2023年7月2日日曜日

シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その13

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回は、前回に引き続き、イングランドとアイルランドの女王で、テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)である。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


テューダー朝の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年-1547年)の長女で、彼女の異母姉に該るテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)は、プロテスタントに対する過酷な弾圧を行い、「血まみれのメアリー(Bloody Mary)」と呼ばれたが、1558年11月17日にセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace)において崩御したため、彼女は、テューダー朝の第5代イングランド王エリザベス1世として即位した(戴冠式は、1559年1月15日に行われた)。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
メアリー1世の肖像画の葉書
(Master John / 1544年 / Oil on panel
711 mm x 508 mm) 


王位を継承したエリザベス1世は、初代バーリー男爵ウィリアム・セシル(William Cecil, 1st Baron of Burghley:1520年ー1598年)をはじめとする有能な貴族を重臣として活用し、最初の仕事して、父ヘンリー8世の政策を踏襲して、イングランド国教会(Church of England)を国家の支柱と位置付け、異母姉メアリ1世が引き起こした国内の混乱を収拾させることに努めた。


また、エリザベス1世は、彼女の統治方針として、「私は見る、そして語らない。(video et taceo)」を採理、父ヘンリー8世、彼女の異母弟に該るテューダー朝の第3代イングランド王として即位したエドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)、そして、異母姉メアリー1世よりも、穏健な政策を進めた。


地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の
ベーカルーライン(Bakerloo Line)のプラットフォームにある壁画 -
右側の人物が、異母姉であるメアリー1世によってロンドン塔に収監された後、
テューダー朝第5代のイングランド王として即位し、
1588年にスペイン無敵艦隊を撃退して、
イングランド繁栄の基礎を築いたエリザベス1世。


当時、「無敵」と呼ばれたスペイン艦隊(Spanish Armada)を、1588年7月から8月にかけ、英仏海峡で行われた「アルマダの海戦(Battle of Armada)」において、大勝利を収め、スペインによるイングランド侵攻を防いだことにより、エリザベス1世は、英国史における最も偉大な勝利者として、認識されるようになった。


エリザベス1世は、議会や廷臣達から、結婚することを期待されたものの、現在でも、その理由については、有識者の間で議論の的になっているが、結婚することはなかった。


上記のことから、エリザベス1世は、「処女女王(The Virgin Queen)」、「栄光ある女性(Gloriana)」や「善き女王ベス(Good Queen Bess)」等と称えられた。


当時、イングランド政府は弱体だったことに加えて、父ヘンリー8世の後を継いだ異母弟のエドワード6世と異母姉のメアリー1世による次世が短期間に終わったため、イングランド国内は混乱していたが、40年以上に及ぶエリザベス1世の在位が、国内に好ましい安定をもたらした。

この国内の安定が、クリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe:1564年ー1593年 → 2023年5月27日付ブログで紹介済)やウィリアム・シェイクスピア等の劇作家が、英国史演劇の基礎を築いたり、サー・フランシス・ドレイク(Sir Francis Drake:1543年頃ー1596年)やジョン・ホーキンス(John Hawkins:1532年ー1595年)と言った航海士が活躍する背景となった。

その結果、彼女が統治した時代は、「エリザベス朝(Elizabethan era)」と呼ばれ、イングランドの黄金期と言われている。


イングランドに栄光と安定をもたらしたエリザベス1世は、1603年3月24日、リッチモンド宮殿(Richmond Palace)において、69歳で崩御し、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に埋葬された。


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