2022年8月20日土曜日

コナン・ドイル作「空き家の冒険」<英国 TV 版>(The Empty House by Conan Doyle ) - その2


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1903年10月号に、また、米国の「コリアーズ ウィークリー (Collier’s Weekly)」の1903年9月26日号に発表した「空き家の冒険(The Empty House → 2022年5月27日 / 7月1日 / 7月10日 / 7月17日 / 7月24日 / 7月29日 / 8月3日 / 8月6日付ブログで紹介済)」に基づいて、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)の第3シリーズ(The Return of Sherlock Holmes)の第1エピソード(通算では第14話)は、コナン・ドイルの原作と比べると、以下のような差異が見受けられる。


ホームズとワトスンの二人が辿った
ベーカーストリート221Bの向かい側に建つ空き家へと向かったルート
(コナン・ドイルの原作の内容に基づいて作成)


(1)

TV 版は、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)において、シャーロック・ホームズと「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)が格闘する場面から始まり、そして、年代は「1891年5月」から「1894年3月」へと移る。なお、コナン・ドイルの原作は、ホームズとモリアーティー教授がライヘンバッハの滝壺へと姿を消した時から3年後から始まる。


(2)

コナン・ドイルの原作では、事件発生年月として、「1894年春(in the spring of the year 1894)」としているが、TV 版では、「1894年初春(in the early spring of 1894)」としており、若干の相違点がある。実際、ジョン・H・ワトスンがケンジントン(Kensington)の医院から外出する際、外では雪が降っている。


ベーカーストリート221Bの向かい側に建つ空き家だったと思われる
ベーカーストリート30番地の建物
(画面中央に建つ黄土色の建物が、それに該流)


(3)

コナン・ドイルの原作では、ワトスンは、ケンジントンにおいて、医院を開業しているだけであるが、TV 版では、それに加えて、ホームズの影響を受けたためだろうか、仕事の合間に、警察医(ploice surgeon)も務めている。

また、コナン・ドイルの原作では、ワトスンの医院がある場所は、ケンジントンとしか言及されていないが、TV 版では、「St. Luke’s Grove, Kensington」と、具体的に設定されている。


(4)

コナン・ドイルの原作では、1894年4月のある日の夕方(午後6時頃)、ワトスンは、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)を散歩した後、青年貴族ロナルド・アデア(The Honourable Ronald Adair)が殺害されたパークレーン427番地(427 Park Lane → 2015年6月27日付ブログで紹介済)の見物に向かっているが、TV 版では、青年貴族ロナルド・アデアの死体が発見された翌朝、ワトスンは、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)によって、事件現場へと呼び出されている。



(5)

コナン・ドイルの原作では、パークレーン427番地で殺害された青年貴族の名前は、「ロナルド・アデア」となっているが、TV 版では、「ロナルド・フランシス・アデア(Ronald Francis Adair)」と、ミドルネームが追加されている。

また、コナン・ドイルの原作では、青年貴族ロナルド・アデアの年齢は不詳であるが、TV 版では、23歳と具体的に設定されている。


(6)

コナン・ドイルの原作では、青年貴族ロナルド・アデアの母親であるメイヌース伯爵夫人(Countess of Maynooth)は、白内障(cataract)の手術を受けるために、夫のメイヌース伯爵(Earl of Maynooth)の任地であるオーストラリアから英国へと帰国していることになっているが、TV 版では、メイヌース伯爵夫人は、オーストラリアが冬の間、英国へと戻っているというように変更されている。


青年貴族ロナルド・アデアが住んでいたと思われる
パークレーン沿いに建つ建物(その1) -
なお、現在の住所表記上、パークレーンには、
427番地に該当する建物は存在してしていない。

(7)

コナン・ドイルの原作では、パークレーン427番地において青年貴族ロナルド・アデア殺害された時間帯は、「1894年3月30日」の「午後10時ー午後11時20分」となっているが、TV 版では、「1894年3月20日」の「午後10時半ー午後11時半」と異なっている。


(8)

TV 版では、City of Westminster Coroners Court において開かれた検死法廷に、レストレード警部やワトスンが出廷した他に、事件当夜、クラブにおいて、青年貴族ロナルド・アデアと一緒にカードゲームを行なったサー・ジョン・ハーディー(Sir John Hardy)、マレー氏(Mr. Murray)とセバスチャン・モラン大佐(Colonel Sebastian Moran)の3人も出廷している。なお、コナン・ドイルの原作には、このような場面はない。


青年貴族ロナルド・アデアが住んでいたと思われる
パークレーン沿いに建つ建物(その2)


(9)

コナン・ドイルの原作では、1894年4月のある日の夕方、ワトスンは、ハイドパークを散歩した後、青年貴族ロナルド・アデアが殺害されたパークレーン427番地の見物に向かった際、そこで、ホームズが変装した本蒐集家の老人とぶつかって、本を落としてしまうが、TV 版では、City of Westminster Coroners Court において開かれた検死法廷が終わった後、ワトスンがその階段を降りて来る際、階段の隅に座っていたホームズ変装の本蒐集家の老人とぶつかって、本を落としてしまう場面に変更されている。


(10)

コナン・ドイルの原作では、午後6時頃、パークレーン427番地の前で、本蒐集家の老人に変装した姿で、ワトスンとぶつかる前の午後2時に、ホームズは、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)へと帰還して、ハドスン夫人を驚かせているが、TV 版では、ホームズのベーカーストリート221Bへの帰還が、モラン大佐の手下によって見張られている場面が追加されている。ホームズは、ワトスンに対して、自分を見張っていたモラン大佐の手下の名前について、「パーカー(Parker)だ。」と発言している。


(11)

コナン・ドイルの原作では、ホームズは、ワトスンに対して、ライヘンバッハの滝でに出来事、そして、3年間の所在等について語った後、直ぐに、二人はベーカーストリート221Bの向かい側に建つ空き家へと向かったようであるが、TV 版では、ホームズは、「2-3時間、睡眠をとる。」と言って、ワトスンの診療室の診察台の上で、直ぐに眠りに就いてしまい、それを見たワトスンが、心から笑うという場面が追加されている。


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