2025年9月7日日曜日

ロンドン ダリッジピクチャーギャラリー(Dulwich Picture Gallery)- その2

ダリッジピクチャーギャラリーの絵画コレクションの基礎を築いた
サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワ(右上)、
ノエル・ジョーゼフ・デザンファン(左下)、
そして、マーガレット・モリス・デザンファン(左上)の肖像画
<筆者撮影>

今回は、英国の新古典主義を代表する建築家となり、1788年10月16日に、英国の建築家 / 彫刻家であるサー・ロバート・テイラー(Sir Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行(Bank of England → 2015年6月21日 / 6月28日付ブログで紹介済)の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めたサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年 → 2025年6月24日 / 6月28日 / 7月9日付ブログで紹介済)が設計したダリッジピクチャーギャラリー(Dulwich Picture Gallery)について、引き続き、紹介したい。


英国の肖像画家であるサー・トマス・ローレンス
(Sir Thomas Lawrence:1769年ー1830年)が描いた
「サー・ジョン・ソーン(76歳)の肖像画 (Portrait of Sir John Soane, aged 76)」
(1828年ー1829年)
の絵葉書
Oil on canvas 
<筆者がサー・ジョン・ソーンズ博物館で購入>


ダリッジピクチャーギャラリーの美術品コレクションは、ロンドンで画商として成功したスイス系英国人であるサー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワ(Sir Peter Francis Lewis Bourgeois:1753年ー1811年)と彼の共同経営者であるフランス人のノエル・ジョーゼフ・デザンファン(Noël Joseph Desenfans:1741年ー1807年)が収集した絵画が、その基礎となった。

ちなみに、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワは、風景画家 / 歴史画家でもあり、ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第3代英国王であるジョージ3世(George III:1738年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)による統治時代に宮廷画家も務めていた。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で
所蔵 / 展示されている
ハノーヴァー朝の第3代英国王であるジョージ3世の肖像画
(By studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワとノエル・ジョーゼフ・デザンファンの2人は、1790年にポーランド・リトアニア共和国(Polish-Lithuanian Commonwealth)の(最後の)国王であるスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ / スタニスワフ2世アウグスト(Stanisław August Poniatowski / Stanisław II August:1732年ー1798年 在位期間:1764年-1795年)から依頼を受ける。この依頼は、ポーランド王室の美術品の充実とポーランドにおける美術の発展を目的としたものだった。

スタニスワフ2世アウグストからの依頼を受けたサー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワとノエル・ジョーゼフ・デザンファンの2人は、1790年から5年をかけて欧州中を巡り、絵画を収集。

ところが、1795年に第3次ポーランド分割が行われた結果、スタニスワフ2世アウグストを国王とするポーランド・リトアニア共和国は消滅することになり、彼らが5年をかけて収集した絵画コレクションの引き取り手が居なくなってしまったのである。

そこで、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワとノエル・ジョーゼフ・デザンファンの2人は、収集した絵画コレクションを他国へ売却しようとしたが、最終的にうまくいかず、重要な美術品の追加購入資金を確保するために、数点の絵画を売却するにとどめ、残りの絵画コレクションについては、ロンドンにあるノエル・ジョーゼフ・デザンファンの屋敷において保管することになった。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で
所蔵 / 展示されている
ジョージ3世の王妃である
ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
(Sophia Charlotte of Mecklenburg- Strelitz:
1744年ー1818年)の肖像画

(By studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


1807年に共同経営者であるノエル・ジョーゼフ・デザンファンが死去したことを受けて、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワは、当初、友人であるサー・ジョン・ソーンに依頼して、ノエル・ジョーゼフ・デザンファンの屋敷に霊廟を建てようとしたが、同屋敷の権利を得ることができず、その計画は流れてしまった。


大英博物館の正面入口 -
グレイトラッセルストリート(Great Russell Street
→ 2025年7月15日付ブログで紹介済)に面している。
<筆者撮影>


その後、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワは、大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)に対して、「自分が死去した後、絵画コレクションを遺贈したい。」と持ち掛けたものの、大英博物館側の役員達の問題により、この話も流れてしまう。


ダリッジ村内に設置されている
エドワード・アレン記念碑(Memorial to Edward Alleyn)(その1)
<筆者撮影>

ダリッジビレッジ通り沿いに設置されている「神の賜物カレッジ」の説明板
<筆者撮影>


最終的には、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワは、英国の俳優で、彼の友人であるジョン・フィリップ・ケンブル(John Philip Kemble:1757年ー1823年)の助言を受け、1811年に死去した際、イングランドとアイルランドの女王で、テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)の統治時代に俳優として活躍し、その後、劇場経営主として成功したエドワード・アレン(Edward Alleyn:1566年ー1626年)が創設した「神の賜物カレッジ(College of God’s Gift)」から分化した「ダリッジカレッジ(Dulwich College)」に対して、ノエル・ジョーゼフ・デザンファンと一緒に収集した絵画コレクションを遺贈したのである。

その際、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワの遺言には、友人の建築家であるサー・ジョン・ソーンによる設計による新しいギャラリーを建設の上、絵画コレクションを収蔵し、大衆に公開することが条件として付されていた。そのための費用として、2千ポンドの遺産が残されていた。

また、ノエル・ジョーゼフ・デザンファンの未亡人であるマーガレット・モリス・デザンファン(Margaret Morris Desenfans:1731年(?)/ 1737年(?)ー1814年)に対して、4千ポンドの遺産を残した。


サー・ジョン・ソーンが設計した
ダリッジピクチャーギャラリーの建物正面外観
<筆者撮影>


こうして、サー・ピーター・フランシス・ルイス・ブルジョワが残した遺言に従って、彼とノエル・ジョーゼフ・デザンファンが収集した絵画コレクションを収蔵するためのダリッジピクチャーギャラリーが、サー・ジョン・ソーンによる設計により建設されることになったのである。


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