2023年8月24日木曜日

ウォーリック州(Warwickshire) ストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon)- その1

筆者が所有している JTB 発行の
「るるぶ情報版 海外シリーズ34 イギリス」から抜粋

 
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「死者のあやまち(Dead Man’s Folly → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)」(1956年)のストーリーは、次のようにして始まる。


ある日、ロンドン市内にあるエルキュール・ポワロのオフィスにおいて、電話が鳴り、ポワロの秘書であるミス・レモン(Miss Lemon)が、受話器をとる。ポワロに電話をかけてきたのは、人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)であった。電話はデヴォン州(Devon)からで、オリヴァー夫人は、ポワロに対して、「直ぐこちらに来てほしい。」と頼み込む。そこで、ポワロは、早速、ロンドン発の列車でデヴォン州へと向かう。


ナスコム駅(Nassecombe Station)からオリヴァー夫人が滞在しているナス屋敷(Nasse House)へ迎えの車で向かう途中、ポワロは、外国人旅行者の女性二人(オランダ人とイタリア人)を車に乗せて、近くのユースホステルまで送ってあげる。この辺り一帯は、外国人ハイカー達に人気の場所であった。

その際、オランダ人の女性旅行者は、ポワロに対して、’I to England come for two week holiday. I come from Holland. I like England very much. I have been Stratford Avon, Shakespeare Theatre and Warwick Castle. …’ と話した。


オランダ人の女性旅行者が訪れたストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon)は、イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内にあるエイヴォン川(River Avon)に面した町で、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)の故郷として、世界的に有名で、毎年、数多くの観光客が訪れている。


地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の
ベーカルーライン(Bakerloo Line)のプラットフォームにあるウィリアム・シェイクスピアの壁画 -
駅の頭上に、ナショナルポートレートギャラリー(Naional Potrait Gallery)が建っている関係上、
肖像画をテーマにした壁画が数多く描かれている。


ウィリアム・シェイクスピアは、ジョン・シェイクスピア(John Shakespeare)とメアリー・アーデン(Mary Arden:1537年ー1608年)の下、ストラトフォード=アポン=エイヴォンに出生。

ウィリアム・シェイクスピアの正確な誕生日は、不明であるが、1564年4月26日に洗礼式を受けたことが記録されている。当時、出生証明書は発行されなかったので、これが、ウィリアム・シェイクスピアにかかる最古の公的な記録に該る。洗礼式は、生誕後3日以内に行われるが、当時の通例であったことから、ウィリアム・シェイクスピアの誕生日は、これまで、伝統的に、「1564年4月23日」と見做されてきた。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
ウィリアム・シェイクスピアの肖像画の葉書
(Associated with John Taylor
 / 1610年頃 / Oil on panel
552 mm x 438 mm)


父親のジョン・シェイクスピアは、成功した皮手袋商人で、町長にも選ばれたことがある市会議員でもあった。また、母親のメアリー・アーデンは、名門一族の出身であったため、ウィリアム・シェイクスピアは、非常に裕福な家庭環境の中で育った。

1582年11月29日、ウィリアム・シェイクスピア(当時:18歳)は、26歳のアン・ハサウェイ(Anne Hathway:1555年 / 1556年ー1623年)と結婚。


ウィリアム・シェイクスピアは、1585年前後にストラトフォード=アポン=エイヴォンを離れ、ロンドンへ出て来ると、1592年から新進の劇作家としての活動を開始したのである。

1613年頃に引退するまでの約20年間に、ウィリアム・シェイクスピアは、四大悲劇と呼ばれている


(1)「ハムレット(Hamlet)」(1600年ー1601年)

(2)「オセロー(Othello → 2023年6月3日付ブログで紹介済)」(1603年ー1604年)

(3)「リア王(King Lear → 2023年7月19日付ブログで紹介済)」(1605年-1606年)

(4)「マクベス(Macbeth → 2023年7月30日付ブログで紹介済)」(1606年)


を初めとして、史劇、悲劇や喜劇の傑作を多く残した。


ウィリアム・シェイクスピアは、1613年頃に、劇作家から引退して、故郷であるストラトフォード=アポン=エイヴォンへと戻ったものと考えられている。

そして、彼は、1616年4月23日に、52歳で亡くなった。なお、死因は、腐ったニシンから伝線した感染症であるとされている。

なお、ウィリアム・シェイクスピアの誕生日が本当に4月23日であるとすると、彼の命日は、誕生日と同じ日であることになる。


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