2023年8月28日月曜日

ウォーリック州(Warwickshire) ウォーリック城(Warwick Castle)- その1

英国の Seven Dials, Cassel & Co が2000年に出版した
ポール・ジョンスン(Paul Johnson)著
「Castles of England, Scotland & Wales」(筆者所有)から抜粋。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「死者のあやまち(Dead Man’s Folly → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)」(1956年)のストーリーは、次のようにして始まる。

ある日、ロンドン市内にあるエルキュール・ポワロのオフィスにおいて、電話が鳴り、ポワロの秘書であるミス・レモン(Miss Lemon)が、受話器をとる。ポワロに電話をかけてきたのは、人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)であった。電話はデヴォン州(Devon)からで、オリヴァー夫人は、ポワロに対して、「直ぐこちらに来てほしい。」と頼み込む。そこで、ポワロは、早速、ロンドン発の列車でデヴォン州へと向かう。

ナスコム駅(Nassecombe Station)からオリヴァー夫人が滞在しているナス屋敷(Nasse House)へ迎えの車で向かう途中、ポワロは、外国人旅行者の女性二人(オランダ人とイタリア人)を車に乗せて、近くのユースホステルまで送ってあげる。この辺り一帯は、外国人ハイカー達に人気の場所であった。

その際、オランダ人の女性旅行者は、ポワロに対して、’I to England come for two week holiday. I come from Holland. I like England very much. I have been Stratford Avon, Shakespeare Theatre and Warwick Castle. …’ と話した。


オランダ人の女性旅行者が、ストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon → 2023年8月24日 / 8月26日付ブログで紹介済)にあるロイヤル シェイクスピア劇場(Royal Shakespeare Theatre)を観光した後に訪れたウォーリック城(Warwick Castle)は、イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内にある中世の城で、エイヴォン川(River Avon)を望む崖の上に建っている。


元々、この場所には、アングロサクソン人の砦が建っていたが、イングランドを征服(ノルマンコンクエスト / Norman Conquest)して、ノルマン朝(Norman Dynasty)を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年 - ウィリアム征服王(William the Conqueror)の名で呼ばれることの方が多い)によって、1068年に、ウォーリック城が築かれた。


ウィリアム1世の後を継いで、ノルマン朝第2代イングランド王となったウィリアム2世(William II:1060年頃ー1100年 在位期間:1087年ー1100年)は、配下のヘンリー・ド・ブォーモント(Henry de Beaumont:不明ー1119年)をウォーリック城の城守(constable)に任命する。そして、ヘンリー・ド・ブォーモントは、1088年に初代ウォーリック伯爵(1st Earl of Warwick)に任じられ、以降、ウォーリック城は、その権力の象徴となった。


コーンウォール州(Cornwall)ローンストン内に所在するローンストン城(Launceston Castle)
<筆者撮影> -
ローンストン城は、「モット・アンド・ベイリー」で築かれた典型的な城である。

1068年に築かれたウォーリック城は、木製の「モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)」であったが、12世紀に入ると、石製のものに代えられた。

なお、「モット・アンド・ベイリー」とは、「モット(motte)」と呼ばれる小高い丘の上に建てられた木製、または、石製のキープ(keep)と、矢来(palisade)や防御用の堀(rampart)等で囲まれた中庭(bailey)で構成された要塞施設のことを意味している。


ローンストン城の入口 <筆者撮影> -
ローンストン城は、現在、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)によって管理されている。

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