2023年12月21日木曜日

陸軍省(War Office)

画面中央の建物が、旧陸軍省ビル(former Old War Office building)で、
陸軍省が1906年(ビル竣工年)から1964年まで使用した7階建ての建物で、
建物内部には、約1000室ある。
旧陸軍省ビルは、ホワイトホール通り(Whitehall → 2015年10月3日付ブログで紹介済)と
ホースガーズアベニュー(Horse Guards Avenue)の角に建っている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affairs at Styles → 2023年12月3日 / 12月xx日付ブログで紹介済)」において、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)が、義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)をストリキニーネで毒殺した犯人として逮捕され、彼の裁判が、ロンドンの中央刑事裁判所(Central Criminal Cout → 2016年1月17日付ブログで紹介済)において行われることになった。

ジョン・キャヴェンディッシュの妻であるメアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)は、ケンジントン地区(Kensington → 2023年月日 / 月日付ブログで紹介済)に家を借りた。エルキュール・ポワロも、同じ家に滞在することになった。(September found us all in London. Mary took a house in Kensington, Poirot being included in the family party.)

一方、ヘイスティングス大尉は、陸軍省(War Office)に職を得たので、ロンドンで皆会えるようになった。(I myself had been given a job at the War Office, so was able to see them continually.)


ロンドンにおいて、アーサー・ヘイスティングス大尉が新たに勤務するようになった「陸軍省」は、1684年から1964年までの間、英国陸軍を統括した英国の行政機関である。

「陸軍省」は、「戦争省」/「軍務省」とも表記される。


当初、陸軍省は、陸軍卿(Secretary at War)を補佐する軍務所として発足。

陸軍卿は、当時、陸軍総司令官(Commander-in-Chief of the Forces)の下の職位だったが、1660年のイングランド王政復古(Restoration)後、その権限を拡大させ、18世紀に入ると、軍事面にかかる英国王への助言者 / 軍事財政にかかる議会の責任者となり、国務強(Secretary of State)に並ぶ権力を有するようになった。ただ、1794年に陸軍大臣(Secretary of State for War)が新設されると、陸軍卿の強大な権力は、陸軍大臣へと移行した。


1801年に、陸軍省と植民地省は、陸軍・植民地省に統合。

1853年にクリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)が勃発した際、陸軍の非効率性が問題点となり、1854年に陸軍省と植民地省は切り離されて、陸軍大臣と植民地大臣が改めて設置された。

1863年に、陸軍卿の職位が廃止される効率化が実施された。


陸軍省における一定の改革は実施されたものの、陸軍行政については、陸軍省が統括する一方、軍令に関しては、王族が就任することが多い陸軍司令官が掌握すると言う非効率性は、引き続き、残された。


長年の間、陸軍司令官の職位にあり、陸軍省内の改革を拒み続けた王族の第2代ケンブリッジ公爵ジョージ・ウィリアム・フレデリック・チャールズ(2nd Duke of Cambridge, George William Frederick Charles:1819年ー1904年)が1895年に辞職した後、陸軍司令官の権限に対する制限が行われた。

この時点で、陸軍大臣の下に、軍政一般の助言を行う軍務評議会(War Office Council)が、また、陸軍総司令官の下には、軍令の助言を行う陸軍局(Army Board)が新設された。

1904年には、軍務評議会と陸軍局が陸軍本部(Army Council)に統合され、陸軍大臣の下に置かれた。更に、陸軍総司令官の職位は、陸軍参謀総長へと改組され、これを以って、陸軍省内の効率性への改革は、達成されたと言える。


1964年に、軍機構の大改革により、陸海空軍が統合されて、国防省(Ministry of Defence)が創設。

その結果、陸軍省、陸軍大臣および陸軍本部も廃止され、旧陸軍省は、国防省の陸軍委員会へと変わり、現在に至っている。 


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