2022年5月27日金曜日

コナン・ドイル作「空き家の冒険」<小説版>(The Empty House by Conan Doyle ) - その1

英国で出版された「ストランドマガジン」
1903年10月号に掲載された挿絵(その1) -
1894年4月のある晩、
ハイドパークへの散策に出かけたジョン・H・ワトスンは、
メイヌース伯爵の次男である青年貴族ロナルド・アデアが
殺害された事件現場(パークレーン427番地)に立ち寄った際、
人混みの中で、本蒐集家と思われる背中が曲がった老人に
うっかりぶつかってしまい、
老人が持っていた本を数冊地面に落としてしまった。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)


英国の作家であるデイヴィッド・ステュアート・デイヴィーズ(David Stuart Davies:1946年ー)が2022年に発表した「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 墓場からの復讐(The further adventures of Sherlock Holmes / Revenge from the Grave → 2022年5月4日 / 5月14日 / 5月24日付ブログで紹介済)」では、元々、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が発表した短編「空家の冒険(The Empty House)」直後の話が展開する。


「空き家の冒険」は、ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、25番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1903年10月号に、また、米国では、「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1903年9月26日号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第3短編集である「シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes)」(1905年)に収録された。


「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」において、1891年5月4日、シャーロック・ホームズが、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスにあるライヘンバッハの滝壺(Reichenbach Falls)にその姿を消してから、既に約3年が経過していた。ホームズの親友で、相棒でもあったジョン・H・ワトスンは、ホームズが居ない孤独な生活を送っていた。

コナン・ドイル作「空き家の冒険」は、そこから始まる。


1894年の4月、メイヌース伯爵(Earkl of Maynooth)の次男である青年貴族ロナルド・アデア(Ronald Adair)が、パークレーン427番地(427 Park Lane → 2015年6月27日付ブログで紹介済)の自宅において、殺害された事件のニュースで、ロンドンは大騒ぎだった。


ロナルド・アデアは、カード賭博が大好きで、頻繁にクラブでカード賭博に興じていた。

1894年3月30日の夜、彼は、クラブから帰宅した後、拳銃で頭を撃ち抜かれて死んでいるのを、家族(母親)に発見されたのである。彼は、カード賭博での勝敗計算をしていた最中に、頭を撃たれたものと思われた。

事件当夜、彼の母親と妹は、外出中で、帰宅した後、母親が彼の部屋へ行ったところ、彼の部屋の扉は内側から鍵がかけられた上、いくらノックしても、返事がないため、使用人達の助けを借りて、扉を打ち破って、彼の部屋に入ったところ、彼の射殺死体を発見した訳である。

彼がクラブから帰宅したのは、午後10時で、彼の母親と妹が外出から帰宅したのが、午後11時20分だったため、犯行は、午後10時と午後11時20分の間でに行われたものと推察された。

驚くことに、内側から扉に鍵がかけられていた彼の部屋の内には、拳銃の類いは発見されなかった。また、彼の部屋は、パークレーン(Park Lane)に面した second floor(日本で言うところの3階)にあり、部屋の窓は開いていたものの、外部から何者かが侵入した痕跡は、全く見つからなかった。更に、部屋の外からの狙撃だとすると、犯人は相当な達人であることになるが、犯行時刻と思われる午後10時と午後11時20分の間、使用人達は、銃声を誰も聞いていなかったのである。


警察の捜査では、事件の動機や犯人の見当は、一切つかないままであった。ワトスン自身も、ホームズの推理方法を模倣して、事件の真相を考えてみたが、謎は全く解けなかった。


ある晩、ケンジントン地区(Kensington)の自宅からハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)へ散策に出かけたワトスンは、そのついでに事件現場に立ち寄った。

人混みの中で、ワトスンは、本蒐集家と思われる背中の曲がった老人にうっかりぶつかってしまい、老人が持っていた本を数冊地面に落としてしまった。落としてしまった本を拾い上げて、ぶつかったことを謝ろうとしたワトスンであったが、老人は、不服そうな声を上げ、背を向けると、野次馬の中に姿を消してしまう。


1903年10月号に掲載された挿絵(その2) -
本蒐集家の老人に言われて、書棚を振り返り、
本の隙間を確認して、再度老人に視線を戻したワトスンは、
スイスのライヘンバッハの滝で亡くなった筈のホームズの姿を
そこに見て、びっくり仰天してしまったのである。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


残念ながら、何の成果もなく、ケンジントンの自宅へと戻ったワトスンの元を、先程パークレーンでぶつかった本蒐集家の老人が訪ねて来た。

訪ねて来た老人は、先程の非礼を詫びるとともに、「自分は、近所の本屋である。」と自己紹介した。そして、老人は、ワトスンの背後にある書棚に空きがあるからと言って、手持ちの本数冊の購入を進めてきた。老人にそう言われて、ワトスンが、書棚を振り返り、本の隙間を確認して、再度老人に視線を戻したところ、そこには、約3年前、モリアーティー教授と一緒に、スイスのライヘンバッハの滝で亡くなった筈のホームズが、笑顔で立っていたのである。

ホームズを見たワトスンは、すっかりと仰天してしまい、椅子から立ち上がると、ホームズを数秒間見つめた後、「生涯において、最初で最後の」気絶をしてしまった。(then it appears that I must have fainted for the first and the last time in my life.)


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