2024年2月13日火曜日

シャーロック・ホームズのトランプ(Sherlock Holmes - Playing Cards)- その13

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、一昨年(2022年)に発行されたシャーロック・ホームズをテーマにしたトランプの各カードについて、前回に引き続き、紹介したい。


(45)Q ❤️「ハドスン夫人(Mrs. Hudson)」



ハドスン夫人は、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの2人が共同生活を送っているベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の家主である。


(46)Q ♠️「アイリーン・アドラー(Irene Adler)



アイリーン・アドラーは、「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2022年12月18日および2023年8月6日 / 8月9日 / 8月19日付ブログで紹介済)」に登場する人物で、原作は、「シャーロック・ホームズには、いつでも「あの女性(ひと)」と呼ぶ女性が居る。(To Sherlock Holmes she is always the woman.)」と言う一文から始まる。


英国で出版された「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」
1891年7月号「ボヘミアの醜聞」に掲載された挿絵 -

ゴドフリー・ノートン(Godfrey Norton)とアイリーン・アドラーの2人の後を追って、

馬丁に変装したシャーロック・ホームズが

セントモニカ教会(Church of St. Monica)に到着すると、

教会内には、アイリーン・アドラー、ゴドフリー・ノートンと牧師の3人が居た。

そして、ホームズには想定外なことに、

彼は、アイリーンとゴドフリーの2人が結婚する立会人をさせられてしまった。

画面左側から、馬丁に変装したホームズ、アイリーン・アドラー、

ゴドフリー・ノートン、そして、牧師。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


顔に仮装用のマスクを付けて、フォン・クラム伯爵(Count von Kramm)と名乗り、シャーロック・ホームズの元を訪れたボヘミア国王(King of Bohemia)のカッセル・フェルシュタイン大公ウィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモント・フォン・オルムシュタイン(Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein)によると、5年前、王太子だった彼は、アイリーン・アドラーと秘密裡に交際していたが、今回、ボヘミア国王は、スカンディナヴィアの王女と結婚することになり、それを知ったアイリーン・アドラーが、「二人で撮影した写真を、スカンディナヴィアの王女宛に送り付ける。」と脅迫してきたのである。アイリーン・アドラーと一緒に撮った写真を、スカンディナヴィアの王女宛に送り付けられた場合、ボヘミア国王とスカンディナヴィアの王女の結婚が破談になることを必至であった。


王太子だったボヘミア国王と秘密裡に交際していたアイリーン・アドラーは、オペラ歌手、より正確に言うと、コントラルト(Contralto - 女性の最低音域 / アルト(Alto)とも言う)歌手で、イタリアのミラノ(Milan → 2023年8月7日 / 8月11日付ブログで紹介済)にあるスカラ座(La Scala)に出演したことがあった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1891年7月号「ボヘミアの醜聞」に掲載された挿絵 -

ボヘミア国王と一緒に撮影した写真の隠し場所を突き止めて、
セントジョンズウッド地区(St. John's Wood)
サーペンタインアベニュー(Serpentine Avenue)にある
ブライオニーロッジ(Briony Lodge)から
ベーカーストリート221Bへと戻って来た
シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンであったが、
「おやすみなさい、ホームズさん。」と声をかけて、
その2人の横を通り過ぎた人物が居た。
それは、男装して、2人の後を追って来た
アイリーン・アドラーその人だったのである。
画面左側から、ジョン・H・ワトスン、ホームズ、
そして、男装したアイリーン・アドラー。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


「ボヘミアの醜聞」は、ホームズシリーズの短編小説56作のうち、最初(1番目)に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン」の1891年7月号に掲載された。

また、同作品は、1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


(47)Q ♦️「ヴァイオレット・スミス(Violet Smith)」



ヴァイオレット・スミスは、「孤独な自転車乗り(The Solitary Cyclist → 2022年12月11日 / 12月21日および2023年1月5日 / 1月8日付ブログで紹介済)」に登場する人物で、音楽の家庭教師をしている彼女は、1895年4月23日(土)、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1904年1月号「孤独な自転車乗り」に掲載された挿絵 -
1895年4月23日(土)、
ヴァイオレット・スミス嬢が、相談のために、
ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れた。
画面左側から、ジョン・H・ワトスン、ホームズ、
そして、ヴァイオレット・スミス。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(1860年 - 1908年)



「孤独な自転車乗り」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、28番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン」の1904年1月号に、また、米国では、「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1903年12月26日号に掲載された。

また、同作品は、1905年に発行されたホームズシリーズの第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還(The  Return of Sherlock Holmes)」に収録されている。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1904年1月号「孤独な自転車乗り」に掲載された挿絵 -

ヴァイオレット・スミス嬢が、自転車に乗って、
毎週土曜日、チルタン屋敷(Chiltern Grange)から
フォーナム駅(Farnham Station)へと行く際、
また、翌週の月曜日、ファーナム駅からチルタン屋敷へと戻る際、
チャーリントン荒野(Charlington Heath)と
チャーリントン屋敷(Charlington Hall)を取り囲む森に挟まれた
1マイル以上の特に寂しい道において、
短い顎鬚を生やした黒ずくめの男が、
自転車で彼女の後をつけていることに気付いて、
非常に不安になった。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


(48)Q ♣️ヴィクトリア女王(Queen Victoria)



「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」は、以下の説明を以って、終わりを迎える。


ウォルター大佐は、懲役2年目の終わり近くに、刑務所で死んだ。(中略)数週間後、ホームズが非常に見事なエメラルドのタイピンを付けて帰って来たことから、私は彼がウィンザーで一日を過ごしたことを偶然に知った。私が彼にそのタイピンを買ったのかと尋ねたところ、幸運にも、ある慈悲深い女性のために一度小さな使命を果たすことができたので、その女性からのプレゼントだと、彼は答えた。彼はそれ以上何も言わなかったが、私はその女性の尊い名前を言い当てることができると思う。そのエメラルドのタイピンを見ると、ブルース・パーティントン型潜水艦の設計図に関する冒険のことをホームズの記憶にいつも蘇らせるのは、まず間違いない。


Colonel Walter died in prison towards the end of the second year of his sentence. … Some weeks afterwards I learned incidentally that my friend spent a day at Windsor, whence he returned with a remarkably fine emerald tiepin. When I asked him if he had bought it, he answered that it was a present from a certain gracious lady in whose interests he had once been fortunate enough to carry out a small commission. He said no more; but I fancy that I could guess at that lady’s august name, and I have little doubt that the emerald pin will forever recall to my friend’s memory the adventure of the Bruce-Partington plans.


ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
2019年にロイヤルメール(Royal Mail)から発行された切手の1枚


ジョン・H・ワトスンが言う「ある慈悲深い女性」とは、英国ハノーヴァー朝の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)のことである。


ヴィクトリア女王の統治中、英国は世界各地を植民地化、もしくは、半植民地化して、大英帝国として繁栄を極めた。実際、大英帝国は、その領土を10倍以上に拡大させて、地球上の全陸地面積の約 1/4 を、また、世界全人口の約 1/4 (約4億人)を支配する史上最大の帝国となるに至った。 彼女は、大英帝国を象徴する存在として知られた。よって、彼女の治世は、ヴィクトリア朝として呼ばれている。


テムズ河(River Thames)に架かる
ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge)の北岸に設置されている
ヴィクトリア女王のブロンズ像


ヴィクトリア女王の在位期間は、63年7ヶ月(=1837年6月20日ー1901年1月22日)にも及び、歴代の英国王の中では、前国王であるエリザベス2世(Queen Elizabeth II:1926年ー2022年 在位期間:1952年ー2022年)に次ぐ2番目の長さである。2016年に、エリザベス2世に抜かれるまでの間、ヴィクトリア女王の在位期間が最長であった。


ヴィクトリア女王と彼女の政府は、大英帝国の維持/拡大のため、世界各地において戦争を頻繁に繰り広げ、63年7ヶ月に及ぶ彼女の治世中、英国が戦争を全く行なっていなかったのは、非常に稀で、合計すると約2年程度と言われている。


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