2023年12月1日金曜日

スコットランド アイリーンドナン城(Eilean Donan Castle)

英国の Seven Dials, Cassel & Co が2000年に出版した
ポール・ジョンスン(Paul Johnson)著
「Castles of England, Scotland & Wales」(筆者所有)から抜粋。


英国の TV 会社 ITV 社が制作したアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「「予告殺人(A Murder Is Announced → 2022年12月5日付ブログで紹介済)」(1950年)の TV ドラマ版である「Agatha Christie’s Miss Marple」の第4話(第1シリーズ)「予告殺人」において、チッピングクレグホーン村(Chipping Cleghorn)の郊外にあるリトルパドックス館(Little Paddocks)の女主人レティシア・ブラックロック(Letitia Blacklock)が、何故、ルディー・シャーツ(Rudi Scherz - リトルパドックス館へ押し入ったスイス人の強盗)に命を狙われたのかが語られる。


彼女は、かつて資産家ランダル・ゲドラー(Randall Goedler)の下で、秘書として働いていた。

ランダル・ゲドラーの遺産は、彼の死後、彼の妻ベル・ゲドラー(Belle Goedler)が相続したが、彼女の死期が近かった。

ベル・ゲドラーが亡くなった場合、レティシア・ブラックロックが、ゲドラー家の財産を相続するが、万が一、レティシア・ブラックロックがベル・ゲドラーよりも先に亡くなった場合、ゲドラー家の財産は、20年前に、ランダル・ゲドラーの反対を押し切って、駆け落ち結婚をした妹ソニア・ゲドラー(Sonia Goedler)の双子の子供であるピップ(Pip)とエマ(Emma)の手に渡る手筈になっていた。


捜査主任のダーモット・クラドック警部(Inspector Dermot Craddock)は、スコットランドへ赴き、病床に臥すベル・ゲドラーと面会する。

その際、ベル・ゲドラーが住む屋敷として、スコットランドに所在するアイリーンドナン城(Eilean Donan Castle)が、映像上、使用されている。


アイリーンドナン(Eilean Donan)は、スコットランドのハイランド(Highlands)西部に位置する小さい島で、「Loch Duich」、「Loch Long」と「Loch Alsh」と言う3つの入江が合流した場所に所在している。


英国の Seven Dials, Cassel & Co が2000年に出版した
ポール・ジョンスン(Paul Johnson)著
「Castles of England, Scotland & Wales」(筆者所有)から抜粋。
以前、スコットランドへ旅行に行った際、
エディンバラ(Edinburgh)まで電車で行き、エディンバラでレンタカーを借りて、
スコットランドの中央を抜けて、インヴァネス(Inverness)まで到達。
帰りは、ネス湖(Loch Ness)の西側を通り、スコットランドの西側を回り込んで、
上記の地図に表示されていないいくつかの城を観光の上、エディンバラへと帰還。
アイリーンドナン城は、ネス湖のかなり西側に位置しており、
周辺には、他に観光の名所がなく、
アイリーンドナン城を往復するには、旅行の日程上、かなり厳しかったので、
アイリーンドナン城の観光を諦めた経緯あり。
今思うと、旅行の日程をもう1日伸ばして、
アイリーンドナン城を訪問しておけば良かったと反省している。


「アイリーンドナン」の名前は、ケルト語で「ドナンの島(Island of Donnan)」と言う意味で、617年に殉教したと言われているケルトの聖人「アイグのドナン(Donnan of Eigg)」に因んで、「アイリーンドナン」と命名された。

アイグのドナンが島に教会を設立したと言う伝説が残されているが、その伝説を示す遺跡は存在していない。


アイリーンドナン城は、13世紀に建設され、マッケンジー一族(Clan Mackenzie)とその同盟であるマクレー一族(Clan MacRae)の拠点となった。


1688年から1746年にかけて、「ジャコバイトの反乱(Jacobite Rebellions)」と呼ばれる蜂起 / 反乱 / 戦争が勃発。

これは、英国における最後のカトリック国王で、1688年の名誉革命(Glorious Revolution)により追放されたジェイムズ2世(James II:1633年ー1701年 在位期間:1685年ー1688年)の復位を目指したものである。ジェイムズ2世は、当時、フランスにおいて、復位の機会を伺っており、彼の死後は、その子孫の復位を目指した。

なお、蜂起 / 反乱 / 戦争の名前は、ジェイムズのラテン語読みである「Jacobus」を起源としている。

18世紀初頭、マッケンジー一族がジャコバイトの反乱に関与したため、1719年に英国艦隊による砲撃を受けて、城壁が破壊された上に、アイリーンドナン城は占拠された。


1919年から1932年にかけて、ジョン・マクレー・ギルストラップ中佐(Lieutenant-Colonel John Macrae-Gilstrap)による再建作業により、アイリーンドナン城は、現在の姿となっている。


アイリーンドナン城は、アイリーンドナン島の大部分を占めており、現在、歩道橋(footbridge)によって、本土と結ばれている。


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