2023年10月4日水曜日

<第1300回> シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その25

画面中央の両側(ホワイトタワー(White Tower)内)に、ロンドン塔に幽閉された
ヨーク朝の第2代イングランド王であるエドワード5世と
弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーが、描かれている。
頭の上に王冠を乗せた2人の少年が、彼らである。
彼らの間に立っているのが、彼らをロンドン塔に幽閉して、
ヨーク朝の第3代かつ最後のイングランド王であるリチャード3世として即位した
グロスター公爵リチャードである。

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日付ブログで紹介済)に関係する人物である。


<エドワード5世(Edward V:1470年ー1483年 在位期間:1483年4月10日ー同年6月25日)と初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリー(Richard of Shrewsbury, 1st Duke of York and 1st Duke of Norfolk:1473年ー1483年)>


エドワード5世は、ヨーク朝(House of York)の初代イングランド王であるエドワード4世(Edward VI:1442年ー1483年 在位期間:1461年-1483年 / ただし、1470年から1471年にかけて、数ヶ月間の中断あり)と王妃エリザベス・ウッドヴィル(Elizabeth Woodville:1437年頃ー1492年)の長男で、ヨーク朝の第2代イングランド王であるが、戴冠式挙行前に退位させられた。

初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーは、エドワード4世と王妃エリザベス・ウッドヴィルの次男(第6子)である。


フランスの画家であるポール・ドラローシュ(Paul Delaroche -
本名:イッポリト・ド・ラ・ローシュ(Hippolyte De La Roche)/ 1797年ー1856年)作
「ロンドン等のエドワード5世とヨーク公
(Edward V and the Duke of York in the Tower)」(1831年)-
ロンドンのウォレスコレクション(Wallace Collection → 2014年6月15日付ブログで紹介済)で
筆者が購入した絵葉書から抜粋。


1483年4月9日、フランス討伐の準備中だったエドワード4世が死去したことに伴い、同年4月10日、エドワード5世は、父王の跡を継ぎ、12歳で王位を継承した。

エドワード5世がイングランドのシュロップシャー州(Shropshire)内にある居城ラドロー城(Ludlow Castle)からロンドンへと向かう中、エドワード5世の摂政(Protector)に就任した父方の叔父であるグロスター公爵リチャード(Richard, Duke of Gloucester - 後のリチャード3世(Richard III))が、母方の叔父で、父王の側近でもあった第2代リヴァーズ伯爵アンソニー・ウッドヴィル(Anthony Woodville, 2nd Earl of Rivers:1440年ー1483年)を逮捕して、エドワード5世に組する忠臣を排除する。

その後、グロスター公爵リチャードは、エドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人をロンドン塔に幽閉した。彼ら2人は、「塔の中の王子達(Princes in the Tower)」と呼ばれるようになる。

2ヶ月後の同年6月25日、イングランド議会は、エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの婚姻は無効のため、エドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人は、エドワード4世の「嫡子」ではなく、「庶子」であると認定の上、エドワード5世の王位継承を無効と議決した。その結果、グロスター公爵リチャードが推挙され、リチャード3世として、ヨーク朝の第3代イングランド王に即位したのである。リチャード3世がグロスター公爵リチャードの時に逮捕した第2代リヴァーズ伯爵アンソニー・ウッドヴィルは、その際に処刑されている。


19世紀中頃、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」
(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)を結成した画家の一人である
初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー
(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年 →
2018年3月25日 / 4月1日 / 4月14日 / 4月21日 /
4月28日付ブログで紹介済)が1878年に描いた
「塔の中の王子達」。
(英国の Dorling Kindersley Limited から2001年に出版された
「Kings and Queens - A Royal History of
England & Scotland」から抜粋)
左側の少年がエドワード5世で、
右側の少年が弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公
リチャード・オブ・シュルーズベリーであると思われる。
厳密に言うと、絵が左右に反転している。

グロスター公爵リチャードだったリチャード3世によって、ロンドン塔に幽閉されたエドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人が、その後どうなったのかについては、現在に至るまで判明していない。

1483年の夏頃までは、ロンドン塔の庭で遊ぶ兄弟の姿が見かけられたが、次第にその姿が見られなくなったため、2人は殺されたと言う噂が、ロンドン市内において、広く囁かれるようになった。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
リチャード3世の肖像画の葉書
(Unknown artist / Late 16th century / Oil on panel
638 mm x 470 mm) 


当時、兄弟は、リチャード3世によって暗殺されたものと考えられていたが、リチャード3世を討って、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年)によって殺されたとする学説も、現在、有力となっている。リチャード3世とヘンリー7世のいずれにとっても、エドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人の存在が、自分達の障害でしかなかったのは、事実である。


ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


1674年に、ロンドン塔の改修に携わった作業員達によって、子供の遺骨と思われるものが入った木箱が発見された。王政復古期ステュアート朝(House of Stuart)のイングランド、スコットランド、そして、アイルランドの王であるチャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年-1685年)の命により、1678年に子供の遺骨と思われるものが入った木箱は、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に安置された。1933年に、専門家が木箱内の遺骨を鑑定したものの、残念ながら、性別や年齢が特定されなかった。


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