![]() |
英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2025年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである 横溝正史作「黒猫亭事件」の裏表紙 (Jacket illustration by Thomas Hayman / Jacket design by Jo Walker) |
日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの中編「黒猫亭事件(Murder at the Black Cat Cafe)」は、「小説」1947年(昭和22年)12月号に発表された。ただし、発表時の原題は、「黒猫」になっている。
「黒猫亭事件」の場合、1947年(昭和22年)3月20日の深夜、東京近郊の武蔵野(Musashino)の面影が多く残る G 町(G - Town)が、事件の舞台となる。
![]() |
英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2025年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである 横溝正史作「黒猫亭事件」内に付されている 黒猫亭と日蓮宗蓮華院の周辺地図 |
その夜、G 町派出所(police box)勤務の長谷川巡査(Constable Hasegawa)は、巡回中で、酒場「黒猫亭(Black Cat Cafe)」に差し掛かる。長谷川巡査の記憶によると、酒場「黒猫亭」は夫婦によって営まれていたが、彼らは既に酒場を売却しており、確か、1週間程前から空き家同然になっている筈だった。
ところが、長谷川巡査は、酒場「黒猫亭」の裏庭に、謎の人影を目撃した。長谷川巡査が眼を凝らしてよく見てみると、その人影は、酒場「黒猫亭」の裏庭に隣接する日蓮宗(Nichiren sect)蓮華院(Renge-in)の若い僧である日兆(Nitcho)で、裏庭で穴を掘っていたのである。
日兆の行動を不審に思った長谷川巡査が、日兆が掘った穴の中を確かめてみると、驚くことに、穴の中には、腐乱しかけた女性の全裸死体が横たわっていた。しかも、その女性の顔は完全に損壊しており、生前の容貌を判別すらできなかった。
警察による検死の結果、女性の死因は頭部の傷で、他殺であることが認定された。
不思議なことに、同じ場所に、黒猫の死体も埋められていた。「黒猫亭」には、酒場の店名に因んで、黒猫が飼われていたことから、その猫の死体かと思われたが、その直後、生きている黒猫が見つかり、「黒猫亭」では、、2匹の黒猫が飼われていたのではないかと考えられた。
長谷川巡査、そして、事件の捜査を担当した村井慶次(Detective Murai)により、以下のことが判明。
*「黒猫亭」には、糸島大伍(Daigo Itojima:42歳)とお繁(O-shige:29歳)の夫婦が暮らしていた。
*糸島大伍とお繁の2人は、中国からの引き揚げ者。ただし、2人は一緒に中国から引き揚げて来たのではなく、お繁の引き揚げが先で、糸島大伍が後となった。
お繁:中国 → 横浜(1945年10月)→ G 町(1946年7月)
糸島大伍:中国 → 長野(1946年4月)→ G 町(1946年7月)
と言うルートを辿り、2人は G 町にやって来て、酒場を借り、「黒猫亭」を営んでいたが、1947年3月14日に店を閉めて、神戸へ引っ越した。
*「黒猫亭」には、お君(O-Kimi:17歳)が住み込んで、働いていた。。
*「黒猫亭」で客の相手をしていたのは、通いの加代子(Kayoko:23歳)と珠江(Tamae:22歳)の2人。
糸島大伍とお繁の2人が「黒猫亭」を閉めて、神戸へ引っ越したのが、約1週間前の1947年3月14日。
警察の捜査により、お君、加代子と珠江の3人が生存していることは確認された。
また、「黒猫亭」閉店の際、お君、加代子と珠江の3人は、お繁に会った、とのこと。
一方で、警察による検死の結果、「黒猫亭」の裏庭の穴の中から見つかった女性の死体の死亡推定日時は、それよりも2週間も前だった。
そうなると、酒場「黒猫亭」の女性関係者であるお繁、お君、加代子および珠江の中には、の裏庭の穴の中から見つかった女性の死体に該当する者が居ないことになる。
それでは、「黒猫亭」の裏庭の穴の中から見つかった女性の死体は、一体、誰なのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿