2022年11月25日金曜日

ロバート・ルイス・スティーヴンスン作「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」<グラフィックノベル版>(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde by Robert Louis Stevenson )- その1

英国の Metro Media Ltd. から、
Self Made Hero シリーズの一つとして、2009年に出版されている
ロバート・ルイス・スティーヴンスン作
「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」のグラフィックノベル版の表紙

日本の推理小説家 / 小説家である島田荘司氏(1948年ー)が2015年に発表した長編推理小説「新しい十五匹のネズミのフライ- ジョン・H・ワトソンの冒険(New 15 Fried Rats - The Adventures of John H. Watson → 2022年10月28日 / 11月2日 / 11月5日 / 11月8日付ブログで紹介済)の「第三章 狂った探偵」では、「赤毛組合」事件が解決した後、興味を持てる事件が無くなってしまったシャーロック・ホームズは、再度、麻薬を皮下注射する悪癖に溺れていく。そして、事件解決後の二日目の深夜、遂に薬物中毒になってしまったホームズが、居間の中で暴れ始めて、家具や実験器具等を粉々にするとともに、暖炉の石炭をペルシャ絨毯の上にばら撒いて、火をつける。止めに入ったジョン・H・ワトスンは、ホームズとの大格闘の末、彼をなんとか取り押さえることに成功したが、左足の太ももに、ガラス片が深々と突き刺さり、大怪我を負ってしまう。また、家主のハドスン夫人も、怪我を負った。大怪我を負ったワトスンは、ロンドンの軍病院に収容されて、1ヶ月間、ベッドから動くことができなかった。一方、薬物中毒になったホームズは、コンウォール州(Cornwall)ランズエンド( Land’s End)にあるモーティーマー・トリジェニス精神病院へと送られてしまった。


「第四章 這う人」において、なんとかロンドンの軍病院から退院したワトスンは、「スイフトマガジン」編集部の担当者であるサミュエル・ディッシャーから、「約束していた短編を10日以内に仕上げてくれないと、私と家族は、この下の歩道で物乞いをしていることになる。」と督促され、大いに困った末、机の奥に立ててあるロバート・ルイス・スティーヴンスン作「ジキル博士とハイド氏」に目を止め、それに着想を得て、「這う人」を書き始める。

筆が早いと言われるワトスンとしても、1日半という驚異的な速さで「這う人」を書き上げるも、編集者のサミュエル・ディッシャーから、「これは、暫くの間、発表しない方がよい。ストックとして、当面、寝かせておく方が得策。」と言われるような出来だった。


島田荘司氏作「新しい十五匹のネズミのフライ - ジョン・H・ワトソンの冒険」において、ワトスンが「這う人(The Creeping Man → 2022年11月6日 / 11月18日 / 11月23日付ブログで紹介済)」を執筆する着想を得た「ジキル博士とハイド氏」とは、エディンバラ(Edinburgh)生まれの英国の小説家、詩人で、かつ、エッセイストであるロバート・ルイス・スティーヴンスン(Robert Louis Stevenson:1850年ー1894年)作「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)」(1886年)のことである。


英国の Metro Media Ltd. から、
Self Made Hero シリーズの一つとして、2009年に出版されている
ロバート・ルイス・スティーヴンスン作
「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」のグラフィックノベル版の裏表紙


「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」のグラフィックノベル版が、サー・アーサー・イグナティス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)作「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」のグラフィックノベル版(→ 2021年5月11日 / 5月19日付ブログで紹介済)やオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)作「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray → 2022年9月18日 / 10月8日付ブログで紹介済)」のグラフィックノベル版(→ 2022年10月10日付ブログで紹介済)と同じように、英国の Metro Media Ltd. から、Self Made Hero シリーズの一つとして、2009年に出版されている。

本作品のグラフィックノベル版は、Andrzej Klimowski (Mr.)と Danusia Schejbal (Ms.) の両名が、構成と作画を担当している。

両名の紹介によると、Andrzej Klimowski (Mr.)は、Saint Martins School of Art(ロンドン)と Warsaw Academy of Fine Arts で学んだ後、ポーランドにおいて、劇場や映画のポスターを、また、英国において、ほ本のカバーや雑誌のイラストを担当。現在、ロンドンにある Royal College of Art の教授、とのこと。

また、ロンドン出身の Danusia Schejbal (Ms.) は、Ealing School of Art(ロンドン)と Warsaw Academy of Fine Arts で学んだ後、ポーランドにおいて、大手劇場の作品を担当し、その後、英国へ戻り、画家として、英国や欧州において、展覧会を開催している、とのこと。


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