲載された挿絵(その1) -
突然、ジョン・H・ワトスンの医院を訪れたシャーロック・ホームズは、
ジェイムズ・モリアーティー教授をはじめとする犯罪組織に、命をつけ狙われていた。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)


英国の小説家で、推理 / サスペンスドラマの脚本家でもあるアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz:1955年ー)は、コナン・ドイル財団(Conan Doyle Estate Ltd.)による公認(公式認定)の下、シャーロック・ホームズシリーズの正統な続編として執筆の上、2011年に発表した「絹の家(The House of Silk → 2022年1月29日 / 2月5日 / 2月12日付ブログで紹介済)」に続く第2作として、2014年に「モリアーティー(Moriarty → 2022年4月2日 / 4月10日 / 4月15日付ブログで紹介済)」を発表した。


シャーロック・ホームズと彼の宿敵で、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)の二人がスイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)にその姿を消した1891年5月4日から、物語の幕があがる。その出来事の5日後、米国のピンカートン探偵社(Pinkerton Detective Agency)に所属するフレデリック・チェイス(Frederick Chase)は、ある任務を帯びて、現地を訪れた。そして、マイリンゲンのセントマイケル教会の地下聖堂に、3人の男性が一同に会した。


1人目は、フレデリック・チェイス。

2人目は、スコットランドヤードのアセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones - サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「四つの署名(The Sign of the Four → 2017年8月12日付ブログで紹介済)」に登場)

3人目は、ライヘンバッハの滝壺から発見された溺死体で、現地の警察によって、彼の手首に付されたラベル(札)には、ジェイムズ・モリアーティーの名前が書かれていた。

ライヘンバッハの滝壺から、ホームズの死体は発見されず、彼の生死は不明であった。


本作品「モリアーティー」は、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が発表した短編小説「最後の事件(The Final Problem)」がベースとなっている。


「最後の事件」は、ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、24番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1893年12月号に、また、米国では、「マクルーアマガジン(McClure’s Magazine)」の1893年12月号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第2短編集である「シャーロック・ホームズの回想(The Memoirs of Sherlock Holmes)」(1893年)に収録された。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1893年12月号に掲載された挿絵(その2) -
ホームズは、ワトスンに対して、
彼の宿敵で、「犯罪界のナポレオン」と呼ばれる
ジェイムズ・モリアーティー教授について語るのであった。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット


ジョン・H・ワトスンは、(メアリー・モースタン(Mary Morstan)との)結婚後、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)を出て、医院を開業していた。1890年、そして、1891年の春と、年を経るに従って、ワトスンがホームズに会う機会は、次第に減っていった。新聞記事によると、ホームズは、現在、フランス政府からの依頼を受けて、ある非常に重要な任務のため、フランスに滞在しているようである。


1891年4月24日の晩、ワトスンの医院に、突然、ホームズが姿を現した。以前に比べると、ホームズの顔は蒼白く、かなり痩せているように見えた。遅い訪問を詫びるホームズは、ワトスンの診察室の鎧戸をしっかりと締める。彼の行動を怪訝に思うワトスンに対して、ホームズは、「空気銃を警戒している。」と説明する。「妻は、暫くの間、用事で家を空けている。」と言うワトスンに、ホームズは、「1週間程、欧州大陸へ出かけるので、(自分と)一緒に同行してほしい。」と頼んだ。


事情を尋ねるワトスンに対して、ホームズは、彼の宿敵で、「犯罪界のナポレオン」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授について、詳しく語った。ホームズによると、「モリアーティー教授は、ロンドンで発生する悪事の半分と未解決事件のほとんどに関与している。(He is the organizer of half that is evil and of nearly all that is undetected in this great city.)」とのことだった。

ホームズは、自分と対等の能力を有するジェイムズ・モリアーティー教授と渡り合った結果、彼の周囲に網を張り巡らすことに成功し、3日後には、モリアーティー教授をはじめとする犯罪組織の全員が、スコットランドヤードに逮捕されるところまで漕ぎ着けたのである。


ホームズが仕掛けた網の存在に気付いたジェイムズ・モリアーティー教授は、今朝、ベーカーストリート221Bのホームズの元を突然訪れた。モリアーティー教授に、自分から手を引くように告げられたホームズは、これをキッパリと断る。そのため、即座に、ホームズは、教授配下の者に命を狙われることになった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1893年12月号に掲載された挿絵(その3) -
1891年4月24日の朝、ベーカーストリート221Bのホームズの元を訪れた
モリアーティー教授は、ホームズに対して、
自分から手を引くように告げたが、
ホームズは、これをキッパリと断った。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット


同日の昼間、オックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)へ出かけたホームズであったが、最初は、ベンティンクストリート(Bentinck Street → 2015年5月16日付ブログで紹介済)とウェルベックストリート(Welbeck Street → 2015年5月16日付ブログで紹介済)の角で、突然暴走して来た二頭立て馬車に轢き殺されそうになった。二度目は、ヴェアストリート(Vere Street → 2015年5月23日付ブログで紹介済)を歩いていると、ある家の屋根からレンガが落ちてきて、ホームズの足下で粉々に砕け散ったのであった。


スコットランドヤードがモリアーティー教授を含めた一味を一網打尽にするまでの間、ホームズは、ワトスンと一緒に、欧州大陸へと身を隠すことにした訳なのだ。ホームズは、ヴィクトリア駅(Victoria Station → 2015年6月13日付ブログで紹介済)から欧州大陸へ向かう計画であった。

ワトスンは、ホームズの頼みを快く引き受けると、今夜は泊まっていくように勧めたが、ホームズは、ワトスン一家に迷惑が及ぶことを懸念して、辞退する。翌日(1891年4月25日)にヴィクトリア駅で合流する方法について、早口で説明すると、ホームズは、庭からモーティマーストリート(Mortimer Street → 2015年6月6日付ブログで紹介済)へと続く塀を乗り越えると、直ぐに笛を吹いて、ハンサム型馬車(二人乗り一頭立て二輪の辻馬車)を呼んだ。庭に居るワトスンには、ホームズが馬車に乗って去って行く音が聞こえた。


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